5、お仕置き(※挿絵あり)
※ショートカットのアニエス
「今ここで私と口付けすること。これが飲めないのなら今までの話はすべてなにもかも白紙に戻すこととする」
これが三つ目の条件だった。
やはりそう来るかと予想はついていたがアニエスの顔がこわばる。
だがしかし、もし条件をのまなければ……。
「お願いでございます。少しだけ心の準備をさせてください」
「ああ、それもそうだな。わかった」
ーーー五分経過
「……」
「……」
ーーー十分経過
「……」
「……」
ーーー三じゅ……
「もう三十分経過したが!?」
「うわーんだってえ!」
「少しだけ」というアニエスの心の準備をセオドリックは待とうと思った。
だが、さすがにほんの二、三分だと思っていたものが、ずるずると三十分もたってセオドリックの我慢も限界である。
「さすがに心外だぞ。何が不服だ! 全ローゼナタリアそして歴代王族の中で『最も抱かれたい男ナンバーワン』とまで言われた男だぞ私は!?」
「……はい。殿下の人気ぶりについては誰よりも存じております。でも、だからこそ尻込みしてしまうのです……。それこそ王宮宮廷行儀見習いの頃から、セオドリック殿下に関わることで幾度となく恐喝、いじめ、仲間外れに誘拐、あらゆる呪詛、そして嫌がらせを受けて参りましたから……」
思えばセオドリックと関係を持った女性は星の数ほどいるなか……実害だけをここまで被っている人物は、アニエスをおいて他にないだろう。
ただただそれに関しては理不尽であった。
「うっ、それに関しては心から謝罪する。申し訳なかった。埋め合わせも必ずする! ……けれどここではプライバシーを完全に守られている。防御防音はもちろん、ここに仕える者の口の固さはどんな拷問や、時には死に対しても王族の秘密を洩らさぬよう訓練されたものだ」
「確かにここの秘密が簡単に漏れるようなら、国家機密も何もあったものではありませんね」
「ああ、その通りだ」
「わかりました覚悟を決めました。三つ目の条件をのみましょう」
なんだかここまで、だいぶ長い道のりだった気がする。
でも、これでようやく全てが整った。
セオドリックは、アニエスの首と腰に手を添え引き寄せる。
「はあああああああっ。ひっひふうううう」
「……」
アニエスの過剰すぎる深呼吸にセオドリックはギロリと睨んだ。
「おい、何の真似だ」
「深い呼吸で緊張をほぐしているんです。ふっふっひいいいいっ!」
「おいやめろ」
「ローゼナタリアで最も抱かれたい殿方がそのような狭量なことをおっしゃらないでください」
「当てこすりはやめろ! ……とか何とか言うが、おかしなことをして私の興を削ぐのが本当の目的だろう!?」
ギクリ。
「だが残念だったな? 私はその気になればメスゴリラにだって十分に欲情できる!」
「え? それは王太子として、あまり外ではおっしゃらない方がご賢明かと……」
「もちろんだよメスゴリラ」
「あれ? もしかしてメスゴリラって私のことでした?」
「……いい加減そろそろ黙れ」
「んんっ!」
アニエスがそれ以上余計な引き延ばしをする前に、オドリックは無理やりその口を塞いだ。
キャンディーを舐めたように赤く濡れた唇は本当に緊張しているようだった。
侵入を拒むように固く閉ざし、歯を食いしばる。でも何ぶん相手が悪かったのだ……。
恋愛において歴戦の強者であるセオドリックはその扉の解錠方法を経験上よく知っている。
アニエスの弱点である背中を優しく首から腰に掛けて指を滑らすとアニエスは「あっ!」という声とともにその口を開いてしまった。
「!」
その一瞬の隙にセオドリックは自分の舌をアニエスの小さな口に潜り込ませた。
そして、その中で怯えて隠れていた朱鷺色の舌を舐め、ゆっくりと絡めてなぞり引っ張り出すと、そのまま舌に吸い付いた。
「!!」
これだけで常人ならば腰砕けに出来ただろう。
だが、内に竜を飼うほどの鋼の精神力を持つアニエスはそれだけで屈したりはしなかった。
足が震え、ゾクゾクと絶えず加えられる快感に必死に抵抗し、理性へしがみつく。
けれど残念なことにこの程度はセオドリックにとってほんの序の口なのだ。
セオドリックはそのままアニエスの上顎へと舌を移動しなぞり、唇や舌の裏、歯茎など口の中を繊細な動作で丁寧に舐める。
一度口を離したと思ったら次は唇を舌でなぞり、甘噛みをした。
「や……っん、~~~んんっっ!!」
堪らず声が出た。その声にセオドリックは満足そうに口の端を上げる。
アニエスの耳元に口を近づけ囁く。
「すごく可愛い声だ……」
いつもならアニエスの怪力がこのあたりで発揮されてもいいのに、この部屋にはどうやら王太子セオドリックを最大限守るための機構が施されているようだ。
たとえ自己防衛でもセオドリックに暴力をはたらけないように、強い呪いのようなものがかかり、アニエスは力が入らず手を上げることすらできない。
腕力も口も及ばず、アニエスがセオドリックに抗う術はゼロに等しい。
一見とても恐ろしい状況なのに、セオドリックのアニエスに対するキスはぞくぞくするほど甘すぎて優しい。
さざ波のように浴びせられる蕩けるような刺激の中、アニエスはヒクヒクと喉の奥が痙攣し始めた。
目の奥が熱く、涙で視界がぼやけ始める。
セオドリックはそんな、か弱くなったアニエスの頭をなでた。
もう一度、口を離してさらに口をついばみ、また塞ぐ。
キスは回数を重ねる度に深まり、セオドリックのアニエスに対するどうしようもない愛情が所作一つにも滲むようだった。
一つ一つ確かめるように、アニエスの全てを探るように、唇を通してセオドリックはアニエスを優しく激しく、時に意地悪に刺激し続ける。
そんなことをされて、感じ過ぎるあまり小刻みな震えが止まらないのが伝わると、セオドリックの全身は愛しさに歓喜し、陶酔し、誰にも渡したくないと本気で思う。
セオドリックはこれでもかと、アニエスの口を通して愛情を注ぎ続けた。
「……どうしてこれで分からない?」
アニエスはいきなり声をかけられ、どうしたのかと思った。
でも話しかけられることで、もうダメだと失いかけた正気を保てるのがとてもありがたい。
「……何にもわかりません。セオドリック様は頭がいいし難解すぎるもの……!」
「私は君が思うよりずうっと単純だ。方法が遠回りにするしかないからそう感じるだけで、何故こんなにまでまどろっこしい真似をするのか。……君は私が本来こんな、『おままごと』だけで満足する奴だと思うか?」
「……」
「抵抗もできない君をこのままベッドに放り込むのなんて朝飯前だ。それとも、それすらわからないとでも?」
「……」
(そのことをわざわざ口にするということは……そのつもりはないということ……?)
「僕は君に関してはもうこの体だけでは満足できないんだ。我ながらはなかなかに、こっ恥ずかしいセリフだな?」
「……それでは、いったい何がセオドリック様を満足させるのでしょう?」
「全てだ」
「え」
「全部が……ほしい……!」
そう言うとセオドリックはそのままアニエスを潰してしまいそうなほど強く抱きしめる。それにアニエスは息が出来なくなり苦しげに呻いた。
(私以外笑いかけるな見るな。君の瞳に映るものが全部ぜんぶ憎くてたまらない。国も立場も捨てて誰か一人に執着するなんてあまりにもみっともないことと、過去に学びあんなに嫌悪していたのに……髪の毛一本、爪の先一つ誰にも君を渡したくない!!)
「セオドリック様、苦し……い!」
「……」
アニエスの訴えにセオドリックは腕の力を徐々に緩めた。けれどアニエスの身体はセオドリックの腕の中にいまだにすっぽりと納められ放す気配はない。
「セオドリック様」
「なんだ」
「もしかしてセオドリック様は……この世界を征服なさるおつもりなんですか?」
「えーと……君は本当に何を言っているんだ?」
「だって全部ほしいというから……そうなのかなって……もしや、……違うのですか?」
「……馬鹿か?」
「だって、かつて大陸の暴れ獅子といわれたローゼナタリアの次期国王だからそんな野心があってもおかしくないのか……と思って……えっ、本当にそうではないのですか? でもその、世界征服ならば、確かに私は微力ながらもお力になれるかもしれないと思うのです……」
セオドリックはようやくアニエスを自分の身体から離し、肩をつかんでその顔を、その瞳を見た。
「私が世界征服なんて馬鹿げたことさえ可能だと、本気でそう君は思っているのか?」
「…………むしろ、それがローゼナタリアで可能な人物がいるとすれば、今も歴史的にも、私はセオドリック様しかいないと、そう考えていますが?」
アニエスはなんの迷いもない瞳と曇りのない声で、まるで世間的な常識のように返事してのける。
本当にこの娘は単なる阿呆でしかないのかもしれない。
けれど何故なのか、その言葉が瞳が、アニエスがセオドリックにある種の全幅の信頼を寄せていることを何よりも物語っていた。
(ハハッ、なんなんだよこいつ!)
セオドリックは堪えきれずに吹き出し、大声で笑いだした。
セオドリックが急に笑い出し、今度はいったいどうしたのかとアニエスは心配になる。
「アニエス」
アニエスは声を掛けられ「はい!」とビクッと震えて返事をした。
「残りの二つの条件もしっかり頼むぞ。これからも私のパートナーなんだからな……?」
「!」
アニエスはセオドリックの何が満足したのかについて結局は理解に至らなかった。
けれど嬉しくてその手を取り、両手で強く握るとぶんぶんと振りまわす。
「はい! どうかよろしくお願いします!」
その日、最高の笑顔を見せたアニエスに呆れつつも、その笑顔にセオドリックもつられて、思わず笑顔を返してしまうのだった。