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1、怒り(※挿絵あり)


 「んっ……ふっあぁ……」



 両方の細い手首はセオドリックの大きな手で一つに押さえつけられ、身じろぐことしかできず、完全に彼に支配された。


 舐めたように真っ赤な小さな唇に、別の意思を持った生物のように舌が滑り込むと、内部をこれでもかと蹂躙(じゅうりん)してくる。

 ぼやける自分の意識を失わないようにするだけで精いっぱいで、彼女は次のことが何一つ考えられなかった……。


 数え切れぬほど女たちを鳴かせ陥落してきた美しき王太子の前に、この初心(うぶ)な公爵令嬢は、元より勝ち目などありはしなかったのである。




◇◇


 セオドリックはその日、不機嫌と怒りをまったく隠せずにいた。

 今まで想定外なことは数多あったが、今回は本当に頭蓋骨(ずがいこつ)をハンマーでぶん殴られた気分だ。怒りが過ぎて強い吐き気までする。


 アニエスが誰もいない砂漠で男と一晩を過ごした。

 しかも、初恋だったという男と……。


 今まで多くのライバルがいたが、あらゆる策略と地道な行動。

 根回しや小まめな沢山のアプローチによって、セオドリックはその中でいよいよアニエスの生涯のパートナーの地位に最も手の届く範囲にまで来たと自負(じふ)していた。


 それだというのに、一晩で何もかもがあっという間にひっくり返ってしまったのだ……!

 

 一体その一晩にどんなことがあったのか……思いつくのは極めて最悪な想像ばかり。

 絶望と怒りとやるせなさが、絶えず荒れる海のように波が寄せ波が破れ、ぐるぐると混ざり彼を翻弄(ほんろう)する。



「殿下、少し休まれますか?」



 そんなセオドリックの様子に侍従頭(じじゅうがしら)であるノートンがその胸中を察し、公務の山が机上で雪崩(なだれ)を起こしている状況にもかかわらず、思わず声をかける。



「いいんだ。休むと脳みそが勝手にあらゆるあること無いことをどんどん考え尽くそうとするから、他のことで埋めないと死にたくなる……」



 そう言われては、気の毒でノートンはもう何も言えない。

 鬼気迫(ききせま)る勢いで仕事を片付けるセオドリックに、他の多数のお付きや側近たちも何も言えず黙っている。

 セオドリックの執務室の空気は非常に重苦しいものであった。


 ーーそれから九時間後。


 机が別物みたいにまっさらすっきりに片付くと、セオドリックはすっと立ち上がり、窓の外を見た。

 外には冷たい空気が風となり秋の気配が訪れ、赤、黄、橙、青々とした針葉樹の木々が目にも鮮やかに映る。


 ただその美しい季節の景色もセオドリックの灰色の目に今どう映っているのかは他の誰にもわからない。


 彫刻のように美しい顔は心なしか以前よりも瘦せたような気がする。


 背が高く無駄な肉の一切無い引き締まった身体に、シャツからわずかにのぞく厚い胸板。


 亜麻色の髪は後ろになでつけられ、額から始まり鼻や唇、喉仏(のどぼとけ)鎖骨(さこつ)まで走る横顔の一本のラインはそれだけで一見の価値があると思えるほど男らしく美しい。


 何よりセオドリックには暴力的なまでに他を惹き付けて離さない、星の引力のような強いオーラがあった。


 そんな彼が今は(うれ)いと絶望からこの景色に今にも溶けてしまうんじゃないかというほど、(はかな)げな様子を見せている。



「殿下、本日もお疲れ様でございました。どうぞお茶をご用意いたしましたので、少し休憩をお入れしては?」



 セオドリックの仕事のめどがつくタイミングを見計らい、ノートンがそれらを用意していた。

 普段のセオドリックは菓子をあまり所望しないのだが、心と脳みその疲れを考慮し、今回は特別にハチミツと砂糖を効かせた甘い菓子、それからストレスに効くという塩気の強い菓子をお茶係に持たせる。



「……ああ、ありがとう」



 セオドリックは静かにお茶の席に沈み込んだ。

 けれどお茶にも菓子にも手を伸ばさず頬杖(ほおづえ)をついて、ただ床の模様の一点を見つめる。

 それに対し、ノートンは何も言わずそっと一通の手紙を差し出した。



「セオドリック王太子殿下。面会の申し込みが届いております」



 セオドリックはひどく億劫(おっくう)そうに差し出された手紙を手に取った。


 封筒まで羊皮紙(ようひし)でできた妖精銀(ようせいぎん)ミスリルと金の箔押しの最も上等な作りのもの。

 これを使うことが可能な人間は上流社会でもほんのわずかしかない。

 それを見てセオドリックの眉がかすかに動くのをノートンは見逃さなかった。


 裏に書かれた差出人の名前はロナ大公爵家のうら若き淑女(しゅくじょ)『アニエス・ロナ・チャイルズ・アルティミスティア』。


 セオドリックはお付きが差し出すペーパーナイフを受け取り、ピッと勢い任せに封を開ける。

 中の手紙にまじまじと目を通すと三日後の面会の許しを請う礼儀にかなった文言が淡々と(つづ)られていた。 



「返事は……いかがいたしますか?」


「了承したと」



 ノートンが言い終えるか終わらないかのタイミングに(かぶ)せるようにセオドリックは返事をした。

 ノートンはその返答に内心ほっとする。だがしかし……。



「ノートン…………その日アニエスが部屋に入ったらすぐに全ての人員の人払いをしてくれ」

 


 王太子であるセオドリックは護衛の意味でも常に多くの付き人や衛兵がそばに控えている。



「ほんの二、三時間ならノートンの防壁、防御魔法で十分に間に合うだろう。もちろん防音もつけた上で」



 ノートンの頬がひくっと動く。



「で、殿下。ですが……」


「ノートン」




「人払いだ」



 有無を言わせぬ命令に、ノートンは「御意(ぎょい)に」と言うほかなかった。






◇◇



「ご令嬢の到着にございます」


「通しなさい」



 三日後の約束の日。

 アニエスは時間ちょうどにセオドリックの宮殿に到着した。正式な面会のためドレスは白を基調にした露出の少ない正装である。


 入門書類にサインをし、許可されたもの以外の荷物を預け、ノートンの許しを得てお付きの者がいくつもある扉を観音開(かんのんびら)きに開いていく。

 そうして、最奥(さいおう)の扉の前までスムーズに通された。



 「ご令嬢のお付きの皆様については殿下と面会の間、お控えの間にてお待ちください……」



 そう言われ、アニエスの侍女であるコーラともう一人の侍女が控えに連行される。


 アニエスがぽつんと一人になると最奥部の三重の扉が一気にまるで花咲く薔薇のような形に開いた。なるほど防犯を考え特殊なつくりの扉のようだ。



「お通りください」



 アニエスは言われるままに歩を進める。

 すると一つ扉を抜けるごとに扉は閉められお付きの者が廊下に出ていく。

 なので、三つ目の扉を閉めた後も、人が出ていくのに、しばらくシュッシュッパタンパタンパタンガチャッと静かな扉の開け閉めの音が連続した。……ガチャ?


 最後の鍵を閉めたような音にアニエスは何やら不安を覚え、わずかに戸惑う。


 広い広い、人がいないとあまりに広すぎる空間はシーンと静まり返り、アニエスとセオドリックだけが残されていた。


 部屋は照明で十分に明るくはあるが、昼間だというのにカーテンは全て、わずかな隙間(すきま)も禁じたように閉めてあり、何だか息苦しい。


 アニエスはとりあえず気にしないように、やるべきことをまずはこなさなくてはと姿勢を正し正式な挨拶の態勢に入った。


 けれどその挨拶(あいさつ)は許されない。


 腕をセオドリックにいきなり掴まれ、アニエスはそのまま長椅子にほうり投げられた。


 長椅子は大きく、十分な厚みとクッションがあったため投げられても痛くはなかったが、一瞬何が起こったのかと軽くパニックになる。


 そんなアニエスをすぐ上から眺める視線があった。

 それは、アニエスの腕を押し付けるようにして馬乗りになったセオドリックの視線。


 セオドリックは馬乗りになりながら無表情にアニエスを見つめた。

 アニエスはセオドリックから向けられた表情でこんなに無表情なものは初めてだった。

 その無表情がまさにセオドリックの怒りの深さを表している。


 アニエスはそれに気付き抵抗するのを一切(いっさい)()め、ふと静かにされるがまま大人しくなった。

 


「……どうして何も抵抗しないんだ? アニエスらしくもない」


「はい、それは殿下がとてもお怒りだからです」


「私が怒っていようと(かま)わないんじゃないか」


「どうしてそんなことをおっしゃるのですか? もちろん構いますとも」


「ほう、そうなのか? プロポーズまでした私を取るに足りないないと思っているから、好き勝手に振舞っているのだろう? そうじゃなければどうして初恋の相手とやらと砂漠で一晩夜を明かすマネなんかできるんだ?」


「いろいろと深い事情があって、とっさの行動でした……」


「とっさで男に抱かれたのか? それはそれは大変面白くて深い事情があるとみえる……」


「殿下……」


「ああ、(はらわた)が煮えくり返って、どうやってあの男を殺してやろうかを寝ても覚めても考えてしまう。どんな心地か君には想像もできないだろうな」


「殿下。それではまるで病気ではありませんか」


「誰のせいだと思っているんだよ!」


「急ぎ特効薬が必要です。私が()ってまいります」


「特効薬だって? ……はははははっ、これは傑作だ!」


「万病に効くユニコーンを捕ってまいります」


「ユニコーン? ユニコーンを捕ってくる?」


「はい、私は前と変わらず生娘(きむすめ)ですから、一度捕まえて要領も得ていますゆえ、ご所望(しょもう)の分だけ何頭でも捕まえてまいります」


「え?」


「捕ってきたらさすがに疑いようもないでしょう? ユニコーンは処女の前にしか絶対に現れない、特別デリケートな生物だということを殿下もよくご存じですもの……」


「本当に何もなかったのか?」


「はい、最初から殿下が想像することは何もないと報告しております。……どうか信じてくださいませ!」



 セオドリックは馬乗りの態勢から起き上がり、長椅子(ながいす)から降りるとアニエスの腕を取って上半身を起こし、そのままアニエスの隣に座りなおした。



「乱暴なことをして怖がらせて済まなかった……」


「いいえ、殿下にすぐ連絡を入れて一度相談するべきでした……。このことの非は間違いなく私にございます。セオドリック殿下に散々助けと協力を頂きながらパートナーの意識があまりに低く、子どものように軽率(けいそつ)な行動でした」


「…………私はパートナーか?」


「はい、今私がしている仕事のほとんどが殿下の支援や配慮がなければ成り立たないものばかりですもの……。この国で未婚の貴族出身の娘が何の後ろ盾もなく事業を起こすことは、決して容易(ようい)ではないことはよく存じております」


「本当にそう思っているのかな。普段の態度からは全くそうは見えないが」


「だから、私は殿下に甘えていたのです。本当に申し訳ございません。これからはきちんと甘えたりせず、分別(ぶんべつ)をもって行動いたします」


「……いや」



 セオドリックはアニエスの(ひたい)にかかった髪をすっとかき上げる。


 髪の白金髪より濃い蜂蜜色の長いまつ毛が持ち上がり、七色の星が浮かぶオパールのようなアニエスの瞳が、セオドリックの灰色のガラスのような瞳と視線を交えた。



「そのまま甘えられたい。むしろアニエスにはもっと私に甘えてほしい」



 二人はしばらく見つめ合った。

挿絵(By みてみん)

挿絵(By みてみん)

 そのままセオドリックはアニエスのあごを引き寄せて唇が吸い寄せられるように近づき、今にも重なろうとしていた。

 だがまさにその寸前。



「殿下、ジオルグ・アルマは天才です」



 今一番聞きたくない名前を称賛とともに耳にし、セオドリックの額にビキリッと青筋が立った。



「はっ?」


「ジオルグ・アルマのような人物はここ数十年。いいえ、数世紀に一度現れるか現れないかの本物の天才です。私は昔、彼と生き別れてのち何度も本気で彼の追跡(ついせき)をいたしました。ですが、今までずっと見つけることは叶いませんでした……!」


「ほうほう、何度も探してたのかなるほど成程。ふーーーーーーん」


「今回こうして再び出会えたのは本当に奇跡です。もしあそこで引き止めていなければ、二度と会うことは叶わなかったでしょう!」


「それは是非ともそうであってほしかったな。で、この話はまだ続くのかな?」


「……殿下、よければ手を出していただけませんか?」



 セオドリックは顔をしかめながらもアニエスに懇願され、しぶしぶ手を出した。その手にアニエスは自分の手を重ねて何かを置く。


 するとセオドリックの手から赤色の光を中心に七色の光が部屋の四隅に届くほどあふれ出た。


 その手にあるのは、鮮血のように赤い石。


 だが普通のルビーはこんなに遠くまで光を放たないし、照明類の魔道具とも比べようのない輝きを持つそれは全くの別物。



「何なんだこれは? 石灰光(ライムライト)の一種か!?」



 恐ろしいほどの光を放つそれをアニエスは静かに見つめて語る。



「いいえ殿下、これは熱で光る石灰光(ライムライト)ではございません。これは彼が失踪したときに置いて行った世にいう『賢者の石』。ジオルグ・アルマが天才だという(まぎ)れもない(あかし)です」


☆面白い! 続きが読みたい! と思われましたら、ブクマ&評価を頂けましたら幸いです!



石灰光せっかいこう・ライムライト……酸水素炎の高温の炎(約2800℃)の中に石灰を置くと、高温になった石灰が熱放射を起こし、広いスペクトル域の可視光を強烈な白色光として発する。この現象は『強熱発光』として知られ、太陽の光にも引けを取らないことで知られる。別称はカルシウムライト。電灯が使われる前の舞台照明などで使用した。



~登場人物紹介~


『セオドリック』

……ローゼナタリア連合王国の王太子でこの時点で約二十歳。亜麻色の髪に灰色の目の美男。女好きで女性の経験人数は四桁に到達する。

 勘が鋭く有能。魔法が上手く変身能力を持つ特異体質。アニエスが十二歳の時に出会い。紆余曲折を得てアニエスを本気で愛するようになり、プロポーズをしたがセオドリックの女性遍歴を少なからず知るアニエスはそれを本気には捉えていない。

 アニエスの事業の積極的なサポートをしており個人的な仕事の依頼もしている。


『アニエス』……本編主人公。名門ロナ公爵家令嬢。魔力無しで貴族の中でも差別をされている。クォーター・エルフ。

 十二歳の時に自身に流れるエルフ王族の血を鍵に竜のダンジョンに入るのに成功。義弟エースと専属従者で幼馴染のアレクサンダーとともに様々な試練をクリアし、自身の作戦のもと竜との契約に成功するも魔力が無いためアニエスの竜はほとんど冬眠状態にある。

 その後、国と公爵家のパワーバランスや自身のさる目的のため、ローゼナタリアの人質になるべく王宮宮廷見習いとして、社交界デビューを迎えるまでの間を王宮で過ごすことになる。

 同期のいじめなどに合いトイレ掃除をよくしていたため、トイレ掃除スキルが異様に高い。 

 幼いころ親が持ってきた婚約話を五十はダメにしているため自身のことは非モテだと思っている。                 

 あと犬と筋肉は裏切らないと信じている。


『ジオルグ・アルマ』……アニエスに体術や交渉術、廃ダンジョン攻略、物理数学など様々な師事をしてくれたお師匠様。もともとは新聞で伝説的英雄扱いをされていた記事を幼いアニエスが見つけ、師匠になってほしいと押し掛けた。最初追い出そうとアニエスに様々な難問を出すもアニエスは難なくクリア。最終的にいつも金欠状態の錬金術師という立場につけ込み、多額の授業料を母に出してもらうことで師弟関係にこぎつけた。  

 因みにエースやアレクサンダーも弟子入りしている。

 だが、ある理由で失踪しアニエスたちの前から姿を消すことになる。 

 数年後。婚約者や弟仲間に裏切られ、日本円でいうところの億を超える借金を抱えて借金取りに取り立てられていたところをアニエスが偶然にも発見。アニエスが借金を肩代わりした。

 そしてアニエスの依頼を一緒にクリアするとともにアニエスの事業に誘われ雇われ研究所長になることに……。筋肉がかなりすごい。真面目で本来は借金を抱えたりしないコツコツ貯金派。

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