その後68 (セシリアの恋心)
「……あぁっ!」
(………………セオドリック様あ!!)
セシリアは他の男とティルナノーグに至る時にも心の中で叫ぶのはいつも同じ人物。
彼女にとって、いずれの他の男子は彼の代替品でしかない。
なぜなら、それだけセオドリックは彼女にとって鮮烈だったからだ。
初めて男を知ったのは九つか十か……そんな些末なことをセシリアは忘れてしまったが、すでにその時には大人だろうが子供だろうが男が自分にどれだけ夢中になり、まるで奴隷のようにかしずくことに、何の疑問も抱かなかった。
セシリアがセオドリックに出会ったのは十一か十二の時で、叔母の家で恒例となっている古くからの伝統的な祝いの茶会にセオドリックも貴賓として招待され、そのままその叔母に自分が紹介されたものだった。
いいやきっと、叔母もある程度下心があって、一族で最も美しい少女であるセシリアとわざわざ対面させたに違いない。
セシリアもその茶会の説明を事前に叔母から受けていた頃あいから、いわゆる『王子様』の相手をするのはどんなものなのか……好奇心がうずき興味が湧いた。
セシリアは呆れるほど美しい美男子や美少年の恋人をすでに何人も持った経験のあったが、それでも初めてセオドリックを目にした時は息をのんだ。
やはり生まれ育ちの違うお方は、その所作、言葉の運び、何よりオーラが違う……上品よりその先の類まれなる高貴さにセシリアは心の中で頷く。
さっそく、セオドリックに自分という餌をセシリアはチラつかせた。それにセオドリックは見事に笑顔で釣られる。
それに心の中で王子でも何でも、自分の前ではどの男も形無しなことにセシリアは得意になった。
とはいえ、セシリアはじゃあ他の令嬢のように、王子の奥方になることに興味があるかと言えばそうでもなく……。それよりもいつまでも多くの殿方にちやほやとされ、わがまま放題に生きたいと考えていた。
だから王子と関係を持つのも記念碑的なもので、あくまで自分の箔付けくらいに考え、そして、あちらの手並みに対しても全くもって期待はしていなかった。
何しろ相手は王族だ。
嫌というほど気遣われようと、自分が気遣う必要なんて欠片もない。
そんな人物がベッドの上でいい仕事をするとはセシリアにはどうにも思えなかった。
……ところが、驚くべきことにそうではない……いいや、むしろその真逆をセオドリックは行っていた。
このセオドリックという王子の、十代にしてあまりに鮮やかな気遣いとユーモアとまさにエンターテインメント。……それらはまさに極上品だったのである。
ギャップももちろんあっただろうが、セシリアはまるで新しい世界がはじまる瞬間を目撃したような気分だった。
そして、何より予想外だったのは今まで誰もが自分に縋りつくように夢中になったのに、セオドリックは片手を上げて「それじゃあ!」という爽やかであっさりと、実に後腐れなく自分の元を去ろうとするではないか!?
もちろん当初は自分もそうするつもりだったセシリアにとって、これはお互い様のはずなのだが……自分勝手にもそれがセシリアのプライドを傷つけ、怒り、夢中にさせなければ気が済まないという、女の意地が生まれた。
セシリアはすぐに行動に移し、お待ちになって、私こういうこともできますのよ? という新たな手を見せセオドリックを誘った。
するとそれに乗ってきたセオドリックがなるほど、ならこうしてはどうだろうかと違う手を見せて来る。
それにセシリアはさらに、ではではこれなんか如何かしらと見せれば、ならばこれをこうしてしまいましょうとセオドリックが返してきた。
それは若き夜の秘め事の天才たちの頂上決戦と言って何ら相違ない。
そうして二人はやがて世間一般側から見ればまぎれもない恋人同士だが、実際のところは、ある種の互いが互いに実力を認め高め合う好敵手と言っていい間柄になっていた。
そして、その関係がセシリアには思いのほか心地よく、かけがえのない居場所になっていて……気付けば、妃殿下になる方法を叔母に尋ねている自分がいる。そこでセシリアは初めて自覚した。
ああ、自分がセオドリックに恋をしているのだと……。
セシリアは自覚してからすぐにセオドリックに自分の想いを告白した。
初めての自分からの告白である。
その時にはセオドリックも自分を憎からず思っているのをわかっていたので、二人はすんなりと本当の恋人同士になった。
セシリアは複数いた男性関係をその時に整理し、意外にもセオドリックもそれを見て、セシリア以外の同じくその時の恋人たちとの関係に距離を置いてくれた。
セシリアは嬉しかったし、またセオドリックも本気なのだと考え、直接本人に自分と結婚するつもりなのかを尋ねる。
セシリアの良いところはこの真っすぐすぎる正直さと率直さなのだ。そこが、セオドリックから信頼を得た所以でもある。
そして、その正直さにセオドリックもまた正直に返した。
「セシリア。私はどんなに愛する人であろうと宮廷行儀見習いを卒業していない者を妻にする気はない……それは母が、その例外であったために最も最悪の結末を迎えたからだ。私はいずれ国王になるつもりだし、母のように無邪気で可愛いだけでは、その妻が務まらないのを誰よりもよく理解している」
「……でしたら、私、王宮宮廷行儀見習いになりますわ!? それだったらいいのでしょう? 私を妻にしても!!」
「……君は家庭教師や習い事からもずっと逃げ回っているんだろう? 王宮宮廷行儀見習いの試験が狭き門なのはもちろん、入ってからは、それこそ皆がみんな地獄を見ている……。それに君が耐えられるとは到底、私には思えないよ」
「では、私たちのこの関係は、今一瞬の輝きのためだけに存在すると……殿下はそうおっしゃるのですか?」
「もちろん君のことが好きだ。だが結婚に関しては私でも自分の想いだけでどうこうすることもできない。私の結婚というのには自分の将来だけでなく、家族、貴族、国民、国家がこの肩にはのし掛かってくるんだ。……それを責任をもって一緒に支えられる相手でなければただ負担が増え全員が破滅を迎えるだけだ。……私にそんな結婚をする趣味はない。……幻滅しただろう? 嫌なら今、この場で私を振ってくれていい。たとえそうなろうと、これだけはどうあっても譲る気はない」
「……ずるい方!! そんなことできないほど私が貴方に夢中なことを知っているくせに!? わかりました。王宮宮廷行儀見習いになればいいのね? だけど約束してください。私が王宮宮廷行儀見習いになったら私を妻にすると!」
「ああ、誓うよ。だけどもう一度言う。そう甘くはない」
セオドリックは知っていた。幼少期から非常に厳しく育てられた才媛であろうと、試験では容赦なく落とされる。
教養や知性。美貌だけでなく、機転や閃きに好奇心、全体を把握する力や統率力と、カリスマ性。
それと相反するような夫を何よりたてる控えめさと寛容さ、それから辛抱強さを王宮宮廷行儀見習いには求められる。
それは、血のにじむような努力はもちろん、本人のもともと持つポテンシャルにも掛かっている。
セシリアはたいへん美しくオーラがあり、機転が利いて魅力的だが、軽率さや奔放さ、そして飽きっぽさをセオドリックは当初から冷めた目で分析していた。
セオドリックは常に二人の自分を持っている。
一人はセオドリック本人としての自分。
そしてもう一人が王太子としての自分だ。
だから、セオドリック本人がどんなにセシリアに夢中になろうとも、王太子である自分がそれをわざと外から少し離れて見ていて、忖度なく非常に冷静に冷酷に観察していた。
案の定。
セシリアは二度、試験に挑戦したが二度とも落ちてしまった。
セシリアは試験期間それこそ今までの彼女にはないほどの頑張りを見せたが、それでも残酷にも結果はついてこない。
その結果にさらに王太子のセオドリックの目は冷ややかになっていき、それに引っ張られるようにセオドリック本人の想いも徐々に徐々に少しずつ熱を失っていった。
そんな中、例のセオドリックのファンクラブA過激派によるセシリアの拉致事件が起こる。
運よく命を取り留めセシリアは救出されたが、それが二人を分かつ決定的なものになった。
セシリアと結婚して責任を持つわけにはいかないのなら、彼女にこれ以上被害が及ばないよう離れるしかないとセオドリックは考えたのである。
それ以外の金銭的、防犯的、医療的な責任については生涯をかけて保証はするが、心と体の繋がりは断つこととなり、二人は正式にお別れと相成った。
しかし、それに取り残されたのは何よりセシリアの気持ちである。
セシリアはセオドリックを取り戻すためならどんなことでもしようと誓った。
それが、彼女に怪しい信仰を持たせ、自分のツテや社交。コネを使い。父が奔走する北の街の開発を餌に行啓訪問先に選ばれることに成功した。
そして、明日に迫る『雪まつり』で自分に惚れ込んだ信者をダシに挑発してみせ、彼の関心を再び得たあとは自分に夢中にさせ、そして……彼の子を身籠る……。
それが、セシリアの当初からの狙いだった。
その計画に早くも暗雲が立ち込めたのは、冬の晩餐会のあと仲間とカードに興じている時。そう……。
父とペアを組ませ晩餐会にもわざわざ潜入させ、わざと王太子の近くに座るよう手配した、ロドリスの話を聞いたその時である。
「セシリア。王太子殿下は貴方から聞いていた話とはだいぶ印象が違かったわよ」
ロドリスが自分のカードを出しながら言った。
「ええ? まさか、殿下が禿げたとでもいうの!?」
セシリアのその反応に、ロドリスは半眼になり呆れながらも続ける。
「見た目は貴方のお噂通りだったわ。そうではなくて……浮気な人には見えなかったということよ。熱視線を送られて、陰でずいぶん誘われていたようだけど見向きもしなかったみたい」
「あら、それは好都合……いいえ、ちょっと待って、ペアはどんな方だったの?」
セシリアは自分のカードを四枚引きながら、そのカードの内容も相まってなんだか嫌な予感がすでにしていた。
「白金髪のそれはもの凄い美人……ううん、でもまだ少女と言っていいくらいの人だったわ。身体は十分成熟していたけど、清潔なウブさが際立っていたもの。特にただれた愛人の多いあの場では目立つのよね……もしかしたら下手したら処女かもしれないわよ? 貴方を見ているから感覚が麻痺しているけれど、……確かに少なくとも貴族のご令嬢で処女であることは必須の条件ですものね?」
「なによそれは……どういうこと?」
「王太子の婚約者ならば、まず第一に乙女であることが求められるものでしょう?」
「……貴方はそのペアが婚約者だとでもいうの? そんな発表は王太子が適齢期であるにもかかわらずなされてないし、晩餐会なら誰であろうとペアで入場するものでしょう?」
「……婚約発表できないのにはわけがあるのかも。でも、誰が見ても王太子が彼女に夢中なのは明白だったわよ? 彼女……かなりいい物件みたいだから私個人で近付こうとしたら、王太子にうっかり牽制されてしまったわ。まるで自分の愛する人が私に汚されるのを阻止するみたいにね!」
「実際あなたはとって食べてしまいそうだったのではなくって?」
「女の子は趣味じゃないわ。……まあ、パトロンとしては申し分ないわね?」
「……お嬢さんのお小遣いであなたが飼えるとでも?」
「お嬢さんにもよるけど……十分飼えるでしょう。何しろ、かのロナ家のお嬢様なのだから」
そうついぺろりと発言し、ロドリスはおっと! と口をおさえた。
別に隠すつもりは無かったが、隠していた方がのちのち都合が良かったかもしれない。そう思うとロドリスの失敗はなんとも悔やまれた。
「何ですって? ロナ家!? どうしてそんな……」
「ミスリルの紋章入りの指輪をしていたわ。暗いし目立たないからよほど近くでないと確認するのは不可能でしょうけど……言ったでしょう。訳ありだって」
ロナ家と言えば名家中の名家で、その歴史は王家より古い。
しかも資産は莫大で、公表はされていないが、それでも人々は世界で一番の金持ちだと信じている。
家格としては申し分ないどころか本来なら王家から是非にと願い出てもおかしくないような家だ。
だが、そんな家の直系のご令嬢には『魔力無し』という貴族としてこの上ない致命的な欠点がある。
「でも、そんな欠点も王太子には関係が無いのかもしれないわね。彼女しかその瞳に一切映っていなかったもの。あれはもしかしたら結婚も視野に入れているんじゃないかしら……?」
「なによ……それ……」
セシリアはぎゅっと自分のカードを握り締めた。王宮宮廷行儀見習いでないと妻に出来ないといっていた人が、よりにもよって『魔力無し』?
そんなの王族どころか貴族だって結婚相手として真っ先に捨てるカードではないのだろうか。
「……ねえ、その彼女に会わせてくださらない?」
「そうしたいのは山々だけど……言ったでしょう。王太子の牽制が凄いって……彼女はたぶん喜んで私とお茶の一つもしたがるだろうけど、王太子が許さないわよ?」
それにセシリアはフフッと笑って見せる。
「そちら側だけの誘いならね? でも両方からアクションを起こせば、黙っておけない状態に確かめずにはおられないはずよ」
セシリアの目に炎が宿った。それは何もかも焼き尽くす煉獄を思わせる。
(絶対に奪わせるものですか。彼は私のものなのに……!)
思えばその時からすでに、セシリアはその結末に堕ち始めていたのかもしれなかった。
そして、彼女は後にロウリュでの件でセオドリックとの関係が決定的になるとアニエスのもとに差し向けたのである。影で『黒い羊』と呼ばれるあの者たちを……。
※ティルナノーグ……アイルランドのケルト神話に登場する海の果てとも、海の底ともいわれる妖精の国。そこは人が老いることも死ぬこともない。そのが転じて幸せに満ち溢れた場所。




