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その後52(蝋燭のタンポポと夜空の星)

 

「サーシャ探したぞ」


 夜会会場から出る前に挨拶をしようと、アニエスはセオドリックの元に向かった。

 セオドリックは相変わらず人垣の中心にいたが、アニエスの姿を見つけると器用にするりと抜け出し、氷上を滑るようななめらかな動作で目の前に現れた。


「殿下、私はそろそろお先にお暇いたしますゆえ、ご挨拶に伺いました」


 それに、セオドリックはちょっと眉をひそめる。


「もう少しいたらどうだ? 全然、君と話せていないぞ」


「え、今日、丸一日たくさんお話したでしょう?」


 アニエスはセオドリックの発言にびっくりした。実際ほとんどずっと一緒だったのに、まるで片時もそばにいないのが普通じゃないみたいな……そんな言い方に聞こえる。


「私もそろそろ出るとしよう。明日もあるし、一緒の馬車で戻ろう」


「殿下はまだ、いらした方が良いのではありませんか? 皆さん話し足りないご様子ですよ……?」


「もうどの人も言っている内容は同じことの繰り返しだったから大丈夫だろう。皆、酒も入って私がいなくなってもそれなりに楽しくやるさ。それに……」


 セオドリックはアニエスの耳元に唇を寄せた。


「アニエスを今日中にお仕置きしないといけないからな……?」


 アニエスはビクッと肩を震わせる。セシリアのことやらなんやで、うやむやになったと思っていたが……どうやらセオドリックはしっかりとジオルグの電話の件を、忘れずに覚えていたらしい。


「え、でも……殿下、明日も早いですし……」


「いざとなったら竜の魔符(マジックカード)があるから大丈夫だ♪」


 く、くうっアレを殿下に渡すんじゃなかった! とアニエスは自分の首を絞めたことで、それをひどく後悔した。でも、時はすでに遅しである。


「アニエス、今夜はたっぷりと可愛がってあげよう」


「……そ、それはいったいどういう」


 セオドリックは笑った。実に綺麗な黒い笑顔。


「それを言ったら想像する楽しみを奪ってしまうだろう? アニエスの想像の限りを尽くして考えると良い……」


 そう言われ、アニエスは何かを考えることを逆に停止した。無の境地にいれば人は余計な心の苦しみから解放されるに違いない。きっとそうであろうと。


「馬車を出してくれ」


 というか無の境地でいたら、何故か当たり前にセオドリックと同じ馬車に乗せられていた。

 というかノートンの姿が見えないがどういうことだ。窓を見るとノートンとコーラが手を振っている。

 

 アニエスが窓にへばりつくとノートンが指をさしてすぐ後ろの馬車で行くとジェスチャーで教えてくれた。コーラも口に手を添えどうやらアニエスにすぐ後ろから参ります! と叫んでいるようだ。


 いやというか二人ともこの馬車に同席してほしいとアニエスも逆に訴えるが、二人とも耳に手を添え、肩をすくめ、聞こえていないと首を振る。いや聞こえていなくても意味が分かるであろう。むしろ絶対言っていることがわかるはずだと叫んだが、二人はさっさと後ろの馬車に行ってしまった。


「……伝言は済んだか?」


「ひゃっ……!」


 セオドリックがアニエスの背中に自分の胸をぴったりとつけ、耳元をくすぐるように囁く。

 そんなセオドリックからは……最初はシトラス系の爽やかな香りがしていたと思っていたのがだんだんと甘さが増し、最終的には大人っぽい上品な香りに、クラッとするような雄らしさが混ざったえも言えぬあまりにも良い香りがしてくる。


 昼間ももちろん良い香りをさせていたはずなのに、夜の密閉されたこの空間とアルコールで温められた身体。それから夜に向けて放たれるフェロモンが混ざり合い、それだけでヒクヒクと女を痙攣させてしまいそうなほど魅惑的なものに仕上がっていた。

 

 これで齢十九なのだから実に恐ろしい。


「で、殿下。少し狭いので私は向かい側に……」


「……キスマークが薄くなってしまった気がするな」


「どうか私の声を聴いてください! それから、暗いからそう見えるだけで消えてないと思いま……っあ」


 セオドリックはアニエスの首筋に再度キスをする。


 だが、それはホテルのフロントの時の噛みつくようなものとは違い、実に優しく愛撫するようなキスだった。なぞるように首の骨に沿いそっと舌で上へと撫でてくる。


「あ、あ、あ……!」


 アニエスはもともと背中側が非常に弱い。だからそんなことをされれば、声を押し殺そうと喰いしばるにもどうしても声が漏れてしまう。


「で、殿下!」


 アニエスは後ろを向き、赤くなった顔で抗議する。だが、セオドリックはそんなアニエスからの非難の目さえ実に愉しそうに見ている。


「声を聴けと言ったのはアニエスじゃなかったか?」


「あんな声は普段、私は出したりいたしません!」


「そうだな? だからこそ聴きごたえがあるんだ」


「それ以上やったらそのドアを蹴破って、道路に飛び込みますよ!」


「それは困る。今夜のお楽しみは屋敷に戻ってからが本番だからな」


「……うっこ、怖い」


 アニエスはぶるりと身震いした。


「それより、窓の外をごらん」


「また何を……」


「ほら街中に蝋燭が灯って綺麗だろう?」


「えっ……?」


 アニエスは背中を警戒しながらも、好奇心に抗えず窓の外を見た。


 するとそこには昼の顔とはまたぜんぜん違う、オレンジの優しく暖かな丸い光が、まるでタンポポのように街のそこら中に咲いている。それはまるで街中に光の花畑のように広がっていた。


 さらに見上げれば、冬の(ほこり)も水蒸気も含んでない澄み渡った空に、月のように明るい星々が無数に輝き、今にも空から零れ落ちそうになっている。


 アニエスはその光景に一瞬で心奪われ、自分に先ほどまで起こっていたことは一切すべてを忘れ、無心でその光景に見入った。


「……先ほどある婦人に聞いたんだ。この街は昼も面白いかもしれないが、夜はそれこそ別格だとな。アニエスの乗るはずの馬車だと寄り道せずにそのまま宿の屋敷に戻っていただろう。おそらく後ろの馬車に乗る二人もこの光景に感動しているはずだよ」


「……」


「どうした? 何か言いたいのかアニエス」


「殿下……私、馬車を降りとうございます」






 しばらく走っていた馬車が沿道に静かに横付けされ、御者がドアを開けるとまずはセオドリック。セオドリックが手を差し伸べ続いてアニエスが馬車から降りた。


「わあぁ! すごい!」


 アニエスが感嘆の声を上げる。周り全てが美しい紺色の闇と雪と光にあふれている。

 アニエスは思わずはしゃいでくるりと回って見せた。

 セオドリックはそんな子供のようなアニエスの手を掴みそのまま自分の腕に絡ませてくる。


 しかしアニエスは足元と闇夜の天井は明るくとも、人の顔はよく見えないこの空間で、無理に振りほどく必要性もなかったため、とりあえず、そのまま腕を組んでいることにした。


 むしろ離すとうっかりぶつかってしまいそうだし、そんなつまらないことがどうでもよくなるほど、目の前の景色にただ夢中になっていたのだ。


「あ、そうだ」


 アニエスはごそごそと昼間カーニバルゲームでもらったシャボン玉を取り出し吹いてみる。……当然よく見えない。


 もしかしたら光が反射して綺麗かもしれない……と思い付きと好奇心から試したが、大方の予想通りの結果だった。


 アニエスは早々に諦め、シャボン玉を片付けようとする。すると……。


「アニエス、もう一度シャボン玉を吹いてみてはどうだろう?」


 アニエスはセオドリックのその言葉に首を傾げた。


「何も見えなかったですよ?」


「いいから、もう一度」


 アニエスはセオドリックに促され、もう一度吹いてみることにした。すると今度はシャボン玉の中に小さな光が灯っている。


「! これは殿下がされたのですか?」


 真ん中の光が反射し光の玉のようになったシャボン玉で、セオドリックの顔が満足げに笑っているのがわかった。


「もう一回吹いてみて」


 アニエスは言われた通り、再度シャボン玉を吹いてみる。すると今度はシャボン玉の端から雪の結晶のような霜が広がり、シャボン玉が美しい氷のくす玉になってしまった。


「なんて……ロマンチックなの」


 アニエスは自分で自分の言った言葉を聞き驚いた。


 普段のアニエスはロマンチックという言葉からは一番遠い人間だ。

 そんな自分からまさかそんな言葉が出てくるとは……。アニエスはセオドリックを振り向いて笑う。


「殿下は本当に魔法使いなのですね?」


「今更だな。知っていただろう?」


「いいえ、そういう意味だけど……そういう意味ではありません! 奇跡を起こせる方だと私は言ったんですよ」


 アニエスはそう言い。もう一度シャボン玉を吹いてみた。


 そのシャボン玉を吹く横顔は夜の外気に洗われ、柔肌の白さが一層浮き上がり、瞳には空を映して星が瞬き、長いまつ毛に霜の冷たい結晶の灯が灯る。そんな真っ白な姿の中に唇だけが冴え冴えと赤と薄紅色ににじんでいた。


「私にはアニエスの存在こそ奇跡に思えるよ」


「そうですね……ここにある全てが特別に思えますもの。あ、流れ星!」


「ああ、本当だ。お、また流れてきたぞ」


 アニエスはそれを見て静かに祈った。





「友達友達友達。筋肉筋肉筋肉……!」


「……おい」


「ふう、ちゃんと流れ切る前に言えましたよね?」


「ああ、雰囲気とともにキレイに流れ切ったよ」


 ……こうして最後はちゃんと残念な子で締めたが、その夜空と光の光景は忘れられない思い出となったのだった。

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