女性を攫う鬼
「おはようございます。いらっしゃいませ。」
「おはようございます。今日場所使ってもいい?来月お話会なのよ。これから頻繁に来るかも。」
「どうぞ、いつも通り約束さえ守っていただければ何時間でもご滞在ください。」
「ありがとう。じゃあ皆呼んでくるね。」
そういってしょう君ママは荷物を置いて出て行く。財布も携帯も持って行かない辺り、とんでもなく信用されているようだ。幼稚園まで他のママ友を迎えに行くのを見ながら椅子に座る。子供がいると大変だろうな、子供が幼稚園に行っても自分の時間がなくて、オシャレも趣味も十分にはできない。子供の為に色んなものを犠牲にして、生活する。でも私もそうなりたかった。明夫と結婚して子供を産んで、大変だとか時間がないって言いながら子供の成長を見続けたかった。その未来はあの時目の前で消えて、今は十分に自分の時間がある生活を送っている。
「コーヒーでも入れよう。」
コーヒー豆を挽き始めると心を無にできる。コーヒーも私の趣味だった。明夫はいつも喜んで嬉しそうに飲んでいた。また明夫、明夫はもう新しい生活を始めているというのに。休みの時は布でお店で出すのは紙でいれる。
「うわーいい匂い、私ホットにしよう。」
しょう君ママが帰ってきた。他に4人いるようだ。手慣れた様子で机を引っ付けている。桃太郎の紙芝居を作るらしい。
「私もホット。」
「私も。」
「私はアイス。」
「私、紅茶のホットにする。」
「はい、ホットコーヒーが3つにアイスコーヒーが1つホットティーが1つですね。少々お待ちください。」
そしてママさんたちは作業をし始めた。とりあえず準備しておいたホットコーヒー3つを先に出してアイスコーヒーも出した。一緒に出すミルクも温いのと冷たいのを出す。紅茶は一応レモンを添えて出す。
「あーそうだ、松岡先生、結婚まだなんだって。」
「えー。じゃあ幼稚園の先生の中で結婚してないの松岡先生だけ?」
「そうね、木下先生も去年結婚したし。」
「松岡先生自分は結婚してないからって、他の先生の仕事手伝ったり、タンポポ組のクラスの掲示たまにやってくれるらしいわ。」
「そうなの?他の組は掲示私達がやるものね。」
「松岡先生って背が高くて格好いいし、子供にも優しいし旦那は捨てて乗り換えようかしら。」
「そんなこと言って。この前、ピクニックに行った時パパとママが手をつないでたってさくちゃんが言ってたわよ。」
「まあ恥ずかしいあの子ったら。けどそうそう!隣村の公園に連れて行ったんだけど遊具もちょうど良かったわ。そんなに危ないのがなかったし。」
「へーまた連れて行こうかな?」
「ええあそこなら女の子でも大丈夫よ。えみちゃん運動神経いいし。」
だめだめ話が面白くてつい手もとが疎かになってしまう。自分の仕事をしないと。オーブンを温めておいたのでクッキーを焼き始める。少し時間が経つと、バターのいい香りが店に立ちこめクッキーの注文が入る。ありがたく包ませていただく。途中しょう君ママが作ってきたサンドイッチを皆で食べ始めた。うちのカフェは1人1つ頼んでくれさえすれば持ち込みも可能だ。あっという間にお子様を迎えに行く時間になって今日はお開きになった。
「長い時間ごめんね!持ち込みオッケーも助かってるありがとう!」
「いえ、ご来店ありがとうございます。またぜひお越しください。」
「大丈夫!明日もくるから!」
「はい。お待ちしております。」
皆バタバタと立ち上がり手早く片付け、そのままお子様を迎えに行ってしまった。そしてまた1人になってしまう。時計はまだ2時になったばかりで、1日が長く感じる。からんとドアが開く音がして振り返る。忘れ物かなと声をかける。
「忘れ物ですか?」
とそこに立っていたのは琥珀だった。
「いや、ここには初めてきたからね。約束のハーブティーのハーブを持ってきたんだ。」
「いらっしゃいませ。ありがとう。」
白い紙袋に入ったハーブを受け取る。
「僕が育てている金柑を切って干したものと、なんだかスッとする葉を干したものと少しだけ紅茶の葉を混ぜたんだ。それにはちみつをいれて飲みなさい。きっと落ち着くから。僕はそれが1番好きなんだ。」
なんだかスッとする葉って何?本当に面白い。
「もうすぐパウンドケーキが焼けるんで食べて行きません?」
「パウンドケーキ?すまない新しいものには疎くて。菓子だねいただこう。」
今日のパウンドケーキはしっとりめのチョコのケーキだけど。パウンドケーキってそんなに新しいものかしら?まあ田舎だしそんなものなのかもしれない。
一緒にこのハーブティーもいれてみよう。お湯を沸かしているとケーキが焼き上がった。明日売る為に1度試しに焼いてみたのだ。
「さあどうぞ。チョコのパウンドケーキです。」
二切れお皿にもり琥珀の前に差し出す。
「わあいい匂いだね。いただきます。」
琥珀はフォークで一口サイズに切ってから口に運んだ。一口目は少し味わっていたようだが、二口目からパクパクと食べ始め、あっという間に二切れが無くなってしまった。私はその食べっぷりに見惚れてハーブティーを淹れる手が止まってしまった。琥珀は甘い物が好きなようだ。
私は微笑ましい気持ちで琥珀を見ながらハーブティーを淹れ始めた。熱湯ではなくほんの少しだけ冷ましてから茶葉にお湯を注ぐ。ほのかに柑橘の香りがしてその後ミントのようなスッとした香りが…ミントだ。スッとする葉っぱ。なんとなくそうかなって思っていたけど、やっぱりそうだった。これにはちみつを入れて飲む。一口飲むと柑橘とミントの香りが鼻を通りはちみつのほのかな甘みを感じる。ほうっと息を吐き出し目を瞑る。確かに落ち着くお茶だ。
「落ち着くだろう?ハーブティーは色々作ったが結局いつもこれを選んでしまうんだ。」
「とても落ち着く。ありがとう。ハーブティーは他にもあるの?」
「ああ、また持ってくるよ。」
「ええ、楽しみに待ってる。」
「僕はこの菓子がとても気に入ったよ。雪乃は料理が上手なんだね。」
「ありがとう。ねえ私もハーブを摘みに行きたい。森を案内してくれない?」
「駄目だよ。森には白髪の鬼が出るからね。女性を攫うんだよ。だから君も森には入らないほうがいい。」
少し強い口調で話す琥珀は、さっきまでまっすぐ私を見て話をしていたのに、今は目をそらしながらただ、だめだと繰り返している。
「鬼?」
「ああ、恐ろしい鬼だよ。だから君は駄目だ。僕がハーブを持ってきてあげるから我慢しなさい。」
琥珀は眉間にしわを寄せ目を細めて遠くを眺めている。なんとなくこれ以上鬼について聞かないほうがいい気がして、
「分かった。」
とだけ琥珀に伝える。
「偉いねいい子だ。」
琥珀は少し微笑んでまた遠くを眺めている。鬼だなんて信じていないけど、琥珀の表情に何かが引っかかった。