70・シェイプシフターの弟 3
「リブは元気だった?」
僕は、リブの領地を訪れ帰って来たカートさんに訊ねた。
「はい、とてもお元気そうでした」
ただ領主代理としての仕事が忙しそうだったと少し心配そうに微笑む。
「そうなんだ」と返しながら、僕は心の中でギリッと唇を噛んだ。
僕だって行きたかった。
いつだってカートさんや他の人たちが北の領地に行くのを見送りながら、羨ましくて仕方がない。
「ねえ、僕は良い子にしてるよね?」
たまに執事長に愚痴を零す。
「さようでございますな」
笑顔を返されるだけだと分かっているけどさ。
そう、分かってるよ。
僕は次期公爵で、何かあっちゃいけない人間なんだってことは。
お祖父様は僕の父親である一人息子を亡くしている。
だから、たった一人の孫の僕を大切にしてくれていて、将来ちゃんと公爵として国のお役に立てるように教育しているんだって。
だけど、だけどさ。
じゃあ、リブはどうなの?、って思っちゃうんだ。
「リブはどうして公爵になれないの?」
魔物だって知らなければ普通に人間として生活出来るんでしょ?。
「大旦那様は本家をアーリー様に、イーブリス様に分家としてのお役目を期待されているのです」
僕は公爵になるための貴族教育を、お祖父様や執事長から受けている。
リブには、スミスさんっていう騎士団長の孫が執事兼護衛として付いている。
この家に来た時、ただの執事じゃないってことは気付いてた。
リブは最初から分家当主になるためにスミスさんを付けられていたことになる。
この大きな王都の本邸で、たくさんの人に囲まれて暮らす僕と違って、リブはここで暮らすことはもうないんだな。
時々、思う。
あの南の島で、ずっと二人っきりで生きていたら、今頃はどうしていただろう。
魔法を使って魔獣狩りしたり、無法者たちをやっつけたりしてたかな。
「あの土地にいれば、きっとリブは体調不良になんてならなかったのに」
魔物であるリブに必要なのは魔力と瘴気、そして生き物の生気だと聞いた。
この王都の本邸では魔力阻害の結界があるし、リブは居心地の悪い思いをしていたんだろう。
「僕がいたから」
リブは僕の護衛。
僕を幸せにするために、お腹いっぱいご飯が食べられて安全で楽しく過ごせるように、島を出たんだ。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
国王陛下に呼び出されて王城に向かう馬車の中。
僕は未成年だからお祖父様が同行していた。
呼び出したのは国王陛下だけど、僕を指名してるってことは、たぶん王子がらみだと思う。
僕はずっと王子からのお茶会の招待には、何かと理由をつけて断ってるから。
「リブは今、幸せなのかな」
あれからずっと考えてる。
魔物の幸せって何なのか、僕には分からないけれど。
「手紙か何かで訊いてみれば良いのではないか」
僕が零した呟きに、思いがけず、お祖父様から答えが返ってきた。
「え、あ、そうか」
その手があった。
「まあ、返事は聞かずとも予想はつくがの」
僕は驚いてお祖父様の顔を見る。
「『アーリーの幸せが自分の幸せだ』と言うだろうな」
僕は鍵を掛けたリブの日記帳を思い出して俯く。
「僕がどんな大人になったらリブは喜んでくれるかな」
幸せなんて言葉は曖昧で、その中身はすぐに変わってしまう。
「そうだな。 随分と前になるが」
お祖父様の話では、リブは王子殿下と初めて会った頃から体術を習い始めた。
「その時、アーリーには剣術を習わせてくれと言ってきたのだ」
「え、僕に?」
「ああ、いずれアーリーは王子の側近となるのだから、見劣りしないようにきちんと身体を鍛えさせろとな」
確かに王子殿下は同年代で比べると身体が大きい。
「幸いにして、我が家には優秀な騎士が揃っておる」
そういえば、いつの間にか騎士のお兄ちゃんたちと遊ぶことが増えていた。
あれはリブに頼まれていたのか。
そうして僕は、従者のエイダンと一緒に訓練場に入り浸り、見様見真似で身体を動かし始めた。
今ではきちんとした訓練を受けている。
「僕は騎士になるの?」
「なりたければな」
馬車が城に到着して、僕はお祖父様と一緒に案内の侍従と王宮内に入った。
見覚えのある庭にテーブルが設置されている。
「よく来てくれた、アーリー殿」
綺麗な緑の目と、僕たちとよく似た濃い金色の髪をした王子。
実年齢より上に見えるほど体格が良い。
「お招き、ありがとうございます、ダヴィーズ殿下」
僕と殿下が挨拶を交わしている間に、お祖父様は誰かに声を掛けられ、どこかへ行ってしまった。
僕はこの王子殿下が嫌いだ。
リブが王都を出た元凶がコイツだと思っている。
僕は黙って椅子に座り、出されたお茶を飲む。
「アーリー、今日はいい天気だね」
顔を上げて殿下の顔を見る。
敬称なしで呼ぶのは王族だからなのか。
「そうですね、殿下。 本日は何の御用でしょうか、殿下」
リブは『ダヴィーズ殿下は決して馬鹿ではないよ』と言っていた。
僕の言わんとすることが分かったのだろう、ゴホンと咳をする王子殿下。
「その、お互いに敬称なしにしないか。 私のことは『デヴィ』と呼んでくれて構わない」
「いえ、それは恐れ多いのでお断りします」
殿下は眉を寄せてお茶を口に運んだ。
ダヴィーズ王子とは六歳の誕生会からの付き合いだけど、七歳の時にリブが『王宮出入り禁止』になってからは、僕もほとんど城に出入りしていない。
先日、王宮にある聖獣の森で僕の姿を見たと問い合わせがあった。
公爵家からは聖獣に関することは極秘だから話せないと返事をしたそうだが、お祖父様からは『あれはイーブリスだ』とこっそり教えられた。
魔物であるリブはフェンリル様とは今でも交流があるみたいだ。
どうして皆、僕の知らないところでリブに会ってるの?。
お祖父様もいつの間にか、ロージーの子供の狼魔獣を飼ってるし。
僕は、いつもいつもいつも、何も教えてもらえない幼い子供のままだ。
「その、今日は頼みがあってだな」
殿下は言いにくそうに目を逸らした。
「実はリブ、イーブリス殿の領地を視察する話があるのだが」
それは公爵家の事業関係なので知っていた。
「陛下の名代で私が行くことになっている」
コイツも行くのか。 勝手にしろ。
僕はブスッとした顔になる。
「そ、それで、どうだろうか。
その時は友人として一緒に来てもらえないかと」
「へ?」
僕は一瞬、何を言われたのか分からなかった。
リブが王都を出る日、殿下が突然やって来て「行くな」と泣いていたのを覚えている。
公爵家の皆が驚いて、別れの涙が引っ込んでしまったくらいだ。
ああ、この人もリブのことが大好きなんだった。
僕は今更ながら親近感が湧く。
「殿下が僕を連れてってくれるんですか?」
「私の側近として来てくれれば助かる」
リブに嫌われていると思っている殿下は、弟である僕が居れば何とかなると思ったみたいだ。
僕は立ち上がり、殿下の椅子に近付く。
「ありがとうございます!、是非、ご一緒させてください」
片膝を折り、殿下の前に跪いて礼を取る。
公爵家の騎士たちが僕に教えてくれた感謝の礼だ。
「あ、ああ、よろしく頼む」
嬉しい。 やったー!。
そうと決まればやらなきゃいけないことがある。
「では、それまでにもっと鍛えておきますね!」
さあ、訓練だ。
お祖父様を探して帰らなきゃ。
「デヴィ様、ありがとうございました」
僕は別れの挨拶をする。
「あ、ああ、またな」
殿下は小さく手を振っていた。
帰りの馬車の中で、お祖父様は機嫌の良い僕に首を傾げる。
「アーリー、何かあったのかね?」
ふふっ、まだお祖父様には内緒。
でも王宮からの依頼なら、お祖父様も断れないはずだ。
「リブと同じように王子殿下に愛称呼びを許されました」
と、笑顔で答える。
僕とデヴィ殿下はリブ大好き仲間なのだ。
そうだ。 もっと仲間を増やしたら、また行く機会が増えるかも知れない。
リブ好き仲間を増やそう。
ただ黙って待ってるんじゃなくて、僕もリブのために動かなきゃいけないんだ。
そうしよう、と決めた。
お付き合い、ありがとうございました。
次回から本章に戻ります。