その後4(行啓訪問) (※挿し絵あり)
秋は早々に店仕舞いをはじめ、空気はすっかり冷たくなっていた。
特に、ローゼナタリア北方に位置するこの辺りで最も大きいこの街の人々の装いはとっくに冬仕様になっていて、今の時期には早朝にはマイナス十数度になるのも珍しくない。
王都は国内では比較的温暖な地域に属するため、冬でもそれなりに過ごしやすいが、ここではしっかり着こまないと命取りになる。
そんな中この街に訪れていたアニエスも、襟元と袖口に黒テンの毛皮が付いたポンチョ型の防寒着をドレスの上から着込み。帽子も同じように黒テン仕様に黒いベルベッドリボンをワンポイントに垂らしたのものを被る。
「アニエスほらこっちだ」
「お待ちください。こ、転んでしまいそうで……」
そして今スケート靴を履いて川と大きな湖を丸ごとスケートリンクにしたこの場所でほぼ初めてのアイススケートに興じていた。
「さあ、私が手を引こう」
「でも……」
「ほら、大丈夫ぜんぜん怖くないから」
(こ、怖い……)
アニエスはアイススケートは初めてだが体を動かすことが大好きなので不慣れでもそれ自体はとても楽しい。
だが、こうして不慣れなアニエスの手をセオドリックが親切にやさしく取ると、たちまち針のむしろのような鋭い視線がアニエスに一点集中した。
スケートリンクをぐるりと囲むセオドリックのファンクラブ(※A過激派)の皆さんの視線である。
アニエスの経験則からいってセオドリックのファンには大きく分けて穏健派と過激派。
そしてその中でも主義主張により何グループにも枝分かれしている。
その中でもA過激派は、割と本気で何をするかわからない超過激派といってよい。
過去にセオドリックと関係のあった女性の何人かが、彼らに拉致され降魔術によって消されているというほぼ黒だというその噂も立証に至っていないために捕まってはいない。が、そこまでいくともはやテロリストだ。
それをわかっていてか、セオドリックの近衛兵も厳戒態勢に入りピリピリと張りつめた空気が流れていた。
「ふざけるなよ! この金髪ビッヂ女!」
「許さない、絶対おまえを許さないからな」
「呪ってやるー! 末代までー!」
実際、彼女らはアニエスに向かい目を血走らせながら何やら口々に大声で恨みつらみの叫び声を上げている。
多くの地元一般客たちも遠巻きに滑ってはいるが、あまりの物々しさにそろそろと滑りつつチラチラ見ながら怯えて実に滑りにくそうだ。
こんな冬の曇天の黒い雲より暗く重い空気が流れる中で機嫌よく鼻歌交じりにリンクを滑っているのはセオドリックくらいのものである。
「殿下こわいです」
「そうかじゃあ私が背中を抱き寄せて滑ろうか? 手取り足取り教えてあげよう」
「本気でやめてください。殺されます!?」
寒さではなく動物的危機回避本能が、アニエスの奥歯を連打でカチカチと打ち鳴らす。
「せっかくここまで来たんだから楽しまないと損だぞ?」
「殿下の心臓は最高硬度のブラックダイヤモンドか何かなのですか? 尊敬と恐怖を覚えます!」
「ああ、はいはいわかったわかった。じゃあ何とかするから。少しここで待っていてくれ」
「? はい」
するとセオドリックはシャーっと一人で軽快に滑りだし、近衛兵の危険だからお下がりくださいという制止の叫びを軽く無視して彼女たちの目の前でキュキュッとフィギュアスケートの選手のように、長い足を優雅にさばき止まって見せた。
セオドリックがにっこりとまさに正真正銘これぞ本物の王子様スマイルを見せると、先ほどの般若の形相で怨嗟の叫びを上げていた者たちが乙女の顔でキャーッと黄色い声を上げる。
また何人かのファンはそれに感極まって気絶してしまった。
あまりにキレイな反応に仕込みのサクラじゃないかと疑ってしまうが誓ってそんなことはない。
セオドリックはリンクを隔てる柵に頬杖をつくと、人によってはキスさえできそうな距離まで前へと近づいた。
いきなり目の前に自分たちの信仰するアイドルが現れ、皆がわちゃわちゃと発狂している中。
「こんにちは、君たちは地元の子たち?」
商店の新人アルバイトに声をかける常連のように、セオドリックは気安い様子で声をかける。
そして一瞬で観察し、この団体のリーダーと思しき女性をすぐに見つけ彼女の目に視線をぴったりと合わせた。
「え、あ、いえ、私たちはせ、せ、セオドリック様を追いかけてここまでやって来まして……」
「え、ここまで私のためにわざわざ来てくれたのか? 嬉しいなあ! ありがとう(ニコッ)」
「はい、私たちセオドリック様をおおおお守りしたくて」
「私を? 守る?」
「はい!」
「それはいけないな」
「え……」
「こんなに寒そうにして、男である私を守っている場合ではないよ。レディーである君たちこそ風邪でも引いたら一大事じゃないか!」
そう言って一番近いファンの女の子の手を取った。女の子は今にもはじけ飛びそうなほど顔を真っ赤にする。
「……ほら、私の体温に比べてこんなにも冷たくなっているじゃないか。すごく心配だ。君も君も」
そう言って女の子の隣りの女の子の額やその隣の女の子の頬にも触れる。
「ああ、触ってしまった申し訳ない! 嫌だった?」
すると三人はぶんぶんぶんぶんと首を攪拌機のように横に激しく振った。
「そうかごめんね。私はついスキンシップが多くなるから側近にもよく注意を受けるんだ。さっきも侍女の一人が転びそうになっていて思わず手を貸してしまった。大好きなんだよね人が。とはいえ癖が良くないのも自覚している……けど、なかなか抜けなくて本当に困る!」
そう眉間を寄せ伏し目がちになると、セオドリックは恐ろしいほどの色気を発する。それにやられた女の子たちがクラクラしながら感嘆のような悲鳴のような声を上げた。
セオドリックはリーダーと思わしき女性に再び視線を戻した。
「君の名前は?」
「メ、メイベルです」
「素敵だね君にぴったりな名だよメイベル。エッグノックかワッセイル。ホットチョコレートは好き?」
「は、はい、嫌いじゃありません」
「それなら今から私と飲んで温まろうか? もちろん誘ったからには奢らせてもらうよ。ほらほら、何してるんだもちろん皆にもだ!」
そう言われ、女の子たちがキャーキャーと涙交じりの甲高い声を上げる。
突然舞い降りた最推しが自分たちと一緒に、しかもその推しの奢りでお茶をするのだ。
これは、二人きりではないが推しとのデートと言ってももはや過言ではないのでは?
その日、三百人近く集まっていたファンをぞろぞろと引き連れ、セオドリックはスケートリンク周辺の出店の集まるエリアに向かう。
さらにそれを追うように近衛兵や側仕え、記者や市長、市議員はてはスケートをしていた地元の好奇心旺盛な若者や親子連れ、おじいちゃんおばあちゃんまでがこの集団にどんどん加わり、まるで小さな山がまるごと移動しているようになった。
アニエスはその様子をスケートリンクからただただポカンと眺めていた。
「すごい」
思わず声が漏れる。
というか、あの人は殺気だった人が束になっていようと少しも怖くはないのだろうか? しかもそれを瞬時に魅了し難なくコロコロと手の平で転がして見せる姿はもはや神業だ。
アニエスは集団の人間へのいい思い出があまりないため、人が多いところは実はそんなに好きじゃない。
もちろん必要なら頭のスイッチを切り替えて立ち向かったり、或いはリードしたり、演説したりもできるけれどできるだけそういう事態は避けれるだけ避けたいと考えている。
というか、果たしてアニエスはこのままここでポツンとしていていいものなのだろうか?
次にどう動くべきか迷っているとアニエスは突然うしろから声を掛けられた。
「えっ! ノートン様がどうしてここに!?」
声をかけてきたのはセオドリックの右腕。最側近で侍従頭のノートンだった。
「王太子殿下のご命令でアニエス嬢を迎えに上がりました。本日は目立つ格好でなくて本当によかった。華美なものだと侍女とごまかすのは難しいですからね。黒テンの毛皮も一般人にはウサギの毛皮と見分けがつきませんし」
ノートンのいつもの朗らかな表情と声に、アニエスは心の底からホッとする。
「てっきりそのままほっとかれるだろうと思っていました」
「殿下がアニエス嬢を放っておくなんてありえません」
「さすが殿下ですね。隅々までフォローに抜かりがない」
「……そうなのですが、そうじゃないですよ?」
「?」
さてさて、行啓訪問はこの先どうなるのか。次回に続く!
セオドリック落書き
~今回のお話で出てきた飲み物一覧~
エッグノック……ミルクに卵と砂糖を加えてスパイスを効かせた飲み物。ブランデーを入れると大人な雰囲気!
ホットチョコレート……ミルク、チョコレート及びココアパウダー、砂糖などで主に作られた飲み物で通常は温めて供される。ホイップクリームやマシュマロを浮かべてもベリーグッド!
ワッセイル……香辛料入りの温かいリンゴ酒
~黒テン~
イタチの仲間で、その毛皮をセーブルという。
黒褐色ないしコルク色の優良な毛皮を持つテンの一種で世界三大毛皮の一つ(他二つはチンチラとリンクス)。『毛皮の王様』『毛皮の宝石』ともいう。
セーブルは最近はまつ毛エクステの材料に使われ、他の者よりやはりお値段はお高めになる。
因みにセーブル、チンチラ、リンクスよりも幻とされている毛皮が実は「ラッコ」と「モグラ」で入手はほぼ不可能。哺乳類中最高の毛皮だと言われている。
今回の新キャラ、メイベル……セオドリックのファンクラブA過激派のリーダー格。セオドリックのファン歴八年ガチ勢。