その後39(野外オペラと使い魔・前編)
「オペラを外でと聞いてさすがに寒そうだと思ったけれど、バルコニーの一つ一つにストーブが二つもついているのね?」
夜になり、コロッセオ型の屋外オペラの入場が始まる。
アニエスは宣言通り自分で席を準備し、プライベート空間を守られる舞台左のボックス席のパルコを取った。
アリーナ席であるプラテアの方がオペラの臨場感や舞台芸術を楽しめるが、すでにそちらの席と天井桟敷のガッレリアは満席で、アニエスはもともとゆったりくつろいで鑑賞したいと考えたのもあり、この席に決定した。
そしてこのパルコ。
何より素晴らしいのが実は飲食も可能な席で、飲み物は最初からチケット代に含まれているという特典付き。
なのに値段設定は王都よりだいぶお優しく、いわゆる地方価格なので支払いは王室とはいえ、なんだか得した気分になる。
「そうですね、十分温かいですね。お嬢様お飲み物はどうされますか」
「うーんじゃあ、『ホット・バタード・ラム・カウ』をお願い」
「うーんお嬢様、またいきなりお酒ですか? 社交ですが一応お仕事なのでは?」
「だってこのメニュー表、基本的にお酒しかないわよ? それに、これならミルクが入っているから私でも飲めるはずだわ」
「それじゃあこの屋外オペラはお酒を飲むのが基本なのですね。まあ寒いからお腹の中から温める意味もあるのでしょう」
「コーラも飲みたかったら飲んではどう? 一杯くらいなんてことないわよ。きっと」
「お嬢様その考えは危険でございますよ! とくにお嬢様はまだご自分のアルコールの限界値をご存じないし、どうか調子に乗らないでくださいね?」
「やあね。オペラを鑑賞しながらそんなグビグビ行くわけないわ!」
はい、もちろんこれはフラグだった。
のちにアニエスは後悔することになるのだが、この時はあらゆる解放感から何の危機感もなく、いつもより心のプロテクターが外されだいぶ油断していたのである。
オペラ開始までは音響の不備などで思ってた以上に時間がかかり、一杯のつもりが軽い飲み口に二杯、三杯と杯を進めアニエスの顔はだいぶ赤くなっていた。
「お嬢様! いいかげんにしてくださいまし! アレクサンダー様でなくとも怒りますよ」
「うーん、わかったわ。そろそろ控えるわね」
呂律はしっかりしているものの、目はだいぶトロンとなっている。アニエスは目を少しこすると次に目を開けた時に妙なものが目の端に映った。
「あれは……子狐? いや、イタチ? 子猫にも見えるし……つぶらな瞳がかわいいわ」
アニエスはおいでーとちっちっちっと呼んでみた。
するとその愛らしい小動物はトトンとアニエスの膝に乗ってくる。かなり人馴れした動物のようだ。
「可愛いねえ、君はどこから来たの? ノラ? 良かったら家に来る?」
アニエスは手袋を外し撫でてやると、その動物はとっても気持ちよさそうにするので、調子に乗っていろんなところを撫でてやる。
「お嬢様、お嬢様のその『滑め手』は危険なんですから、動物が発狂するくらい懐いて本当についてきちゃいますよ? 病気があるかもしれないのに」
それにアニエスはお酒で気持ち良くなってニコニコしながら笑って言った。
「たぶん大丈夫じゃないかな? だって見てこの毛並み、まるで王様のネコみたいにふわふわサラサラの艶々だよ? だぶんこの子はどこかからか逃げてきたのね」
すると、アニエスが撫でるのを止めた隙を見て、動物が前足をアニエスの肩に掛けると何かを訴えるような目になり、小さな口を開いた。
「アニ……」
「んーーーっ!」
だが、アニエスはその小動物の顔が目の前に来ると思わずその口にキスした。
それに小動物は動きを止め固まっている。
だが、アニエスは構わずにその口にちゅっ、ちゅちゅっちゅっと何度もキスを繰り返した。
「お嬢様、不衛生ですよ!」
「あ、そうね、誰かの飼ってる子かもしれないのに、あんまり可愛いものだから思わず、……つい」
「お気を付けください。動物は人には無いばい菌がいるんですから」
「そうね…………ちゅっ」
「ほらまた」
「だってこんなに可愛いんだもん! ……でも君はもしかして嫌だった?」
小動物は心なしか赤くなっている様なうっとりしている様な気がしたが、おそらく目の錯覚だろう。
アニエスはすりすりと頬ずりをして優しく胸に抱っこした。
「今日はこの子には寒いんじゃないかな? 少しドレスを緩めて服の中に入れてあげたら喜ぶと思う?」
「引っ搔かれませんか?」
「大人しいから大丈夫よ。コーラ、少しこの子をお願い」
アニエスはするするとドレスを緩めはじめた。ドレスの幅を調節できるもので運が良かったとアニエスは一人喜ぶ。
「おまたせ、さあベビーちゃん、やさしくするから、ママのお洋服の中に入っていっぱいいっぱい甘えましょう?」
アニエスはコーラから小動物を受け取ると席の後ろを向き、服を開いて中に入れようとしたその時。
『ま、待った……待ってくれアニエス』
「……へっ?」
どこからか声がした。しかもその声はアニエスの良く知る男性的な低い色気のある声。
「……殿下。セオドリック様の声が幻聴で聞こえる。飲みすぎたのかしら?」
アニエスはきょろきょろと見渡す。
『君の手にしている小動物だ。それは、私の使い魔だ』
「……使い魔?」
『ああ、そして今、その使い魔と私は全身の五感のほぼ全てを共有している』
「…………つまり?」
アニエスは、先ほど自分がこの生き物にしていたあらゆる行いを走馬灯のようにたどる。
そして、その生き物をセオドリックに変換し、さらに同じくその行いをたどってみた。
ざーーーっとアニエスの全身から血の気が引き、酔いが一気に醒める。
「え、え、え、では、それはつまりあれを私は殿下にしていたと……?」
ギャーーーッとアニエスは声を押し殺してうずくまった。しかし、その手に動物は抱えられたままでアニエスの胸に押し潰されそうになっている。
『ちょ、まっ、あに、そ、そんな風にされたら……!』
言われてアニエスはハッとして動物からその体を離した。
「な、な、なん……!」
『すまない、最初に話しかけようとしたら、その、……いきなり口を塞がれて』
「~~~~~~~~~~~~っっ! う、埋めてください今すぐ! それが駄目なら殿下、どうか今すぐ記憶喪失になってください! 一生のお願いでございます」
『無茶言うな!』
アニエスはこうしてお酒で調子に乗ったことで、新たに黒歴史を刻んでしまうのだった。後半へ続く!
~セオドリックの使い魔~
セオドリックには『遠隔操作』『危険察知』『分析探索』『諜報活動』などそれぞれ目的に応じた小動物系使い魔が十二匹仕えている。(※中には1匹で全部の仕事がこなせる使い魔もいる)
これらは常に全頭が活動しているわけではなく、大体は二、三匹をルーティンさせて定期的に働かせている形だ。
使い魔が働いているときは基本的にセオドリック以外にセオドリックが命じなければその姿は見えず、普段裏で控えているときは他の飼われている小動物のように人間に世話をされ、宮殿の専用の部屋で召使いが日々の面倒を見ている。
慣らすのには相当の手間ひまと根気。魔法使いとは別に『魔獣使い』としての資質が必要だが、使い魔は一度主人と決めた者にはどこまでも従順・忠実で主人の目や手足になり、十分に鍛えれば強靭に千里をわたり遠隔で攻撃させることも可能。
この使い魔の素晴らしいところは、感覚共有のごくわずかな魔力以外魔力を供給する必要がないことにある。(※ただし、餌や水、寝床は別に要る)
その額は千金にもなるが特殊なツテやブリーダーを見つければ買うことも可能。
セオドリックの場合については、これらの使い魔は全て一から捕まえて根気よく慣らし躾して仕えさせたり譲り受けたもの。一部使い魔は繁殖にも成功しているため今後も増える可能性は高いが、十二匹という現時点でもかなりの大所帯で魔獣使いとしてもかなり異例といえる。




