#073 もう一つの
洞穴を出るとフリルの女性がまた先頭に立って次の場所へと案内した。同じように森の中を黙って歩いていたが、突如停止し、困惑したような声を上げた。
「どうしたのだ」
「いえ、ここにあったはずの死体がないものですから」
そう言って傍に生えている一本の木の根元の方を見ていた。
木はこの森の中にある最も一般的なもので、直立した太い幹と縦に筋が入ったような模様が特徴的だ。随分と高いところからでない限り、枝分かれはしておらず、葉も茂っていない。
フリルの女性が見つめる根元は他の木と変わらない様子で、むき出しの土といくつかの小枝が散らばっているばかりだった。特に何かが置かれていたような形跡もない。
「じゃあ、見てみるか」
男がそう言いながら、片足で地面を叩いた。湿った音が鳴ると、根元の空間が動き出した。そこだけ小枝が浮き上がったり、急に濡れ始めたりしている。
わけもわからず見つめていると、あるタイミングで急にその空間へ人が現れた。違和感のある動きで地面にゆっくりと倒れこむ姿を見て、初めてその空間が巻き戻しの映像のようになっていることを理解した。
女性が起き上がる直前で空間が停止し、はっきりとその顔が見える。すっきりとした顔立ちで赤い目とウェーブのかかった白髪のコントラストが目を引く。どこかで見た色合いだと思って記憶をさかのぼると、それがパヴィトゥラのものと一致していることに気が付いた。尤もパヴィトゥラよりも気難しく、神経質そうな性格に見え、近づきがたい雰囲気があるように思えた。
「これか?」と男が聞くと、フリルの女性は「はい」とだけ答えた。彼女は明らかに顔に不快感を浮かべている。それを庇うように男は「仕方ないさ」と言って、停止している女性の方を見た。
「あまりやりたくはないが」と呟くと女性に手を伸ばし、その腕を掴んだ。グイっとこちらに引き寄せると、女性は転げるように飛び出してきた。そのままの勢いで地面に崩れる。声を上げて、先に膝がついた方の脚を抱えていた。うめき声をあげ、立ち上がることもできずに震えている。
男は倒れている女性の頭の前でしゃがむと、髪を掴んで顔を無理やりに上げさせた。またも声にならない声を上げ、目を細めて必死に何かを見ようとしている様子だった。
女性の顔はひどくやつれていた。血色がなく、白いというより、紫に近かった。唇はあれ、掴まれた傍から幾本かの髪が抜けた。手や首などの肌が露出している部分には痣のような斑紋が滲んでいる。とても健康で丈夫な身体には見えない。
しかし、そんなことなどお構いなしといったふうで、男はじっくりと女性を見ている。時折、顔や首に触れたりしながら、何かを調べている様子だった。そして一分も経たないうちにまた元の放り出された状態にすると立ち上がって言った。
「間違いないな」
「やはり、そうか」
彗と二人で頷き合い、男は来た道を戻り始める。フリルの女性もなんの疑いもなくついていこうとしている。
「ちょっと、待ってよ! この人は?」
私は引き留めるつもりで声を上げた。しかし、誰も立ち止まることも振り返ることもしてくれなかった。ただ、男だけが「構わない。放っておいていい」とだけ言った。