その後67 (闘いと秘密の書庫)
「オマエ……オマエ……ユルサナイ」
上半身が青黒い肌の裸の女に腰から下がクラーケンの女魔物の舌を切り捨て、片目を潰し、喉を貫いたアニエスに魔物は怒りで、しゅうしゅうと身体中から湯気をたてる。
クラーケンの巨大な八本足も興奮で真っ赤に染まっていた。
対し、アニエスは口を真一文字に引き結び、七色に光る瞳で静かに魔物を見据え、わずかな隙に髪を縛って頭上でまとめ、耳栓し、闘争に備えた。
「クッテヤル……クッテヤル……クッテヤル」
アニエスは腰に携えたミスリルダガーの柄をしっかり掴み、肩にはめた銃のショルダーホルスターのボタンを外す。
肩にかけていたバッグは持ち上げ、下に下ろす瞬間に左足で後ろへと蹴って隅に追いやった。
(出来るだけ早く片をつけないと、長期戦になるほど不利になる……)
睨み合う中、先に動いたのはアニエスだった。ブーツを音速にまで稼働させると音速を越えた時に生じるソニックブームで耳をつんざくような大きな音が生まれる。それを聞き、女の魔物は顔を歪めた。
(耳は上!!)
アニエスは自分の動きと速度、相手との距離、相手の次の動きを予測、計算し銃を構える。
普通なら、自分も相手も動く中、標的になんてほぼ当てることはできない。
しかし、アニエスの優れた動体視力とエルフの血が持つ狙撃手としてのデタラメなほど天才的な腕前が、寸分たがわず標的……魔物の耳の穴を真っすぐに撃ち抜いた。
普通の人間なら、そこは脳みそが繋がっているから、即死は無くとも動けなくなる。しかし、女はぶるるるるっと頭を振っただけで、まだピンピンとしていた。
(こいつの核はどこにあるの? やはり魔脈の集中するあそこっ!?)
アニエスにはいざとなれば魔力の根源を断つ、魔脈操作という切り札が存在する。しかし、その根源は八本足の根元に集中していた。
(倒すためにはどうしても一度あの足の中心に潜り込むか、足を全部切り落とさないといけないわけね……)
ここまではアニエスの圧倒的な優勢だった。
しかしその風向きはあっさりと変わる。
速度的にはアニエスには敵わないクラーケンだったが、別の力に関してはそうではなかった。アニエスの足が急に何者かに引っ張られる。
見ると、クラーケンのタコの足が地面を突き破りアニエスの足に絡みついていた。
(!! 八本足はちゃんと視界にとらえていたわ……まさか九本目を生やしたの!?)
魔物が嬉しそうにニヤリと微笑んでいる。ずりずりと吸盤に誘導されるようにアニエスの身体は足の根元に向かって進んでいく。そして……。
「……うっ!!」
チリッと焼ける音がした。見ると、服の一部が熔けている。そう、このクラーケンのタコ足の内側がすでに消化器官の入り口なのだ。
「イタダキマス」
今度は魔物が勝利を確信する番となる。
だがアニエスは慌てず、逆にぐっとその足に自ら絡みつくように抱き着いた。魔物はそれにアニエスがパニックを起こしたと思い、さらに嘲笑う。
しかし、そうではなかった……!!
「料理の先生に感謝いたします……タコの調理方法を習っていたことは正解でしたね」
タコの足はアニエスの胴体より厚く太い。こんなのを今の態勢で切り落とすのは至難の業である。だが、アニエスの取った方法はそうではなかった。
吸盤の薄皮にメスより冴えた切れ味のミスリルダガーを滑り込ませ、かッと切れ込みを入れる。
その切れ込みをもとに、肉と薄皮の間にアニエスは自分の手を無理やり差し入れ、人間離れしたその怪力でズルリと吸盤ごと下へ押しやるように足まで使い、その皮をひっぺがした。
「ンングッ、ギヤアアアアアアアアアアアアああああああああッ!!」
核に近い……いやむしろ、むき出しのほぼ内臓と言ってよい部分の直接の致命傷に、目や舌、首をやられた時よりも魔物ははるかに悶え苦しんだ。
あまりの苦しさに一度全ての足が内側にすぼまり、次の激痛の波に、今度は逆に外へ外へとと大きく足を開いた。
足を大きく開くと、その中心にぬらぬらと酸に濡れた牙の並んだ丸い口と、ぎょろぎょろと動く第三の目が露わになる。
アニエスはそれを広がった足の吸盤の一つに腕をかけ、ぶらりと垂れ下がりながら眺め、胸元から、残りの手榴弾二個をピンを外して投げ込んだ。
と同時に、クラーケンのハリと弾力のある足を勢いよく踏みつけ、トランポリンの要領で大きく飛翔し、次に壁に垂直に着地すると壁をそのまま音速ダッシュし、そこからさらに勢いをつけて大きくジャンプ! 天井近くまでその身体は舞い上がる。
多くの過程を得ながらも、その間は超音速のスピードの中、わずか一瞬で起こった出来事で……人から見れば、アニエスが瞬間移動でもしているように感じたに違いない。
そして天井近くにまで飛翔した彼女のはるか下で、手榴弾による爆発が連続で二回起こり、魔物の悲鳴とともに、その核は見事に焼かれ、打ち破かれた。
その瞬間を見届け飛翔したアニエスの身体は、まもなく今度は急激な落下へと移行する。
アニエスは落下の勢いを削ぐため、身体を前へとくるくると回転させ、バルコニーの側面近くへと身体を誘導し、またその脚で強く蹴ってさらに落下の勢いを殺し、クルクルすたんっと地面への着地に成功した。
「うん、派手にやり過ぎた……息は……?」
魔物は足をひろげたまま、まだわずかにぴくぴくと動いている。
それを静かに見下ろしながら、ミスリルダガーを核にドンと突き刺し、アニエスは最後に魔物の息の根を確実に止めた。
「……食うか食われるか、お許しください。貴方の目玉は逆に私が貰い受けます」
アニエスは魔物の口にある第三の目の網膜をはがし、瞳孔にナイフを突き刺してえぐるとその中心にある、一般に魔石と一緒くたにされる魔物の核のその芯を取り出した。
取り出したそれはアーバンのような飴色で、手のひらサイズの球体に近い形をしている。
(……これはエースへのお礼ね)
アニエスはそう思いながら、それを魔物のもとに戻るときに要領よく拾っておいたカバンに忍ばせた。
そして、カバンから弔いの蝋燭を取り出して地面に立て火を着けて、魔物に一分の黙祷をささげる。
(魔法を使われたら後が無かった……どうか安らかに)
黙祷を無事に終えて、アニエスは気持ちを切り替える。
「よし、戻ろう!」
ここは次元が違うとはいえ、それでもかなりの時間を要したはずだ。
急いで回るとこを回ってちゃっちゃと戻ろうとアニエスは身支度をササっと整え、走り出した。
だがソニックブームを起こしたら音で見つかる。走るが音速ではなく、なるべく静かに!
もはや、左手を壁にそえる余裕はなかったが、意外と帰りは難なく行けた。
そしてその道中アニエスは、またある部屋に惹きつけられ急ブレーキで止まった。
「こ、これは!?」
中は書庫だったのだが、小石を投げ、誰もいないのを確認すると中に入って本を取り出す。
その内容を見てアニエスはある確信とともに、隠しきれない笑みをこぼした。
一度その書庫を出ると部屋の入り口付近の目線よりはるか下の壁に、アニエスは指輪のマーカーでなく釘でわざわざ傷をつけ、その溝にさらにピンクのチョークで着色する。
(これで、よし!!)
アニエスは思わぬ大収穫に、軽い足取りでルンルルーンとご機嫌に転移陣へと向かった。
(これはなんて、ラッキーなのでしょう! 今日はまさに大大吉です!!)
転移陣に無事に着き、懐中時計を確認するとギリギリ一時間はたっていないようである。
(完璧!!)
転移陣が無事作動し、元のロウリュの休憩室に着き、階段を軽快に上ってアニエスは入り口から顔を出した。
すると……。
「動くな……!」
アニエスの眉間に銃口がピタリと当てられる。んっ? なにこれ、いたずら? アニエスは訳がわからなかった。全身を覆うようなマントに包んだ人間にこうして銃口を突きつけられるその意味が……。
「おまえを待っていたんだ」
いったいあなたは、誰なのですか?




