第七幕~青年は天使を失った7
その薄暗い裏路地を抜けた先。
居住区へと繋がるその先までが、とても遠くにルイスは感じた。
目一杯駆けている気がするのに、どうしてもその光に届かない感覚。
そんな感覚にルイスは苛立ちと焦りを募らせ、表情を歪ませる。
それでも、彼はその光に一刻も早く辿り着きたかった。
「エスタ…ミラ―スちゃん……!」
考えたくはない最悪の結末。
頼むから無事でいてくれ。
―――だが、ルイスの願いは虚しくも散る結果が、そこにはあった。
「は、はははっ…やっと…大人しくなったか…」
「やった、やった…天使を倒したぞ…!」
辿り着いた先―――光の向こうにあった景色は、絶望の一言だった。
裏路地を抜けたルイスの前方には、大量の兵たちが待ち構えていた。
だがその兵たちはイグバーンの部下ではない。
この灰の町に駐屯していた軍の兵たちだった。
「な、んで……」
見知っていたはずの男性兵が、顔馴染みになった中年兵が。
銃器を手に持ち、まるで戦に勝ったというような誇らしげに雄叫びを挙げていた。
「まさかパン屋の店主が天使とつるんでたとはな…」
「大方天使に魅せられてあんな事件を起こしたんだろう…」
「どうしよう…私、あのパン食べちゃった…何入ってたかわかりゃしないのに……」
気付けば取り囲んでいた駐屯兵たちの背後には一般民の姿もあった。
贔屓の客も、よく見かけた女性たちも、老人も。
有りもしないでたらめを言い合い、怒り、罵り、恐怖している。
恐らく、これがイグバーンの『奥の手』―――忠告の意味だった。
彼は一般民を巻き込み、嘘を言いふらし、天使に慄く人間感情を利用したのだ。
集まる人々が取り囲む輪の中心―――ルイスの目の前には、力無く横たわる青年と少女の姿があった。
「―――エスタ…ミラ―スちゃん……」
それは間違いなく、エスタとミラ―スであった。
「エスタ…エスタ…!!」
慌てて二人の傍へと駆け寄り、崩れ落ちるようにルイスはエスタを抱える。
地べたは鮮血により染まり、彼らの身体も紅く濡れていた。
「しっかりしろ…!」
エスタは辛うじて呼吸をしていた。
だが、彼の生々しい傷の数と容赦のなさにルイスは体中が震え、血の気が引いた。
徐々に冷たくなっていく体温に、自分が撃たれたとき以上の衝撃と痛みを覚えた。
「ルイ、ス……」
「エスタ! 聞こえるかエスタ…!」
と、聞こえてきたエスタの声に、ルイスは急いで耳を欹てる。
つい先ほどまでとは全く違う、途切れ途切れの声。
周囲の煩い声にかき消されそうになりながらも、エスタは懸命に言葉を残そうとする。
「ミラース…は…?」
「大丈夫だ、直ぐ近くに居る…俺がなんとかするから…」
それは咄嗟についた嘘だった。
ミラ―スはエスタの傍に寄り添い倒れていた。
純白だった翼は銃で打ち抜かれ、見るも無残な状態となっており、彼女自体息をしていないようだった。
そんな現状を伝えられず、ルイスは嘘をついたのだ。
「そっか、よか、った…ありがと……ルイス…」
エスタは口元を緩ませ、力無く微笑む。
まるで親友を安心させたいと願うような、優しい笑顔。
彼の呼吸は異常に、静かだった。
揺すって平常に戻るならば、ルイスは何度でも力の限りそうしたかった。
だが、そんなことをしてもどうしようもないくらいにエスタは風前の灯火だということがわかった。
「なあ、天使ならこんな傷治せるんじゃないのかよッ……早く治せよ、一緒にパン屋をやるんだろ…?」
ルイスは自分と親友の意識を保つべく、彼の身体を揺すり、声を掛け続ける。
と、エスタは静かに頭を振った。
「ごめん…約束、守れそうにない、よ…」
その言葉に、より一層とやるせなさと歯がゆさに、悔やみ、悲しむルイス。
「くそ…何で、こんな……ようやく、俺たち本当の親友に…なれたのに……!」
嘆き、叫ぶルイスは涙を零し、昂る感情によって眩暈にも襲われた。
そんな彼を宥めるように、エスタは微笑みながらゆっくりと唇を動かす。
「僕の、ことで……泣いてくれ、て…ありがと、う…」
そう言ってエスタは静かに瞼を閉じる。
それはまるでこれから眠りに入ろうとしていかのようで。
最期の別れのようであった。
「ありがとう……ともだちに、なってくれ…て……やくそく、まもれた、かな……」
青白く、弱々しいエスタの顔に、大粒の涙が零れ落ちる。
「当たり前だろ…だから、目を開けてくれ…エスタッ…!!」
―――しかし。
ルイスは、エスタから生気が抜けていくのを感じた。感じてしまった。
彼は人目も憚らず声を荒げ、親友の身体を強く、何度も揺する。
しかし伝わってくる鼓動が、体温が、自分だけのものだと気付いたとき。
ルイスは声が枯れようとも構わないほど大きな声で、今までにない程叫んだ。
それがただの悪あがきで、八つ当たりでしかないと解っていても。
彼は昂る感情を、無情な現実を、愚かな自分を、何かにぶつけることしか出来なかった。




