「第二十七-迷走の果ての出逢い……-」
人生の方向性を彷徨っていた裾野と、関東を彷徨っていた菅野の出逢いは、唐突で残酷で……。
※投稿が遅れてしまい、大変申し訳ございません
※約8,200字です
※若干BL注意かもしれません
2015年7月1日 午後(天気:雨)
後鳥羽家 自室
裾野(後鳥羽 龍)
菅野がベッドに腰かけている俺に向かって土下座をしている。
というのは、午前中に入れていた仕事の完了報告をしたときに起きた出来事が原因だからな。
そもそも仕事の報告は書類にまとめて総長に提出するものだが、そのときに結婚や法事などの私的な報告を一緒にしてはならないのだ。
これは片桐組でやればその場で斬首されてしまう重罪だが、藍竜組は特に罰則は決められていない。
とはいえ藍竜総長はガックリと肩を落とし、俺の監督不行き届きだと叱られる羽目になったのだ。
「仕事の報告と諸事の報告は別にしろ、とあれ程言っただろう?」
俺は語気を強め、床に額を擦り付けている菅野を見下して言った。
「ごめんなさい……」
菅野は言い訳もせずに頭を下げている。
まぁ大したものだな、と思いながらも自分の監督不行き届きだと言われたことには、どうしても納得がいかなかった。
「お前の軽率な行動のせいで、監督者である俺が怒られるのだぞ? 分かっているのか?」
と、八つ当たりともとれる発言をしてみれば、案の定菅野はガバッと顔をあげた。
「う……」
だが菅野は反論を躊躇い、そのまままた顔を伏せた。
……強くなったな。
「もういいぞ」
と、菅野のふわふわな髪を撫でながら言うと、菅野は照れ臭そうに体育座りをした。
「結婚おめでとう」
と、婚約指輪を撫でながら言うと、みるみるうちにリンゴのように頬を赤く染め上げてしまった。
お気づきの方もいらっしゃるとは思うが、大分日にちが空いたのはこの事情だ。
結婚式の打ち合わせや親戚や友人らへの挨拶回りに付き添ったこともあり、過去を語る時も無かったのだ。
それで藍竜総長が最後だったのだが、まさかあの形でやるとは、な……。
「……ありがとう」
菅野は両膝の間に顔を埋めて言うので、また頭を撫でてやると菅野はその手首を掴んだ。
「ん?」
珍しいことをするな、と思い顔を覗き込もうとすると、
「ほんまにええの?」
と、徐に顔をあげて寂しそうに呟いた。
菅野は神妙な面持ちと真っすぐな瞳で見据えている。
「何を言っている? 反対しているなら、結婚式の打ち合わせに参加したりしない」
俺は全てを分かったうえで、菅野の曇りのない瞳を見つめた。
すると菅野は視線を逸らしてしまい、
「……うん」
と、蚊の鳴くような声で呟いた。
……全く。かわいいことを言うようになったな。
「ふっ。菅野こそ、結婚して殺し屋辞めたりしないよな?」
俺は再度ベッドに座り直すと、左脚を上にして脚を組むと、慌ただしくバッと立ち上がって、
「な、何言うてんの!? そないなことする訳ないやん!!」
と、違う意味で顔を真っ赤にして叫んでいる菅野は、どうやら俺に似たらしい。
「そうか、そうか」
俺は大きく頷きながら口の端を上げ、安堵の気持ちから目を閉じると、
「は!? 殺すで!?」
と、今度は矛先を俺の眉間に突きつけている。
昔からの菅野の唯一の悪いところは、感情的になると気配を消せないことだな。
特に、からかった俺に対して。
だが本当に殺意がある訳ではないから、槍を持つ手が震えているのが伝わる。
「それでは俺を殺せない」
騅の話で後醍醐 傑さんが言っていたが、"BLACK"が始まってかなり経つ。
この調子では、いつか菅野と対峙する時が来るかもしれない。
あまり先を案じてばかりいると愛想を尽かれそうだが、甘やかしてばかりもいられない。
むしろここで俺を殺せば、殺し屋の頂点へかなり近づくことも出来る。
そう思い、若干深緑色に見える視界の中菅野を捉えた。
ところが菅野は俺の言葉を聞くなり槍を下し、
「……そんなの嫌や」
と、今にも泣きだしそうな顔をして言うのだ。
俺にとっては意外な返答で、正直困ってしまう。
良くも悪くも人間味があるのは知っていたが、この業界の酷い部分まで教えきれていられなかったのだろうか……。
「そうか。では俺が刃を向けたらどうする?」
と、少し厳しいようだろうが、逆に俺が眉間に剣先を向けてみた。
そうしてみれば流石に震える手で槍を構えるが、
「でも……何があっても裾野だけは殺せへん!」
と、覚悟を決めて槍をドンと地面に置いて言う姿に、俺が感心させられてしまった。
「はぁ……」
と、ため息をついて呆れ顔をしつつ鞘に戻すと、菅野は安心したような笑みを見せた。
「せやせや! 今日も裾野の過去の話聞けるんやろ? 楽しみやな~」
菅野は先程のことなど忘れたかのように小躍りまでしているが、本当に俺は教育において失敗していないだろうか……。
ここまでくると、心配になってくるな。
「そうか、そうか」
そうは思っても、結局相棒の眩しい笑顔に流されてしまうのだから、心配するだけ無駄なのかもしれない。
2004年12月24日 0時(天気:晴れのち曇り)
後鳥羽家 自室
裾野(後鳥羽 龍)
誰かが、いや、何人かいるかもしれないが、俺の胸、腹、脚を叩いているような感覚がある。
目元にはリボンか、布切れか……そういったものがかかっているのか、どうしようもない程くすぐったい。
それから手元には柔らかい、ぬいぐるみのようなものが握られている。
俺はゆっくりと眠りの世界から目覚めようと四肢に意識を通わせていると、
「せーのっ!」
と、何人かの小声で息を合わせる声が聞こえ、
「誕生日おめでとうございます!!!!」
と、空も白みはじめないほどの深夜だというのに大声をあげられ、意識を通わせる以前に飛び起きてしまった。
「……っ!!」
俺は手元にあるぬいぐるみに目を落とすと、電気を付けるように指示を出した。
「……これは?」
明るくなった室内で見えたものは、お座りをしたお手製の20cmほどの白猫のぬいぐるみであった。
かなり器用な人間が作ったのか、縫い跡なども気にならず、店で売っていてもおかしくない程良い出来だった。
それに手触りの良いパイル生地で、カーマイン色の鈴は丁寧に磨かれているせいか、覗き込んでいる自分の顔が鮮明に映り込んだ。
そのうえ同じ色の鈴紐が革製のため、切れてしまう心配は少なさそう、と考えると、かなり気を遣われて作られている……。
……瞳の色はターコイズブルーで、人の手によって作られたものだからか、瞳の奥からは聡明な雰囲気を感じた。
俺がそうやってぬいぐるみを観察していると、乞田と3人の執事は互いに顔を見合わせて笑っているが、橋本だけは緊張した面持ちで控えていた。
「……ありがとう」
俺は橋本に向かい、自分の中で出せる最大限の太陽を覗かせた。
すると今度は乞田が俺の耳元で、
「白猫の理由を訊いていただけませんか?」
と、ニヤニヤしながら言うので、俺は何かを必死に堪えている橋本に目を遣り、
「自分は黒猫だから、白猫を俺にくれたのだろう?」
と、万人が考えるような推理をぶつけてみると、
「え、あ……そうですけど」
と、橋本はあっけなく肯定してしまい、乞田はガックリと肩が外れるほど落としてしまった。
それからしばらく空調の音と乞田の歩き回る靴音が響いていた室内で、橋本が口を開きかけていたので、
「んっと……ごめんなさい?」
と、先手を打ってみると、橋本は背後に隠していた黒猫のぬいぐるみを俺の前に差し出した。
「別にいいですよ。ほら、お揃い」
橋本は黒猫の尻尾を指にくるくると巻き付けると、少し面倒そうにまた指から離した。
「大事にするよ」
と、真剣な表情で言ったあとに、俺も同じように白猫の尻尾で遊んでいると、白猫の尻尾には鷹の形をした金色の飾りが括り付けられていた。
どこの金細工だろうか、としばらく注視していると、
「それ、龍様っぽいので付けてみましたけど、要らなかったですか?」
と、逆に要らぬ心配をかけてしまったので、首を横に振っておいた。
その後、俺は目元にあった筈のリボンのようなものを探していたのだが、自分のナイトウエアをまさぐってみても、布団の上を這ってみても見つからなかった。
「あれ……?」
俺が首をぐるりと回しながら呟くと、乞田が目の前にインディゴブルーのリボンでラッピングされたターコイズブルーの大きめの布袋を両手で差し出した。
「リボンアピールが功を奏しましたね~。そう言えば、御主人様方からもプレゼントを預かっておりますよ」
俺が乞田からのプレゼントの封を開けていると、乞田と執事たちがウォークインクローゼットから大量の包みを運び入れてきた。
乞田からのプレゼントの中身は100号程度のシバクロームを用いた1枚の版画だった。
それは冬の夜空に向かって1人の男性が歩いている絵で、その大半を占めているうえにシルエットの後ろ姿だから表情は分からない筈なのに凛々しさと頼もしさを感じた。
これは今思えば、将来の俺を予測してプロに描かせたもののような気がしてならないものである。
それでも――今もそうだが――美術には詳しくないため、飾る場所が分からず、
「机にでも――」
と、口走ってしまった。だがもちろん、教養のある乞田が許す筈もなく、
「いけません! 版画ですよ、版画! 私が責任をもって貼りますから、他のプレゼントの開封をお願いします!」
と、目くじらを立てて言われ、版画を丁寧に壁に貼り始めた。
それを合図に橋本を含めた執事たちは一斉にプレゼント開け始めたが、出てくるのは高級なマフラーやコートなどの衣類ばかりだった。
そろそろ文具を買い替えようと思っていたのだが、誰にも話していなかったこともある。
仕方ない、と諦めていたそのとき、
「紅夜様から、文具一式です。あの方らしい、星空みたいに綺麗な物ですね」
と、橋本が雑に破いた包装から覗くペンを眺めて言った。
星空のような文具というのも気になるので、俺も見せてもらうと、本当に星空を切り取って柄にしたように美しく光り輝いていた。
これは直接お礼を言うだけでなく、感謝状も書かないとな……。
「紅夜兄さんには俺から直接感謝状を出す」
と、俺が早速開封してペン立てに差して言うと、
「じゃ、他の方の分は俺がちょちょいと書いておくんで」
と、橋本が手をひらひらと振って歩き去っていく。
まぁそんな態度を取っても、出る直前にはこちらを振り返って一礼をする。
「どんどん適当度合いが増している気がするのは、私だけでしょうかねぇ……」
その様子を遠目に見ていた執事長でもある乞田は、ため息混じりに言うと片眉を吊り上げた。
キャリアも年も上である橋本に注意するとなると、さぞやりにくいだろうに。
乞田は大したものだな。
「橋本みたいな執事は中々居ないから、引き抜いてよかったのではないか?」
俺は橋本へのフォローのついでに乞田を立ててやると、乞田は舌を巻いたようで、「龍様は御上手ですね~」と、悔しそうにしている。
それから部屋の片づけをした俺らは、お昼ご飯を食べる為に食堂に向かうことにした。
まぁ……それ以降は日常生活そのものだから、ここまでにしておこうか。
ここからは大分年数が空いてしまうのだが、14歳で菅野に出会うまでは概要程度に話しておこう。
2005年にもなると人間オークションの太田兄弟の横暴が続いていたが、目玉商品だと言われる子どもは一向に出てこず、総長らと共にタイミングを計ることにした。
そこで中学生になって初めて頂いた仕事というのが、人間オークションの内偵調査であった。
そこは調べれば調べるほど怠惰な人間の欲望が渦巻く場所であった。
というのは、オークションと言えど値段を叫ばずに紙に値段を書いて参加することも出来ることや、目玉商品以外は事前に買ってしまう人間も現れているというのだ。
あと会場は警察の管轄問題を悪用し、ちょうど境に許可なく建築し、終わり次第解体してしまうのだ。
「……」
中学生になった俺は、目玉商品として売られる子どもを相棒にするという条件が迫っていることを自覚し、ただその時を待っていた。
……とでも言えばかなり聞こえはいいが、本当は遅々として集まらない情報に苛立っていた。
それだからか、俺は外出許可を貰う度に執事や鳩村などといった信頼のおける人物たちにも連絡を取らず、1人繁華街を祖父の言っていた愛を求めて彷徨った。
結果論を言えば、それはこんな汚らしい街には無かった。
だが1つ、学んだことがある。
俺はずっと同性しか愛せない、同性愛者だと思っていた。
しかしそれは大きな勘違いで、女性に対しても心臓が跳ねることもあれば、共に夜を過ごすことだって出来たのだ。
無知な俺は”それ”の存在すら知らなかったが、バイセクシャルという両性愛者がまさしく自分であることを知ったのだった……。
それが今後の人生において、どれほどの影響を与えたかは菅野の話からも窺い知ることが出来るだろう。
そうだった。
大事な出来事があったな。
透理兄さんが失踪から帰ってきたのだが、俺の噂が常に耳に入っていたせいか、翼が足元ほどの大きさになってしまい、それは”怠惰”の紅夜兄さんや、耀夜兄さんから”憤怒”を継いだ竜馬といった2人目の愛人の子ども全員の前で出るようになってしまったのだ。
それでも父上様は特に対策を取るつもりもないと宣言を出した。
それは即ち、透理兄さんに勝てない人財は居ないと全名家に知らせたも同然であった。
これが騅の言う後鳥羽家の強いイメージ、偉そうなイメージの1つとして刻まれてしまったのかもしれないな。
そして14歳になり、料理の腕も剣の腕も”怪力”と呼ばれるほどに成長した俺は、ついに中学の夏服に身を包み、そのうえから薄いビロード色のジャケットを羽織り、顔が隠れるように同じ色のキャスケットを目深に被った。
……機が熟したのだ。
「よし、行って来い」
そう笑顔で言って門前まで来て送り出す総長は、俺に相棒が出来ることを心底喜んでいる様子だった。
「逃げるな」
副総長は、重厚感のある声と無表情で彼なりの見送りをすると、すぐに風になってしまった。
「はい。必ず」
俺は2人の言葉をしかと聞き、一度徐に瞬きをした。
人間オークションの会場は犬の像で有名な駅の近くにあるうえに、繁華街から外れることもなくその一角にあった。
その影響と8月の下旬ということもあり、受付すら会場内にあったため、この時期にしては厚着をしている俺には有難みしか感じなかった。
会場自体は関東に数多くある音楽ホールの中でも大きい方で、初めて既存の会場で開催されることもあって、後醍醐家と光明寺家を除いたほぼ全名家が参加している。
なので5つもブースがある筈なのに、遅々として行列が進まない。
「身分証か、紹介状を」
受付前の行列はいつの間にか進んでいたようで、自分の出番が来ていた。
「お願い致します」
俺は普段の声よりも低めに言い、藍竜組の役員と書かれた紹介状を手渡した。
その横のブースに目を遣ると、父上様、”傲慢”の智輝兄さんと龍之介兄さんが受付をさっさと済ませている。
「ありがとうございます。楽しんでいってくださいね」
受付の女性は強かな笑みを浮かべて、俺の手を撫でた。
その女性は、どこかで見たことのある方であった。
だが名前が思い出せない……。
黒髪のショートヘア、赤を基調としたメイクとファッション……。
……大事な人のような気がするのだが。
「ありがとう」
と、俺が当たり障りのないように礼を言うと、女性は俺の腕を捻りあげようとしたので、多少乱暴ではあるが振り払ってしまった。
去り際にネームプレートを見ると、”光明寺”と書かれている。
……誰だ?
それから俺はドアパーソンから札、紙とペンを貰い、客席の間の急なスロープを上った。
やはり客観的に見渡せた方が良いと判断した俺は、1番後ろの席でステージが真正面に見える席に腰を掛けた。
するとスロープを挟んだ右隣のボックスには太田兄弟、反対側には実家の面々が座ったのだ。
俺はすぐに携帯を開いて鳩村、総長それぞれにメールで報告を入れ、周りの席の状況も伝えておいた。
……万が一何かあった時のために。
やがてドアも閉めきられ、客席の照明が落とされると同時にステージが明るくなっていく。
いよいよ金持ちの欲望を満たすためだけに開かれる人間オークションは、かの者たちによって壊されるとも知らず、泣きながら1人目の子どもが入場していく。
誰もが食い入るように品定めをし、同じ人間だというのに嬉々として値段を付けていく。
その様子を脚を組み替えながら我慢して見ていたのだが、派手な司会者が「最後の商品だ」と、高らかに叫んだとき、会場の様子が突然緊張感に包まれた。
しばらく会場のどよめきを楽しんでいた司会者は、今までよりも眩しくなったステージで自慢げに口角を上げ、大きく咳払いをした。
「さぁ……続いてはナンバー0031、関原竜斗、10歳!! 関西生まれ、関西育ちの無垢で日に焼けた綺麗な肌の男の子! そしてみなさん、わたくしの背後にある巨大モニターをご覧ください!! これは販売元から送られた写真ですが、実にスタイルが良い!! 顔立ちは近くで見ていますが、かなり端麗ですよ~? 皆さん? この子は実に優良な”商品”ですので、開始価格はお高くなります!! 2,000万円からスタートです!!」
――舞台袖から出てきた男の子、のちの菅野は、10歳とは思えないほど綺麗で見られることに慣れていないからか、時折身体を震わせている様も……殺し屋にするには勿体無かった。
だが値段がつり上がる度に浮かべる涙を見れば、そんな不埒な考えなぞは飛んでいき、司会者が男の子を抱きしめたときは、鞘に手が掛かりそうになった。
そうしているうちに、2億まで入札され続けた男の子であったが、左隣のボックスから「10億だ!」と、叫ぶ声が……身内から言われるとは思わなかった。
そのときの男の子の表情は、今現在も忘れられないほどの絶望と恐怖に満ちており、人間が持てる限界を超えた恐怖を感じた。
「嘘だろ……」
俺はそのときに初めてこの家に心底絶望した。
常連である父上様の元になぞ二度と戻ってなるものか、と……。
そう考えた俺は、この子を絶対に立派に育ててやると決意したのだ。
いくら嫌われようと、いくら報われなかろうと。
現在に戻る……
お腹が空いたと言う菅野を連れて食堂に来た俺らは、菅野の希望で寿司職人を呼んだ。
「お寿司って、どんな食べ物なんかな~?」
菅野は生まれてこのかた寿司を食べたことがなく、俺も外食でわざわざ食べるものではないという考えの為、ここまで時間が掛かってしまったのだろう。
「おいしいぞ」
俺は自分の席につき、隣に菅野を座らせると、菅野はばつが悪そうに俺から目を逸らす。
「ん? どうした?」
「うん……。裾野が居らんかったら、俺って居らんかったんやなって思てん。変装して居たなんて、気付かなかってん。…………うーん、ちゃうねん。そないなことが言いたいんやなくてなぁ……」
菅野は項を掻きながら首をひねると、言葉が出てこない自分に腹が立ったのか、耳たぶを弄り始めた。
「気持ちだけでいいから、お寿司を食べようか」
俺はふわふわと髪を撫でて諭すように言うと、職人さんに「鱸、真鯛を俺に、鱧とたまごを菅野にお願いします」と、軽く手を挙げてから言った。
すると菅野は目を輝かせて俺の肩をバシバシと叩いてきた。
「鱧!? え、ほんまにええの!?」
「いいぞ。鱧は関西の魚だから、少しでも良い思い出を回顧してほしいと思ってな」
と、目を伏せながら言うと、菅野は余程嬉しかったのか、俺の肩に抱き着いた。
「ありがとう! やっぱ裾野が相棒で良かったわ~!」
これだから無自覚モテ男は困るのだ。
だがそうは言いつつも、実は抱き着かれることはあまり無いので、かなり照れ臭い……。
そうとは知らずに若干煙草の香りが残る俺の首元に顔を寄せ、
「はもっはも~!」
と、嬉し涙を滲ませて足をバタつかせることを、10年前の彼は想像出来ただろうか?
……おそらくだが、出来ないと思う。
俺は顔を綻ばせ、中庭に目を遣ってみれば、小雨の中傘を差してこちらの様子を伺う竜馬と目が合ってしまった。
竜馬は生ものが食べられないから、少々羨ましかったのかもしれないが……いや、そうは思っても誘いには乗らないから、微笑み返しておいた。
そうしてやれば、竜馬は俺を一瞥して踵を返した。
あまり自分で自分自身の家庭環境のことをどうこう言いたくはないが、名家という立場を上手く使えば、誰かの夢を叶えることも笑顔にすることも出来るのではないだろうか?
俺は幸せそうに鱧を口の中で転がす菅野を見つめ、しみじみと感じたのだった。
執事長の乞田です。
菅野様との出会いは、本当に衝撃的でした。
今まで相棒に恵まれなかった龍様のことですから、かなり心配もしておりましたし……。
それなのに橋本はせっせと図書館で本を読み漁っていて、掃除を手伝いもしませんよ。
次話のお話をする前に、投稿が遅れてしまい大変申し訳ございません。
こちらとは別世界のことですが、最近の温度差で作者が体調を崩しているようです。
寝りゃ治りますので、早く寝かしつけます。
次回投稿日は、7月8日、9日のどちらかになります。
お待たせしないよう、体調管理を徹底させます。
それでは良い一週間をお過ごしくださいませ。
執事長 乞田 光司




