第一章 第一幕
第一章
第一幕
「神は生きているか?」
「神はいつ如何なる時も、我らの希望と栄光と共に!」
ガチャッ!
低く、そして穏やかさを内包した呼応と共に、古き扉は内側から開いた。
サムシュトラス半島の南端に位置する、ポーラ王国の首都リンゲル。海に面し、潮風が絶えず吹き付けるこの港町の中央に悠然かつ絢爛に居を構えるのが、国の政治の中核を成す「ベルダール教会」の大聖堂である。
教会の名は、サムシュトラスに古来から伝わる伝説に登場し、今も多くの人々に信仰される「太陽神ベルダール」に由来するものである。この教会の指導者とも言える存在「聖主」は、最高権力者である国王の補佐役として、大臣と同等どころかそれ以上の扱いを受ける。
と言うのも、内閣から議会を始め、裁判所、そして軍隊に至るまで、国家の主幹と言える機関は全て、教会の管理下に置かれているからである。即ち、神の名を礎とする国家ポーラにおいて、神官、僧侶、宗教家などの聖職に就く者は、現世に降り立った神の使いとして敬われ、崇められる程の尊き存在となっているのである。
そんな国の在り方を体現するかの様に、大聖堂は街の中心に高くそびえ立っている。そしてその隣には、北側の丘から続く広葉樹林と緑の蔦に囲まれた、古い趣を強く匂わせる白壁の城がある。その南側には数々の商店と広場、そして官公庁街の建造物が同居し、それぞれが寄り添う様に立ち並んでいる。そこからは、城下街としての風格が、ひしひしとうかがえる。
その一角の中、背の低い木の茂みに紛れる様にひっそりと建つ、一軒の小さな建物があった。
表看板には「ベルダール教会 聖堂」と堂々たる飾り文字で書かれているが、傾斜のきつい屋根は色も剥げ落ち、ステンドグラスも一つは割れたまま放置されている有様である。遠巻きに見ればもうかれこれ数年間、誰一人として足を踏み入れていないのではと感じるのが自然な程であった。
しかし、そんな寂れた空間にも、好んで居を構える奇特な男がいた。
男の名はバール・サガシアス。「ベルダール教会」の若き神官長であり、非常に腕の立つ薬師でもある。
「お久しぶりですね。ポード治安維持大臣」
「ああ、こちらこそ。サガシアス神官長」
リンゲル流儀の挨拶を交わした後、中年の男はその部屋の主である痩せ形の青年と、互いにその姓と肩書きを呼び合った。
「神は生きているか?」というのは、リンゲルに於ける独特の挨拶言葉である。
ベルダール教会の信者は皆、幸福や栄光、慈愛は太陽神ベルダールから人へともたらされる物であると信じている。よって、自らや相手に幸福が等しく訪れるのを祈るため、互いに神の加護を受けている事を言葉で確認しあうのである。とは言え、現在では「お元気ですか」程度の意味合いを持つに過ぎず、もはや形式的な挨拶となり果てている。
「フフッ……やめて下さいよ、神官長だなんて。バールで十分ですよ、アシュレイさん」
数秒の沈黙の後、たまらず吹き出しながら痩せ形の青年、バールがはにかむ様に口を開いた。
決して小柄ではないが腕の肉付きも薄く、一見すればひょろりとした体格。明るい栗色のミドルヘアーで、前髪を短く切り揃えてある。髪は無造作に流してあるが、癖毛のせいか総じて外巻きになっていた。上向きのキリッとした眉と、静けさを湛えたダークブラウンの瞳を持ち、雄々しくも均整のとれた顔立ちである。赤い羽根飾りがいくつも付いた薄緑色の法衣が、更にその落ち着きを引き立てていた。
「ハッハッ……わざわざ姓で呼び合うなんて、似つかわしくなかったかのう、バール君」
大きく口を開いて照れ笑いをしながら、中年の男、アシュレイは柔らかい声で返した。
彼の名はアシュレイ・ポード。ポーラ王国の治安維持大臣として、国が擁する騎士団「四星軍」の頂点に立つ男である。若き日には騎兵隊の将軍も務めた経験を持ち、その小柄な体格と華麗な剣さばきから「南方のドワーフ・ジェネラル」の異名をとった程である。それゆえ、四星軍の部下達だけでなく、民衆や僧侶達に至るまで彼の名声を知る者は多い。
そして彼は各界の要人との付き合いも多く、バールの父である司教、ドリトル・サガシアスとも親交が深かった。実際、まだ幼子だった頃からバールは、彼と幾度も顔を合わせている程である。
「旧聖堂の地下室……か。なるほど、良い場所を研究室に選んだのう」
のんびりした口調でそう呟きながら、アシュレイは部屋の突き当たりをまじまじと見つめた。
部屋の一番奥にあるテーブルの上には石英ガラスのビーカーがいくつも並び、その中には青紫や緑色の液体が入っている。
一見殺風景にも見えるこの場所、実はバールが心おきなく薬の研究を行うために住処に定めた部屋なのである。司教の子に生まれながら十七にして親元を離れたバールが、一人この部屋に住まうようになってから既に三年弱。今では町医者から調合の依頼を受ける事も多く、助手も三人にまで増えて研究室は若々しい活力に満ち溢れている。
「そう言えばついこの間、ドリトルさんと顔を合わせてな。『我が子が逞しくなって手元から離れていくのも、嬉しい様で何だか淋しいものだな』なんて、苦笑いしながらつぶやいていたのう」
「えっ? 父さんがそんなこと言ってたんですか? いつも不愛想な人なのに」
「ハッハッ……見かけによらず照れ屋なんだよ。あの人はな」
怪訝そうに問い返すバールに、アシュレイは微笑を浮かべながら答えた。
「ええ。それより、どうぞこちらへお掛け下さい。お話はそれからでも……」
バールの言葉と共にアシュレイが、それに続いて、彼と連れ立ってやって来た赤髪の騎士がその隣へと歩み寄り、テーブルの前に並べられた椅子へと順に腰掛けた。それを見て軽く一礼すると、バールはアシュレイの向かい側の席へゆっくりと腰を下ろした。
「ちょっと、すまないけどさ……」
「はいっ」
ほんの一秒も落ち着く間もなくバールは、すぐ側でコップを洗っていた少女に声をかけた。少女は緩やかな彼の声を聞くや否や、すぐさま笑顔で一礼した。
「皆さん、ルミナ・ティーでよろしいですか?」
バールに声をかけられたその少女は、屈託のない笑みを皆に向けながら三人に問いかけてきた。愛嬌あふれるその笑みに、アシュレイと連れの剣士は少し口元を緩ませながら、揃って首を縦に振った。
「ところで……アシュレイさん。一体こちらの方は?」
続いてバールは、左斜め前に座る剣士の顔をじっと見つめた。
第一にバールが気になったのは、彼の鮮明な赤髪だった。宗教国家であり戒律が重んじられるポーラでは、男が髪を染めること自体が極めて稀なことである。その上、大方を抜いてしまったかのような細い眉、それに耳や手などは沢山の銀のアクセサリーで飾られている。じろじろと頭や顔を見つめるバールに堪りかねてか、剣士は何度もバールから顔を背けた。
「そうそう、紹介が遅れておったのう。こやつの名はクエイダル・ラモー。『シルバー・カーリッジ師団』と言う名、聞いた事があるかのう?」
「ええ、もちろん。『銀の鱗を纏いし竜をその手に操りて、果てなき森の大地へと降り立つ至高の騎士達』。押しも押されぬ四星軍の花形じゃないですか」
とある詩人の言葉を借りながらも、生き生きとした口振りでバールはアシュレイに言葉を返した。
『シルバー・カーリッジ』とは、鋼にも勝る硬度を誇る銀の鱗と、大きな四枚の羽根を併せ持つ翼竜の事である。延べ十時間以上も大空を飛び続ける事ができる飛行能力と、人の言葉を理解する程の高い知能を併せ持つため、調教されたものは乗用竜として非常に珍重されている。そのシルバー・カーリッジを用いた騎兵隊が、四星軍内でもスペシャリスト集団と呼ばれる『シルバー・カーリッジ師団』なのである。騎兵隊をも凌ぐ圧倒的な機動力を誇るため、戦では常に前線で活躍しており、一般兵達の憧れの的でもある。
「ご存知なら話は早いのう。まあ、単刀直入意に言えば、その師団長を務めるのがこの男……という訳だ。ホレッ、早く挨拶しないかっ」
「は、はいっ……どうも、クエイダル・ラモーと申します。我々シルバー・カーリッジ師団は、先人がその血と共に築き上げた歴史と栄光、そしてこれからの道を闊歩する若人達の未来のため……」
パンッ!
「ハッハッ、何を硬くなってる? いつも通り話せばいいものを。のう? クエイダル」
言葉を止め、クエイダルは顔をしかめた。ろれつの回らない口調で一方的に続ける彼の背中を、アシュレイが気合い付けの意味を込めて平手で叩いたのである。
「ううっ……痛いじゃないですか! 大臣」
「景気づけだよ、景気づけ」
肩をさすりながら不服そうにつぶやくクエイダルには目を合わせようともせず、素知らぬ顔でアシュレイは笑った。
「まっ、とにかく……俺は師団長のクエイダル・ラモー。よろしくっ、バールさん」
「あなたの名声はよく存じてますよ『闘将ラモー』殿。剣術の腕にかけては、もはや国内で右に出る者はいないそうですね」
「ハハッ、そんな照れ臭い名前で呼ばないで下さい。クエイダルで十分ですよ」
緊張の糸がプツリと切れた様にすらすらと喋りだしたクエイダルに、バールは心で苦笑いしながらも畏まった口調で会話を続けた。
「どうぞ、お茶です」
「ああ、ありがとう」
男三人がたわいもない話を繰り広げる中、やがて小さな鈴を転がす様な透き通った声が流れると共に、場の雰囲気は一瞬にして和んだ。
つい先程バールに茶を入れるよう頼まれた少女の声である。彼女は手際よく白いカップに注がれた薄赤色の茶を二人の客人、そしてバールの前へと静かに並べた。
「なんなら君も隣に座りなよ」
「は、はい」
唐突なバールの呼びかけに少女は少々困惑しながらも、至って素直にバールの隣、ちょうどクエイダルの向かい側の椅子に腰を下ろした。
「のう、バール君。このお嬢さんは?」
眉間に皺を寄せながら、アシュレイは右斜め前にちょこんと座る少女に目線を合わせた。
年の頃は十五歳程に見えるだろうか。丸く小さな顔つきで、ぱっちりとした目の典型的な童顔。髪型はブロンドのショートボブで、短く切った前髪の下に映えるマリンブルーの瞳。バールが着ている物と同じ形をした純白の法衣を身につけているが、神官長である事を示す赤い羽根飾りがないのが彼との大きな違いである。そして胸元には、細い銀のネックレスがささやかな光を放っていた。
「ええ、僕がここに入った頃からの助手で、エミーナって言うんです」
「エミーナ……はて、どこかでお顔を拝見した様な気もするがのう」
照れ臭そうに座る少女、エミーナの顔をじっと見つめながら、アシュレイは首を傾げた。
「初めまして。エミーナ・カイラルディです」
「カイラルディ……そうかそうか、かの海運王、カイラルディ氏のご令嬢だったか」
エミーナの言葉に、持ち前の物腰の柔らかい口調でアシュレイは納得する様に頷いた。
商港リンゲルにその拠点を構え、海運業を要に一代にして財を成した豪商、レオポルド・カイラルディ。百隻もの運搬船を抱えてサムシュトラスの海運を牛耳っており、『海運王』の異名はサムシュトラスを越えた国外にまで通じる程である。もちろん、リンゲルの政界、財界でその名を知らぬ者はいるはずもない。
「しかし、かの海運王のご令嬢が何故、薬師の助手を?」
「小さい頃から、北の森で薬草を摘むのが好きだったんです。燦々と輝く日の光をその葉に受けて私達に分け与えてくれる様な、そんな気がして……だからどうしても、薬草と接する仕事がしたかったんです」
クエイダルの問いに口元を軽く緩ませ、ゆったりとした口調でエミーナは答えた。
貴族や豪商の娘となると、年頃になれば挙って花嫁修業に精を出し、親は親で結婚相手を選ぶのに難儀をするものである。しかし、レオポルドは娘の結婚に対して非常に寛容である事でも有名だった。
エミーナの上には、レナとマリアという二人の姉がいる。長女レナは幼なじみだった船長の息子を婿に迎え、既に長男も生まれている。次女マリアは五年に及ぶ大恋愛の末、リンゲルでも名高い貴族、ラスティー家の三男ザロと婚約。しかしいずれの縁談も、レオポルド自身が大きく口を挟む事はなかった。
『カイラルディ家の存亡も、全て娘の選択次第だよ』
というのが彼の口癖だった。もともと彼自身、一介の船乗り時代に親の反対を押し切って妻と結ばれた身。親の意志一つで望みもしない相手との結婚を強いる事を避けたかったのである。
「エミーナは本当に薬草に対する知識が深いんですよ。僕も調合の時には何度も助けられるくらいで……」
「ハッハッ、この仕事こそ、まさに彼女の天職なのかも知れんのう。それより……」
話の輪にエミーナを加え、ようやく話題にも華やかさが増してきたところである。しかし、
「どうしたんですか?」
徐に話を切り替えようとした矢先、突然黙り込んでしまったアシュレイにバールは恐る恐る声をかけた。
先程から顔をほころばせたまま話し続けていたアシュレイは、先程までとは別人の様に眉間に皺を寄せて机の上に目線を落とていた。自然とアシュレイを見るバールの目つきも、彼と同様に厳しいものへと切り替わっていた。
「そろそろ本題に入らせてもらおうかのう?」
心なしか低めの声でようやく話し始めたアシュレイの瞳は、先程とは比べものにならない程に鋭く変貌していた。それを横目で見るクエイダルも、口を真一文字に結んだまま全く微動だにしない。鉛を纏った様な重い空気が辺りを次第に包み始めた。
「すまぬがバール君、少しばかりご相談したい事があってな」
「一体……何があったんですか?」
「唐突で申し訳ないけれど……俺達の同胞、第三十五騎兵隊がサムシュトラス北部の森で一人残らず叩きつぶされちまったんですよ」
幾分声を弱めるバールの問いに、口惜しそうに拳をグッと握り締めながらクエイダルは絞り出す様に声を上げた。
「俺はその時ちょうど、北の国境線近くにある名も無い村に停泊していたんだ。国境線から命辛々逃げてきた一人の陸兵が、微かにこう言ったのを覚えてる。『グロウの……悪魔が……』それがそいつの最期の言葉だった」
「グロウって、まさかグロウ教団が?」
間髪入れず、バールは狼狽の声を上げた。
グロウ教団とはサムシュトラス半島の北方、雪と山のみが存在する最果ての地にひっそりと住む、密教信者によって作られた団体の事である。唯一神であるグロウを最高神とする教えから、ベルダール教会とは数百年来も諍いが絶える事はなかった。
「グロウ教団は二十年前の戦で解体したとされているが……今もその残党は北方の山脈で細々と生き残っているという噂は、いつか耳にした事があるのう。たった二十年でグロウが組織力を取り戻しているとは考えにくいが……仮にだ。仮に我が軍の騎兵隊がグロウの手によって壊滅させられたとしたなら……」
「『サムシュトラス聖戦』……再びか」
首を横に振りながら、ぼやき口調でバールは言った。
時を遡る事四百年前、緑に満ちた静かな半島を揺るがす『サムシュトラス聖戦』が勃発した事は、古文書や老人の昔話を通じて多くの人の知るところとなっている。
南方のベルダール教会と、北方のグロウ教団の間に生じた激しい対立。四年に渡る戦の末に辛くも勝利したのは、屈強な騎士を何十名も擁していたベルダール教会だった。勝利したベルダール教会はサムシュトラス半島全土の統治を宣言し、宗教国家『ポーラ』を建国。対してグロウの民は住処を追われ、北の最果てへと移り住む事となった。
そしてポーラでは、戦に貢献した騎士達は英雄として最高の栄誉と称賛を与えられ、リンゲルで毎年夏頃に行われる記念祭では、神に仕えし英雄として奉られる程である。
「当時の記述によれば、兵力では両者ともほぼ互角も、魔術力では圧倒的にグロウ側が勝っていたと伝えられているのう。我らが『英雄』の登場まではな」
「陽光の騎士『カーリス・エルド・フォニー』ですね」
バールの一声に、アシュレイ、クエイダル、そしてエミーナもこくりと相槌を打った。
『カーリス・エルド・フォニー』
ポーラに生まれる者として耳にしない事は到底あり得ず、四百年に渡るポーラの歴史の中に一際強く輝く綺羅星と言っても差し支えない程、広く名の知れた英雄である。
サムシュトラスを南北に分ける境界の町カルシュ。リンゲルの北に広がるビータの森の北端に位置している。今や老人達の住まう鄙びた田舎町と化しているが、ちょうど四百十六年前、サムシュトラスの覇権を巡って最後の戦いが繰り広げられたことはあまりにも有名な史実である。現に、ベルダールの騎士カーリスが自らの命と引き替えに、グロウの暗黒剣士デューンを討った伝説は今でも、ポーラ国民の誇りを示す象徴として語り継がれている。
「問題はこれからだよ。魔術力に勝るグロウの兵団を、なぜ英雄カーリス率いる騎士団が打ち破る事ができたのか……それを知りたくて今、方々に伺いを立てているところだ。グロウの兵団がこれ以上勢いづく前に芽を摘まねば、後々厄介な事になるかも知れんからのう」
「英雄カーリス……英雄として崇められてはいますけど、歴史上では本当に謎めいた人ですよね」
ため息をつきながら頭を抱えるアシュレイに、エミーナはもの静かな口調でそう言った。
英雄カーリスについて記述が残されている文献は今や数少なく、その容姿すらも時代の闇に覆い隠されている。どうにか現代にまではっきりと残っている事実は、飛び抜けた剣の使い手だった事と、左の首筋をかき斬られて絶命した事、その二つだけである。
「実際、我が国の魔術力も聖戦の時代から全く伸びてはおらんしのう。強大な魔術力を秘めるグロウ教団に立ち向かっていくためには、それなりの策が必要なのだろうが……」
「直接カーリスに聞いてみるか……なんて、そんなわけにもいかねえしなぁ」
乱れた後ろ髪を頻りに整えながら、クエイダルは冗談混じりに言い放った。
「フフッ、そうですね。今、カーリスさんがこの場にいれば話は別でしょうけど……? どうしたんですか? バールさん」
軽い笑みを浮かべたままバールの横顔を見つめたエミーナが、不意にひっくり返った声を上げた。
バールはじっとクエイダルの顔を直視し、ずっと口を開けたままで座っているのである。何か顔に付いているのではと、クエイダルは今度は頻りに頬を擦った。
「そうだ……その通りですよ、クエイダルさん。それにエミーナ」
強い確信を含んだ満面の笑顔を見せ、バールはクエイダルとエミーナの顔を順に見回した。何が何だか分からずにバールのその様を見る三人をよそに、バールは自分自身を納得させる様に大きく頷いた。
「一週間待って下さい、アシュレイさん。その問題、僕が必ず解き明かしてみせますよ」
「サザン・ディクサルを一束と、カムズを二束……うん、これでいいよ。ありがとう、エミーナ」
旧聖堂に隣接する林でエミーナが篭一杯に摘んできた薬草を広げながら、バールは彼女に笑顔で返した。
彼が今座っているのは、既に使われなくなった聖堂の正面にある大理石の祭壇の前。彼はエミーナから受け取った薬草を手に取り、祭壇の上へと丁寧に並べた。
「ドールの聖水も確保できたし、あとは……ビータの鉱石はどうなってる、サラ?」
「もうすぐエディーが運んでくるはずですけど」
バールの問いに、栗色の髪を後ろに結わえた少女、サラは聖堂の入口辺りに目線を向けながら淡々とした口調で答えた。そして、ちょうどその時……
ギイイッ
「うううっ……いくらなんでも重いっすよ、これ」
「いちいち弱音吐かないの。男でしょ?」
篭を背負ったままフラフラと歩きながら、黒髪の男、エディーが入口から入ってきた。姿を見せるなり弱音を吐くエディーに、サラは冷ややかな口調で苦言を浴びせる。
「はいっ、バールさん。例の鉱石っすよ」
「ああ、ご苦労さん……重かったろう?」
労をねぎらうバールの声を聞くと共に、背の篭を無造作にドスンと下ろすと、エディーは冷たい床の上にへたりこんだ。
篭の中には、人の頭以上の大きさがある黒い石の塊が無造作に放り込まれている。傍目から見ても相当の重量があると見ていいはずである。
「しっかしこれ、一体何に使うんすか?」
「鉱石は『ブルーソリッド』を抽出するため。薬草と聖水は後で必要なんだ」
『ブルーソリッド』とは、ベルダールの神官が挙って身につけるスカイブルーの石の事である。本人の魔力や精神力を増幅させる効果があり、バールもそれを左腕のブレスレットに填め込み、まるで身体の一部であるかの様に肌身離さず身につけている。
「そして、あとはこれを……」
そう言いながらバールは、懐に収めていた黒い木箱を取り出し、優しい手つきでそっと蓋を開いた。
「これは……骨?」
「そう、聖堂の祭壇に奉られてた『英雄カーリスの喉の骨』だよ。その証拠に、骨に剣で削られた傷が残ってる」
隣から箱の中を覗き込みながら細い声で呟くエミーナの声に、バールは芯の通った声で答えた。
小さな箱の中に収まっていたのは、日に焼けて黄色くなっている白布と、それに包まれている一片の骨。ちょうど掌の上に乗る程の大きさで、向かって右側の端には刃で切り込んだ様な傷がはっきりと付いている。そう、カーリスの致命傷となったと言われる傷の場所と一致するのである。
バールはその骨片をそっと手に取ると、眼前にある祭壇の中央に置いた。
「で、バールさん。これから一体何をするんすか?」
息を吐き、床にぺたりと座り込んだまま、エディーは怪訝そうにバールに問いかけた。その声にバールはふと手を止め、エディー、サラ、エミーナの顔を順に見て回った。
「復活祭だよ……我らが陽光の騎士のな」
口元を緩めた、至って穏やかな表情でバールは言い放った。しかし、彼の目に滲む凍てつく様な緊張感を、三人の助手達は見逃さなかった。
「あと一つだけお願いがあるんだ。これから三日間、この旧聖堂の中へは絶対に誰も立ち入らせないでくれないか?」
「え? 何故ですか?」
「いいから……頼む」
サラの問い掛けを遮ったまま、バールは三人に背を向け、再び薬草を手に取った。その様を見つめながら、三人はただ首を傾げるばかりだった。
「……で、私達も外に追いやられたまま、ずっと外で見張りをしてるんですよ」
「ほう、そうなのかい」
鬱蒼とした草木に包まれた旧聖堂の周辺。普段から人通りも少ない場所に建っているせいか、人の声どころか物音すらもほとんど聞こえては来ない。
そんな静けさに満ちた戸口の前で、エミーナとサラ、そしてバールを訪問しにやって来たアシュレイが言葉を交わしていた。
「あれからもう三日経つのに、中からはなんの変化もないんです。私も正直心配になってきて……」
マリンブルーの瞳を地面に向け、うなだれたままでぽつりとエミーナはこぼした。
「なあに、どうせ書物でも読みあさって時間を忘れているんだろう。のう? サラさんとやら」
「ええ、バールさんの事です。案ずる必要はないと思いますよ」
と、軽やかな口調でサラがアシュレイに返した、その瞬間だった。
パァン!
「なに? 今の音?」
火薬が破裂する様な凄まじい爆発音が閑静な街並みを、そして広葉樹の林を瞬く間に駆け抜けていった。エミーナとサラは飛び上がる様に立ち上がり、肩を震わせながら頻りに辺りを見回した。
「聖堂の中が……光ったようだったがのう」
ただ一人、旧聖堂の方を向いて立っていたアシュレイが、その一部始終を目に収めていた。
アシュレイが立っている場所からちょうど向かい側にあるステンドグラスの窓。そこから目映いばかりの閃光が一気に溢れ出したのである。光はそれだけで止まることなく、二度、三度とアシュレイの目に飛び込んだ。
「よし、私が様子を見てこよう」
呆然と事の成り行きを見送るエミーナとサラをよそにアシュレイは張りつめた表情で、焦茶色にくすんだ扉に手を掛けた。
「冥府の大河に降り立ちし白銀の鳥よ……緑の此岸に立つ我が願い、その雄大なる翼に受け入れ給え……」
ギイイッ……
「どうした、バール君?」
「入らないで! 冥府へ引きずり込まれますよ!」
切迫した表情で呼びかけるアシュレイを、バールは張り裂けんばかりの声で制した。
バールは祭壇の前に立ち、身の丈程もある金色の錫杖を掲げながら祈りを捧げていた。その目前には、鉱石から抽出された拳大のブルーソリッド、その周りには薬草を煎じて粉末状にした白いパウダーを散らせてあり、そして中央には刃の傷が付いた喉の骨が安置されている。
バールは無心の表情で錫杖を二度、三度と振りかざした。その度に青紫色の稲妻がほとばしり、細い彼の横顔を照らす。まるでバールの身の回りを異界から切り取られた空間が支配している様な、そんな印象をアシュレイは受けた。
「はあっ!」
金の輪が揺れる錫杖を大きく振り下ろし、バールが奇声にも近い声を上げた、その瞬間だった。
ズダァァン!
強く煌めく白色光。それに間を置かずして、ほんの目と鼻の先で雷鳴が弾けた様な、激しい衝撃音が聖堂内を駆け抜けていった。
アシュレイは咄嗟に目を閉じ、左腕で後ろに立ち尽くすエミーナとサラを制し、右腕で自らの頭を覆った。足下から伝わる地鳴りの様な振動、そして天井から舞い落ちる砂埃、アシュレイはそれを肌で直に感じた。
「はぁ……はぁ……」
聖堂の突き当たりに位置する祭壇の前。砂埃が頭へと降りかかるのに気も留めず、肩を大きく上下させながらバールは正面を向いていた。その疲弊した視線は、宙を泳ぐ事なく真っ直ぐ前を見つめている。
まずアシュレイが、続いてエミーナとサラが、錫杖を掴んだまま佇んでいるバールの元へ駆け寄った。
「大丈夫なのか? のう、バール君」
「それより、これを……」
駆けつけるなりアシュレイは、すぐ真横からバールの表情をうかがった。しかし、そのブラウンの瞳は祭壇上を捉えたまま微動だにしない。それにつられる様にアシュレイは、すぐさま祭壇へと視線を移した。
「なっ?」
目をこれ以上ない程大きく開き、アシュレイは裏返った驚嘆の声を上げた。
白い布が敷かれた祭壇の上に横たわっていたのは他でもない、眠りに誘われたまま横たわる一人の少女の姿だった。
髪の色は深海を思わせるディープブルー。癖が入っていて非常に長く、特に後ろ髪は腰の辺りまで伸びている。そして、面長でキリッとした顔立ちに、丸みを帯びながらもしなやかな肢体。一糸纏わぬ姿であるため、白く艶やかな肌が露わになっている。
「僕もまだ十分な確信を持ってる訳じゃないけど……でも恐らく間違いない。彼女が『カーリス・エルド・フォニー』」
「なんと? この娘さんが陽光の騎士だと?」
「この人が……英雄カーリスなの?」
呟く様なバールの言葉に、アシュレイとエミーナがほぼ同時に声を上げた。
「英雄カーリスが男だったなんて、どこの文献にも書いちゃいない。もし女だったとしても、何も不思議はないさ」
そう言いながらバールは横たわる青髪の少女を真っ新な白布で包み、そっと抱き上げた。
「ともかく、奥の部屋まで運ぼうか」
青い髪の少女、カーリスが目を開いたのはそれから数時間の後、もう日も傾き始めた頃であった。
バールは自室のベッドにカーリスを横たわらせ、ただ静かに彼女が目を開くのを待った。
ベルダールの神官が身につける白い衣を纏い、窓から入り込むバーミリオンの光を顔に受けながらカーリスは平穏な眠りについていた。そしてその隣には、椅子に腰掛けながらじっと彼女の寝顔を見守るエミーナの姿があった。
すぐさま部屋に運び込まれたカーリスの身体を拭き、法衣を着せたのはエミーナである。エミーナはカーリスの身辺世話係として、バールと共に部屋に残っていた。
「すごく気持ちよさそうに寝てますね、カーリスさん」
「悠久の平和に満ちた眠り……か。これが戦乱を勝ち抜いてきた英雄の素顔なのかな」
互いに顔を見合わせながら、バールとエミーナが言葉を交わしたその時、
「う……うん」
何度も身を捩らせながら、眠りに落ちていたカーリスが透き通った声を上げたのである。一人机に向かっていたバールは、慌ててベッドの側へと駆け寄った。
青い髪の少女、カーリスが目を開いたのは、それから数秒後の事であった。
突き刺す様なバールの視線を受けながら、彼女はゆっくりと目を開いた。
やや上につり上がった、鋭い切れ長の目。瞳の色は澄んだバーミリオン。つい先程目に焼き付いた、胸が焼け付く様な夕陽の色とそれが、バールの心の中で重なった。
「……ジョルジュ」
それが彼女、カーリスにとっての第一声だった。
カーリスは口元を大きく緩め、微笑みながらバールに向かってそう言った。その声は優しく、そして深い慈愛に満ちている。甘く溶ける様なその声と視線に、訳も分からずバールは一瞬たじろいだ。
「あっ、あなたが……英雄カーリスなんですか?」
動揺を隠せない不安定な声で、バールは怪訝そうにカーリスに問いかけた。その途端、カーリスの顔は瞬時にしてはち切れんばかりの緊張の色に染まった。
「……あんた、誰だよ!」
そう叫びながらカーリスは、バールの顔をジロジロと見つめながら大きく身を起こした。その拍子に、彼女の長い後ろ髪が跳ね上がり、彼女自身の腕にバサリと被さった。
「…………!」
自らの腕に目をやったカーリスの瞳の動きが止まったのを、バールは間近ではっきりと見ていた。
「ウソだろ?」
カーリスは自らの髪を手に取り、驚愕の声を上げた。そして、そのまま彼女は呆然とした表情で立ち上がると、力の抜けきった亡霊の様にふらりと歩き、ベッドの向かい側に立て掛けてある鏡の前へと歩み寄った。その様をバールとエミーナは何もできないまま見送った。
「冗談……だろ? これ」
カーリスはゆらりと鏡の前に立ち、自分の姿をまじまじと見つめた。
鏡は何を偽るわけでもなく、全ての真実を映し出していた。バランスの取れた肉付きの肢体。長くしなやかな脚線。そして、ディープブルーの髪とバーミリオンの瞳。
力を失っていたカーリスの顔が、ありったけの憎しみを滲ませた。
「ウソだぁっ!」
ガシャアアン!
「落ち着くんだ、カーリスさん!」
銀色の破片が床へと散る中、バールは咄嗟にカーリスの側へと飛び込んでいった。
怒りに身をまかせたカーリスが、鋭い一蹴りで鏡を蹴り破ってしまったのである。荒れ狂うカーリスをどうにか制しようとするバールに、彼女はその憎悪の瞳を彼へと向けた。
ガスッ! ガスッ!
バールの頬を襲った二発の衝撃に、彼の頭は一瞬、蒼白の光に包まれた。
怒りの対象を変えたカーリスは、今度はバールの頬を拳で殴り付けたのである。
「なんで……なんで、アタシを……」
ろれつの回っていない口調で続けながら、彼女は手を休める事なく拳を見舞った。
「やめてください! やめてって……うっ!」
目の色を変えてバールに襲いかかるカーリスの腕に縋り付き、エミーナは必死の形相でカーリスを止めようとした。しかし、凄まじい力を持つその腕に振り解かれ、足がもつれたままベッドの横へと倒れ込んだ。
「離れてろ、エミーナ!」
口から血を滴らせたまま、バールは一旦カーリスから離れ、大きく間合いをとった。そして、部屋の隅に立て掛けてあった樫の杖を手に取り、その先をカーリスの腹部に向けた。
「ふっ!」
トンッ!
その先が軽くカーリスのみぞおちに触れた……と同時に、彼女の身体は緊張感をなくし、バールの腕の中へと崩れた。
咄嗟にバールが放った法術が樫の杖を伝わって衝撃となり、カーリスの気を失わせるに至ったのである。あれほどまでに荒れ狂っていたカーリスも、今や安らかな顔で腕の中に倒れている。バールは肩を落とし、大きくため息をついた。
「我らが陽光の騎士……か。はぁ……」




