”火車”ⅩⅣ 〇
休みが明けた放課後、紡は保健室の前にいた。
和田リンダ先生に会うためだ。
紡の手の中には、前に渡された青い薬がある。
結局、これを飲むことはなかったから、返そうと思っているが、それ以上に気になることも山ほどあったからだ。
扉を軽く2回ノックし、
「――失礼します」
静かに扉を開けようとして、
「…いないのか」
鍵が閉まっていることに気づく。
人の気配も感じない。
「――あ、本当にいた。完凪君」
ふと、別の方向から声がしたので、そちらへと目をやる。
長い黒髪を後ろで束ねた、端正な容姿の女子生徒が微笑みながら立っていた。
「生徒会長?」
「和田先生に会いに来たんだよね?」
「はい。どこか行ってるんでしょうか?」
「1ヵ月ぐらい出張だって。それで、明日は代理の保険医さんが来てくれるの」
「くわしいですね」
「生徒会長ですから」
そういって、無邪気な微笑みでサムズアップ。
先生たちからも信頼されてるんだろうと思う。
「それと、和田先生から伝言あるんだけど」
「伝言?」
「そう。正確には、手紙ね」
はい、と胸ポケットから小さな封筒を取り出して、手渡してくれた。
「じゃあ、確かに渡したよ?」
「はい、ありがとうございます」
それじゃあね、と手を振って生徒会長は、去っていった。
残された僕は、手の中にある封筒を開いてみる。
中あったのは、文章量の少ないメモ。
きれいな文字だが、どこか独特で流れるような筆跡で一言だけ書かれていた。
『――ようこそ、完凪 紡。“こちら側”へ――』
霊辺の言葉が重なった。
“こちら側”という言葉を自然と受け入れている自分に、この時は違和感を覚えなかったのだが、後からその理由にも納得することになった。
●
学校からの帰りに、僕はあの公園に寄っていた。
入り口には、立ち入り禁止のテープが張られていたが、見張っている人もいないようなのでくぐって入る。
当然だが、人影はない。
風にかすかに揺られるブランコが、唯一動く影だ。
ここで、自分は“火車”と戦った。
抉れた地面。
弾けるように折れた太い木。
熱で一部が溶けた遊具。
自らを焼き尽くすまでに燃え上がった炎の痕跡。
あれは、確かにここであった出来事だと、改めて認識する。
頭痛も、もう感じない。
「このベンチ…」
次に目をやったのは、新谷さんと会った場所。
ここで、彼女と出会わなかったら、あそこまで行動しなかっただろうと思う。
行動しないままに、全てをまた忘れようとしたかもしれない。
「――完凪君」
「え?」
振り返ると、いつの間にか彼女がいた。
新谷さんだ。
猫みたいに気配を感じなかった。
彼女の手には、買い物帰りのビニール袋が下がっている。
「夕食の買い出しの途中で、見かけたので追いかけちゃいました」
「あー、ごめんね。後で買いに行くつもりだったんだけど…」
「いえいえ、雇われの身なので」
新谷さんは、僕の家のお手伝いということで居候することになった。
なんでも、退院の日に黒子さん達に声をかけられて、おばあちゃんと会ったそうだ。
家のことを手伝ってくれる代わりに、おばあちゃんが給金と学費を出してくれる。
マンションじゃないので猫のシェミイニャも住める。
事情が特殊だが、後々僕の高校に転校できることになったようだ。
おばあちゃんは、顔が広いのは知っているつもりだったが、ここまでとは。
破格すぎる待遇に、初めは新谷さんも不信感を持ったそうだが、僕の名前が出されたことで話を受けることにしたらしい。
とまあ、そんなことより、真っ先に気にすべきことがあった。
女の子と1つ屋根の下って、どうなのだろう。
間違いでもあったらどうするのかと思わないのか、とおばあちゃんに抗議したが、
”――構いませんよ。あなたにその覚悟があるのなら”
堂々と言われ、反射的に謝ることになった。
我ながら情けない。
「――ありがとう、完凪君」
不意にそう言われ、僕は目を丸くした。
「え? なに、が…?」
「お礼、言わないとって…思ってたから」
「…いや、僕は――」
「自分のためだった」
そうだ。
僕は、新谷さんを理由にした。
自分で動く勇気が持てなかったから。
新谷さんを救うふりをして、自分が納得したかっただけ。
「それでよかったんです」
微笑みながら彼女は言う。
「…え」
自虐的な僕を、肯定してくれる言葉だった。
彼女の言葉は続いた。
「――完凪君が行動してくれた結果、私は助かったんです。だから、ありがとうって気持ちを勝手に持ってもいいですよね」
彼女は微笑んでいた。
夕日に映えるその笑みは、僕にとって、とても綺麗に思えた。
もったいないくらい、うれしい言葉。
僕は、幼い日、逃げ出して、大切なものを失くした。
そして、また逃げようとした。
でも、
「――新谷さん」
「はい」
「よろしくお願いします」
そういって、僕は右手を差し出して頭を下げた。
僕は、きっと新谷さんに助けられたんだ。
踏み出す勇気をくれた彼女に、感謝したい。
新谷さんは、少しキョトンとしていたが、クスッと笑って、
「はい」
そっと僕の手を握り返してくれた。
あの時と同じ温かさで。
「よろしくお願いします」
”火車”編完結。
【魔装殻・ヘクセルアルゥマデュラ】
〈詳細〉
”鎧”の魔法使いによって制作された対魔生物の戦闘鎧。
魔生物の構成要素でである”魔素”を、戦闘を介して奪い取り、組み込まれた術式により”魔力”を抽出することで出力を上げる機構を内蔵している。
出力があがるにつれて、吸収と放出の回転力が上昇していくため、魔生物に対して絶対的な優位性を持つが、戦闘能力を重視しすぎたため、装着者への負荷を想定しておらず、出力が上昇しすぎるとそれを停止させることができない。
そのために造られたのが”ズァハーレーヴェン”というリミッターであり、その管理の元運用されていることで、本来のバランスのとれた性能を発揮する。




