”火車”Ⅸ
霊辺・東洋。
この人物からは、見た目とは裏腹にあまり悪意のようなものを感じない。
「……えっと、霊辺さん」
「あー、敬語ってやつかぁ? いらねぇよ」
「じゃあ、どう呼べば」
「呼びやすいように呼べ。ただし、俺様を指しているとわかるようにな」
「じゃあ、…霊辺」
「それがいい。わかりやすい」
キキキ、と奇怪な微笑を浮かべ、霊辺は両手を合わせた。
次にその手が開かれると、どこからか1冊の本が僕の膝の上に降りてきた。
その本は、勝手に開いて、めくられていき、とあるページで止まった。
「――紡。その本がなにかわかるか?」
そう言われても、この本の言語はまるで意味不明だ。
英語でもない。まあ、英語もよくわからないんだけど。
とにかく読めない。
「わかるわけないだろ」
「それはな、かつて存在した魔法使い達が記した“知識の歴史書”の1冊だ。魔法使いが存在した証であり、人の世にはただの1冊も残されず、ここに保管された遺物だよ」
「じゃあ、ここにある本は…」
「すべて“知識の歴史書”だ。そのすべてを俺様が保管し、管理している」
この空間は見渡す限り本で埋め尽くされていた。
闇の向こうまで続いている本棚のすべてが、魔法使い達の遺物なのだ。
「お前が欲する知識は、そこにある」
霊辺に示されるままに、紡は膝の上の本に目を落とした。
そこには、古めかしい絵が描かれていた。
炎に包まれた獣が白骨を貪っている様子を描いていた。
まるで、
「これって…僕が見たあの、怪物…?」
「そうだ。この国の言語で示すなら、“火車”だな」
「妖怪の…?」
「この国ではそう呼ばれてるみたいだが、呼び方は国や文化によっても違う。魔法使いの間で統一された名称は、――“魔生物”」
魔生物、と僕は、小さくつぶやき、本に視線を戻した。
「だいたい怪物って認識で合ってる。こいつの特性は、“死者の貪食”」
「死んだ人間を食うってこと?」
「ああ、そうだ。こいつが発生した地域では、土葬された死体が食われて消える。それを、当時の人間は、『死者が逃げ出した』と言って恐れたわけだ」
「なんで、死体を…」
「“火車”は死体を食らうことで、“魔素”を取り込む」
「“魔素”…?」
また新しい言葉が出た。
「“魔素”は言うなら、濁ったエネルギー。泥のついた栄養みたいなもんだ。この世にある意思もつ存在が蓄積した存在のエネルギーともいえるもの。そいつを取り込んで奴らは自らの存在を保つことができている。逆に、それがなくなった時は――」
「…いなくなる?」
「そうだ」
死者を喰らい、魔素と呼ばれるエネルギーを取り込む“火車”。
それが自分の出会った怪物の正体なのか、と紡は思い納得する。
でも…、
「霊辺」
「なんだ?」
「“火車”が生きている人間を襲うこともあるのか? その“魔素”っていうのを取り込むために」
紡が、最後に見た“火車”が喰らおうとしていたのは、新谷さんの家族。
つまり生きている人間だ。
それを死体にして喰おうと、襲うこともあるのか。
「もし、死人を食べたいなら、お墓とかに現れるものじゃないのか?」
あんな、凶暴な生物がそこら中にいたら、たとえ姿が見えなくてもパニックになる。
霊辺が笑うと、指で宙をなぞる。
また本が勝手にめくられた。
「お前は鋭いなぁ、紡。いいねぇ。その知りたがり感心する」
新たな絵がある。
そこには、大量の死者の片隅にいて、腕の骨をくわえる“火車”が描かれている。
だが、数が多い。
“火車”たちが死者の山を囲んでいる。
「…“火車”は本来、弱く脆い魔生物だ。死者から魔素を得られなければ、数時間で消えてしまうほどに」
また本がめくられる。
「“火車”“炎の獣”“ケルベロス”。――呼び名はいろいろあるが、どれも特性は同じだ。奴らは、ある意味、魔素を喰らって消費し、自然界に魔力を還元しては消えていく“掃除屋”の役割が大きい」
「じゃあ、あの“火車”は、おかしいんじゃないか…?」
掃除屋どころじゃない。
僕達を襲った“火車”はまるで、…“凶獣”だ。
「なにか、異常なことが起こってるのか…?」
霊辺は、笑みを崩さないが、目を閉じた。
「そう。今回の件は、何もかもが異常なんだよ。“火車”は死体を貪るが、生者を死者には変えない。本来、そういう思考をもつことはない」
なのに、それが起こっている。
「お前、“火車”に出会ったと言ったな? その時からあれは、あそこまで凶暴だったか?」
「よく覚えてないんだ…。俺が見たのは、もうあいつが僕の両親を……」
「なら、思い出してみるか?」
「え?」
気が付くと、僕は霊辺に頭部をわしづかみにされていた。
「な、にを…!?」
「怯えるな。今度は、記憶に潜る」
「記憶…?」
「お前の両親が死んだときのな」
「!?」
その言葉に、紡の意思が震えた。
「…やめるか? 完凪 紡」
「いや………やる…」
一瞬迷ったが、振りきる。
迷っていたら、何も知ることはできない。
鼓動が強く脈打つの必死に抑えつける。
冷や汗も出てきた。
僕にとっての喪失。
それと向き合わなければならない。
「いい覚悟だ。…いくぜ」
紡の意識は飛ぶ。
あの日へ。
●
夜の道を走る車の中。
そこには、両親がいた。
思い出す。
自分は、寝ていたのだ。
久しぶりに家族で出かけた帰りだったのだ。
話しかけたい衝動にかられた。
でも、
……声がでない。
……これは再現された記憶だ。お前の記憶にある空間をそのまま再現してる。だから触れることはできないのさ。
霊辺の声が聞こえてきた。
それでも、
……父さん…。
凛々しい父の顔がある。
かっこよくて、憧れだった。
……母さん…。
きれいで、優しかった。
帰ったら母さんがいつも迎えてくれた。
両親の声を聴く。
母は、帰ったら好きだったシチューを作ってくれようとしていた。
父は、次も休みを早めに作ろうと言ってくれていた。
……逃げて。頼むから。
変えられない過去とわかっていても、叫びたかった。
まもなく、ここに火車がくる。
そう思った。
だが、
……違う…。
衝撃が来た。
紡の意識が取り残される。
相手は正面から来た。
それは、――普通の車だ。
そう、道路を逆走してきた…ただの車。
すさまじい衝撃と共に、横転する。
ようやく自分に身動きが許された。
逆さの世界。
シートベルトをしていたから、奇跡的にかすり傷一つなく動くことができた。
……父さんと、母さんは…。
気を失っていた。
なんとか起こそうとするが、その前にこちらのぶつかって同じく横転した車に動きがあった。
車から男がはい出してきたのだ。
「――くそ…」
ライトに照らされたのは、小太りの男。
髪はぼさぼさで、髭も伸ばしっぱなし。
黒のジャケットを着て、目は血走っている。
「こんな夜中に、トロトロ走りやがって…!」
男は、紡の乗った車に悪態をつくように喚き散らした。
こちらを助ける様子など全くない。
それどころか、周囲を見回し何かに怯えているように見えた。
ひしゃげた自分の車からカバンを引っ張り出す。
敗れたそのかばんから数枚の紙が落ちる。
お金だ。
「――紡…」
声がした。
母だ。
「よかった…、紡…」
相当量の出血がある。
それでも、紡を不安にさせまいとほほ笑んでいた。
「生きていた、のね…」
紡は叫びたい衝動に駆られる。
一緒に行きたい。
だが、再現の世界でそれは届かない。
「紡、ベルトを外して、車から、出て、走って…、あれに、見つかってはだめ…」
その時、見た。
男の背後に、何かがいる。
次の瞬間、男の車にそれは喰らいついた。
「――ひぃ!? く、来るなぁ!」
トランクをかみ砕いた後、炎の獣は、重症の男に喰らいつく。
男が燃える牙にかみ砕かれた。
紡があの日見た"火車"だ。
男を飲み込んだ火車は、次にこちらを見た。
血のように赤い視線をこちらに向けている。
「行って、紡…」
いやだ。
「いき、なさい…ッ!」
母が力の限り振り絞った声に、気押され、炎の獣の恐怖もあり、自分の足がその場から離れようと動き始める。
…いやだ。だめだ。
男を喰った“火車”は、さらに肥大している。
巨大な足で、音もなく地を踏み、こちらに寄って来る。
「走りなさいッ!!」
……いやだあああああああッ!
母さんと父さんは、"火車"に喰われた。
燃え盛る炎の中にのまれて、この世から消えた。
記憶はそこで途絶える。
思い出した。
あの日の真実を。
心の中に押し込めていた、悪夢を。




