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1.若きボクサー、異世界へ

走るのは嫌いじゃねえ。

ボクサーの大半が体力づくりや体重調整のロードワークをやりたがらねえけど、オレの場合酸素不足で少しずつに何考えてんのか判んなくなる感覚は頭ん中がスッキリして悪くない。

コンクリに固められた道路と、ランニングシューズが触れるたび「タッ、タッ」と子気味の良い音が聞こえる。

額にたまった汗が流れるのを拭い、ただ足をひたすら動かし腕を振り子の様に振ると、体が前にどんどんと前に進んで行く。


「進むことも退くことも出来る『波』って名前をくれてやった割りには、高校に入ろうが進むことしか考えてねぇのな、お前は」と親父に言われたのはいつだったか。単に『水島』って苗字と合わせた語感の良さってだけじゃなかったのか、と少し感心したような気がしないでもない。


だとしても、こうして鍛えただけ答えてくれる肉体と言うのはいいモンだ。数学やら科学が俺の未来に何するものぞってもんよ。でも地理だけは別にあってもいいかな。得意だから。

あー、一日の大半がボクシング練習にならねぇかなぁ。聞くところによると、私立の野球強豪校なんかは午後の授業が全部野球の練習になるっていうし、ボクシングだって有りになんねぇもんかね。


そんなどうでもいいことを思いつつも、河川敷をオレンジに染める夕日がキレイだなぁと再び頭を空っぽにして走る。

だから、オレがそいつに気付いたのは大体10mか15mくらい先に居た時だ。


身長は恐らくオレと殆ど変わらねぇと思うから、170cmちょいって感じか?そいつが道の真ん中で右半身を俺に向けるように立っている。

しかもこの糞暑い真夏の夕方に、ホスト勤めが来そうな真っ黒のフード付きのトレンチコートを羽織ってやがる。…いや、よく見たらトレンチコートというよりも、頭からすっぽり被るファンタジーものの映画に出てきそうなローブのようなものだった。よっぽど肌を隠したいのか革手袋もはめてやがる。右手しか見ええねぇけど、恐らく左手側にも同じ革手袋をしてるんだろうな。


そんな恰好だと脱水やっちまうぞ、と思いながらもチラ見しながら黒ローブの前を通り過ぎようとした時だった。


(っ!?くっそ速!!)


いきなりその黒ローブの奴がオレの顔に目掛けて滅茶苦茶速い右裏拳をカマして来やがった。

反射的にダッキング(上体や膝を曲げて避ける)で避けようとするが、頬に少し掠った。頬に熱を感じ良く伸びたストレートを僅かに避けそこなった時の様だ。溜め無しノ―モーションでこの威力かよ。

息つく暇も無く、黒ローブから左ミドルが再び顔に向けて飛んでくる。これを左肩を使ったショルダーブロックで防ぐも、体が浮き上がるんじゃないかと思うほどの衝撃を受ける。

あまりの速さと威力にちょっとビビる。一回だけボクシング部に来た総合のプロみてえな蹴りだぞこれ!


不思議にもそれ以上追撃は無く何とか体勢を立て直すと、腕を構えステップバックで徐々に距離を取る。オレのいかにも「ボクシングしてますよ」と判るオーソドックススタイルの構えを見ても黒ローブは全く反応がない。フードで良く見えない顔が、此方に向いているくらいしか判らん。畜生、相手の視線が分からねぇっつーのは嫌なもんだな。


膝蹴りを受けた左肩は問題ねぇが、このまま喧嘩になっちまうのはまずい。

『傷害』で捕まるとなんだっけ?アマチュアでもかなり重かったような…いやいや、今はやめるように呼びかけよう。蹴られたことにはすっげぇ腹立つけど、此処はクールに場を収めんだ。


「黒い兄さんよ。何か気に障ったなら謝るからさ、今日はこのまま帰らせてもらえねーかな」

「……」


何もしゃべらねぇな。黒ローブは構えもなにも無くただ立っている様に見える。今ならどこに打ち込むことが出来そうだけど、そういうのに対応する格闘技ってなんかあったっけ。合気とかか?

いやでもさっきの裏拳や膝蹴りは打撃系格闘技のそれなんだが…ああもう、面倒くせぇわ。

しょうがねえから逃げるために少しずつ後ろに下がろうとした時、突然黒ローブの男が動いた。


直立した状態から前のめりになると、一瞬にしてこちらの懐に潜り込む。低い構えから放たれたアッパーが、オレの顎を狙ってくるがそれをスウェーで躱す…が、それを読んでたのか、振り上げた腕から打ち下ろしの肘打ちが飛んでくる。

オレは逆にステップインと同時、クリンチ(密着し相手の体の一部を掴む)に持ち込み振り上げた腕に自分の腕をねじ込み打ち下ろしを阻止した。

密着した状態の中、どうやって逃げ出そうか考えていると黒ローブの男から突然話しかけられた。


「お前がもし逃げたならば、川辺にいる女を殴り殺す」


その言葉に一瞬だけ川辺を見ると、中学生くらいの制服の女の子がいた。川辺で絵を描いている様に見える。あの華奢さなら、さっきの裏拳一発で病院行きだ。

畜生が。何処まで本気なんだこいつ。いやまて、犯罪者ならば殴っても許されるんじゃねーの?

いやマジで。だって警察とかに駆けこむこととかも出来ない訳だろ?女の子助けるって心の大義名分も有る。

つーか、こんだけ散々やられておいて、一発も入れられないというのは正直ムカつく。

OKOK、脳内会議では満場一致で『ボコる』だ。やってやるぜ!


…と息巻いて突撃するが、力量差は歴然だった。

技術面ではあえて挙げるところは無いんだが、一撃一撃の重さがダンチだ。

身長差はねぇし、体重差もそんな無ぇだろうに何なんだコイツ。

そこからさらに激しくなる黒ローブの攻めに、オレは受けに回ることしかできない。

良く分からねぇ構えから放たれる一発一発はどれも速く重い。

気ぃ抜くと一発で体のパーツが壊されちまう。

嵐の様に降り注ぐ拳が徐々に俺の体力と集中力を削っていく。


だが、この黒ローブの決定的な隙をさっき見つけた。ダメージ覚悟で一発入れに行く。

今まで躱すか受け流すようにブロックするかのどちらかだったが、左わき腹を狙ったミドルキックをあえて避けない。

勿論、そのままわき腹に蹴りが突き刺さり、内臓全部が揺らいでいるんじゃねえかと思うほどの衝撃が体を駆け巡る。アドレナリンの分泌で痛みが分かりづらくなると言っても限度がある。


奥歯を割らんばかりに力を込めて体を前に進めると、そのまま左のボディーアッパーを放つ。

黒ローブは蹴りでバランスがやや崩れ、中途半端に右腕でブロックする。パンチの衝撃と体勢が崩れたことで、腰を折ったような形になり頭の位置が下がった。ここだ!


オレは打ち終えた左を引いて反動を作り、逆の右手を勢いよく振り下ろした。

そのまま黒ローブの左頬にブチ当たると、ゴツッという鈍い音が聞こえて黒ローブがたたらを踏んだ。拳がくっそ痛ぇ、硬い骨を少し叩いてしまったかな。


チョッピングライト(打ち下ろしの右ストレート)、普通の試合ならよほどの身長差がない限り使わねえけどこの黒ローブはフードを被っている。上からのパンチには隙が出来ると踏んでいたんだが、成功して良かった。

だが、一撃食らってもダメージのある素振りすら見せずにオレに顔を向けている。あの様子だと脳も揺れていねえな。やっぱり打ち合いだと死ぬぜこれ。オレの貰った左わき腹へのミドルキックの方が絶対ダメージがデカい。混戦も不利かとなると、さらにやれることが限られてくる。こいつは弱ったな。


お互いに少しの硬直。と思ったら黒ローブ構えを解き、後ろへ下がった。

なんだなんだやめてもいいのか?俺もうわき腹痛いんだから帰らせてくれよホント。


「合格だ」


突然黒ローブから告げられた言葉は合否発表だった。お前は人として失格だぞと言ってやりたいが、左わき腹の痛みと息切れで睨むこと位しかできない。


そんな事を考えていると、黒ローブの男が何も持っていない右手を差し出してきた。何なんだこいつはと思っていると、その手の平の上に光?のようなものが集まって来る。

喧嘩自慢の次は手品自慢かよと思っていると、段々とその光が強くなっていく。目を開いたままにすることも出来ねえ。目を閉じるしかないが、せめて構えは解かねぇぞ。


数秒がたち、瞼から透けて見える光が弱くなったのが判ると、ゆっくりと瞼を開ける。

オレの目の前から黒ローブは消えていた。それどころか、今まで喧嘩していた河川敷も、何もかも消えていた。

その変わりオレの目に飛び込んできたのは、辺り一面に広がる大草原。

足首までしか伸びていない草が地平線の彼方まで地面を覆っている。

遠くの方に無茶苦茶でかい山が見えるが、霞が掛かっていて良く見えねぇ。


「ここ、どこっすか?」


誰に言った訳でもない言葉が、自然と口から零れ落ちた。

いや、マジでここ何処よ。

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