放課後の関係
練習作②として書きました。
お読みいただいて、少しでもお楽しみいただければ幸いです。
(ポンポン)と肩を叩かれて、目を覚ました。
ぐったりと鈍い頭を左右に振り、ようやく自分が学校の教室にいるのだと思いだす。
そういえば授業中、重くなったまぶたを持ち上げられなくなり、休憩のつもりで少し目を閉じたはずだった。
……まずい。
授業中だというのに、すっかり意識を失っていたようだ。昨日、夜遅くまで本を読んでいた所為だろうか。
慌てて顔を起こすと、担当の先生が無表情にこちらを見下ろしていた。
今年から赴任して来た年若い女性である。きけば教員免許を取得したばかりだとのこと。普段からあまり表情を変えない彼女は、彫像のような冷たさを放っている。
しまった。よりによって、この先生の授業で寝てしまったか。額を冷や汗が流れる。
「……貴方、相変わらずいい度胸をしていますね」
「あの……、はい。スミマセン」
「君が私の授業を寝て過ごしたのは、これで何回目でしょうか?」
「えーっと、最初のオリエンテーションと小テストのときと……3回目です」
「そう、3回。 そのたびに私、注意を促したはずですね?」
会話しながらも、先生は冷ややかな視線をこちらに向けている。まるで地べたを這いずる蟻でも視ているかのような表情だ。
彼女はいつも、授業中に粗相をした生徒に対してこういう視線を向ける。なまじ美人と評判の容姿なだけに、その姿勢がとても怖い。
「……はい。 覚えています」
「では、なぜまた寝ているのでしょうか。 私の授業など、聞くに値しないとお考えなのでしょうか」
「いや、その、それは」
「違うのですか。 違うと言うのなら、眠ることなど有り得ないはずですが」
そう言いながら、先生は(コツコツ)と机を指で叩いている。
痛い。
視線が、言葉が、まるで針のように突き刺さってくる。
さてどうしたものか。緊張感で背筋が震えそうになり――
(キーン...コーン...)
と、ここで授業終了のチャイムが鳴った。救いの鐘の音に、思わずほっとしてしまう。
しかし、その様子を見咎めたのか、先生はじろりとこちらを睨みつけて
「では、話の続きは面談室でしましょう。放課後、私のところに来て」
と言い放った。
げ、と声に出しそうになるのをぐっと堪えるが、その状況を想像しただけで寒気がする。
そんなこちらを尻目に、先生は他の生徒へ授業終了の声をかけ、書類を纏め始めた。
手早くきっちりとすべての教材を鞄に仕舞い、教室から去って行く。
去り際に、耳元で
「待っていますよ」
と囁きを残して。
ぞっとする思いだった。
***
放課後、恐る恐る面談室へ向かったのだが、予想通り詰問される羽目になった。
「――それで、何故私の授業でばかり寝るのでしょうか」
先生は、相変わらず体温を感じさせない声音で、こちらへ声をかけてきた。
(コツコツ)と机をタッピングしている彼女は、普段と違ってどこか暗い表情をしている。
表情を乗せている事そのものを不審に思いながらも、出来の悪い生徒の今後を憂いているのだと判断した。そして、彼女の問いにどう答えようかと考えあぐねる。
とはいえ、事情を説明しようにも「夜更かししていました」としか答えようがないのだ。素直にそう答える。
彼女は眼鏡をくいっと持ち上げて、その奥の瞳を光らせた。
「ふむ。 ですが、例え夜更かししたとても他の先生の授業では寝ていないのですね」
「はい、そうです」
「では、君は私の授業に限って寝ているということになります。 違いますか?」
「いえ……仰る通りです」
「それは何かの嫌がらせなのでしょうか。 先生に対する挑発行為なのでしょうか」
「(うう……)」
そうしてひとしきり説教(というか、単に詰られただけのような気もするが)された後、「今後は気を付けるように」との言葉で解放された。
精神的に疲弊したものの、反省文やら何やらと面倒なものを出されずに済んだ。ほっとして帰り支度をする。
と、どこからか「はぁ……」とため息が聞こえた。ふと先生の方を見やる。すると、ぐっと背伸びをしながらため息を吐いていた。そして気怠げに首を回している。
「あの、どうかされたんですか?」
「え? ああ、失礼しました。 先生も色々と疲れていまして。次の定期テスト作成と、課題の採点に……あと、授業中に寝てしまう生徒の対応もしなければなりません」
「め、面目ありません」
「構いません。 出来が悪いのはすぐ治りませんから。 生徒への指導も教員の務めです」
さりげなく貶められた気もするが、全て自業自得である。
それはそうと、再び先生へと目を向けた。
先程の暗い表情も、この疲労が原因だったのかも知れない。普段はそういったものを感じさせない振る舞いなだけに、これはよほど疲労がたまっているのだろうと思われる。
色々と逡巡した末、おずおずと先生へ声を掛けた。
「あのー……」
「なんでしょうか?」
「もし、差支えなければ、そのー……マッサージ、しましょうか」
「……はい?」
突拍子もない発言に、彼女は目を丸くしていた。
***
「僕の実家は、個人の整骨院を経営していまして。 それで、僕も色々と勉強とか手伝いとかしているんです」
「それは知っていますが……つまり、君もそれなりに心得があると?」
「はい。 それで、もし宜しければと」
「いえしかし、生徒の君にそのような行為はさせられません」
「ですが、先生の疲れも僕のせいだって考えたら、何かしないとって思いまして」
「うーん……では、ほんの少しだけお願いします」
先生は表情を元の鉄面皮に戻していたが、声音から察するに困惑している様子であった。だが、こちらの言葉に折れたのか椅子に座り直した。
こちらは彼女の背後に回って、指のウォーミングアップを始めた。
ご機嫌取りのつもりはないが、ここでマイナスにまで落ち込んだ心証を取り戻すのもアリである。
指が程よく温まると、深呼吸を数回。雑念を吐き捨て、意識を、スイッチを切り替える。
そうしてから、先生へ合図を掛けた。
「それでは、始めます」
「え、ええ。 よろしくお願いします」
その言葉とともに、先生の肩に手を置いた(直に肌を触れる訳にはいかないので、服の上からである)。それと同時に(びくっ)と、微かに彼女の体が震える。やはり緊張しているのだろうか。
かくいう自分も緊張はしている。しかし目の前にいる人を実家に来るような「患者」だと認識することで、思春期男子に特有の桃色な妄想はシャットダウンさせていた。(そうでもしないと、とても先生のような美人女性の体を触るなど出来ない)
まずは肩をさする。急に力を入れると痛めてしまうので、あまり力を入れず馴染ませるように。緊張と体を同時にほぐそうという訳だ。
体が温まってきたと感じたら、次は親指で首の付け根を(ぐーっ)と押す。彼女の口から「んっ」と声が出た。
そのまま体重を利用しつつゆっくり力を込める。位置を変えつつ、繰り返すように何度か押す。
次に、肩を掴んで(ぐーいぐーい)と揉みほぐす。細身の肉付きとは裏腹に、予想外に凝っていた。
ガチガチに固まっている肩を、時間をかけてゆっくり揉んでゆく。
「あっ……そこ……」と、かすれた声が聞こえた。押しの効いた場所を確認しつつ、重点的にじっくり押す。
「痛くないですか?」
「ええ……大丈夫……です」
いつもとは違い、やや力の抜けた返答。気持ちよくなってくれているのなら、何よりだ。
そのまま背中に手を滑らせる。肩甲骨の内側を、両の親指を使って押す。そのまま骨の形にそって、円を描くように位置をずらす。
続いて、背骨にそって指圧。決して背骨そのものは押さず、その脇を上から順番に。
内側から外側へ押し出すように圧を掛ける。すると先生は「はぁ……」とため息を漏らした。
ここは特に凝っていた。授業中は立ったままの姿勢であることが多いぶん、背中や腰に負担がかかっているのだろう。丁寧にほぐしてゆく。
ふと先生の様子をみると、既に(こっくりこっくり)と舟を漕いでいた。起こさないよう慎重に力を込める。
上から下までほぐした後は、腰に親指をあてがう。腰痛に効果があるといわれる「腎兪」というツボを押す。そこを軽く押し揉み、さらにその隣を順に揉む。
最後に、背中から腰までをさすって、(ぽんぽん)と軽く肩を叩いて終了である。
すっかり居眠りしてしまった先生へ、声を掛けようと顔を覗き込む。
その無防備な寝顔をみて一瞬雑念が湧きかけるものの、首を左右に振ってどこかへ追いやる。
改めて、彼女へ声を掛けた。
「お疲れ様でした、先生。 終わりましたよ」
「ん……終わりぃ……?」
すっかり意識が溶けてしまっていたようだ。思わず吹き出しそうになるのをこらえ、具合はどうかと訊いてみる。
彼女は椅子から立ち上がり、確かめるように肩や腰を回した。
「……凄く楽になっていますね。 これほどだとは思っていませんでした」
「いえいえ、役に立てたのでしたらこちらも嬉しいですよ」
彼女の言葉を聞いて安心すると同時に、急に恥ずかしさがこみ上げてきた。
今更ながら、自分は教師を相手に何をしていたのだろうか。意識のスイッチが解除されると、今まで閉じ込めていた様々な感情が顔を出す。
それを誤魔化すように「じゃあ、僕はこれで失礼します」と早口で言い、荷物を纏めた。
「あの、ちょっと待って下さい」
すると去り際、彼女に呼び止められた。振り返ると、微かに視線を泳がせている先生がいた。顔が若干赤くなっているが、夕日のせいだろうか。
「はい、どうかしましたか?」
「その、ですね。 今回の事は、他の人には内密にお願いします。 生徒にこんな事させたとあっては、色々と勘繰る人もいますので……」
「勿論わかっています。 今日の事は、二人だけの秘密ですよ」
「ええ。 そうして頂けると助かります」
顔色こそ変わらないが、彼女の声音はほっとしたものに思えた。やましい事など何もないのだが、だからといってわざわざ言い触らす必要も無かろう。
改めて帰宅しようとすると、再度彼女に呼び止められた。
「えと、最後にもうひとつだけ良いでしょうか?」
「はい」
「えーっと、その……いえ、やはりいいです。 呼び止めてしまい、すみません」
彼女は何かを言い淀んだが、それ以上は口にしなかった。
その言葉を疑問に思いつつ、こちらとしても追求するのは野暮というものだろう。
頭の片隅に引っ掛かりを覚えつつも、僕はその場を後にした。
***
「また寝ていますね貴方は。 これで何度目ですか」
「えーっと、軽微なものを含めると6回目です」
数日後。僕は相変わらず先生に怒られていた。
あれから僕と先生の関係は、特に何が変わる訳でも無かった。授業で顔を合わせても、普段通り冷ややかな問答しかしない。
まあ、当然といえば当然だろう。
彼女がそうであるように、僕も僕で、何が変わる訳でも無く。相変らずの眠々である。
色々と生活習慣を改善しようと試みているものの、どうにもうまく行かないのである。
これは何かの呪いにでもかかっているのだろうか。そんな途方もない事すら考えてしまう。
閑話休題。
こちらを冷ややかに睨みつけてくる彼女へ、どう言い訳しようかと思考を巡らせていると――
(キーン、コーン...)
丁度よくチャイムが鳴った。授業終了だ。
このまま逃げてしまおうと踵を返したが、直後に先生が肩を掴んだ。
「またチャイムですか。 では、この続きは面談室で行いましょう」
「え゛」
またこのパターンである。
あの日以来、こうして直接呼出しを喰らうのは初めてだ。
今度もまた淡々と説教をされるのだろうか。そう考えるとげんなりする。
そんな、ぐったりと肩を落とした僕へ、先生は去り際にそっと囁いた。
「面談が終わったら、またマッサージ……してくれませんか?」
ドキッとする思いだった。
お読みいただき、ありがとうございました。
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