逆行した幸薄聖女は、すべてを諦めて仕事を頑張ろうと思っていた
望むべきではなかったのだろう。
王の恍惚とした眼差しに目もくれず、アリシアが見ているのは、四肢を杭で磔にされ、今にも処刑されようとしている夫の姿だった。
アリシアはとある貴族が使用人に産ませた子で、母は物心つく前に亡くなった。
父や義母、義兄に疎まれて育ったアリシアだったが、七歳の誕生日にスキルが”祝福”だと判明すると、すぐさま聖女として教会に引き取られた。
聖女になれば幸せになれると思っていた。...実際は贄のようなものだと知るまでは。
監禁されて十年、十七歳になったアリシアの世界が一変する出来事が起こった。
ちやほやされている(と思われている)アリシアを疎み、家族が暗殺者を差し向けた。
暗殺者は部屋に居合わせていた神官を殺すも、アリシアを殺さずに連れ去った。
その暗殺者がのちの夫であるカイルだった。
カイルはアリシアに、菓子や花、ぬいぐるみ等を与えた。
文字を教え、本を読む楽しみを教えてくれた。
きれいな景色を見せてくれた。
なによりも、ひび割れた大地に水が沁みていくように、たっぷりの愛情を注いでくれた。
一度は生への執着を失くしたアリシアだったが、カイルとの日々を通して、再び生きたいと思うようになった。
その矢先のことだった...。
(望んではいけなかった。あの部屋で一生、聖女としての責務を果たすべきだった)
そうすれば、国が荒れることもなかったし、カイルがこんな目に遭うこともなかった。
(やり直したい。神よ、今度こそ責務を果たします。カイルのことも諦めます。だから...だから...)
◆
悲痛なその祈りが届いたのだろうか。
目を覚ますと、アリシアは十五年前の、七歳の誕生日前日に戻っていた。
祈りが届いたのだから、今度は間違えない。
そう決意し、アリシアは夜中に行動を起こした。
くすねたお金や換金できそうな宝石類を入れた革袋を手に、家を抜け出したのだ。
かつて、カイルが自分の過去を話してくれたことがあった。
他に生きるすべを知らず、知った時にはすでに血で汚れきっていたと...。
考えなしにスラムに入ったのはマズかったが、結果的にカイルに会えた。
革袋を渡して家に戻ったアリシアは、そのまま教会に連れて行かれた。
このまま、カイルの幸せを祈っていこうと思っていたのに、事態は思わぬ方向に向かった。
「行くぞ」
「え、え!?」
なぜかカイルは教会に忍び込んできて、アリシアに嵌められていた足枷を壊すと、そのままヒョイッと抱えた。
「だ、ダメだよ! 捕まっちゃうよ!」
「大丈夫だって、なんでか調子がすごくいいし」
あとで気づいたことだが、アリシアは”祝福”を無意識にカイルに使っていた。
カイルのスキルは”影操作”。
有り余る魔力のままに、カイルはアリシアを連れて影に潜り、王都からグングンと離れていった。
シアンと名を変え、アリシアは八歳になった。
しばらくはホームレス暮らしをしていた二人だったが、ここでカイルがとんでもない行動に出た。
とある人嫌いのおじいさんの家を乗っ取っ...正確には、身元引受人になるよう、家に押し入って脅し、安全な拠点を手に入れてしまったのだ。
生活費そのものはカイルが稼いでいるとはいえ、大変申し訳ないと思ったので、せめてもとシアンは家事を頑張った。
かつて教わった経験は、今もシアンの中で生きている。
シアンは九歳になった。
最初こそ、ずっと(特にカイルを)睨んでいたおじいさんだったが、今ではシアンがかわいくてたまらないようだ。
カイルはおじいさんに弟子入りすることになり、出稼ぎの回数が減った。
なんだかんだで、師弟関係は良好のようだ。
シアンは十三歳になった。
おじいさんが亡くなった。七十六歳だった。
一気に家の中は静かになり、慣れるのに時間がかかった。
シアンは十五歳になった。
風の噂で、王太子が憑りつかれたかのように、なにかを探しているらしいと聞いた。
ショックでしばらく寝込んだ。
シアンは十九歳になった。
風の噂で、教会では大きな改革が行われたらしいと聞いた。
あと、王太子が代わったとも。
シアンはもうすぐ、二十歳になる。
「シア、結婚しよう」
「...えっと...」
カイルの右手はシアンの手をガッチリ掴み、左手に持っている箱の中からは指輪が光っている。
「聖女の仕事自体は、ちゃんとやってるだろ?」
「...まあ」
重要だったのは、あの部屋に安置されていた大きな結晶だった。
連れ出す際、カイルが切り取った結晶の欠片を、今もシアンは肌身離さず持っている。
「あの王子は廃嫡幽閉、もうお前が狙われることはない」
「...なにかしたの?」
「さあ?」
とぼけてはいるが、時々カイルは家を留守にしていた。
十中八九、一連の出来事に関わっているはずだ。
なんせ、カイルはシアンのためならいろいろやらかすのだから。
「第一、この家にいる限りは大体安全だろ?」
おじいさんは腕利きの魔道具職人で、人と極力関わりたくないがために、自製の魔道具で家を堅牢に守っていた。...だからこそ、カイルに目をつけられたわけだが。
カイルがメンテナンスをしてくれる限り、この家は軍勢が押し寄せようとも、ドラゴンが襲ってこようともびくともしない。
「シアが不安に思ってることは解決済みじゃないか。...それとも、俺じゃ嫌か?」
「そんなことない!...あ」
思わず出てしまった本音に、カイルは笑みを浮かべながらシアンの額にキスを落とした。
「シア、愛してる。誓うよ。俺はシアを絶対に幸せにする。シアを不幸にするやつは排除してやる。ちょっかいを出すやつも排除する」
「排除って...」
冗談...ではないのだろう。
実際、シアンに言い寄ろうとして、カイルに腕を折られた人がいた。
「というわけだから、俺と結婚してくれよな?」
「...私よりもうんと早く死んだら、許さないから」
「ああ、あとで思い返して、楽しかったって笑えるような人生にしてやる!」
有無を言わさぬカイルの勢いに、シアンは観念することにした。
そして、シアンは二十二歳になった。
処刑日だった日はとっくに過ぎ去り、カイルは娘を高い高いしていた。
逆行した幸薄聖女は、すべてを諦めて仕事を頑張ろうと思っていた...けど、夫に先手を打たれてお手上げです。
蛇足
聖女がいないと国が荒れるのは、人生を弄ばれた歴代聖女の怨念のしわざ。
シアンが老衰で亡くなるころには、あらかた浄化されています。




