その後3(兄と妹) (※挿し絵あり)
アニエスとタニア
「タイミングがあまりに良すぎるわ。使い魔をこちらに寄越していたでしょう? お兄様、そういうのを巷ではストーカーというのをご存じ?」
タニアがプンプンと苦言を呈すると、当の本人は通信機を通じて澄ました声で返事をした。
『違うこれは諜報活動だ。そして諜報活動は王族としての嗜みの一つだぞタニア』
「女の子について嗅ぎまわることの何が諜報活動なものですか!」
『言っておくが基本的に王宮内だけだ。自宅に付いて行くことはまずない』
「当り前です!?」
ふざける兄にタニアの口調が厳しくなる。まったく油断も隙もあったものではない。
『それよりタニアさっきはアニエスを説得してくれたようでありがとう。本当に助かったよ……』
「お兄様、あんなものをいきなり贈られて、アニエスみたいな子なら困ることはわかっていたはずでしょう? 小さな男の子じゃないのだから好きな子に意地悪するような真似はお控えになって」
『なんでだろうな。可愛いと思うと同時に困らせたくもなるこの感情。反応されるとうきうきしてしまうこの気持ち……。男とは実に因果なものだ』
「お兄様の主語が大きいわ。全人類男性をどうか巻きこまないで……」
『でもてっきりタニアはアニエスの願いを聞き入れるのかと思っていたから、少しだけヒヤヒヤもしていたんだ。あんまり大事にはしたくはなかったから』
「ええ、おっしゃる通り私も最初はアニエスの申し出を聞き入れるつもりだったの。でもあの状況下でお兄様がアニエスにキス以外の何にも手を出さずに我慢したのだと知って考えが変わったのよ」
『というか、私はちゃんと周りに何もなかったと言ったはずなんだがな……?』
「千回に一回あった奇跡を信じろと言われても、それは従者があまりに可哀想すぎます。むしろ経験をもとに考慮に入れているあたり、褒められるべきでしょう?」
『ううむ……解せぬ』
「そうは全然見られていないけれど、本当は実に用心深く、頭のいいお兄様が」
『タニアよ、私を馬鹿にしてないか?』
「ああ言葉のあやでしたわ。女性関連ではねじが数本ぬけていると勘違いされているけれど、実はそうでもないお兄様が……」
『今日は口が悪くないタニアちゃん?』
「自分の弱点になりうる可能性のあるものをそう易々と他人に譲り渡したりしないわ。それこそ他の者にあんなものをプレゼントすれば、『王太子に求婚された』とすぐに吹聴されることでしょう! お兄様はとっても人気者ですし、権力をお持ちですからね?」
『そういう星のもとに生まれたからな』
「でも、お兄様はアニエスには吹聴してほしいとさえ思っているのでしょう? むしろそれを事実にする覚悟と決意があるからこうしたのでしょう? ……だって、もしお兄様に他の正式な婚約者が後々できたとして、他の女性……アニエスが王妃の代々受け継いできたジュエリーを身に着けていたら、それはそれは恐ろしいトラブルになるのは、火を見るより明らかですもの」
『本当に嫉妬は人に何をさせるかわからないよな』
自分を棚上げして、他人事のようにセオドリックはのほほんと言う。
「お兄様がアニエスと出会った年も、本格的にお兄様の婚約話が持ち上がっていたにもかかわらず、内内に握りつぶしてしまったものね。 ……結局、お兄様が結婚を意識しているのは今の今までアニエスただ一人だわ。そして事実、誰よりも大切にしている。そんな相手にそれにふさわしい贈り物をするのはむしろ自然なことだわ。公務をだしに使うのは少し卑怯だと思うけれど!」
『私だってこんなやり方は趣味じゃない! まどろっこしい手を回さなければばならないのは、そもそもタニアがアニエスが王宮で暮らしていた間、ずっと邪魔をしてきたからだろう?』
「ええ、当然です。年端もいかない社交界デビュー前のしかもあのロナ家の令嬢に当時のさかりのついたお兄様が何をしようとしたか……そんなのはできるだけ隔離してなんとしてでも、守ろうとするに決まっているでしょう?」
『そんな人をまるで発情期の猫みたいに…………!』
ちなみに発情期の猫の求愛は実はかなり激しい。
「……胸に手を当てて当時をよおく思い出してごらんなさいな」
そういわれしばらくの沈黙があった。どうやら言われて素直に思い出しているらしい。かつてのあの諸々の出来事を……。
『……あれ? どういうことだ、昔の私はまるで発情期の猫そのものだぞ?』
「わかっていただけました?」
『……わかったわかった認めるよ。確かにすべて私が行ってきたことの今がその結果だ! ……でも、それなのにかわいい妹のタニアは私の背中を押してくれるんだな?』
「ええ別にお兄様の恋路を邪魔したいわけではないし、ある一部分を除けばお兄様は自慢の兄ですもの。今回の件でも私の中のお兄様の株もかなり上がりましたわ」
『それはありがたい』
「でもお兄様。たとえ私が今回協力したとしても順調にいくとは限らなくてよ。エースとアレクサンダーの存在をお忘れかしら?」
セオドリックはその言葉に受信機越しに鼻で笑ってみせた。
『彼等なら飛び級で大学に行く準備で忙しいし今はそれどころではないから大丈夫だ』
「うーん調査済みなのね。やっぱりこれってストーカーで有罪ではないかしら?」
『私の要領がすこぶる良いだけだよ』
「わかりました。ではアニエスを待たせているから、お兄様そろそろこちらの受信を切ってもよろしいわね? どうか行啓先でもできる限り紳士的なふるまいをお願いしますね」
『ああ忙しいところをすまないな。その件も約束はできないが……なるべく善処するよ! それじゃあまた』
チンっと受信機を置くとタニアはため息をついた。
「お兄様ったら本当に大丈夫なの? お兄様は飛びぬけて優秀だけど、あの二人も並外れた優秀な竜持ちという稀有な存在。常識では測りきれないというのに」
そう言いタニアが窓をみやると、外にはいつのまにか薄暗い曇天が空を覆っていた。
「あらあらなんだか……今にも雨が降って嵐が来そう」
タニアの思った通りぽつぽつと外は雨が降りだすのだった。