「第二十一-光明寺の闇-」
光明寺家の人間性、鳩村家の謎に迫る。
現在では光明寺さんの死の真相に、少しずつ近づいていきます……。
※約9,800字です。
※病み、闇抱えた人とモノ。
2015年5月20日 午後(天気:くもり)
後鳥羽家 庭
裾野(後鳥羽 龍)
今日は1人語りでもしようかと思っていたが、曇り空の元煙草を吹かしていたところでチャイムが鳴った。
後鳥羽家からチャイムまでかなりの距離はあるが、あの佇まいと髪型からして月道に違いない。
わざわざ家を訪ねてくるとは何があったのだろう?
俺は電光石火で門まで走ると、突然止まった反動の風が月道の艶々で引っかかりの無さそうなポニーテールを揺らした。
「そこまで急いでないけど」
月道は相変わらず冷たい目で見上げてくるが、俺同様かなりの同業者に顔が割れている為、どうしても焦ってしまったのだ。
「そうだろうな」
俺はクールな目線から察し、薬指を指紋認証機に当てて門を開けた。
月道はスラリと伸びる脚を更に強調するかのような藍色のスキニージーンズで、片桐組指定のブーツと合わせても似合っていた。
「それで……どうしたんだ?」
俺と月道は電話番号も交換しているし、直接会う必要も無いのではないか、と思ったのだが、こうやって来るということは……。
背筋に悪寒が走る。
「……予想通りかもしれないけど、やっと忍の部屋から手紙を回収出来た」
忍さんは俺が抜けた後すぐに脱退している為、荷物が処理されていてもおかしくなかったのだが、どうやら奇跡的に残っていたらしい。
月道は俺に一通の手紙を手渡した。
そこには光明寺さんの字で、『忍へ』と書かれている。
「指紋と内容を調べたけど、指紋は後醍醐傑と本人のみ。あくまでも憶測だけど、忍は後醍醐傑に手紙を読み上げさせた可能性が高い。だけど捨てなかった理由は……俺には分からない。もし仮に義理人情だとしたら、到底理解出来ないんだけど」
月道は淡々と感情も込めずに言うと、庭の植木で作られた迷路の方に入り込んだ。
もし同じ立場の騅が居たら、何て言うのだろう?
……2人は異母兄弟とは言え、似てない点が多すぎるような気がする。
今はその話ではないな。
俺は手紙を開封すると、血も涙も付いていない綺麗な便箋に書かれた字を目で追った。
『忍へ。
貴方には言いたいことがあるよ。
納得いかないけど、貴方にしかできないことだから。
沢山の人を傷つけてきた貴方なら必ず出来る。
頑張って乗り越えてくれるよね?
積み上げてきた経験も、全部無駄じゃないから。
身を削ってまでエースになりたかった貴方を、
せめてこの手紙という形で応援させてください。
追ってくる人たちは、絶対に好意的ではありません。
手ごわい人ばかり。
苦しいことしか無いよ。それでもどうしてか分かりますか?
大事なアシスタントの裾野くんの為になれる人は、貴方しかいないから。
最後まであきらめないで。
生き通してください。優しくて残酷で大好きな裾野くんの為に。
光明寺優太』
俺は手紙を読み終え、そっと封筒に戻す時の指が震えていることに心底驚いた。
「…………なんてことを」
これを読みあげてもらった忍さんはすぐに悟ったのだ。
自分の使命を。役割を。
俺に殺される…………ことを。
自身への戒めとしてこの手紙を置き、敢えて俺に知らせようとしたとすれば、それは――
「本当は」
俺が震える声で口にした言葉の続きは、月道に口を塞がれたことで役目を終えた。
「バカな関西人にでも読ませて感動させてやろうと思ってたんだけど、今日は来てない訳?」
月道は口から手を離すと、すぐに自分のハンカチで掌を何度も拭いた。
あの関西人とは、言わずもがな。月道が毛嫌う菅野のことだろう。
「あぁ。今日はデートだからな」
フッとほほ笑んで言って退けると、月道は即座に鼻で笑い、
「あっそ」
と、牡鹿の髪ゴムに手を掛けながら言った。
たしかに、若干緩んできているようだ。
「……月道」
俺は結び直したタイミングを見計らって名を呼ぶ。
「何?」
と、面倒そうに振り向く。
女性のように美しい白い肌につい見とれてしまう。
「片桐組に霊感のある方は居るか?」
俺の突然の問いに眉を潜めた月道は、しばらく庭を見遣ってから首を横に振った。
そちらの方向にはちょうど、光明寺さんが儚げな表情を浮かべて立っている。
「そうか」
俺はそこで口をつぐみ、光明寺さんの方を今一度見たが、そこには菅野がお供えした花束のうちの季節外れのゴボウの蕾だけが置かれていた。
「……」
月道はゴボウの蕾に気が付いたのか、それを拾い上げると、
「何したわけ?」
と、俺をギロリと睨みあげた。
そう言われると、何も言えなくなってしまう。
何もしていないと言えば嘘になるうえに、下手に言い訳をすればすぐに見抜いてくるだろう。
「Touch me not, ever」
そのとき、門の外から流暢な英語が聞こえ、そちらに目を遣れば、颯雅が門に寄り掛かっていた。
「Everなんて、花言葉には無い筈だけど」
月道も博識な方だ。ある程度の知識はあるだろう。
俺もゴボウの花言葉に、Everという単語が使われていた覚えはなかった。
「俺にはそんな気がしただけだ」
颯雅は俺が門を開けるとすぐに、ゆったりとした足取りで歩きながら言った。
「……」
俺はどうしても違うと言えなかった。
気のせいだろうとも、考えすぎだとも。
3人の間に沈黙が流れる。
それをものの10秒で打ち破ったのは、
「客が来るなら言って。俺はもう帰るし、手紙は返さなくていいから」
やはり月道であった。
どこか怒っているような口調ではあったが、いつものことだ。
だが俺は見逃す訳がなかった。
月道が僅かに身震いし、肩を擦りながら門をくぐる様を。
「もうよした方がいいですか」
俺は月道が投げ捨てたゴボウの蕾を拾い、それに向かって問いかける。
しかし光明寺さんは姿も現さず、言葉を発することも無かった。
とは言っても颯雅には見えているようで、眉1つ変えない俺の背中に向かい、
「……もういじめないで欲しいんだ。言いたいのは、それだけだよ」
と、光明寺さんの口調で語りかけた。
誰のことを想って言っているのかも、何もかも分かってしまう手段は持っている。
この手紙も1つの手段。
だがやはり向き合いたくない。
何も知らなければ、何も知ろうとしなければ……光明寺さんが大好きな残酷で優しい……俺のままで居られたのか。
果たして本当にそれでいいのか?
「それは……向こうの出方次第です」
絞りだした言葉は、そよ風に消えそうなほどか細い返事であった。
「そっか!」
颯雅から伝えられる光明寺さんの返事もまた、耳を澄まさなければそよ風にかき消されてしまいそうであった。
知らなければ幸せなこともある。
物事の本質が見える人には、到底理解されない理想論。
知りたい。真実が知りたい。
その探求心は、吉と出るか……凶と出るか。
はぁ……すっかり話しそびれていたが、俺がそもそも光明寺さんの事件に疑問を抱いたのは、自分で過去を思い出して他人に話した時だ。
俺は死後からかなり経過した光明寺さんを発見し、茂に通報した。
それは警察に近い役割を烏階がやっているからに違いないのだが、忍さん宛ての手紙はどうして保管され続けたのか。
それは責任者である藤堂さんに訊けば良いのだろうが、本国の警察の場合で考えてみれば……この事件は未解決事件なのではないか?
もちろん、忍さんと傑さんが証拠不十分で捕まっていないこともそうだろうが、何か引っかかる。
本人に返されているのに、重要な証拠であるのに……処分しなかった忍さんの心情。
脱退後に処分しなかった片桐組側の意向。
あきらかにすべてが不自然なのだ。
だから向き合える限りは、この事件に向き合いたい。
「……颯雅、ありがとう」
俺はゴボウの蕾をジャケットのポケットにしまうと、颯雅は何も言わずに俺の肩に優しく手を添えた。
2003年1月1日 夕方(天気:晴れ)
藍竜組 グラウンド
裾野(後鳥羽 龍)
午前中は雪がしんしんと降り、午後からは曇り空が広がった。
気が付けば2003年になってしまっているうえに、この日まで鳩村と偶然会うことも無かった。
総長に冬季特別訓練をつけてもらう機会はあったが、副総長から忍者の訓練を受けるチャンスには恵まれなかった。
あとは大晦日に組全員分の年越しそばを作って、挨拶回りに行ったぐらいか。
そう言えば実家にテレビ放映の為に帰ったが、珍しく兄さんたちからの風当たりが強くなかった。
やはり片桐組に居る俺がデキる弟で、藍竜組ではデキない弟なのだろうか?
名家回りも祖父の見舞いも終わり、乞田に藍竜組まで送ってもらったのだが、降りて乞田の前を通り過ぎる時に下半身に手を伸ばすのが見え、捻りあげてやると、
「わっ、申し訳ございません! 私の携帯番号を渡そうと思ったのですが……やっぱ早いですね!」
と、捻りあげている俺の腕をもう片方の手で叩いてくる乞田はかなり焦っており、冬であるのに汗が光っている。
言われてみれば、捻りあげた手にはメモの切れ端が握られている。
「ふふ……怪盗でない限りは無理だろうな」
俺が紙をひょいと取り上げてチラつかせて言うと、乞田は気恥ずかしそうに目を細めた。
「ですよね……。あの、週末は帰って来てくださいね。……私、ずっと待っていますから」
乞田は優太さんのこともあるのか、笑顔に曇りが見受けられた。
俺も竜馬が先に亡くなったら、同じ反応になるだろう。
「あぁ。では、行ってくる」
と、俺が歩き出そうとしたところで、乞田は後ろから抱き着いてきた。
「……いってらっしゃいませ」
乞田は耳元で囁くと、深々と礼をして車に乗り込んだ。
気持ちは分からない訳ではない。
もう11歳を迎えた俺であっても、乞田にとっては子ども同然。
週末にしか会えないのが不安なのも、致し方ないのかもしれない。
……なんて思えるようになったのは、大分先の話である。
元日であろうと夕方からであろうと、グラウンドで鍛錬をする瞬間だけは孤独で居られる。
「はぁ……はぁ……」
肩が激しく上下する。
駄目だ。
数時間程度しか持たない。
これでは総長に勝てる以前に、いくつか上の先輩に負ける。
そのうえ、なかなか総長のように綺麗な斬撃が飛ばせない。
腕時計を確認すれば、もう夜の9時だ。
そろそろシャワー室にでも行こうか、と考えていた頃、遠くの方からヒールの音が土混じりに聞こえた。
「見ない顔ね」
俺よりも大分背の低い女の子が俺の近くに歩み寄り、腕を組んで仁王立ちをした。
「……?」
夜ということもあり外灯が頼りの為、顔や表情はよく見えなかった。
なので目を凝らしてはいるのだが、思ったよりも低い声をしているぐらいの印象しか受けなかった。
「あら、怖い?」
女の子は白塗りの顔を外灯に一瞬映し出し更に近づいてきたため、外灯を頼りにグラウンドから寮へと移動したのだが、向こうの方が藍竜組の立地に詳しいせいか、すぐに追いつかれてしまった。
「かわいい~!」
女の子は猫撫で声で言い俺を後ろからぎゅっと抱きしめると、毒針を俺の首筋に当て、
「殺しちゃいたいくらい……」
と、ため息混じりに言い、そのまま刺そうとするので俺は右肘で女の子の胸の下あたりを打ち、素早く後ろに回り込むと右手で頭を掴んでグラウンドに打ち付けた。
「うっ……」
女の子は土を吸い込んだのか、口に入ってしまったかで噎せてしまい、空咳を繰り返している。
「男に可愛いなんて言わないで欲しい……困る」
俺は初めて言われた言葉に純粋に戸惑い、白旗のように左手を振る彼女を見てからは起こして土を拭いてやった。
「そうなのね」
女の子はふわふわと立ち上がり、ブラトップの深紅のドレスを何度か叩き、光の無い目をこちらに向けた。
「名乗ってなかったわね。私は弓削子。純粋に生きることを諦めた女よ」
女の子改め弓削子は闇すら見える黒い瞳で俺を見上げ、まだ幼い身体を自分で抱き寄せた。
佇まいは庶民のそれではない上に、下手すれば名家出身の可能性もある。
「純粋に生きること? 弓削子はどこか有名な家の出身なのか?」
俺は敢えて名家という言葉は使わず、探りを入れることにした。
すると弓削子は、「私より強いならいいわ……」と、あまりに細すぎる腕を擦りながら言い、
「光明寺家の長女の光明寺 優子よ。驚いた?」
と、皮肉な笑顔を向ける彼女。
光明寺さんが言っていた通り、貴方の妹は殺し屋をやっている。
ということは、弓削子はB型。
俺の人生を翻弄するのは決まってB型。
ふっ……バカらしい。
もしこの時点で俺の正体に気付いていたら、たしかに皮肉だ。
俺の世話をする執事は長男の乞田、目標にしてきた殺し屋は次男の優太さん、そして藍竜組でこれから付き合い、結婚することになる弓削子は……長女。
”暗黒の歴史”と言われた両家の確執から数百年。
歴代の当主らが卑下してきた名家無しでは、俺の人生を語ることが出来ない。
「あぁ、まぁな。有名な家ではないか」
わざと両手を広げて目を輝かせて言ってやると、弓削子は盛大なため息をつき、
「そう? 後鳥羽にコケにされてる家よ。ま、そんな歴史もおーわり。いつか焼き鳥にして食べちゃうけどね」
と、下唇に沿って舌を滑らす彼女は、今も感じる狂気の前触れのようなものを感じる。
どうやって育ったのだ。
復讐の植え付け? 歪めた歴史教育?
……それとも彼女が持つ艶めかしくも狂気じみた性格のせいか。
「できるといいな」
俺は短く会話を切り、その場を後にした。
次に逃げていく俺の背中に突き刺さった言葉は、現在も彼女をどこかで恐れているきっかけとなったものであった。
「ずっと待っていてくれるの?」
震える声で、一言一言噛みしめて言う弓削子。
振り返らずに歩みを進める俺に、弓削子はトドメの一言を刺す。
「私はずっと待っているから」
俺は一生光明寺家に縛られる人生を送るのだろうか。
コケにした代償として。
どうなんだ?
……無性に苛立つ。
ついつい歩調を早める俺の耳元で響いたのは、
「妹のこと、待っていてくれるよね?」
という光明寺優太さんの声であり、現に目の前に幽体ながら立っている。
思わず足を止める。
背中に流れるのは冷や汗のような気がするのだが、弓削子の視線の波のような気もする。
「優太さん!?」
と、仰け反って半ば叫ぶ俺に、光明寺さんは高笑いをしながら、
「ははっ……! 見えるんだ!」
と、更に不気味なほどに笑い皺を刻む。それから生前見せていた柔らかい笑顔に戻ると、
「ふふ……霊感があると便利だね。これから妹をよろしくね!」
と、安心するような声で言い、そっと暗闇に消えていった。
俺はけたたましくなる心臓の音に背筋が凍り、直に頭が混乱してきたからか、どんどん頭が重くなっていく。
光明寺家の教育はどうなっている?
……だが、そこではない気もする。
というのも、乞田も優太さんも幼くして家を出ている。
ならば、両親に一体何があったのだ?
光明寺に生まれ、幼いときから何を見ているのか?
部屋に戻ったら、乞田にでも訊いてみようか。
俺は整理のつかない頭と覚束ない足取りで、何とか部屋まで戻ることが出来た。
部屋に戻り、青いパーテーションをくぐって台所の前に立つと、今までの恐怖も吹き飛んでしまった。
「はぁ……」
俺はため息をつきつつ、何か作ろうかと右手を冷や水に晒す。
「左手が使い物にならないと困るな」
だが生憎切らずに済む料理が出来る食材が無い。
ならやはり、やるしかない。
俺は包丁を収納スペースから取り出し、まずはオレンジ、それからサラダを作る為に各々の下準備をし、盛り付けをしていく。
しばらくメインディッシュの下準備をしていると、左手に痺れと鈍痛が走りはじめた。
「……痛いな」
こういう時に1人だと困るのだろうか。
まぁこの程度なら我慢できなくはない。
俺はそう思いつつ、何とか夕飯の準備を終えた。
今日の献立は、オレンジ、ホウレンソウメインのサラダ、それから煮物、豚肉と豆苗を和えたもの。
……料理名はあまり調べないから、間違っている可能性もあるが。
我ながら味付けがうまくいき、今日も今日とて腹八分目まで食すことが出来た。
食べる前にある程度の片づけはしてあるが、食べ終えてから食器を洗ったりしているうちに、先程までの出会いや光明寺家との確執について忘れられそうであった。
そう思ったのもつかの間。
光明寺家の長男である乞田から電話がかかってきたのだ。
「……出たくないな」
俺はそう思いつつも、乞田のことを無下にできない執事と主人の関係のことや、橋本が近くに居るかもしれないという淡い希望から通話ボタンを押してしまった。
『あ! かかりましたね! 乞田です』
声色は大分元気そうだ。
夜も遅いのに、よく起きていられるな。
ちなみに時刻は23時を過ぎている。
『俺だ。何かあったのか?』
『いえ。いざという時に掛からなかったら困るので、掛けてみました! 龍様、お疲れですか?』
乞田はそう言うと、電話口とは反対方向に「先に寝たらどうですか?」と、話しかけ始めた。
おそらく、橋本が風呂から上がったかしたのだろう。
それから程なくして、橋本らしい暢気な欠伸が近くで聞こえた。
『いや……乞田。お前の両親の記憶はあるか?』
俺は妹と会った、と報告する以前にどうしても気になった。
『そうですね。直接何かされたか、と言われますと……育児放棄されたくらいですかね。いつも両親は呪文を唱えていました……。本当はこの国の言葉だったのかもしれませんけど、世話された覚えなんてありません。あとは……一度後鳥羽家の図書館で光明寺家のことを調べた際、両親それぞれが虐待されて育ったことと、そうしない為の方法として育児放棄を考え出した、と書いてありました。あと……噂程度ですが、妹は純粋に生きることを諦めたらしく、自分より強い者としか結婚しない我儘娘だと……。弟の優太は自分の腹黒さに嫌気がさし、世話好きな良い人になって幸せな結婚を望んだ、と。それが叶わないなら、自分より強い者に殺されるまでだとも。私の家族は、ジレンマに囚われているのでしょうか?』
乞田はためらいがちにそう話したが、誰もが引っかかるあることを……訊きたいようで訊きたくなかった。
でも訊かないと……。
『そうだとしよう。そうなると自分より強い者には、何でもされていいってことになるが、それでいいのか? 暗黒の歴史もそうだろう? 自分より強い者に――』
『おやめください』
ピシャリと言う乞田は、弟と妹の思想に賛成できるのだろうか?
それとも自分だけ違うことに、違和感か、それとも他の感情を感じているのか?
……それよりも、優太さんの噂が本当であれば…………忍さんは優太さんより強いということになる。
それは――本当か?
『私は自分より強い方に、従う気はありません。もちろん龍様のような御主人様は別として、外でそのような思想を振りかざすなぞ、ありえないとお思いください。私だけは、絶対にありえません』
乞田は強かに言い切ると、ふぅと息をついた。
『ですが、龍様が死ねと仰れば死にます。逆に生きろと仰れば生きます。……それはあくまでも、執事の建前。1人の人間としての勝手な行動は――龍様の見ていない間の行動の自由は――どうか責めないでいただけませんか?』
電話越しであることを確認するほど、乞田の声を近くに感じた俺は思わず周りを見渡したが、布巾の上で水滴を垂らす食器しか見えない。
……どういうことだ。
人間と執事が別であるなら、執事は人間ではない別のモノ。
ということになるのだが、この言葉はまるで……。
『橋本とくっつかなければいい』
俺は的外れなことを敢えて言い、乞田の反応を伺った。
すると乞田は音割れする程の爆笑をし、橋本に「うるさい!」と、怒られている。
『あ! 橋本のことがお好きなんですね? 大丈夫です、私は女性に夢見る紳士でございますから』
乞田が興奮気味に話すので、橋本の「うっさいなー!」と、半ば叫ぶような声が所々に聞こえる。
『そうか、そうか。では、今度の週末……必ず帰るからな』
『はい! またお掛けしちゃいますね!』
乞田は心底嬉しそうに尻尾を振っているに違いない。
新婚夫婦か。
……橋本なら嫌がるか。
光明寺家の両親は虐待しない代わりに、育児放棄をして呪文を唱え続けることで……まともに立派に育てたつもりなのだろうか?
それなら末っ子は……。
殺し屋になった噂も立たない末っ子は、どうなってしまうんだ。
両親の秘密を知り、守りたい衝動に駆られたら?
元凶を後鳥羽と決めつけたら?
……後醍醐と手を組んで、歴史を変えると言われたら?
だから優太さんも弓削子も、自分が強くなろうとして……それなら強い人と結ばれたい、と……人生を終えるなら自分より強い人に負けて消えてしまおうと。
歪んでいる。
間違っているとは一概に言えないが、藤堂さんは気づいていたのだろうか?
気付いていても、面倒だからと放っておいたのだろうか。
そうすると、俺が優太さんより強いことになるが…………武力面はあり得ない為、精神の強さだろうか?
「……自分より強い、か」
考えたことも無かった。
思ったよりも深い……深い闇に包まれた光明寺家の思想。
俺は気がついたら鳩村の母親が送ったノートを読み返していた。
弟の事件の新聞記事の切り抜きが貼られているページを開き、少しでも真相を知ろうとしたのだが、
「母親が情報提供者とは言え……鳩村だけ男子が継ぐ筈の銀髪が遺伝しなかったこと、父親と弟の失踪……。弟に至っては、惨殺体で発見されているのに凶器が見つからなかった。傷の具合から、人間の業ではないと……。それで呪い殺したと……。駄目だな、情報が不確かすぎる」
と、新聞記者の名前も匿名であることから、母親の嫌がらせかもしれないとも考えたが、それは流石に考えすぎだろう。
没落貴族が有名新聞社を支配できる筈がない。
……家や異常なドレスの綺麗さからしても。
「……」
この新聞社を調べるのも良いのだが、偽名で調べるとしても無理がありそうだ。
けーちゃんや颯雅に頼るのも良いかもしれない……。
だが本人が同じ敷地内に居るのに、それはいかがなものか。
俺は週末を乞田と橋本と過ごし、光明寺家についての本を一通り司書から借りることにした。
これと鳩村家の記述が少しでもある新聞記事、文書……うーん、かなりの量になりそうだ。
だが相手を知ってからではないと、はぐらかされてしまう可能性もある。
机上であっても戦うなら、戦略は必要だ。
「鳩村……」
俺は図書館で自分の頭よりも高く積まれた本の山を見上げ、眠気眼をこすりながらノートに情報を落とし込んでいく。
元は幽霊屋敷のオーナーで、お化け屋敷のようなものを経営しているうちに貴族になる。
貴族として新たに大きな館を構えることもなく、今まで通り幽霊屋敷に住み着くことこそが悦びであると宣言し、世間を震撼させる。
当主は代々都合の悪い人間を幽霊屋敷のとある部屋に閉じ込め、不自然な死を遂げさせていた。
全て人間業とは思えぬ惨殺体として……。
上記のことは確証できていないらしいが、代々当主に語り継がれているらしい。
鳩村家の特徴は、AB型、社交的、八方美人、不思議、不気味な程優しい、棘を感じない柔らかな美しさを持つという。
「……」
後鳥羽家の特徴を取材する者が居るのなら、異母兄弟ばかりだから一苦労するぞ。
それに比べ、鳩村家は直系しか居ない。
――あとの情報は、鳩村と話した時にでも収集するとしよう。
日曜日1日を調べもので潰してしまった。
現在に戻る……
同日夕方
後鳥羽家 庭
裾野(後鳥羽 龍)
颯雅に話し終えた瞬間、ふっと微笑んだのを逃さなかった。
「笑いたいなら、笑うといい」
と、肩をすくめてみせると、颯雅は首を横に振った。
「俺はいつでも協力するぜ。それにお前が決めたことなら、どんな事でも付いて行くからよ」
颯雅はニッと歯を見せて笑うと、俺の肩をポンと叩き、
「菅野がどんなデートしてんのか、気になってんだろ。お前、過去の話をする時に会話よりもやたら心情を語る時はいつもそーだ。気がかりなことがあると、どんな会話をしたか、思い出せねーんだろ」
と、肩を上下に動かして無邪気に笑いながら言われると、本当によくもまあ見抜いてくれる、と斬撃の1つも食らわせたくなるが、ぐっと堪えておいた。
「……どうだろうな」
だから俺はいつも誤魔化そうとするのだ。
認めたくないのではない。
ハイ、ソウデスネと、言いたくないだけだ。まぁ……仲間内では分かるのだろうが。
「んじゃ、これから龍也と飲みに行くから、また会おうぜ」
颯雅は無垢な笑顔で言うと、門番に礼を言い、後鳥羽家から出て行った。
執事長の乞田でございます。
お疲れ様です。
伴侶である弓削子様との出会い、光明寺家の人間性……。
不思議ですよね。
龍様の人生は、




