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その後33(受話器と耳元)

 

 アニエスは伝言を聞き、早速ホテルのフロントに頼み連絡を折り返す。


 外線通信は仕組み上、受話器を上げると交換手につながり話したい相手と番号を伝えて繋いで貰うようになっている。

 しばらく待つと取次ぎが完了し相手からの反応が返ってきた。


「もしもしアニエスか?」


 男性的な低い落ち着いた声が受話器越しにアニエスの鼓膜を震わせてくる。


「もしもし、何か問題がありましたかジオルグ様?」


 アニエスは平静を装っているが、声がいつもより近いことに内心ドギマギしていた。


「おお、外向きだとジオルグ呼びなのか……なんだか新鮮だな」


 アニエスは幼い頃からジオルグを『師匠』と呼んで後ろをついて回っていたため、ジオルグの本名を呼ぶのは今回を入れても十回にも満たない。

 正直、アニエスも本人をこう呼ぶことにくすぐったさを感じていた。


「ダメですか? 嫌ならいつもの呼び方に戻します」


「いや別にダメじゃないが、なんか照れるんだけど……」


「わかりました。じゃあ『ジー様』呼びに直しますね?」


「おい止めろ。こっちは微妙なお年頃なんだぞ泣いちゃうぞ!」


「それでご用件はなんなのですか『師匠』?」


 それにジオルグはハッと本来の目的を思い出した。


「会社に昼から荷物が届いていて、また夕方以降にも来るみたいなんだけど、これってそのままサインしちゃってもいいのか?」


「ああ、それなら掲示板に荷物の発注一覧がピンで留めてあると思うんですけど……」


「わかった。ちょっと待て……!」


 そう言い、ジオルグはそのままいったん席を外した。

 その間にアニエスは相手が目の前にいるわけでもないのに、思わず一瞬、髪を整える。


「よし戻った。この『会社什器(かいしゃじゅうき)部材一覧(ぶざいいちらん)』で合ってるか?」


「はいそれで結構です。その内容と来た荷物と数が合っているかを確認してサインをお願いしてもいいですか?」


「箱は箱でそのまま数えていいか? それとも開けた方がいい?」


「間違いや詐欺の恐れもあるので、箱を開けて中身の状態と数の確認をお願いします」


「うーん、でもそれだと量が多いしミストンと俺だと手が回りきらないかもしれないな」


 ミストンとはジオルグと同じ錬金術師で、いわゆるジオルグの会社の同僚にあたる人物だ。


「わかりました。じゃあ手伝いをすぐ手配します。人数は四、五人で間に合いますか? ついでに片付けも今日中にやってもらいましょうか」


「それだけいれば十分だ。そうだな片付けは早い方がいいだろうし、六人もいればすぐに終わるだろう」


 本来、研究所長であるジオルグがそこまでする必要は無いのだが、こういう面倒くさいことにジオルグは当たり前のように自分を頭数に入れて考える。

 そういう何気ないところがアニエスの心臓を思いがけずきゅっとさせた。


「師匠が片付ける必要はとくにありませんよ。人数はいますし」


 でも、アニエスは一応オーナーという立場からジオルグに言わなければならない。だけど、いくら言っても無駄なのをアニエスはちゃんとわかっていた。


「でも、人数が多い方が早く終わるから皆が嬉しいだろう? どっちにしろ隣でバタバタしてるのに静かに研究なんかできねえよ!」


 こんな姿を昔から見てきて、アニエスは王宮宮廷行儀見習いの時もそんなジオルグのやり方をずっと真似てきたのだ。


「ふふっ、いよいよ整って会社って感じになってきましたね」


 アニエスが口元をほころばせた。


「本当だよ。一時はどうなるかと……」


「新しいお住まいは慣れましたか?」


「ああ、考えてみると下宿でよかったな。ほっといても朝昼晩飯が出て、部屋は暖かくていつでも熱い風呂に入れて、掃除や洗濯ゴミ集めまでしてくれるし最初は売春街の下宿と聞いて不安だったが、飯も旨いし下宿先の大家さん親子もいい人だし言うことないな。研究で私生活が荒れがちだから会社で家まで用意してくれたことは本当に感謝してる。ありがとうなアニエス!」


「……頑張ってくれたのはアレクサンダーですよ。あの辺りは治安はよくないかもしれませんが、そのあたりは師匠が心配することでは無いでしょう。繁華街なら夜遅くの買い物にも便利ですし」


「ああ、住めば都だな」


「アレクサンダーたちと近いうちに新しいお家にまた遊びに行ってもよろしいですか?」


「あんま女、子どもが来るところじゃないけど……アレクサンダーたちが一緒ならまあ平気か。その時はお前らになんか旨いもんでも奢ってやるよ!」


「錬金術師は万年金欠ですし無理はしなくても大丈夫ですよ?」


「見くびんなよ! ガキに飯ぐらい奢れるわ!!」 


「わかりました、じゃあ御馳走になります。ちゃんとデザートも付けてくださいね?」


「ああ、任せとけ! じゃあそろそろ切るけど、そっち寒いんだから暖かくして風邪とか引かないようにしろよ?」


「はーい、ママ」


「誰がママだ!」


 通信を終えてアニエスは静かに受話器を置いた。

 知らず頬が熱い気がする。おまけに口元が緩み思わず「エへへ」と言ってしまう。こんな姿を誰かに見られたら大変だ。


 そう、大変なのだ。


「ずいぶん楽しそうに話していたなアニエス……」


 耳元に響くのは先ほどの声とは違う男性的な低く、胸をかき乱すような色気と冷たさのある声音。


 アニエスはその声が鼓膜を揺らすと同時に背筋が凍り付いたのだった。

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