その後16(離れたくない)
「美味しい! これとっても美味しいですセオドリック様!」
「本当ですねお嬢様」
「ねえ! まるでデザートみたい」
スコッチにミルクと砂糖、生クリームを混ぜるとまろやかになり、だいぶ飲みやすくアニエスはすっかり気に入った様子だ。
「姫がお気に召し、光栄の至り……」
「というか、殿下もまだ二十歳になってないはずなのに、なんでお酒のアレンジまでご存じなんですか?」
「成人すればこの国で飲酒は違法じゃない。二十歳まで飲酒禁止にしているのはアレクサンダーがアニエスに対してだけだろう。というかアルコール度数の低いビールに関して王都では労働者階級の子供は常飲してるぞ、一部の水が悪いのが原因だが」
「でも、殿下はこういう甘いものはそんなに召し上がらな……ははあ、女性ですね?」
アニエスはニヤリと下世話な笑みを浮かべる。
「……そうだと言えば満足か?」
心なしかセオドリックの機嫌が悪くなった。
「ああ、どうか怒らないでくださいませ殿下! ……他にもメニューがあれば是非教えてください。そしたらお酒も好きになれそう!」
「割っていてもアルコール度数は低くない。あんまり調子に乗って飲んでいると明日に響くぞ?」
「確かに、ではこれくらいでよしておきますね」
「ずいぶん素直だな」
「ええ、次は絶対負けたくないので」
「負けたくない……ね、すでに私は三回分のノートンとコーラ殿は一回分ずつの『貸し』が君に出来ているんだが」
「本当に、お金を賭けないと私って弱いみたいで」
「金運にバロメーター振りすぎだろう……」
「そもそもアニエス嬢は顔に出るのでポーカーは向いていないかもしれませんね」
「君はもっと隠し事が上手いと思っていたよ」
「人聞きが悪いですよ。ああでももう一勝負したいけどいい加減そろそろお暇しなきゃ、どうも長々とこちらに失礼いたしました!」
「……」
セオドリックはアニエスにまだ行ってほしくなかった。何とか一緒にいる時間を一分でも引き伸ばしたい。
明日だって会えるのに一時だって離れていたくはなかった。
セオドリックは考える。もし眠る時と、朝起きた時にアニエスがいつも隣にいたらと……。
そしたら、その日一日とても気分がいいし、眠る時に今日もなんて幸せだったんだろうと思うだろう。
いつでも手の届く範囲にアニエスを感じて、あの笑顔を独占できるならセオドリックはどんなことでもできそうな気がした。
それこそ、隣にいてくれるなら前に言っていたみたいな世界征服だって、もしかすれば可能かもしれない。
でも、現実は彼女は自分の部屋に帰って、何の不満も不足も感じずに自分がいようがいなかろうが、幸せな眠りに着くに違いない。
そう考えるとセオドリックは切なくてなんだか胸が詰まるような感じがした。
「今日は楽しかったよ。朝は早いが疲れが残らないようにどうかゆっくり休んでくれ……それじゃあ、おやすみアニエス」
「はい殿下もどうぞ良い夢を。おやすみなさい」
だけどセオドリックはそんな気持ちを爽やかな笑顔の裏に隠し見送った。
余裕を見せ、焦った姿を見せてはいけない。
恰好をつけねば、たちまち何もかも崩れかねないのだから。
だがセオドリックはそう思いつつも、ドアの奥に消えるアニエスの最後の瞬間の残像まで目で追ってしまった。
最高に格好悪い。
セオドリックはしばらくドアの前に立ちつくしたあと軽くため息をつき、ノートンのランプを頼りに自分のベッドへと向かった。
ベッドにはもちろん誰もいない。
メイドが入れたのか湯たんぽが入っていて冷たくはなかったが、寂しさは消せない。
セオドリックはさっき貰ったアニエスの髪の毛を取り出してみた。
さすがにこのまま持ち歩くわけにはいかないのでロケットのようなペンダントに入れないといけないだろう。
もっといい方法があればそうするが、今はそれが一番妥当な気がした。
「こんな風にこんなもの欲しがるなんて、私も相当にキているな……」
本当に欲しいのは本人そのものなのに、急にわずかな彼女自身の手掛かりのようなものを手元に置いておきたくて仕方がなくなったのだ。
それはこの飢えがそうさせたのだろうか?
セオドリックは母を処刑され亡くした時、その心の飢えを女性のぬくもりで埋めてきた。
当時、傷ついた少年のセオドリックは世話役だった女にまんまとつけ込まれ癒され、寂しさ、失望感、やるせなさ、怒りを星の数ほどの女性の温もりで誤魔化すことにすっかり慣らされていた。
だけどそれを後に十二歳だった少女が変えることになるとは当の本人も出会った当初は思ってもみなかった。
セオドリックの空いた穴はいつの間にか気付いたら存在が大きくなっていた彼女によって塞がれていたのだ。
だだその代償は決して小さくなく、それを今セオドリックは身をもって感じていた。アニエス無しの明日はもう考えられない……。
「はあ、もうすでに会いたい」
つぶやくとますます気持ちが強くなり、瞼を閉じて無理やり眠ろうとするがそこにもアニエスの姿がチラつく。いったいどうすればいいというのか……?
「とりあえず『貸し』の使い道でも少し考えようかな……」
セオドリックが悶々としている一方その頃。
アニエスもベッドに入ろうとしていた。
体温も落ち着き、少しほろ酔い気味でよく眠れそうだ。
「コーラ今日は本当にありがとう。やっぱりコーラがいると全然違うわ……。どこにいても我が家みたいに感じて安心するもの」
それを聞きコーラはじつに嬉しそうに微笑んだ。
「大変うれしゅうございます。でも、それを聞いたらアレクサンダー様がヤキモチを焼きそうですね?」
それにアニエスはニコッと笑った。
「アレクがいると我が家というより私の日常に戻ってきたという気がするわ。こちらもとっても大切でしょう? アレクに怒られないといまいち調子が出ないもん」
「ええ、そうですね。本人を本当に想って叱ってくれる人はたいへん貴重な存在ですよ……」
「でも、たまにはもっと褒めてほしいな」
「それはお嬢様しだいです!」
「……わかってはいるんだけどね。なんでだろうアレクを見てるとつい怒らせたくなっちゃうのよ。あの怒った顔が好きなのかしら? それとも怒らせるのが好き? もっと怒ってほしい?」
「最終的に怖い結果になりそうなのでその辺で……それと、お嬢様、ポーカーの時わざと手を抜きましたね」
「……さあね、何のこと?」
「アレはお嬢様なりの謝罪として皆さんに『貸し』を作ったのでしょう?」
「それでもみんな楽しめたからいいのよ……。それに多分セオドリック様も気付いていらっしゃるわ。だから後々あんまり変な要求はしてこないと思う。なんだかんだお優しい方だから」
「お嬢様、心根の優しい男性にも下心はございますから……くれぐれもお気を付けくださいね?」
「うん……わかった……それじゃあ」
「はいお嬢様、おやすみなさい」
そしてみんな眠りについた。起きたら雪まつりだ。