その後56(目隠しと大きなトナカイ)
「殿下、本日はお招きいただきありがとうございます!」
ニコッと笑う薄桃色の小さな唇。
キラキラとしたインペリアルトパーズのようなピンクの瞳と水色がかった銀髪に白雪姫のように真っ白な肌。
幾多の信者を出してきたであろうヴィーナスのごときこの美少女セシリアが今日はもこもことしたコートを羽織り、厚手のタイツと同じくもこもことしたブーツを履き、白い息さえきらきらと輝かせ、笑顔でセオドリックに挨拶をした。
「申し訳ございません殿下。どうしてもついて来るときかなくて……お嫌でしたら、無理やり引きずって帰りますので」
そして、そんな水色銀髪の美少女の隣りで、濃い紫みのかかったピンクの髪と翠の瞳の印象深い肉感的な美人……ロドリスが同じくもこもこしたフード付きの上着に乗馬用のズボンとブーツで、この非礼をひたすら詫びる。
対し、最初ロドリスだけを今日は特別に呼んだのに、思いもよらずセシリアまで参加していたことに困惑していたセオドリックだが、それを顔には出さずににこやかに返事をした。
「いや、少し驚いてしまったが……とはいえ、今日は分刻みのスケジュールでもないし内輪で穏やかに過ごす予定になっている。一人くらい増えても問題はないだろう。だからロドリス嬢もどうかそんなに申し訳なさそうにしないで気楽にしてくれ」
「殿下の御心の寛大さと、深きお心遣いに感謝いたします」
そう言って、顔を上げたロドリスはセシリアをギロッと睨みつけた。
「だって、殿下と会うと聞いて居ても立っても居られなくなったんですもの。殿下、今日も本当に凛々しくて素敵ですわ。本日はサウナでいっぱいお話ししとうございます!」
それにセオドリックは胸中穏やかではないものの、努めてやさしく笑って見せる。
「ありがとう。でもサウナは男女別らしいから話は食事の時にでもしよう」
「あら、男女別とは名ばかりで、実は地下で通路が繋がっていますのよ? つまり男女間でもその気になれば通い放題ですわ」
なん……だと……!? 思わぬ朗報にセオドリックは目を輝かせ、アニエスは背中にざわりと鳥肌を立てた。
しかし、それにロドリスがすかさずノーを突きつける。
「男女で行き来って、何百メートルも離れているじゃない。そんな距離をサウナで温まった後とはいえ極寒の中を渡っていくの? とんだ自殺行為だわ!」
それに今度はセシリアがロドリスを睨んだ。
「何をわかったようなことを……あなたはここにたいして通っていないでしょう?」
「たいして通っていなくても建物の地図を見れば大体わかるわよ」
そこにセシリアたち同様、もこもこ防寒着に乗馬用のズボン、ブーツ姿のアニエスがニコニコと割って入る。
「まあまあ! 良いではないですか。たまには女は女同士。男は男同士。お互いに気兼ねなく楽しむのもまた一興だとは思いませんか?」
アニエスは男のロウリュ(サウナ)が遠いことを知り、セオドリックのセクハラに合わずに無事に済みそうだと、しめしめとほくそ笑んだ。
そしてそれをわかっているセオドリックはアニエスを見ながら苦虫をかみつぶしたような顔になる。
「サーシャ(※アニエス)は、私と離れるのがよほど嬉しいようだな?」
それにアニエスはしれっとした顔で、さも恐れ多いと装いこうのたまった。
「ええ、殿下の玉体は大変にまぶしすぎて、私には効きすぎて毒になりかねません。ですので私は身の丈に合わせてのんびり雪を渡るキツネでも眺めながら、サウナでじっくり汗でも流そうと思います」
「そうか、ならば目隠しをすれば私と一緒でも大丈夫ということだな?」
セオドリックの提案に、アニエスはくわっと目を見開く。
「なぜ健全なサウナでわざわざ目隠しなんてしなくてはならないのですか! 俗世の汗を洗い流したいのに、むしろ何やら別の業が積み重なりそうなことをさらりと提案するのをどうかお止めくださいませ!」
だがそんなセオドリックのとんでもない提案を喜んで受け取る者がいた。
「うふふ、殿下、私は目を隠すだけじゃなく、手枷をつけてくださっても構いませんのよ? ただ、どうか……ひどく乱暴にはなさらないでね?」
そんなことを艶めかしく情熱的な目をして言うセシリアである。
「わー! ほらほら皆さん見て見て見てください! 手配していたトナカイさん達がたっくさんやって参りましたよ。大きくてモフモフでこれぞ雪国ぃ!」
「……ノートン様もこのメンバーをおまとめになるのですから……本当に大変ですわね」
セオドリックやセシリアの暴走にノートンが粉骨砕身の軌道修正を入れる。それにロドリスは心から同情した。
「わあ! 大トナカイに本当に乗れるのですね! 楽しみだわ」
動物を飼うのも愛でるのも食べるのも大好きなアニエスが、顔にワクワクとした喜色満面にその角も立派な大きなトナカイを見上げている。
「馬より大きい! この子と自由に走り回れたら楽しいだろうなあ。大トナカイって幅と高さはどれくらいまでなら跳べるのかしら? スピードは?」
それを聞きトナカイを引いてきた、馬で言えば厩務員的役割を務める、普段からトナカイの世話をするトナカイ引きの男性が驚いた様子を見せた。
「このトナカイを見ていきなりそんな感想を持つお嬢さんは初めて会いましたよ。この辺りの大トナカイは昔、魔獣の血が色濃く入ったらしくてね。だから普通のオスのトナカイの三百七十五ポンド(※約百七十キログラム)の三、四倍。馬かヘラジカくらいの大きさもあるんですよ」
聞くと体が大きい分、普通のトナカイのような時速四十三・五マイル(時速約七十キロ)まではいかないが、最大時速三十一マイル(時速約五十キロ)のスピードを出せ、地面から肩までの高さは四フィート十一インチ(約一・五メートル)から六フィート六・八インチ(約二メートル)とのこと。
もともとはトナカイというのは苔しか食べないのだが、大きいゆえに頭が地面に届かず、この大トナカイに関しては木の葉や水草、種実類も食べるのだそうだ。
また、このように大変大きいにもかかわらず気性は優しく、人によく懐くらしい。
「以前、山岳をヤギに乗って移動したこともあるんです。ヤギがあんなにも崖をぴょんぴょん跳べるだなんて知らなくて、最初は乗るのが難しかったけどすっごく面白かったわ。だからトナカイに乗るのも今からドキドキワクワクしております!」
アニエスが本当に動物が好きなのが伝わったのだろう。男性もそれに好意的ににこにこと色々と教えてくれた。
「そうなんですね、そりゃあいい! 先ほどこの子たちには魔獣の血が入っていると言ったじゃないですか、実はこの子たち……少しだけ空も飛べるんですよ?」
「えっ……!?」
アニエスはその話に目を丸くする。
お伽話でソリを引きながら空を飛ぶという話なら聞いたことがあるが、まさか現実にそれが可能なトナカイがいるだなんて……アニエスは好奇心で手足がうずうずし、早く乗りたくて仕方がなくなった。
「とはいえ気まぐれなので、そう易々と空を飛んではくれないんですがね? 無理にやろうとすると機嫌を損ねて怪我をするかもしれないので、それだけはどうか気をつけて」
「わかりました。……あの、セオドリック様、さっそく乗ってみても宜しいでしょうか?」
アニエスはチラチラとセオドリックの方へ期待いっぱいの視線を送る。
「ああ、構わないがくれぐれも調子に乗ってケガをしないようにな?」
「はい、気を付けます!」
セオドリックのゴーサインにアニエスは元気に返事をした。
「では、トナカイに乗るのに私が体を持ちあげましょう」
トナカイ引きが手を貸そうと前に出たが、アニエスはその申し出をにこやかに断る。
「お気遣いをどうもありがとう存じます。……でも、これくらいの高さなら自分の力で乗れると思います」
そう言いアニエスは、トナカイの手綱を取り、脇からくっと勢いをつけて上にジャンプし、そのまま跨るようにストンとトナカイの鞍に体を納めてしまった。
「わあ、すごく高いわ! 昔、お父様に連れて行ってもらった南方の砂漠で乗ったラクダを思い出します!」
それを聞いてロドリスは呆れたように言う。
「さすがは、超お嬢様はワールドワイドでスケールが違いますね?」
アニエスは、ロドリスのその言葉にハッとなりシュンと反省して縮こまった。
「ごめんなさい。一人ではしゃいで突っ走って、つまらないことを申し上げました……」
「いや別に、攻めてるわけではないのですが……まあ、少しも羨ましくないと言えばウソですけど……」
アニエスは眉尻をひんっと下げ、更にすまなそうにする。だが、そこで急にハッとひらめいたアニエスは、ロドリスの方に手を大きく広げて差し出した。
「ロドリスさん!」
ロドリスは手を出されて何となくわけもわからないまま条件反射的にその手を取る。
すると、その手は女の力とは思えない力強さで体ごと引っ張り上げられ、アニエスが後ろにズレてちょうど空いた鞍に、気付けばロドリスはちょこんと座らされていた。
「私が鐙に足をかけているので、ロドリスさんは私の足を踏む形で鐙に足をかけてください。遠慮はいりません。思いっきり踏みつけて大丈夫です。そして姿勢は真っすぐ重心を中心に置き、バランスをとるよう心掛けて、手綱はしっかりと持って!」
「ま、待って! 私、乗馬の経験もほとんどないのよ!?」
「大丈夫。ロドリスさんのことは何があっても絶対に私が守ります。どうか信じてください! ……ではまずはゆっくりと行きますよ?」
「信じろって貴方もトナカイに乗るのは初心者なんでしょうが!?」
だが、そのロドリスの言葉にアニエスは笑顔でスルーを決めると、そのままトナカイを前へと歩を進めるのだった。