ざまぁされた王子の三度目の人生
「リーゼ、お前との婚約を破棄する!」
その声は学園のホールに響き渡り、賑やかだった会場が一気に静まり返った。
学園の卒業パーティーの場には、卒業生をはじめとする若い貴族達が集まっている。その中で元々注目されていた第一王子である俺が宣言すると、女、公爵家の令嬢であるリーゼは静かに聞き返してきた。
「理由をお聞かせ願えますか?」
そんなところが気に入らない。少しは焦ったり動揺すればいいものを。
チッと舌打ちしそうになるのを抑えて、目の前の女を睨む。
まず見た目から気に入らない。小柄で細すぎる貧相な身体、目が小さくのっぺりとした顔立ち。王子妃としての華がなく、美丈夫だと評判の俺とは一切釣り合わない。今までは我慢していたが、こんな地味な女をエスコートしなければならないのが恥ずかしくてたまらない。
それからその態度だ。風が吹けば飛ぶくらいに弱そうな身体をしながら、俺に向かって幾度も苦言を呈してくる。俺がいくら頑張ったところで褒めること一つしないばかりか、俺の前ではいつも困ったような表情を浮かべ、ニコリともしない。
まったく可愛げがない。
いつもにこやかに俺の周りに集まる花たちとは比べ物にもならない。彼女たちは俺がいかにすごいか理解しているし、俺に見せるためにいつも自分を美しく着飾っている。そんな美しくあろうとする努力もせずに、俺の隣にいられるとでも思ったのか? 馬鹿が。
「お前は俺に相応しくない。その理由が必要か? そんなことはお前が一番よくわかっているだろう?」
さすがにここでお前の欠点をさらけ出すことはしないでやる。それくらいの配慮はできる。俺は優しい男だからな。
ここで泣いて繕ってきたり役に立てずに申し訳ないと謝りでもすれば少しは可愛げがあるというものだが、女はただ静かに「承りました」と述べただけだった。
本っ当に可愛くない。
「俺に対する不敬の数々は見逃してやる。その代わり、もう俺に姿を見せるな」
きっぱりと言い切ると、初めて女はわずかに動揺して俺を見上げてきた。
「お仕事の引き継ぎが必要ではありませんか?」
「お前がやっていたのは俺の手伝いだろう? そもそも俺がしていた仕事なのにどうして引き継ぎを受けなきゃいけないんだ。そうやって俺の気を引こうとするなど見苦しい。さっさと去れ」
女が一瞬ぐっと詰まるような表情をしたことに少しだけ溜飲を下げる。そして女は何事もなかったかのように礼をすると、くるりと踵を返した。
その姿がいたく反抗的に見え、腹が立った。婚約を破棄した理由とやらをつらつらと述べてやればよかったと少し後悔する。
だが、さすがにこれだけの人が見る前で婚約破棄したのだから、父である王も何も言えないだろう。宰相の娘であるリーゼとの婚約を決めた父は、何度願っても婚約を解消することを許してくれなかったのだ。
これで自由の身だ。
そう思えば少しは気分も上がるというもの。清々した気持ちでもう見ることはないだろう女が出ていくのを眺めた。
二日後、久しぶりに執務室を訪れた俺を待っていたのは、大量の書類だった。地方視察に行っている父に代わって宰相が運んできた。
「なんの真似だ?」
「こちらは全て王子殿下の仕事でございます。本来であれば不在の陛下に代わってここを守るのも殿下の仕事でございます」
「俺がお前の娘との婚約を破棄したからといって、嫌がらせをする気か」
「滅相もございません。こちらは全て、我が娘が殿下に代わって行っていた『殿下の手伝い』でございます。娘は引き継ぎを申し出ましたが、却下されたのは殿下ですよね」
仕方なく書類に目を通すが、さっぱりと意味がわからない。
「おい、これは俺の仕事じゃないだろう。理解できない」
「そんなはずはございません。たしかに殿下のサインをいただいておりますから」
宰相が指差した先には、たしかに俺のサインがあった。
まさか、これをリーゼはやっていたのか?
そんなはずはない。アレがやっていたのは、俺の手伝いのはずだ。だが思い返してみれば、アレは困った顔をしながらサインを求めにしょっちゅう来ていた。「ちゃんと目を通してください」と何度も言われたが、あまり気に掛けたことはなかった。
「おい、リーゼを呼べ」
「娘は公爵領へ向かわせました。ここにはこられません」
「俺が呼べと言ったのに従えないのか? すぐに戻ってこさせろ」
「恐れながら、殿下。姿を見せるなとおっしゃったのは殿下でしょう? 万が一ばったりお会いしてしまうことを避けるために移動したのです。自分の言ったことには責任を持っていただきたい」
宰相は冷たい視線で引く気はないことを示し、書類を追加して出ていった。宰相め。父が戻ってきたら、親子共々不敬罪にしてやる。
書類を一枚手に取る。やはりさっぱり理解できない。しょうがない、できるものからやるしかないか。積まれた書類を目にしながら、俺はただ唸ることしかできなかった。
やってもやっても仕事は終わらないが、宰相が見張ってくるので抜け出すことができない。ほとんど寝ずに向かい合っていた頃、ようやく父と母が視察から戻ってきた。
よかった、これでここから出られる。
父と母は俺に甘い。当然のことだ。父には多数の妾がいるが、王妃である母との子は俺だけ。嫡子である俺は、学園を卒業したら立太子されることが内定している。
そんな父と母が戻れば、忌々しい宰相など一声で遠ざけてくれるに違いない。
二人に呼ばれてようやく執務室を出た。戻ってきたという挨拶とともに、きっと俺の立太子の日程の相談をするだろう。次の婚約者の話も出るかもしれない。何人か候補はいるのだ。その中で一番身分が高い者を正妃にして、残りを妾にすればいい。リーゼの時もそう考えて我慢してやっていたのに、それさえ許せなくなったのはあいつが悪い。
そうだ、何もかもリーゼのせいだ。
俺がこんなに仕事をやらなきゃいけないのも、婚約破棄をしなければならなかったのもあいつに理解がないからだ。大人しく従っていればいいものを。
ギリと奥歯を噛む。まずは宰相親子の不敬罪を願おう。そう決心して部屋の前で止まると、ゆっくり扉が開けられた。
これから父に叱られるだろう宰相を鼻で笑って、父と母のいる部屋に入る。まずは宰相親子、それから話し合うのは立太子の件だろうか。俺は浮いた気持ちで父と母の前で礼をとった。
「お前は何という事をしてくれたんだ!」
「は?」
扉が閉まるなり、父の罵声が飛んできた。
父は顔を赤くして俺を睨んでいる。
「あれほどリーゼとの婚姻は絶対だと言っていたのに、なぜ勝手に破棄した」
「それは、リーゼが未来の王妃には相応しくないと……」
「何が未来の王妃だ。いや、正しいな。彼女を妻としたものが未来の王になる」
まったく予想していなかった父の反応についていけない。
彼女を妻としたものが王?
あの女がいなくたって、王になるのは俺だろう?
「この婚約がなくなった時点で、お前が次期王になる道は絶たれた」
「……は?」
「それどころか、この国が揺らぎかねない状況なのを理解しているのか!」
父によると、この国の頂点にいるのは王であるが、実質この国を動かしているのは宰相とその一族らしい。
彼らの力は大きく、それをまとめている宰相が王族についているからこそ貴族が王族に従っている。王が代わっても問題はないが、宰相がいなくなれば国が終わるとまで言われるほどだ。彼はそれだけの影響力を持っている。その為、彼の一人娘であるリーゼと俺の縁談が組まれた。
宰相は争いを好まない。代替わりに亀裂の少ない嫡子が次期王となり、リーゼが次期王妃として支えることが穏便に国を運営できる方法だと思っていたからこそ、リーゼが俺の婚約者であることを許していた、と父は言った。
「それじゃあ……」
動悸が激しくなる。息が上手く吸えなくて、言葉に詰まる。
「多くの者がお前の婚約破棄を見ている。もはや撤回はできぬ。しばらく離宮に蟄居せよ。少なくとも王族としてありたいのならば、そこで王族として仕事ができることを証明せよ。無理ならば王族としての地位を剥奪する」
「そん、な……」
すがるように父の隣の母を見た。いつもだったら、俺が何を言っても聞き入れてくれる優しい母。でも今日ばかりは悲しそうに目を伏せているだけだ。
「つれていけ」
父の無慈悲な声で、俺は兵に離れへ押し込められた。
離宮の部屋は俺の私室よりも狭く、居心地が悪い。
食事の質も落ち、外出も許されないというのに仕事だけは運ばれてくる。
王子である俺をこのような状況に置きながら、仕事だけはしろと?
はっ、わけがわからない。仕事をするのは側近の役目だろう?
あの時は叱られたが、嫡子は俺だけなのだ。しばらくすれば父もここからまた呼び寄せ、今度こそ立太子に向けて動き出すだろう。
この時はまだ、そう思っていた。
それからしばらく離宮で過ごしたが、ある時父がやってきて言った。
「残念だが、お前が反省する様子が感じられない」
俺は離宮を出され、塔に幽閉された。
そこまで来て初めて、これは本気なのだと悟った。
父はなんと言っていたか思い出してみる。王族として仕事ができることを証明しろ、できなければ王族の地位を剥奪する、そう言っていた。
俺はがむしゃらに仕事をした。しかし、書類はわからないことだらけだった。そのうちにだんだんと運ばれてくる書類の数も減った。
ある時、書類を運んできた使用人に仕事を増やしてやってもいいと話した。仕事ができると証明しなければ地位を剥奪されてしまうというのに、そもそも仕事が来なければ意味がないではないか。
「殿下がやった書類は間違いだらけなのですよ。正直、直すのに二度手間なので、これ以上は無理ですね」
何を言っているんだと言わんばかりの俺を馬鹿にするような態度が鼻についた。
「何だと!」
カッとなった。気が付いた時には彼を殴り飛ばしていた。
幽閉中に騒ぎを起こしたとして、俺は王族の身分を剥奪され、鉱山に送られた。この時になっても、俺はまだ自分の状況を理解できなかった。
鉱山ではボロボロの服を着た汚らしい鉱夫たちが並んでいた。
「今日から一緒に働く新入りだ」
親方だという人の一声で、仕事が始まった。暗い中でわずかな灯りを頼りにひたすら岩を掻いていく作業は辛く、すぐに手が痺れてきた。
手にしていた工具を岩に叩きつける。
「ふざけんな、俺は王子だぞ。なぜこんなことをしなければならない!」
そう叫んだ瞬間だった。みぞおちに痛みが走ったと思うと、俺は地面に転がっていた。男が俺を殴ったのだと後から気が付いた。
「あ? 王子様だと?」
「何をする。俺に手を上げるなど、どうなるかわかっているのか!」
「わかってないのはてめぇの方だ」
それから数人に蹴られて、殴られた。
目を開けると親方と呼ばれた人がいた。ずいぶんと粗末な小屋のようだ。馬小屋にでも入れられたのかと思ったが、机や寝台らしきものが一応あるので住居なのだろう。
「おう、起きたか。お前は馬鹿か? まぁ、馬鹿じゃなかったらここにはこないよなぁ、王子様?」
ケタケタと笑う。なんだと、と起き上がろうとしたが、激痛が走って動けなかった。
「やめておけ。いろんなところが折れていたり、傷ついてる。動くと本当に死ぬぞ。まぁ俺はそれでもかまわん。死にたいなら勝手にしろ」
彼はそう言いながらもスープを飲ませてくれた。味が薄くて、美味しいとは言い難いものだ。それでも生ぬるいそれが身体にしみ込んだ。
「舌の肥えた王子様には美味しくないだろうなぁ」
「お前は俺が……」
「あぁ、お前が本物の王子だったってことを知っているのは、ここでは俺だけだ。言っておくが、お前が元王子だろうと俺は特別扱いする気はない。そもそもお前はもはや王子じゃない」
王子じゃないと言われてまた起き上がりかけたが、やはり激痛が走って動けなかった。んぐっ、と呻く俺を、ヤツは面白そうに笑った。
「ひとつだけ教えてやる。死にたくないなら、もう王子だなんて言うんじゃねぇ。ここの連中が王族をどう思っているか知ってるか?」
首を横に軽く振ると、首まで痛くて呻いた。
「それなら教えてやる。目の前に現れたら最も残酷な方法で苦しめて殺してやりたいクソ野郎だ」
「は?」
「ここの奴らは皆毎日汗だくになって働いている。それで得たお金の多くが税金として持っていかれる。いくら働いてもこっちの生活は全然良くならないっていうのに、お貴族様や王族様方はそのお金で優雅にパーティーだ」
奴は忌々しさを前面に出して言い、ハッと鼻で笑った。
最近は税率が上がり、ほとんどが困窮しているという。王族に対する恨みは増すばかり。
「そんな中でお前が『俺は王子だ』と言い始めたらどうなるかくらいわかるだろう? いや、すでに体験しただろ。だから、王子だなんて言うのはやめておけ。無残な殺され方をしたくなければ、ここでは黙って働くことだ」
体が治るまでの間、親方は介抱してくれた。ごはんは美味しくないし、量も足りない。最初はふざけんなと思っていたが、なにせ身体が動かない。殴ってやりたくてもコイツの方が強そうだ。護衛にやらせれば……もういないのか。俺が何を命じても、誰も動かないのか。コイツはただ笑うだけなのか。
体が良くなり、俺は鉱山に復帰することになった。「一度だけチャンスをやる。それで生きられるかはお前次第だ」そう言った親方が皆に説明してくれた。
「こいつ、ここに来るまでに腹が減りすぎて、変なきのこ食べたらしいんだ。その影響が残っててたまに幻覚を見るらしくて、その中で自分は王子なんだと」
「なんだそりゃあ」
「そりゃお偉いさんに生まれたかったよなぁ?」
「無理なこった」
ガハハと笑い声が起こる。
「だからまだたまに、自分は王子だ、とか言い出すかもしれないが、許してやってくれ。こいつも複雑な身の上だ。仕事に慣れるまでは使い物にならないかもしれんが、面倒見てやってほしい」
俺は殺されないために、言われた通りに黙って働くことにした。そうしたら、鉱夫たちは意外と親切にいろいろと教えてくれた。
「この前は殴っちまって悪かったな。王子だなんて言い出すから、そんな事情があるなんて知らなかったしよ」
「もう治ったか? しっかり治るまではできることだけでいいからな」
そう言って、少しずつ仕事を教えてくれた。
一年たち、また一年がたった。鉱夫たちの仕事はきつかった。それなのに、いくら頑張っても生活は全然楽にならなかった。毎日汗だくになって働くうちに、自分が王子だったなんて信じられない容貌になった。王族ふざけんな、と思う気持ちもだんだんと分かるようになった。
あぁ、俺は何もわかっていなかったんだな。
誰からも傅かれて、殿下と呼ばれてもてはやされて、良い服を着て良い物を食べて、それが当然だと思って生きてきた。自分が言ったことは全て通るものだった。
その陰にこれだけの人達が汗水垂らしていたなんて、想像したこともなかった。
それから数年後、王が討ち取られたという知らせが入った。首謀者は宰相だった。俺が今暮らしている鉱山近くの村ではお祭り騒ぎになった。誰もが諸手を挙げて喜んでいる。
その気持ちが理解できるようになっていたから、非常に複雑な気持ちで同じように喜んでいるように装った。
お祭り騒ぎは夜も続いた。俺は親方に匿われて、密かに泣いた。父も母も、もういない。
気がつけば、鉱山に送られてから二十年が経とうとしていた。この間に、親身になっていてくれた親方が死んだ。事故だった。親が死んだと聞かされた時よりも俺は泣いた。号泣した。鉱山は常に危険と隣り合わせだ。俺が鉱山にきてから、もう何人も死んでいる。
長い間不在だった王の座に宰相が就いたと風の噂で聞いた。
リーゼはどうしているだろうか。
ふとかつての婚約者を思い出す。思い返してみれば、彼女は常に良い成績を保ち、いつも努力していた。俺がやっかいに思っていた苦言は、至極まっとうなものだったと気が付いたのはいつのことだろう。
見た目が好みじゃないとか、俺を褒めないとか、そんな自分勝手な理由で婚約破棄をしたのは俺だ。俺が遊んでいる間に俺の仕事をこなし、学園に通いながら妃教育を受けていたら、着飾る時間などなかったはずだと今ならわかる。褒められないことを不満に思っていながら彼女を褒めたことは一度もなかった。婚約破棄を突きつけて清々した気分でいたが、本当に清々していたのは彼女のほうだったのだろう。
彼女がどうしているか気になりはしたが、今となってはもはや情報も手に入れられない。
申し訳なかったと思う。
ただ、幸せであってくれたらいいと、自分勝手にもそんなことを思う。
それからさらに数年。税率が軽減され、ほんの少しずつ村の暮らしは良くなっていった。何より村人の顔が明るくなった。少しでも未来に希望が見えるようになってきたからだ。
村の中で婚礼があった。村人同士の結婚だ。ささやかながら祝いの宴会が開かれた。皆が笑顔で祝っていたし、新郎新婦は幸せそうに笑っていた。
リーゼの笑った顔を、俺は見たことがあっただろうか。いつも困った顔をしていた。もしあの時、仕事を手伝ってくれたリーゼに「ありがとう」と言ったら、彼女は笑っただろうか。もし、疲れた彼女を気遣うことができていたら、何か贈り物をしたら、何か変わっていただろうか。
泣いた顔ならば、一度だけ見たことがある。彼女の使用人が俺に文句をつけてきたので、護衛に大人しくさせろと命じた。その傷が元で、彼は死んだのだという。それ以来リーゼは苦言をあまり言わなくなった。静かになったと当時の俺は喜んだ。今思えばひどい話だ。
リーゼが笑ったら、どんな顔だったんだろう。
村人たちから「あんたも結婚すれば?」と勧められたけれど、そんな気にはなれなかった。結局この歳まで独り身だ。
それから数カ月後、俺は鉱山の落石事故に巻き込まれたらしい。最期に頭に浮かんだのは、数々の後悔。それから城での華やかな生活ではなく、村人たちと安い酒を飲み交わして笑ったことだった。
〇〇〇
俺には不思議な記憶がある。鉱夫として人生を終えたある男の記憶なのだが、ぼんやりとしていてはっきりとは思い出せない。最初は夢だと思っていたが、たぶん前世、自分が歩んだ記憶なんだと思う。なぜか若いころの記憶はほとんどなく、鉱夫となっていろんな後悔をしていることはよく覚えている。
俺はとある街の教会出身の孤児だった。物心ついた時には孤児院にいたので、父母は知らない。幸いなことにその教会の神父さんはとても素晴らしい方で、できたほうが今後の役に立つから、と孤児たちに文字を教えてくれた。それ以外にも、望めば神父さんの知っていることを教えてくれた。ただし忙しい方なので、なかなか時間は取れなかったが。
前世の俺は後悔ばかりしていた。その後悔が教えてくれたのは、とにかく真面目に努力することだった。
俺は学ぶことが好きだった。だから神父さんにお話をねだったし、たまに借りられた本はおつとめの間に何度も何度も読んだ。
十二歳になると孤児院を出なければならない決まりになっている。
俺は住み込みで働いた。孤児院出身者に世間は厳しい。それでも俺は一生懸命働いて、少しずつ認められるようになっていった。
働いて得たわずかな賃金を貯めて、本を借りた。本は高級品だからなかなか買えない。もっと学びたかったけれど、教師について学べるのは一部の特権階級だけだ。俺はいろんな人に話を聞いたり本を読んだりしながら、少しずつ知識を得ていった。
恩返しも兼ねて、俺は育った孤児院で自分の知識を教えた。誇れるほどの知識があったわけじゃないが、少なくとも俺の知っていることであれば教えられる。知識があるのとないのでは生活がずいぶん違ってくることを理解していたから、孤児たちには一生懸命に教えた。
三十歳を越えたある日、俺の人生で最大の幸運が舞い込んできた。
いつものように孤児院で教えていると、神父さんに呼ばれた。入った部屋には柔らかい顔をした神父さんと、明らかに貴族であろう男性がいた。
「君のことは調べさせてもらったよ。もしよかったら、うちで働かないか?」
男性は公爵家当主で、この国の宰相だった。この教会はそもそも宰相のもので、神父さんとは仲が良かったらしい。公爵家といえば貴族の中でも王族を除き最上位だ。元孤児が貴族の家で働くこともなかなか難しいのに、公爵家で働くなどありえない。頭が真っ白になった。
「なぜ俺……私が?」
「息子と娘の教育係を探していてね。神父に君を紹介されたんだ。様子を見させてもらったのだけれど、君なら大丈夫かと思ってね」
「きょ、教育……私などに公爵家のご子息方に教えられることなど……」
「あぁ、気負わなくていい。話し相手になってやってくれたらそれでいいから」
話によれば、ちゃんとした教師は別にいるらしい。
ただ、宰相は子供たちに庶民の暮らしも知ってほしいと思っていて、貴族出身の教師ではそれが伝わらないため、庶民の暮らしに詳しい者を探していたそうだ。
恐れ多くも、俺は子供たちの世話係兼話し相手として採用された。
公爵家には三人のお子様がいらっしゃった。五歳の女の子、四歳と二歳の男の子だ。男の子二人はやんちゃざかりで侍女たちも困っていたが、女の子は聡明で大人しい印象だった。
俺は公爵家の雑用をこなしつつ三人と過ごした。教えるというよりも一緒に遊んだという方が近い。下の子が少し大きくなると、一緒に街へ出て案内したり、教会の孤児院へ行ったりもした。子供たちの中に入ると、普段大人びている長女リーゼも年相応に楽しそうにしていた。
三人とも素直で頭が良く、すくすくと育った。
リーゼが十歳の時、この国の第一王子と婚約した。同じ年に生まれたリーゼと第一王子は生まれた時から婚約が内定しており、十歳を待って正式なものとなったとのことだった。
リーゼは時折王宮に出向くようになり、だんだんと笑顔を失っていった。
「殿下はわたくしのことをブサイクと言うの」
「殿下にちゃんと勉強してくださいと言ったらうるさいと押されて転んでしまったの」
「殿下に仕事をして下さいとお願いしたのだけど、俺を支えるのがお前の仕事だろうと聞いて下さらないのよ」
ごくたまに、ぽつりぽつりとそんなことを言っていた。俺はどう応えるのがいいのか、見当もつかなかった。直接お会いしたことはないが、王族は皆自分のことしか考えていない浪費家という評判だ。王子も例外ではなく、身分を振りかざし、我儘放題で傲慢だという話を聞いている。そのような相手に嫁がなければならないリーゼを哀れに思った。
宰相もいつも難しい顔をしていた。
「民の不満が高まっているというのに、また大規模な夜会だ。たしなめれば今度は地方視察に行くと言い出した。本当に視察なら構わないが」
「遊ぶだけでしょうね。王妃様も派手なことがお好きですから」
奥方と溜息をつき合っているのが聞こえた。
リーゼが十六歳になったある日、学生のパーティーから帰った彼女の頬が真っ赤に腫れていた。第一王子が婚約者のリーゼをエスコートすることもなく別の女子生徒とたわむれていたので、リーゼがやんわりと抗議したところ、暴言と共に頬を叩かれたらしい。
「もう我慢ならん。陛下に婚約を解消してもらう」
「ですがお父様、それではこの国が……」
宰相はこの国を安定させるために努力されている。たとえ無能な王であったとしても、それを変えるには多くの血が流れる。だからなるべく穏便に王を動かして、民の暮らしが良くなるようにと動いて下さっている。
リーゼもそれを理解した上で、王子の婚約者として国を支えている。
結局、宰相は王に抗議したものの、婚約は継続となった。いくつかの妥協案と共に、王子にはきつく言い聞かせると王は言っていたらしい。
宰相はリーゼにすまないと謝り、リーゼも仕方のない事と諦めていたけれど、俺は悔しくて仕方がなかった。
翌日、王宮から戻ったリーゼは悲しそうな顔をしていた。
「陛下は殿下にお話ししてくださったそうなのだけど、殿下は全く反省する様子がなくって。全てわたくしが殿下の気を引こうとして画策したのだろうと、本当に嫌なヤツだと言われてしまったのよ」
「お嬢様は何も悪くないじゃないですか」
「わたくしがこんな容姿だから好まれないのは分かっているけれど、この国のために殿下を支えようと努力しているつもりなのよ。わたくしはどうしたらいいのかしら? もうわからないわ」
滅多に弱音を吐かない彼女の悲痛な思いが伝わってきて、俺は許せなくなった。こんなに毎日ボロボロになって働いているのに、王子は何をしているんだ。リーゼは王子の婚約者の座など、一切望んでないというのに。
俺はリーゼの送迎を口実に学園に張り込み、ついに数日後、王子と接触することに成功した。
「お嬢様は殿下の為に精一杯努力されています。それに対して殿下は一体何をしておいでなのですか。どうか殿下、お嬢様を……」
「黙れ」
「お嬢様に手を上げることはおやめください」
「黙れと言ったのが聞こえなかったのか? おい、コイツを大人しくさせろ」
「はっ」
それから王子の護衛から暴行を受けた。
薄れゆく意識の中で、気が付いた。
あぁ、この王子は、俺だ。
〇〇〇
俺は七歳の時に高熱を出して寝込み、過去二回の人生をはっきりと思い出した。
今の俺は、どうやら一度目と同じ第一王子らしい。まだ短い七年の人生を思い返してみると、はっきり言って傲慢で何もわかっていない悪ガキだ。一度目はこの悪ガキのまま身体だけ成長し、そしてああなった。
黒歴史のオンパレードがまるで走馬灯のように頭を駆け巡り、のたうち回りたい気分になる。とりあえず寝台から転がり落ちて壁に頭を打つまで転がった。侍女に叫ばれた。
いや、こんなことをしても意味はないんだ。どうするかを考えなければ。
今ならまだ間に合うはずだ。
俺は教師の言う事をよく聞いて、思いっきり勉強した。あまりに態度が変わったので、熱を出してから別人になったと言われた。まぁ、間違っていない。
それにしても、これだけ学ぶ環境が整っているってすごくないか。
二度目の人生では本を手に入れるのにも苦労したし、ましてや教師がいてすぐに質問できるなんてことはなかった。
一度目の俺、どうして気がつかなかった。教師から逃げ回ってサボってばかりだったあの頃の俺を殴り飛ばしてやりたい。
俺はこの環境を思う存分利用した。教師がいない時間には城の図書室へ行った。二度目の人生で渇望した本だらけの空間。すばらしい。読みまくった。もう一度言うが、学べるってすばらしい。
俺に擦り寄ってくる側近候補は要注意だ。彼らは適当に誉め言葉を言っておだててくるが、俺の権力目当てなだけだ。甘い汁を吸おうとしているだけの無能だ。いや、権力目当てで画策しているだけマシだ。本当に無能なのは、その無能たちにおだてられて調子に乗っていた俺。黒歴史思い出し発作を起こす。のたうち回りたい。
父は相変わらず妾を多数持ち、母はそれを容認する代わりに贅沢を極めている。あのドレス一着は、鉱夫だった俺の給料何年分だろう。それを何着持っているのだろう。父が妾を持つためにも多大な公費が使われている。自分の両親ながら、ふざけんなという思いが溢れてくる。
そう、鉱夫の仲間たちのように。
このままいくと王族は宰相に討たれることになるという未来を俺は知っている。民の事を顧みずに自分の事ばかり考えている王族がなくなることには何も思わないが、そのために血と金が流れるのは避けたい。
幸い今の宰相には、まだ王を討つ気はない。玉座に上りたいわけではないが、彼が願っていたように、俺が穏便に後を継ぎ、王族のあり方を変えていくのがいいだろう。
こんな俺が良き王になれるかはわからないが、任せられそうな人が他にいない。
王族め、どいつもこいつもクズだな。
その筆頭は、俺だ!
「あああぁぁぁ」
机に頭を打ち付けたら、侍女に泣かれた。俺は泣く価値のある男じゃないぞ。
ん? 違うな。俺が傷つくと罷免される恐れがあるから泣いているのか。
自意識過剰。あああぁぁぁ。
とにかく、俺は王になる。
そのために彼女との婚姻が大事なのは、今ならば非常によくわかる。
リーゼとは婚約内定中だ。十歳になったら正式な婚約を結ぶことになっている。生まれた瞬間に婚約が決まったようなものだったから、記憶を探れば七歳の今までに何度も顔を合わせているようだ。
そのたびに俺は、意地悪なことを言っている。ブサイクとか、お前と婚約なんて嫌だとか、あぁ、過去の俺を殴り飛ばしてやりたい。
今日はこれから定期的に設けられているリーゼとの対面だ。俺にはリーゼが必要だ。いや、この国の為に必要なんだ。だから、リーゼには申し訳なさすぎてもうどう詫びたらいいかわからないけれど、どうか俺の手を取ってほしい。
一生尽くすから!
たとえ彼女に恋愛的な意味で好意を抱けなかったとしても、俺の人生全部をかけて幸せにするから!
ガチャリ。
扉が開いて、リーゼが入ってきた。彼女は俺を見て驚愕の表情を浮かべた。俺が遅刻するのが普通だったから、先にいたことに驚いたのだろう。それから彼女はグッと緊張した顔になった。
背中がゾクッとした。どうしてか息が詰まって、顔に熱が集まってくる。
「殿下、お待たせしてしまったようで申し訳ございません」
ふわりとドレスの裾を翻して丁寧にお辞儀をする。まだ小さいのに完璧に優雅な姿に目を奪われ、胸が震えた。
……可愛いな? えっ、可愛いな。
気が付くと息が止まっていた。意識して呼吸を再開すると今度は心臓がうるさく鳴った。
「あの、殿下?」
リーゼがコテリと首を傾げる。それは駄目だ。威力が強い。
「どうかしましたか?」
どうかしている。俺の心臓が飛び出そうなくらいドクドクしているのだ。
「あの、えっと、その、だな……あの」
「はい?」
「今まですまないっ」
彼女に会ったら、誠心誠意お詫びをしなければと思っていたのに、口から飛び出たのは勢い任せの謝罪。
駄目だ、こんなんじゃ駄目だ。
「俺、頑張って、君を幸せにする、だから、将来、結婚してくださいっ!」
前言撤回する。恋愛的な意味でも俺は彼女に落ちた。
俺は落ち込んでいた。
たとえ前世の話でも会ったらちゃんと謝らなければと思っていた。だけど、本人を前にしたら言葉が出なくなってしまった。
そもそも今のリーゼは一度目の俺を知らないわけで、いきなり謝られても困るだけなんじゃないか? 謝って重荷を少し下ろし、俺がスッキリしたいだけなんじゃないのか?
考えれば考えるほど、ただの俺の願望で我儘なんじゃないかという思いが強くなる。
それからもう一つ、俺は深刻に悩んでいた。
もしかして俺は幼女を好きになるタイプなのか?
いや、リーゼ以外ではそんなこと思わなかったから違うはずだ。違う、絶対に違うんだ。
それにしても、いきなり求婚するとか……ハァ。俺、馬鹿じゃないのか?
でもリーゼを見たら、なんだか、こう、気持ちが抑えられなかったのだ。二回の人生で健気に俺を支えようとしてくれていたリーゼを見ていたからだろうか。一生懸命な彼女も、悩んでいる彼女も見たからだろうか。
でも、あんなに俺がひどい仕打ちをしたリーゼだぞ?
城の芝生を端から端まで転げまわりたい。
俺は宰相にも教えを請うた。宰相は驚きながらも丁寧に教えてくれた。宰相がどう考えているかも含め、それでも思想を俺に押し付けることなく伝えてくれた。彼が王を討ったのは、本当にやむを得なかったのだと今ならばわかる。彼は民のことを一番に考えている。二度目の人生でそれを嫌というほど痛感した。だからこそ、どんどん困窮する民を顧みずに自分たちの事ばかり考える王族に限界を感じたのだろう。
十歳になり、俺とリーゼは正式に婚約した。
婚約の印として、俺はリーゼに髪飾りを贈った。リーゼが「ありがとうございます」と嬉しそうに笑ったので、俺の心拍数は爆上がりした。
王子教育と王子妃教育は同じではないので別になることもあるが、なるべく一緒に勉強した。彼女は頭がいい。なんで過去二回の人生があったはずの俺よりも進みが早いんだ。
どうやら今回の俺は宰相に認めてもらっているらしい。少しずつ仕事もするようになった。リーゼも手伝うと言ってくれた。
「駄目だ、これは俺の仕事だから、俺がやらなきゃいけないんだ」
「二人でやったほうが早いでしょう? 殿下の仕事を全部任されたら困ってしまいますが、わたくしにもやらせてくださいませ」
なんて良い子なんだリーゼ。
そうだよな、全部任されたらそりゃ困るよな……一回目の俺!
全部投げてた一回目の俺!
「あああぁぁぁ」
思い出して机に突っ伏すと、「大丈夫ですか?」という心配そうな声が聞こえた。黒歴史発作を起こしているだけだ。そっとしておいてほしい。
一緒に懐かしい教会にも行った。孤児と遊んだり、慈善活動もした。
十五歳になると、そろって学園に入学した。
俺は慎重に側近選びを開始するとともに、全体のレベルを上げるべく奔走した。リーゼも協力してくれた。前世と変わらず、彼女は健気に俺を支えようと努力してくれる。
控え目に言って超可愛い。
今世で初めての発見がある。
リーゼは地味で大人しいと思っていたけれど、意外と活発でよくしゃべる。そしてちょっと毒舌だ。
「殿下」
「名前で呼んでくれ」
「クラウス様」
んぐっ。名で呼べと言ったが、呼ばれるとムズムズが止まらない。
「その書類まだ終わらないのですか? 孤児院へ行く時間になってしまいますよ」
「リーゼが早いだけだろ」
「しょうがないので手伝ってあげます。貸し一つですよ」
「少し待て。自分でできる」
「クラウス様ができるのは当然ではありませんか。クラウス様の仕事ですもの。自分の仕事もできずに周りにやらせていたとしたら、それはただの馬鹿ですよ」
「うっ」
無意識に過去の傷を抉られ、胸が痛くなって押さえる。
結局書類を奪われて、ささっと仕上げられた。これで貸し一つならば、一度目の俺は貸しいくつなんだろう。
今のリーゼはとてもよく笑う。そのたびに俺の心臓を鷲掴みにされるような心地になる。一度目の俺はこんなに可愛い笑顔を見逃していたのか。馬鹿じゃないのか。
学園では時折学生たちのパーティーが開かれる。俺はリーゼをエスコートして会場に入った。着飾ったリーゼはマジ可愛い。可愛いが止まらない。
リーゼのエスコートを恥ずかしいとか思っていた一度目の俺を殴り飛ばしてやりたい。俺の隣に並ばなければいけなかったリーゼこそ恥ずかしく思っていただろうに。
俺はずっと彼女を横に置いておきたいが、彼女には友人たちと話す時間も必要だ。少し離れた隙に、俺は女に取り囲まれた。派手な化粧に豊満な体を見せつけるような露出の高いドレス。そして紡がれる甘い言葉。
反吐が出る。気持ちが悪い。
「殿下もお辛いでしょう? 政略とはいえあのような方と人生を歩まれなければならないのですもの。わたくしでしたら殿下を……」
「あのような方?」
聞き返してみると、女たちはチラッとリーゼの方向を見てクスッと笑った。何を笑っている。ふざけんな。
わたくしでしたら殿下をなんなんだ。
でも一度目の俺だったらそれにフッと笑って紳士っぽく振舞いながら腰を抱いて……。
「あああぁぁぁ」
反吐がでるのは俺だ。反吐だけじゃなく全部出る。
城壁よじ登って叫びたい。
「で、殿下?」
いけない、ここはパーティーの場だ。たとえ黒歴史発作を起こしても平常心を保たねばならない。
「リーゼは可憐で美しいだろう? その上、努力家で聡明だ。君たちも彼女を見習うといい」
「え?」
「言っておくが、俺の婚約者を侮辱して無事で済むと思うなよ」
このような奴らに権力を持たせはしない。
気分が悪くなった俺は、その場を離れて振り返った。数人の女たちが唖然と俺を見ている。そして遠くからそれに白けた視線を向けている貴族たちにも気が付いた。
……あの場で俺は笑っていたのか。
城の池の底まで潜りたい。
リーゼは楽しそうに男と話していた。たしか彼は公爵家の次男。容姿端麗なだけではなく優秀なので側近候補にどうかと言われている人物だ。
面白くない気持ちになり、リーゼを奪って人のいないバルコニーに出た。
急に俺に引っ張られて連れ出された彼女は浮かない顔をしている。
「ちょっとクラウス様、腕、痛いです。女性に暴力を振うのは最低最悪の下衆野郎ですよ」
「うっ」
一度目の俺のあれは、完全に暴力だったよな。正しく下衆野郎だ。
だけど今のは暴力じゃない。断じて違うぞ。リーゼが男と楽しそうにしてたから悪い。
嘘ですリーゼに悪いところなんてひとつもない悪いのは全部俺あああぁぁぁ。
「あの男といたかったのか?」
「え? いいえ?」
すぐに否定されてホッと胸をなで下ろしつつ、それでもモヤモヤが消えない。
「ずいぶん楽しそうに話していたじゃないか」
「彼とは家同士の繋がりがあるので、小さい頃からの知り合いなのですよ。クラウス様こそ、女性に囲まれていたではありませんか」
「望んだことじゃない」
プイッと横を向く。かなり大人げない。俺はただ、あの男に嫉妬しているだけだ。
わかってる、俺なんかよりきっとあの男のほうが素晴らしい奴だ。
リーゼにとっての俺はただの政略結婚の相手だ。第一王子に嫁ぎ国の為に支える。そう育てられてきた彼女は、素直にその通り俺を支えようと努力してくれている。
その第一王子がもし俺じゃなくても、彼女は同じようにする。リーゼは俺を男として見ていない。その事実にギリと奥歯を噛み締める。
「わたくしが殿方からそういった目で見られることなどある訳がないではありませんか。こんな容姿ですもの。必要なこととはいえ、殿下もわたくしをエスコートしなければならないのは恥ずかしいだろうなと、申し訳ないとは思っているのですよ」
「そんなことあるはずがない」
俺は本心から否定したのに、リーゼは力なく微笑むだけだ。
たしかに一度目の俺はそう思っていたけれど、その時の俺を殴り飛ばし以下略。
「たとえ政略的な婚約とはいえ、わたくしを婚約者として遇し、良くしてくださることには感謝しています。でも、もしクラウス様に良い人がいるのならば、わたくしに遠慮しなくていいのですよ」
「それはリーゼにも良い人がいるから黙認せよということか?」
「違いますよ。わたくしこの容姿ですもの、恋愛関係のあれこれは諦めているのです。クラウス様はいずれ、妾を持つことも可能でしょう? そうなった時、わたくしは嫉妬いたしませんから」
「そこはしろ」
間髪を入れずに答えると、リーゼは小さな目を少し大きくした。
「こんな容姿と君は言うが、誰かに何か言われたのか?」
「ええと、ブサイクという言葉はちらほら聞きますし、そういえば幼少期にクラウス様にも言われました」
「申し訳ございませんもう二度と言いません」
「自分でも良くないことくらい自覚しています。その、身体も女性らしくはないですし……」
勝ち気なくせにちょっと恥ずかしそうなその仕草にグッときて、我慢できずに思わず抱き寄せた。細くて小さい身体はすっぽりと納まって、庇護欲を掻き立てられる。女性らしくないと言うが、胸も……慌てて考えを逸らす。
「リーゼ、他の誰が何と言おうと、俺は君が、その、可愛いと、思うし、だな、綺麗だと思う……その、容姿だけじゃなくて、いつも一生懸命なところとか、思慮深くて聡明なところとか、俺は好ましく思う。自分を卑下するな」
鼓動が大きくなりすぎて、たぶんリーゼに聞こえている。俺は咳払いをして、大きく息を吐いた。
「俺は妾などいらない。リーゼがいればそれでいい。だから……君が俺のことを政略的な婚約の相手としか見ていないことは分かっているが、少しは俺を男として見てはくれないか?」
「え?」
腕の中からリーゼが見上げてくる。驚いた顔をして、それからふふっと笑った。
「クラウス様は優しいですね。そんなに気遣って下さらなくてもいいのですよ? クラウス様にとってわたくしの身分が不必要にならない限り、わたくしから婚約解消を持ち掛けることなどございませんし」
「そういうことじゃない」
「全員に気を張っていたら疲れてしまいます。いろいろと我慢していらっしゃるのでしょう? わたくしの前でくらい、気楽にしてください」
全く信じられていない。
「我慢ならしている。今すぐにでも君に口付けたいし、触れたいし、もっと先だって……」
「えっ」
リーゼの身体が強張った。しまった、と思うと同時に、愛しさがこみ上げてくる。
「すまない。だけど信じてほしい。俺がそう思うのは、君だけだ」
リーゼは明らかに戸惑っていた。それにショックを受けながらも、仕方がないと思う自分もいた。俺は抱きしめていたリーゼをそっと離して苦笑する。
「そんなに困らないでくれないか? 今リーゼの気持ちを聞こうとは思っていない。だけどいつか一人の男として振り向いてもらえるように頑張るから、ほんの少しでいいから、俺に気持ちを向けてくれたらすごく嬉しい」
それでもリーゼはきょとんと俺を見上げるばかり。やっぱり信じられていない。
「クラウス様、視力落ちました? それとも何か変なものを食べました?」
「落ちてないし、食べてない」
ムッと返したら、リーゼはそれならなんだろうと心配そうに悩み始めた。
そんな顔さえも可愛いと思ってしまうのだから、俺はもう駄目だ。
「好きだ、リーゼ」
その日から俺はことあるごとに好きだと伝えた。信じてもらえるまでに一年かかった。
「えっ、あの、もしかして本気なのですか?」
「ずっとそう言ってる」
真っ赤になった彼女を押し倒さなかった俺を誰か褒めてほしい。
それからリーゼにも想いを少しは寄せてもらえるようになるまで、さらに一年かかった。
「ちょっとよくわからないのですが、わたくしも殿下をお慕いしているのかもしれません」
そう言った彼女を攫わなかった俺を誰か褒めてほしい。
「なぁ、リーゼが好ましいと思う……いや、嫌だと思う男はどんな奴だ?」
「えーっと、自分勝手な人、権力を振りかざす人、人の意見を聞かない人、横暴な人、立場が弱い者を見下す人、自分はやらずに仕事を押し付ける人、面倒臭い人、それから……」
「うっ」
「特に、自分ではなにもできないくせに努力もしないで偉ぶってたり、他人を貶めたりする人は最悪ですね。大嫌いです」
「ううっ」
痛む胸を押さえて俯く。打撃が強すぎる。
全部一度目の俺じゃないか。どう考えても嫌われてた俺。
その状況で「俺の気を引こうとしている」とか思ってた俺。
「あああぁぁぁ」
痛いにもほどがある。穴があったら入りたい。あ、結構入ってたな、鉱山という穴に。
「あ、好ましく思うのは、クラウス様みたいな方ですよ」
ガバッと顔をあげると、悪戯が成功したような顔でリーゼがふふっと笑った。
襲わなかった俺を誰か褒めてほしい。
その日、学園のホールでは卒業パーティーが行われていた。一度目の俺がリーゼに婚約破棄を突きつけた日だ。
俺はリーゼをエスコートして進む。リーゼは今日の為に誂えたという質の良いドレスに身を包み、軽く化粧をしている。今ならば、そのドレスはマナーを守りながらも贅沢すぎないギリギリのラインで、庶民の生活に気を配っているのだとわかる。
一度目の俺ならばそんな事に気がつかず、地味で華がないと鼻で笑うだろう。何もわかっていない馬鹿野郎だ。
「今日はどなたかが婚約破棄をなさるかしら?」
「婚約破棄?」
ギクッとして聞き返すと、リーゼは表情豊かにふふっと笑った。
「卒業パーティーでの婚約破棄は定番らしいですよ。何でも、この場で皆が見ている前で宣言すれば、親にも覆せないから、ですって」
貴族の婚姻は家と家の繋がりを重視するものだから、相性が悪い場合もありますものね、とリーゼは笑い、俺は肝が冷える。
「だからといってこの場で破棄するのは得策ではないと思いますわ。重要だからこそ結ばれた婚約でしょうに」
「そ、そうだよな」
「まぁ、でも、その後どうなるかを考えられないような脳が足りない方となら、縁を切ることができてむしろ幸いかもしれませんね」
「うっ」
思い当たることが多すぎて、何も言い返せない。
「ま、まさかとは思うが、リーゼが婚約破棄するなんてことは、ないよな?」
「あるはずがないではありませんか。皆のための卒業パーティーを自分の都合で空気も読まずに台無しにするほど、わたくしは馬鹿ではありませんよ」
「そそそそうだよな」
皆のパーティーを台無しにする馬鹿……。
その後、その馬鹿が現れ、婚約破棄をした。大ひんしゅくを買っていた。俺はあんな目で見られていたのか。
滝に打たれたい。
「彼女はもう終わりだ、みたいな言い方していますけれど、終わりなのはどう考えても彼のほうですよね。廃嫡間違いなしでしょうに」
「そ、そうだな」
哀れみの籠ったリーゼの目から、俺はそっと目を逸らした。
その婚約破棄の主役たちが退場した後、なんともいえない空気がホールを包んでいる。俺はたった今その馬鹿がいた場所にリーゼを連れて出て、声を張り上げた。
「リーゼ!」
嫌でも元々注目されている第一王子の俺だ。その声で会場は静まり返り、視線が一気に集まるのを感じた。空気を読まない馬鹿がまた出てきたのか、そう思われただろう。実際その通りだ。
立ち位置は一度目の人生と逆、リーゼが上座で俺は下座。
婚約破棄の話をしていたからだろうか、リーゼの表情が強張ったのがわかった。
「リーゼ、聞いてほしい。俺は、本当にどうしようもない馬鹿なんだ。君がいつか嫌いだと言っていた、そんなひどい男なんだ。自分一人じゃ何もできないのに、それに気がつかないばかりか人の気持ちも考えられなくて、君をたくさん傷つけた」
一度目の人生、君はどんな顔をしていただろう。どれだけ傷ついて、どれだけみじめな思いをしただろう。
君の人生を台無しにしておいて、俺はそれが当然だと思っていたんだ。
今更どんなことを言ったって、かつてのリーゼを救うことなどできない。許されないことだなんて分かっている。
「努力はしているつもりだけど、仕事も皆に支えてもらってばっかりだ。王族として頼りないし、一人の男としてもできた人間じゃない。だけど、俺は君と一緒に国を良くしたい」
鉱山の仲間たちの顔が浮かぶ。彼らは今日も山に潜って、危険と隣り合わせになりながら一生懸命働いている。そんな彼らが笑顔になれるような国を作りたい。孤児たちでも好きなだけ学べて、やりたい仕事につけるような、そんな国にしたい。
リーゼと一緒に。
「これからも、俺は間違ったことをするだろうし、君に嫌だと思われることもあるかもしれない。だけど、俺にできる限り、君を幸せにするって約束する。絶対に幸せにする。だから……」
リーゼの前に一歩進んで跪く。
「俺と結婚してください」
一度目の馬鹿な俺は、たくさんの間違いを犯した。取り返しのつかない過ちも犯した。それを鉱山と二度目の人生で思い知った。
幸いなことに、やり直す機会をもう一度だけもらえた。
だから俺は全力で国をよくできるように努力する。
おこがましいことは百も承知だ。一度目の君をあれだけ傷つけておいて、今更何を言っているんだと言われたらその通りだ。だけど、同じ間違いは絶対に犯さないから、だから。
俺に君を幸せにするチャンスを、もう一度だけもらえないか?
しばらく、リーゼも、観客たちも、誰も言葉を発しなかった。ただ自分の鼓動だけが煩く響いている。
駄目だったか。
顔を上げてリーゼを見ると、彼女はどうしてか泣きそうな顔をしていた。そして何度か小さく頷いて「はい」と言った。
俺は立ち上がってリーゼを抱きしめた。
割れんばかりの拍手が会場に鳴り響く。
「ありがとう、リーゼ」
そっと囁いた声は、きっとリーゼ以外には届いていない。
「空気の読めない馬鹿ですまない」
そう呟くと、リーゼは腕の中で肩を震わせて笑った。
「では、わたくしも一緒に馬鹿になります」
リーゼは俺の胸を押すとグッと伸びあがり、そして俺たちの唇は重なった。
遠くでさらに大音量の歓声と拍手が鳴り響いていた。
〇〇〇
第一王子クラウスは学園卒業後すぐに立太子され、その半年後、皆に祝福されて当初からの婚約者であった宰相の娘リーゼと婚姻を結んだ。
幸せそうな二人の姿から、これ以降、卒業パーティーは婚約破棄の場からプロポーズの場へと変化していった。
婚姻の一年後にクラウスは父王を早々に退位させ、王位を引き継いだ。これより王となったクラウスと宰相によって、制度の改革が急速に進んでいくことになる。
クラウスの父母である元王と元王妃、希望した元王の妾たちは離宮に移り、予算をきっちりと分けられて生活することになった。今までお金を意識することなく自由に過ごしていた彼らにとっては不便な生活になったために不満が出たが、クラウスはすべて突っぱねた。
クラウスとリーゼの夫婦仲は良好で、すぐに子にも恵まれた。二人連続で女の子が生まれたことで跡継ぎを心配した側近から妾を持つように勧められたが、クラウスが頷くことはなかった。そればかりか、娘に王位を継承させるための法案が考えられたことにより、女性の社会進出が格段に進むことになった。
なお、三人目に男児が誕生したため、女王の誕生は一度見送られることになった。
クラウスが即位して十年が経つ頃には庶民の暮らしはかなり改善し、王族に対して恨みを抱く民は徐々に減っていった。
王は時間ができれば街や村へ自ら出向いて民の暮らしぶりを視察した。特に鉱山には興味があったようで、鉱山を訪れては労働者たちを労い、それにとどまらず、反対する側近を押しのけて自ら危険の伴う鉱山の中にまで入った。工具を手にした王は、なぜか熟練労働者と遜色がないほど工具の扱いが上手く、また危険な箇所を見つけては注意を促して労働者たちを驚かせたという。
壮年になってからもクラウスとリーゼは仲良く執務机を並べて仕事をこなした。二人は執務中にも仲良く話す事が多く、リーゼのなんてことはない言葉にクラウスが「うっ」と胸を押さえる姿が何度も目撃されている。クラウスはいつもリーゼを気遣い、リーゼはそんな夫を支え続けた。
常に威厳のある王の姿を見せていたクラウスだが、時折「あああぁぁぁ」と奇声を発して頭を掻きむしることがあり、側近たちを心配させた。そんな時もリーゼはクスッと笑って「昔からの病気なのです」と彼を見守っていた。
名君と讃えられて皆が望んで彼の前で頭を下げたが、そんな彼はなぜか細身で小柄な王妃にだけは頭が上がらなかった。王妃は時に王を上手く操っていたことから、彼女こそが最高権力者であるという噂も流れた。
王位を息子に渡してから、クラウスとリーゼは二人で視察の名目でいろいろな地を訪れ、庶民に混じってゆっくりと過ごした。そんな二人はとても穏やかな顔をしていたという。
クラウスは生涯に渡って妾を持つことはなく、リーゼだけを愛した。リーゼもまた愛人を持つことはなく、そんな夫に優しい瞳を向けていた。
老年になり寝たきりになったリーゼを、クラウスは最期まで支え続けた。残された時間がわずかになった頃、クラウスはリーゼの手を握り、ずっと側から離れなかった。
「リーゼ、俺は君を幸せにできただろうか?」
「えぇ、とても幸せでしたよ」
「そうか……。ありがとう、ありがとうリーゼ。愛している」
リーゼが天に上ってからわずか一月、クラウスも最愛の妻の元へ駆けていった。
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