その後15(酒と雑談とお守り)(※new挿絵あり)
時計の針は深夜一時を過ぎた。
冬の貴族の屋敷の一室……おそらくこの屋敷の主がもともと使っていたか、国王を迎える用の部屋だったか、いずれにしてもこの部屋がこの屋敷で最も贅と居心地を追求した部屋であることは間違いないだろう。
テーブルに添えられた六つの椅子はお尻が沈みそうなほど総刺繡のクッションが厚く、ひじ掛けは手を添えるだけで気持ちがいい。この大きなテーブルも脚には芸術家の手掘りの彫刻が施され、天板は樹齢百年は超える樹木の一枚板。
そして、そんな贅沢なテーブルに集まった四人は今からお酒を交わしつつくだらなくも楽しいゲームに興じようとしていた。
メンバーは訳ありメイド服姿のアニエスと、その侍女コーラ、セオドリックとその最側近ノートン。思えばなかなか珍しい組み合わせである。
「賭けでございますか? でも殿下、王族は基本賭け事はご法度ですよね」
「だから金は賭けない。というかこのメンバーで金を賭けてもつまらないだろう」
というのもここにいるメンバーはお金の苦労とは無縁だ。
アニエスは言わずもがな、セオドリックは王太子であると同時に個人的に死んだ母や親族から相続した遺産の桁や領地の数がエグすぎて、ただ預けた利息だけで小国をぽんと買えてしまう。
ノートンも古くからの侯爵の出で、王太子付きになった時点でいくつかの領地を与えられているので、若くしてすでに土地と爵位を持ち、本当は働く必要なんて一切ない。
唯一コーラだけは上級使用人で公爵家からの年金と給金が高いとはいえ一般人。
だがそもそもコーラはアニエスを着せ替え人形にさえできれば満足でお金への執着はかなり薄かった。
まあそもそもこのメンバーが出すような掛け金は出せないのだが。
「確かに。良かったあ! 私お金を賭けると何故かどうしても勝ってしまうのでそれだと面白くないなと思っていたんです」
「どれだけ君の金運は図太いんだよ」
「じゃあ、いったい何を賭けるのですか?」
「そうだな一抜けした者、あるいは得点が最も高かった者が他のメンバーの中の一人に対して絶対的『貸し』を作るというのはどうだ?」
「『貸し』? それはよくいう、貸し借りは無しにするとかの『貸し』ですか? ずいぶん心理的なものを賭けますね」
「もちろん後でうやむやにしないように証拠は残す」
「なるほど心理的なものだけど拘束性は一応あると? 罰はありますか」
「そんなものは無い。その名の名誉にかけるだけだ」
「それは貴族にとってある意味、絶対的なもののような……」
「なんだ、じゃあ止めるか?」
アニエスはテーブルに肘を付いて顔の前で手を組み、セオドリックの方を横目でチラリと見た。
「……それはセオドリック様。もとより大変な権力を持つ列強ローゼナタリアの王太子殿下に対して有効な『貸し』ということで、理解してもよろしいのでしょうか?」
「ああ、好きに解釈しろ」
「ではこのお話、乗ります」
「すでに勝ったつもりでいるが、言っておくが負けたら君のあらゆることにも『貸し』は掛かってくるということを忘れていないか?」
「私はもとより負けるつもりで勝負する性分ではありませんよ」
「危険だ。今回を除いてもう二度と賭けはするなアニエス」
「ゲームは何になさいますか?」
コーラが器用にカードを切りながら聞いた。
「うーん、『ぶたのしっぽ』とか?」
「一番マイナーなところを持ってきますね。ポーカーとかジンミラー、大富豪とかはどうでしょう?」
アニエスと違って常識人のノートンがいくつか提案をする。
「賭けなんだし、順当にまずはポーカーがいいんじゃないか?」
それを王族らしく判断の早いセオドリックが適当なものを選ぶ。
「では、始めましょう!」
アニエスはにっこりと不敵な笑みを浮かべる。
小生意気だが、セオドリックはアニエスのその表情が嫌いじゃない。
ゲームの序盤は自然と雑談タイムになった。
ゲームもまだ白熱していないし、部屋は暖かく外は雪が降っていて音がなく静かで穏やかだ。
「そうそうコーラ私に今日、女友達ができたのよ。ロドリスという方なんだけど……」
「え、今日、知り合われた方なのですか? お友達とはその方にそう言われたのですか?」
「うん、そうだけど?」
「お嬢様こんなことを言いたくはありませんが、会って初日に『私たちお友達よね』なんて言う人間は信用しちゃいけませんよ」
「ええー、でもとっても良さそうな人だったよ。髪が紫がかったピンク色で翠の瞳の綺麗な人で」
「お嬢様は本当に女性に弱くて困ったものです。というかそれくらいしか知らない方なのでしょう?」
「よかった。アニエスの侍女のコーラ殿はまともな方のようだ」
「本当ですね安心しました」
「ええ、お二人まで同意見なのですか? お二人はロドリスさんに会っているのに?」
「当り前だ。むしろなんでそんな初歩の警戒を怠るのかの意味が分からない」
「アニエス嬢、あなたはあらゆる意味で狙われるに値する価値ある人物です。彼女を観察するにそれがわかっていて近付いたのは明白ですよ」
「そんな私はただお友達が欲しいだけなのに」
「別に君に友達なんているのか? 君はもともと一人でも十分やっていける人間だろう」
「殿下にはわかりませんよ。女社会がどれほどボッチに生きづらい世界かを」
「そんなに集まってコソコソひそひそしたいのか?」
「きゃっきゃっウフフがしたいんです!」
「まあそんなことより、せっかくの酒が進んでいないぞ。全然飲んでいないじゃないか」
そんなことってとぶつぶつアニエスは言いながら、グラスをバツが悪そうに見る。
「あー、うん、えっと、そうですね」
「どうせ口に合わなかったんだろう」
「いやその思ったより苦くて喉も焼けそうだし、飲みやすい感じではないんだなって思ったり」
「お子ちゃま」
「うう、殿下だって進んでいないではありませんか」
そう言うとセオドリックはアニエスの残りのグラスをヒョイと奪うと一気に仰ぎ、次に自分のグラスも空けてしまった。
「せっかくのいい酒が溶けた氷で薄まったら味が悪くなるだろう」
「え、平気なのですか!? アルコール度数四十度もあるのに」
「そうだな。だから初心者向けじゃないと言ったのに」
「お、大人だ!」
「アニエスにはこれをミルクと砂糖、クリームで割ったくらいがちょうど飲みやすくていいだろう」
「そうですね。ではお嬢様取ってまいりますね」
「え、コーラそこまでしなくていいわ! 私なら平気よ」
「いや丁度いい。ついでだから酒の飲み方を教えてやろう。飲み方を間違えて知らないところで倒られては私が困るからな」
「……」
「ではゲームは一度中断で、お嬢様はどうか王太子殿下のお話しのお相手を続けてくださいね!」
そう言い、コーラはウィンクすると一度へやを後にした。
アニエスはその背中を見送ってから視線をセオドリックに戻す。
「またご迷惑をおかけしてしまいました。申し訳ありません。今日の私は自分で言うのもなんですがひどいものですね」
「確かに、いつもの用意周到さと要領の良さはどうしたんだという感じだな」
「ごめんなさい」
「でも、それはそれだけ今回のことを思いのほか楽しんでいるということだろう。それが私は嬉しい。年相応に振舞うアニエスはとってもかわいいし」
「ずいぶん私に甘くないですか?」
「そりゃあ、好きな女に男は甘くもなる」
「はいはいそうでございますか。そのお話はお話半分に聞いておきます!」
「つれない奴だな」
そう言いながらセオドリックはアニエスの髪を一房、指で触れた。
「本当に綺麗な髪だな。ろうそくの明かりでキラキラしていて欲しくなってしまう。もしよければ少し分けて貰えないか?」
「今はそう見えても殿下が持っていても邪魔になって、いずれはゴミ箱行きですよ」
「そんなことは無いお守りにしよう」
「殿下につまらないご利益は不要でしょうに、でもこんなもので良いのならいくらでも差し上げます。ご迷惑を沢山かけているのでこのくらいは……」
そう言うとアニエスはノートンから聞き、引き出しから鋏を取るとちょんと手の平に収まるくらいの髪の一房を切ってヘッドドレスの青いリボンをほどいてくくり、バスローブにあった清潔なハンカチにのせ殿下に差し出した。
「殿下のその御身と御心にいつでも光とそのご加護がございますように」
「うむ、ありがとう」
セオドリックはそれを手に取ってふっと笑った。その笑顔を見てアニエスはこんなに美しく笑うお方だったんだなと思った。
なぜか、胸がソワソワする。
そしてその後コーラが無事に戻りゲームは再開されるのだった。
※メイド服のヘッドドレスはリボンを取ってしまったので、買い直して返却しました。




