第五幕~青年は事実を知る5
「―――で、話を本筋に戻すとだな。軍は『天使』を人工的に作っちまったって噂だぜ」
男は手にしていたペンをクルクルと指先で回し始めた。
まるで斬新な劇を聴いているようで、エスタはすっかり男に釘付けとなっていた。
ルイスの制止も、最早聞く耳を持たないだろう。
自然とルイスの表情が曇っていく。
男の語る渋い低い声が、異様に耳の更に奥で残り続ける。
その都度ルイスは反吐が出そうで、耳を塞ぎたいとさえ思った。
「軍は例の灰を人間に投与して『天使』を作った。そうして生み出された『天使』は養製天使と呼ばれたらしい」
養製天使たちは伝記で語られる『天使』と何も変わらない。
羽根を、蹄を、嘴を生やし始めたという。
そして、中には人間では決して扱えない奇術を使えるようになったというのだ。
「まあ―――これはあくまで噂だが、養製天使の中には外見が変わらなかった奴もいたとか、いないとか…」
「人間と同じ外見の天使も居たって……?」
「エスタ!」
エスタの喰い付き様に耐え切れず、ルイスが思わず声を張り上げる。
だがそれでエスタも男も動じることはなく。
眉一つさえ動かしはしない。
「……外見は人間と全く変わんねえのに『天使』と同等の力を持つなんて―――恐ろしい話だよな」
人の中に紛れてしまえば、見分けがつかないからな。
と、男は笑いながら語る。
しかしエスタの顔に笑みはなかった。
それどころか、より一層と顔色は青白くなっていく。
隣にいたルイスも、それは同じであった。
「更に噂によるとだな……『天使』になった人間は過去の記憶を失ってしまって―――」
その直後。
カウンターを叩く大きな音が店内に響いた。
叩いた当人は鬼のような形相を浮かべ、男を睨んでいた。
「帰ってください! 貴方は喋り過ぎだ!!」
「おやおや~。ただの四方山話にそこまでキレんのかよ。それとも……アンタは俺に実力行使出来るほどお偉い軍人さん、ってことなのか…?」
悪びれる素振りもなく、不敵に笑みを返す男。
彼の言葉にルイスは眉を顰めたまま閉口してしまう。
と、それ以上何も語ることなく。
ルイスは突然踵を返し、奥の部屋へと消えていった。
怒りを露わにし、退室してしまったルイス。
その扉が閉まる轟音は、先ほど彼がカウンターを叩いた音と匹敵した。
ルイスの言動にエスタはようやく正気に戻ったかのように、目を見開く。
そして汗を一つ、頬から落とす。
「………す、すみません。お客さんなのに…」
「良いさ良いさ。天使の話を好き好んでする奴は普通いないからな。特に、今この町で暴れてるっていう『天使』で頭を悩ます軍人さんにとっては…な?」
と、男はウインクを見せてから踵を返す。
店の玄関に立つ男へ、思わずエスタは呼び止めた。
「あ、あの…最後に一つだけ……貴方は今この町で起きてる『天使の再誕』事件は軍のせいだって思ってるんですか?」
「ああ。間違いなく軍が作った養製天使の暴走だろうな。ここまで被害者が出たことはなかったが、ある日突然昏睡状態に陥った人という事例はいくつか聞いたことがある」
男は未だ口角を吊り上げたままで、エスタへ言う。
「―――ま、俺なんかより旦那の隣にいた軍人さんの方が真相知ってそうだがな」
エスタは男の言葉にぎこちなく笑う。
何とかどうにか、口端を上げてみせたといった笑い方だった。
ルイスの様子の変化から、エスタも薄々感じてはいたからだ。
「で、でも…きっと重要機密だと思うんで…聞けませんよ」
言葉を選びながらエスタはそう言う。
すると男は片手で顎下を触りつつ、口を開く。
「だったらこうしよう。旦那のために明日までに取っておきの情報を仕入れとくぜ」
「え…どうして…?」
ただのパン屋なのに。
そんな疑問を尋ねるよりも早く、男はパンが詰め込まれている風呂敷を持ち上げた。
「俺は美味い店には尽くしたくなる主義なんでな」
そう言って男は豪快にドアを開けた。
開かれる扉の向こうからは生ぬるい風が入り込んでくる。
砂ともガスとも取れる何とも言えない物質が混じった、濁った風。
しかし、今のエスタにとってはそんな風でも充分ありがたかった。
額から滴り落ちる汗が、一瞬にして冷えていくのを感じた。
「僕は…なんてことを―――」
それは、無意識に出た言葉だった。
顔面蒼白としたままのエスタは閉店の準備も忘れ、しばらくその場に呆然と立ち続けていた。




