その後66 (怪物と音速の公爵令嬢)
アニエスはがしばらく歩くと行き止まりだった。
「あっ……」
左手を壁について歩いているのだから、ならそのまま伝ってUターンすればいい。はずなのだが、アニエスは違和感を覚えて立ち止まった。
なぜならうっすらと魔力の気配がしたからだ。
(……近頃、気のせいかもしれないけど目だけじゃなく肌でも魔力を感じることがある。今はよく見えないけれどこの先には間違いなく何かいる……)
アニエスはカバンにあるエースがくれた銃火器を見る。
「……どれも使ったら音が出ちゃうよね。どうしよう……んっ?」
その時、アニエスは天井に顔を向けそこにオーロラを見た。いや、正確には空気がスカートの裾のように揺らめいているのが見える。
しばらくその不思議な空気の揺らめきを眺めてからアニエスはハッと思いつき急いでもと来た道に戻った。
行き止まりからかなりの距離をとると、アニエスはおもむろに足元の小石をまたも拾い、行き止まりの方向に向けて二つ投げる。
こうすると、小石が地面か壁にぶつかったとき、かなり音が響くはずだ。
なのにいくら待てど暮らせど……底なしの井戸に石を落としたみたいに、音はいつまでも返ってこなかった。
アニエスはさらに拾えるだけ石を拾い投げてみたが、やっぱり音は無く、シーンとしている。
「……間違いない」
アニエスはオーロラのような空気の揺らぎを見て、最初は不思議な現象に驚き、次に何故それが見えるのか考え、やがてそれは魔法の層のようなものだと気付いた。
魔法というか……魔法が干渉してできた層。つまり、そこだけ他と次元が違っている。
これにより、三つの証明がかなった。
一つはやはりこの廃ダンジョンは廃ダンジョンでなく生きているということ。
もう一つは、次元が違うなら、そこで立てた音と衝撃は外には漏れずに済むということ。
最後にこのダンジョンは生きているから、たとえ次元が切り替わっていなかろうと、どんな衝撃に対しても耐久性は申し分ないということ。
(そしてオマケにこんな術が施されているのなら、やっぱりあの行き止まりの先には何かが隠されていて、あの行き止まりに関しては突破できるに違いないということ……)
アニエスはエースの荷物から手榴弾を三つ取り出すと、ピンピンピンッッと連続で栓を抜き、行き止まりに向かって素早く三つを投げた。
すると案の定、空気は一瞬光ったが、音と衝撃はこちらには一切とどかない。
少し待って行き止まりに戻ると、壁の一部が崩れ、壁の後ろのレンガが見え始めた。
アニエスはもう一度戻り、再度、三つの手榴弾を投げ込む。これで、手元の手榴弾は残り二つになってしまった。
戻ると、壁の四分の一が崩れている。アニエスは残りは自分の手作業でレンガを外していき、何とか人一人が通れるようになった。
ガラガラと切り崩し、出来た隙間からスルっと中に入る。
思った通り奥はちゃんと部屋に繋がっていた。
まるで明日にも開催される式典を待つ様な大広間。
床には黄金の絨毯が敷かれ、神殿造りの柱の上に今にも見物人がやってきそうな白いバルコニーがある。
バルコニーからは等間隔にタペストリーが垂れ下がり、何か紋章が大きく刺繍されていた。
そして、絨毯に導かれるように真ん中を歩いていくと、そこには上から何本も降るように落ちて来る滝を受け止める人工の滝つぼがある。
滝つぼには美しい睡蓮が今が見ごろとばかりに咲き誇り、それは見とれるような光景だった。
廃ダンジョンでない生きているダンジョンの真の姿をまみえるのは、竜の契約時と、先祖返りした実兄クラウディウス皇帝のダンジョン作りを手伝った時。そして今回ので三つ目になる。
そして、ダンジョンにはつきもののあの気配にアニエスは、耳をそばだて、せわしなく目を動かした。
(……どんどん近づいてくる)
アニエスはナイフでズボンのすそを切り落とし、銃に弾を装填する。
「ニオイガ……スル……ニオイガ……スル」
アニエスは少し表情を険しくした。何故ならそれが人間の言葉を解している厄介さをアニエスは熟知しているから。
そういうやつらは単に身体能力が高いだけでなく、頭が回り、残忍な遊びを好み、たいてい魔法が上手いのだ。
「……バアッッ!!……アレー、イナイ……?」
アニエスはとっさに柱の陰に隠れた。
いったい、相手はどんな姿をしているのだろう?
アニエスは手鏡を開き、何とか姿を映せないかと試みる。
鏡に姿が映った。
わかめのようにぬらぬらとした長い髪を垂らし、青黒い顔に赤い唇の女の顔。
くっきりと、まるで肖像画のように分かりやすく綺麗に…それは鏡の中からアニエスに「コンニチハ」と話しかけてくる。
まるで写真が話しかけるような不気味さそのもので……。
アニエスは潜在的な恐怖から思わず手鏡を投げていた。
(…………しまった!!)
だが、もう遅かった。
見上げると女がこちらに顔を上下真逆に百八十度回転させ、三日月のような真っ黒な目をニタニタと愉快そうに細め、アニエスを観察していた。
「ミイツケタ……」
それは、上半身は女の姿に下半身はクラーケン……つまりは大ダコの姿をしている魔物。滝つぼから伸びたその体を上手に使い。アニエスをあらゆる角度から眺めた。
「ナンテウマソウ……ワカクテ……イキガヨクテ……オンナデ」
この魔物の女は、恐ろしい長さの舌でじゅるりと舌なめずりをする。
「シカモオマエ……エルフノニオイガスルジャナイカ……」
魔物は気が狂わんばかりに嬉しそうに高笑いをした。下卑た声がそこら中に反響している。
「ゴチソウダゴチソウダゴチソウダ……!! イママデ、ナゲコマレタ、ヒカラビタオンナトハチガウ」
アニエスはその話を耳にし、ぴくっとこめかみを動かした。
「マズハ、ドコカラタベヨウ……メダマ……? イヤ……イチバンヤワラカソウナトコロヲタベヨウ」
そう言い、魔物はアニエスに口を開けてゆっくりと意地悪く顔を近づける。
アニエスはそれに…………相手のだらしなく出た長い舌をグンッと掴むと、迷わずミスリルダガーで下から切り落とした!!
「ンンギヤアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアッッ……!!」
怯んでいる隙に、そのまま目も真上から鋭くザクッと突き刺す。
「フ……フグッ……!!」
魔物はそれに怒り、ぎゅんと爪を伸ばし、アニエスを串刺しにしようと試みた。しかし、刺そうとした相手はいつの間にか大きな音と共に消えている。どこに行ったのか前後左右に魔物は残りの目をぎらつかせた。
その時、彼女の耳にブスッと嫌な音が真後ろから届く……。気付けば目の前から消えていたアニエスがミスリルダガーを魔物の首に突き刺していた。
「オマエ……オマエ………………!!」
(……やっぱり核は別で、これでは死なないのね? ……でも、これでこいつは冷静さを失った……!)
アニエスは衝撃波の音とともに瞬時に魔物と距離を取った。……ブーツが音速を越えて作動したのだ。
まさに目にも止まらぬ速さである。
「さあて、いよいよお待ちかね。今宵バトルのお時間です……」
そして、そう一人言を呟き。アニエスは口の端を持ち上げ、にやりと微笑むのであった。




