その後37(争いとケダモノ・後編)
「……失礼」
お茶を噴き出したセオドリックが口元をぬぐい。従者が床を綺麗に拭いた。
しかし、原因が原因だけに皆セオドリックを責めずに優しく受け入れる。
「動揺されるのはごもっともですので……」
ノートンの声もいつもより優しげだ。
「それよりも殿下、セシリア嬢に例のお話を……」
そう、本来の目的を忘れるところであった。もともとセシリアに会うことになったのは、セシリアが勝手にセオドリックの婚約者候補と皆に話したことについて本当の話を聞くためだった。
「セシリア、単刀直入に聞くがあの場で何と言ったんだ? 私の婚約者候補だと君が発言したのか?」
それにセシリアは首を振って見せた。
「ごめんなさいセオドリック様。私はただ『理想の相手は王太子殿下だし、できれば結婚したいくらい素敵だと思っているんです』と言ったのを、殿下が我が家の所有する屋敷に仮住まいしているのもあったため、どうやら憶測が憶測を呼んでしまったみたいです」
「じゃあ、君も被害者だということか」
「被害者だなんてそんな……私の言葉が足りなかったんです」
セシリアは反省しているように目を伏せた。
「言葉の綾は誰にでもあることだ。それなのに攻めるようなこと言って悪かった……」
「いいえ、殿下はあいかわらずお優しいのですね。その姿も……いつもの亜麻色の髪に碧眼も素敵だけど、今日の黒髪に灰色の目もなんだか神秘的な魅力が加わって怖いくらいに素敵です」
「ありがとう、君も相変わらず雪の女神がいたら嫉妬するくらい綺麗だよ」
「そんな……嬉しい。では、……では殿下聞いてもよろしいですか? サーシャさんと比べたらどっちが綺麗ですか?」
「え?」
「サーシャさんと私。どっちがより綺麗ですか?」
おおっと、鎮火したと思ったバトルはまだ終わっていなかったようである。しかしそこに思わぬ助け舟があった。
「あなたは誰かと比べる必要もないくらい十分に綺麗じゃない? それなのにそんなこと言うものじゃないわ。どちらを取っても角が立つもの」
ロドリスである。
「あら、でもそれぞれ好みはあるでしょう? どっちがより好みなのかを是非とも知りたいの」
それを聞いて、ロドリスは笑った。
「殿方はね。花は好きだけど、一番を決めるくらいなら両方ともほしいというのがほとんどの本音よ。でもそれでも、うるさい花は面倒くさくて捨てられてしまうかもしれないわね? あなたにも身に覚えはあるでしょう?」
それを聞いてセシリアはロドリスを睨んだ。
「ねえセシリア、あなたは黙ることを覚えた方がいいわ。言っておくけどこれは意地悪ではなく本当に心からのアドバイスよ。黙っていればあなたの望むものはどんなものもたいてい手に入るはずだわ。でもその逆は離れて行くの。とってもシンプルでしょう?」
「あなたも私と同じでうるさい方だと思うけど……」
「そうね。だから今この場は、サーシャさんの優勝かしらね?」
「え?」
急に話を振られサーシャ……もといアニエスは食べようとしていたスコーンを、そそくさと自分の皿に置き直した。
「わ、私は先ほど大変お騒がせしたみたいなので、少し口を閉じていようかなと……」
さすがにアニエスも場の空気を察し、反省して大人しくしていたようだ。
「それがもう大したものですわ。サーシャ様は本当に素直な方ですのね」
「あらじゃあ、私はひねくれ者なのね」
また険悪な空気になりかけたため、アニエスは慌てて話題を変えた。
「あ、あの、ここのホテルのスコーンはたいへん評判だと聞きました。皆様もぜひ! セシリア様もお一ついかがですか?」
アニエスはそう言い、セシリアにスコーンを差し出した。
しかし、セシリアは何故かアニエスを見つめたまま動かない。アニエスが小首をかしげ、耳のイヤリングがシャランと揺れた。
「……そのイヤリング、肖像画で見たことがありますわ」
いけない! と直感的に感じたアニエスは、すぐに言い訳をした。
「あ、これはアンティークで……昔とても流行ったデザインらしく、オークションで競り落としたんです!」
「まあ、オークションで? 私も行きたいわ! それはいつ開催されましたの?」
「ええ、一、二か月ほど前です」
「うふふふふふふふふふふ。おかしいわ王室主催の宝物庫開放のオークションのはずなのに、そんな大々的なロイヤルイベントを王都でちっとも耳にしませんでしたわ?」
アニエスは自分の指先が冷たくなるのを感じた。アニエスは比較的、地味なイヤリングをコーラに選んでもらっていたのに、まさか見破る人がいるだなんて……万事休すか!?
「そのネックレスもそうですわね。なんて素敵かしら。ねえサーシャ様。私もそのアクセサリーを着けてみたいのですが宜しいですか?」
「え、こちらをですか?」
「ええ、すごくすごく素敵だから……ダメかしら?」
アニエスは迷った。これが自分のもともと持っているものなら快く貸したことだろう。
けれどこれは、セオドリックがわざわざ選んで自分に贈ったもので、しかもそのセオドリックはすぐそばにいる。
自分が心から選んだ贈り物を他人に易々と貸すのを見たら、もしかしたらセオドリックは傷つくのではないだろうか?
「え、えっと、こちらはその」
「あら、ご自分で買ったものなんでしょう?」
アニエスとセオドリックは婚約しているわけではない。
それなのに今は違くとも国の宝だったものをセオドリックがアニエスに贈ったことを知られれば、セオドリックの体面を失うかもしれない。
アニエスは苦渋の選択の末に……。
「……少々お待ちください。いま外しますので」
まずそう言いアニエスは手を耳に持っていこうとした。だがその手をすっと男性の大きな手が止めに入った。
「だめだ」
それはセオドリックの手だった。
「そのイヤリングは本来は代々、王妃か姫になるであろう者が身に着けるものだ。だから君以外がつけることは私が許さない」
それに真顔のセシリアがセオドリックに問いかける。
「どういうことですの?」
「つまりそれは私が一度、正式に彼女にプロポーズしたということだ。振られてしまったがな?」
「ではサーシャ様は振っておきながら、贈られた物は平気で身に着けていらっしゃるの? そんなの図々しいわ」
アニエスの胸にぐさぐさぐさりと鋭くその言葉が刺さる。全くその通りでぐうの音も出ない。
「それはもう彼女の物なのだから、誰が何と言おうとどうしようとそれは彼女の自由だろう。というか、彼女が身に着けているものは振られた後に私が今日のために贈ったものだ」
「そんな、セオドリック様らしくありませんわ。前は気のある女性を仕事先に連れまわして、公私混同するような方ではなかったではありませんか?」
それに対してアニエスはセオドリックをすぐにかばった。
「いいえ、その件に関しては誤解があります。私はもともと王宮宮廷行儀見習いをしておりました。ですから宮中行事の事務や雑務に明るいため、殿下も私をお使いになっただけでそこに特別な他意はありません!」
「王宮宮廷行儀見習い?」
「はい、殿下はちゃんと王太子として私事と公務は分けて考えておいでです」
しかしその考えは即刻、否定された。
「サーシャ、私の名誉のためにかばってくれてありがとう。だがそれに関してはセシリアの言う通りだ。サーシャは確かにとても仕事ができる。けれどそれ以上に私にずっと未練があり下心があって今回は来てもらったんだ。……ただ私の我が儘で、一緒にいたくて」
当のその本人によって……。




