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不完全肯定社会

作者: 荻野上風

午後8時。残業を終えた津田は、いま会社を出たところだった。



「藤原ちゃん、元気にしてるかな」


「あの子かわいいから、もう彼氏の一人や二人くらいいるだろうよ」


「おいおい、二人はダメじゃないか。でもまあ、かわいいってのには俺も同感だ。だけどよ、俺も結構いい男だと思わないか」


「お前がいい男なら、とっくに藤原ちゃんと温かい家庭を築いているはずだろう。悲しいのは分かるが……いいか、落ち着け」


「何を言っている、俺はいつだって冷静さ」


「お前は、一人なんだ」



最寄り駅まで徒歩で向かう道のりでもの思いにふけるのは、この男の日課である。藤原というのは、津田がかつて付き合っていた女だ。口先だけで行動に表れない津田に愛想を尽かして、1年ほど前に音信不通になった。津田の黒い傘には、今朝からずっと降りっぱなしの雨が音を立てて打ちつけている。



―――絶望と後悔の雨音が街中に響き渡る。



会社を出てから10分。津田は、寄り道することなく駅の改札に入った。カバンからスマホを取り出してカレンダーを開く。



「そうか、明日はバレンタインデーだったか」


「何も心配することはないさ。お前にチョコを渡すような暇な女の子などいない」


「なぜそう言い切れる。いいか、これでも俺は高校生のときはモテモテだったんだぞ」


「モテてる奴ほど、過去には縋らないんだ。それを知らないお前は、まだ二流ということだ」


「クソ、生意気な奴め」


「はは、それは特大ブーメランだ。俺もお前も、どっちも同じ津田じゃないか」



電車が来た。スマホを閉じて、津田は電車に乗り込む。電車に乗りこんだらまたスマホを開くのに一度閉じてしまうのは、この男の悪癖である。

ガタゴト揺られること5分。津田は自宅の最寄り駅で電車を降りた。運のいいことに、先ほどまで降っていた雨はどうやら止んでいるらしい。津田は定期で契約している駐輪場へ向かい、自分の自転車を見つけると、家を目指して漕ぎ始めた。



「そういえば、昼間に原口が言ってた件は解決したのかなぁ。なんだっけ、書類のフォントが間違っているみたいなやつ」


「分からない。てか、フォントが違うってそんなに大きな問題なのか。明朝体もゴシックも同じようなもんだろう。原口はやけに気にしていたが」


「先方に見せる書類だからな。そこら辺、あいつなりに気になったってところだろう。いやはや、いい後輩じゃないか」


「あいつは俺の自慢の後輩だからな」



すれ違いざま、若い女性が怪訝な顔をしてこちらを見ていた。ぶつぶつ呟きながら自転車に乗っていたのかもしれない、と津田はハッとした。頭の中で膨らませていた妄想が表に出てしまうのも、この男の癖だ。



「あの人、綺麗だったなぁ。なんかいい匂いしたし」


「やはり髪の毛は黒髪ロングに限るよな。若い頃は金髪やショートもいいと思っていたが、最も清楚で美しいのは黒髪ロングだ」


「あぁ、親からもらった髪の毛を大事にしているところも好感が持てる」


「……俺はそこまで言ってないぞ」



そうこうしているうちに家に着いた。ドアを開けた先に待っているのは、温かい家庭ではなくどうしようもない暗闇である。津田は部屋の灯りをつけて、冷蔵庫を漁り始めた。



「にんにくと枝豆があるな。今日はペペロン枝豆でも作ってビールを開けるとしよう」



ペペロン枝豆は、津田の数少ない得意料理のうちの一つである。この男が作れるのは、うどんとキムチチャーハンと焼きそばくらいだ。

スーツのままではいけないと思った津田は、ネクタイを外してシャツとズボンを脱いだ。これが、この男の自宅での正装である。



「やはりペペロンはビールに合うな」


「そりゃあ、にんにくも枝豆も居酒屋の定番だから当然だろう。だけど良いのか、金曜日じゃないのにお酒なんか飲んじゃって」


「今日は疲れたんだ。ビールの一杯や二杯くらい飲ませてくれ。それに、金曜日しか酒を飲んではいけないという決まりはないぞ」


「そうかい。アルコールにやられてイカれちまったお前の脳も屁理屈をこねるのは上手なもんだ」


「俺はまだ、イカれてなどいない。この通り、ビンビンだ」


「何がビンビンだ。おっさんの下ネタに付き合うつもりはない」


「俺にもかわいい話し相手がいればいいのにな」



気持ちよくお酒を飲んでいたところに、一通のメールが届いた。宛先を確認すると、後輩の中西からだった。中西は津田の職場で男たちからアイドル認定されている若い女性である。身寄りのいない津田は、中西を狙っている獣の一人だ。


「何ということだ。こんな夜中にメールとは……中西のやつ、俺を誘っているのか。他の男とは違って、俺はそう簡単には落とせないぜ」


「お前ほど突破しやすい関門はないさ。どうせ仕事のメールに決まっている。あまり期待するのは酒が不味くなるだけだぞ」


「………………………………」


「どうした、柄にもなく黙り込んで」


「あ、いや……それがそれでもないらしいんだ」



津田さん、宜しければ今から二人でご飯にでも行きませんか。



中西のメールは、本当に仕事のメールではなさそうだった。守りが堅い中西が男性を誘うときはサシを避けることを知っている津田は、自分に幸せが舞い込んできたことを静かに確信した。

津田は、床に横になりながら中西のメールに返信した。



いいですよ。せっかくですし、お酒を飲みながら話しましょう。



「今日はなんて素晴らしい日なんだ。仕事頑張った甲斐があったなあ」


「まさかアル中マンにこんなイベントが発生するとは、さすがの俺も想定外だ」


「どこかのヒーローみたいな呼び方をするな。ただ、中西ちゃんからのメールがゲームの緊急クエストみたいだというのは分かる」


「誰もゲームの話などしていないぞ。やっぱり酒で脳がイカれているみたいだ」


次に津田が目を覚ましたとき、時計の長針は堂々と8を指していた。

初めまして。荻野上風おぎのうわかぜです。

Woginohaと呼んでいただけると嬉しいです。


不完全肯定社会

Written by 荻野上風(Uhakaze Wogino)

・twitter https://twitter.com/Wogino_uhakaze


次作→【それでいいの】


よろしくお願いします。


#荻野上風 #不完全肯定社会 #Woginoha

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