その後40(屋外オペラと使い魔・中編)
それはアニエスたちが屋外オペラ入場をする三十分前。ここはバルコニー席パルコの王太子特別来賓席。
この席はアニエスが取った席のよりも更に広く、調度品も特別仕様となっている。
ここには飲み物に加え軽食も複数準備され、セオドリックの席には市長を始め何人もの人々が絶えずやってきては挨拶をした。
セオドリックはその人たちと笑顔で挨拶を交わしつつ、更には新聞用の写真もまた数枚撮影。ようやくその一団が満足して去る頃には、セオドリックはどっと疲れて席に崩れるように沈み込んだ。
「殿下お疲れ様でございます」
そこにノートンがツヤツヤした顔で、セオドリックに労いの言葉をかけた。その顔を見てセオドリックは片眉を上げてふっと笑う。
「竜の魔符の威力はどうだった?」
ノートンは照れたようにオホンッと一つ咳払いをした。
「……控えめに言って素晴らしかったですね。最初はずいぶん怪しいものを渡してくるなと警戒しましたが。あそこに置いてあるお茶も、乾季のクオリティーシーズンに採れたばかりの新茶で、起き抜けに飲んだのですが実に爽やかな気分で目覚めることができました」
「あそこに置いてあるお茶飲んだのかノートン? それはまたなかなか勇気のある行動だな……」
「しかもマッサージまでしてくれる小さな生物までいるので驚きました」
「え? 何それ、そんなの知らないんだが怖い」
「おかげさまで、今はすっかり元気を取り戻しました。殿下ありがとうございます」
「礼ならアニエスに言ってくれ、もともとは彼女がこちらに融通してくれたものだからな」
竜の魔符は竜の亜空間に繋がっており、そこで過ごす八時間は普段人間が生活する現世の約一分間にあたり、その中は十分な休息がとれるように設備も十分に整っている。
それを先にアニエスと試していたセオドリックはノートンを気遣い、隙間時間にすぐ使うようにノートンに命令したのだ。
おかげでノートンはその休息で気力、体力を大きく回復し、肌もツヤツヤに戻っていた。
なお、竜の魔符についての詳しい内容については本作『その後三十一(竜の仮眠室とマッサージ)』にてご参照いただきたい。
「殿下そろそろ、アニエス嬢の入場も完了しているはずです。いよいよ使い魔を準備されては?」
ノートンがそう提案すると、セオドリックは怪訝そうにノートンを見返す。
「本当にノートンだよな? 少なくとも私の知るノートンはそんなこと言わないのだが……」
セオドリックの反応に、ノートンは冷静に説明した。
「だって、殿下このままアニエス嬢と仲直りもせず、彼女の顔も見えなかったらずっと引きずって、下手すれば体調さえ崩されるではありませんか? 殿下が思っている以上に殿下がどれほど異常な『アニエス依存症重篤患者』なのかを私は重々承知しているつもりですよ?」
「おい、さりげなく人を病気扱いするな!」
「だって以前『初めて出会った頃から一年ごとに成長したアニエスを召喚し、その全員を侍らせたハーレムが作りたい』とか気持ち悪いことを言っていたではありませんか?」
「うん? 言ったがこの素晴らしさがわからないなんて、逆に心配だぞ大丈夫かノートン?」
「狂気!!」
「いやいやいやいや、アニエスは日々、怖いくらい綺麗になっていくが、それでも出会ったばかりの頃の素朴で子供っぽい子猫のようなアニエスも素晴らしいし、次の年の王宮に少し慣れて澄ました様子の……」
「あ、変態を語らなくて大丈夫です。間に合っております」
「はあ、何とも嘆かわしいな!」
「こちらのセリフですよ!」
何ともこんな主人を持って気の毒なノートンだが、そんなノートンはこのままだと埒が明かないと思い、本格的にセオドリックをせかすことにした。
「ほら、早くしないと幕が開いてしまいますよ? 会場が難しい屋外オペラの音響でもたついている今のうちに行ってこないと! 使い魔を使って覗き見をするならともかく、正体を明かして、いわば通信をするだけなんですから何の問題もありませんよ」
そして、こんな風にせかされたことで、ようやくセオドリックは重い腰を上げることができた。
「それもそうだな。わかったノートンの言う通り、使い魔で行ってくるよ」
優秀なノートンは送り出す際、もちろんこの主人に釘を刺すことも忘れなかった。
「あ、使い魔はここからは全身の五感を共有するのですから、くれぐれも悪用しないでくださいよ? それで余計こじらせて困るのは殿下自身でございますからね?」
セオドリックもそれには素直に同意する。
「わかっている。あくまで紳士的に誠実にアニエスには接するよ。いま嫌われても私になんの得もないからな」
だが、セオドリック本人のこの涙ぐましい決心はこの後むなしくも、アニエスの手によって木っ端みじんに打ち砕かれることをこの時は知る由もなかった。
というわけで次回、使い魔を通したセオドリック目線編に続くのである。
~オペラの席~
パルコ……バルコニーボックス席。プライベート空間が守られており、ほかの観客を気にせずゆったりとした鑑賞に向いている。このお話ではこの席での飲食も可能で、飲み物もサービスに入っている。
プラテア……舞台前ど真ん中のいわゆるアリーナ席。場所によってはチケットの値段がパルコより高額になる。舞台の臨場感と俳優の顔、舞台芸術をもっとも味わうことのできる席といえよう。
ガッレリア……天井桟敷。部隊が遠くなりプラテアやパルコよりも舞台は見ずらくなるものの、お値段はぐっとリーズナブルになるため。ちょっとオペラを見てみたい初心者から、毎日通いたい玄人まで様々な人のニーズにあった席だ。
立ち見……ガッレリアよりさらにお値段はお安くなるものの、席は一番遠くて暗くて見ずらく、せっかく着飾っているのに立ち見するのもちょっと物悲しい。できればせめて天井桟敷の席には座ることを目指したい。