その後36 (争いとケダモノ・前編)
セシリアが血を見て貧血を起こしたためセオドリックが胸を借してしばらくすると、セシリアは落ち着いたようでゆっくりと姿勢を戻した。
「だいぶ落ち着きました。ありがとうございます」
「もう平気なのか? 顔色がまだ優れないが」
「はい、大丈夫です。皆様もお騒がせしました」
セシリアは周りに感謝し、笑顔を見せるとロドリスがまずは話しかける。
「無理をしない方がいいわ。心配ね、今日はもう帰ってはどうかしら?」
セシリアは静かに首を振った。
「いいえ、せっかく殿下……セオドリック様とお話しできるんですもの。長く待ったのだしもっとお話ししたいわ」
だが、ロドリスは穏やかな調子でセシリアの説得を続ける。
「そうなの? だったら人の邪魔をするようにグラスを倒したりするものじゃ無いのではないかしら?」
おだ……や……かに……?
「まあ。ロドリスさんここでもいつもの意地悪なさるおつもり?」
「あら失礼、私の勘違いだったのね。あんまりにもタイミングがぴったりだったものだから……確かに殿下とサーシャ様の先程の姿は見ていてドキドキするくらい絵になりましたもの。動揺くらいされてもおかしくないわよね? おほほほほ」
なんだか雲行きが怪しい気がする。この二人は友人ではなかったのだろうか?
「ああ、皆さんがほら怪訝な顔をなさってよロドリスさん。皆さまごめんなさいロドリスさんは私にとって気の置けない姉のような存在なのだけれど、こうやってよく私をいじめるのです」
セシリアは困ったような泣きそうな顔になる。
「そうね、そうやってか弱い感じにすると殿方がすーーーぐあなたの味方をするものね?」
「なぜそんなことを言うの? 最近とくにあなたは私に意地悪よ」
「あら、意地悪な理由を説明してもいいけれど、せめてそれを殿下の耳に入れないようにしてあげる配慮があなたにはわからないのかしら?」
だいぶ空気が悪い、誰かこの状況の説明を求む。すると青髪の青年紳士が二人のフォローに入った。
「も、申し訳ない。実はさっき二人はお茶をしながらちょっとした意見の食い違いがありまして、まだほとぼりが冷めていないのです。お恥ずかしいところをお見せしまして……」
「いや、長く待たせて空気を悪くしたのは自分たちだ。それなら謝るのは私の方だすまなかった」
だがセシリアはそんなセオドリックの腕にパッとしがみつき、それを止める。
「殿下、殿下のせいではありません。どうか謝らないでくださいまし。つまらないことで意地を張った私が悪いのです!」
「あ、ああ……」
「ごめんなさい……!」
「わ、わかった。ところで少し離れた方が……あのセシリア、君の服なんだが……なにか忘れ物をしていないか?」
「え? きゃあ私ったら! コルセットをうっかりしてくるのを忘れていました!」
んなことあるかい! とその場にいるほぼ全員が内心ツッコんだが、もちろん口に出して言ったりはしない。
「本当、セシリアさんのやり方は本物の『娼婦』ですらびっくりですわ」
心なしかその言葉の『娼婦』のところだけアクセントが強かった。
だがこんなギスギスした空気の中、すっとんきょんなことを言う者がいた。
「へえ、コルセットもないのにそのスタイルのドレスがするりと入るだなんて、セシリア様はクーパー靭帯と胸筋はもちろん、スタイルが本当に素晴らしいのですね!」
もちろんアニエスである。
「うふふ、ありがとうございます。サーシャ様もなかなかだと思いましてよ?」
おおっと、いきなり上からのケンカ腰の発言だ!
というかスタイルに関しては日々絶賛を受けるアニエスに、こんな強気な発言をできる者はそうはいない。
それだけで、セシリアがどれほどご自慢のボディをしているかが伺えるだろう。
少なくとも胸に関してはアニエスにも引けを取らない。そしてその発言を受けアニエスはニコニコと笑って言った。
「えへへ! 実は最近毎日ブロッコリー二株とささ身を十五本たべておりまして……その成果でていますか? わーい!」
壁に向かって話すみたいに、ことごとくセシリアの発言がアニエスによってその攻撃力をなかったことにされる。
だがセシリアも決して負けてはいない。
「まあ! じゃあそのお胸は筋肉の塊なのですね? 恥ずかしいわ……私の胸はマシュマロのようなふっわふわの脂肪の塊ですのに」
それにアニエスはしょぼんとした。
「いえ、ご期待に沿えず申し訳ないのですが……私のこの胸も実は、その……脂肪でして、自分の不甲斐なさがただただ口惜しいです……!」
「それが筋肉だったら、おっそろしいわ」
セオドリックが思わずツッコまずにはいられなかった。
「ふふ、殿下も胸筋ならすごいですものね。もちろんそれ以外にも、お腹も腕も背中もみんな…………」
おおっと、ここでさらにセシリア嬢マウントをかける!
「ああ! 確かに先ほども見ましたが、殿下の身体はよく鍛えられていると思います」
ざわっとその場がアニエスの発言でどよめいた。それにノートンが思わず間に入る。
「ああ! 違います違います! たまたま殿下が汗をかかれたため、彼女に着替えを頼んだだけで決してその、何か変なことをして遅れたわけでは……!」
「ごめんなさい。私のせいで殿下がビショビショに!」
「サーシャ嬢ーーーーー!」
ノートン渾身のフォローをアニエスがあえなく吹き飛ばした。
「……誤解なきように言うが、それは記者たちのリクエストに応えての写真撮影が長引いて思いのほか汗が出たという話だ。サーシャ、一言足りないぞ」
セオドリックがそう言うと、周囲は明らかにホッとしたようだった。
「そういえば殿下は最近、どのように遊ばれるのですか?」
「最近? 忙しくてそれほど……ゴルフとか、舟とか、ああここに来てアイススケートはしたな」
「いえいえそうではなく……私としたような殿下が犬やユニコーンに変身して私に……」
「ちょちょちょちょちょちょちょちょっっ!! セシリアその、話は……! その話はさすがにまずい……! それはまた今度にしようか!?」
「ああでは、ドレスの下に何にも身に着けないで一緒にブランコに……」
「うん、それも検閲に引っ掛かるかな!? 引っ掛かりそう!」
「では、私のお友達五人と……」
「あーーーーーーー、ノートン酒を」
「殿下これはお茶会です。落ち着いてください!」
「セシリア様はたくさん殿下と楽しく遊ばれているのですね?」
アニエスはそれを受け、セシリアに言った。
「ええ、……まあ?」
セシリアはなんだか少し楽しそうに頷き、その瞳は勝ち誇っているように見える。
「何だか聞くだけで楽しそう! 今度どうか私も混ぜてください!」
ぶーーーーーーーーーーっとセオドリックが盛大にテーブルの外にお茶を噴き出した。大いにマナー違反だが誰もそれに文句は言わない。
何故なら、アニエスの発言に皆が口を大きく開けて黙ってしまったからだ。
だが本人だけが解っておらず、その発言がどれほどぶっ飛んでいるのかを知らないため、きょとんと無邪気に、近くにいた給仕にお茶のお替わりを所望した。
ティールームがアニエスによって混沌を極める中、このお茶会はこのまま後編に続くのである。
獣か……なんでもありません。
それからアニエスはブランコは単に「夏なら涼しいのかも?」位の認識でいます。 よくわかっていませんのであしからず。