「第九-初恋物語(後編)・使命-」
裾野に隠された幼いもう1人の彼。
現在の彼からは微塵も感じられない”ある部分”が、ついに顔を出す。
※約10,000字です。長いです。
※グロ注意。
2000年4月下旬 深夜
片桐組 総長室
裾野(後鳥羽 龍)
俺は虚ろな目のまま、総長室までの道のりを足を引きずるようにして歩き、ワスレナグサをあしらった乞田のパルチザンを携えたまま、時折階段で躓きながらも、総長室に転がり込んだ。
だがもちろんそこには誰も居らず、部屋には明かり1つも点いていなかった。
それでも広く高窓が縁取られていた為月明かりが薄く差し込み、部屋の家具の位置くらいはぼんやりと認識することが出来た。
「…………」
俺はパルチザンを杖代わりにして歩き、総長の机に倒れ込むように膝を折った。
「…………」
何をしているのだ、俺は。
総長室に来て初めて正気に戻った俺は、総長への言い訳を考えていた。
すると突っ伏した右手の指の間に、バタフライナイフが振り下ろされた。
俺は憔悴しきった表情のまま顔をバッと上げると、そこには薄明りの下でも分かる程眉を潜めた総長のお姿があった。
「…………”悪魔の目”がぁ……!!」
そして俺の目を見るなり、初めて出会った時のように首に手をかけようとした。
だがもうあの時の俺とは違う。
俺はすぐにその手から離れ、早く順番も何もかもを終わらせたくて、気が付いたら叫んでいた。
「順番を終わらせたいんです!! 強くなりたいんです!! 全部……ぜんぶ…………ゼンブ………!! おわ、終わらせ……ないと!!!! 俺が……やらないと駄目なんです!!!! お願いします!!!!」
俺の悪魔に憑りつかれたかのような狂った叫び声と心理学者ですら分析を諦める狂気を垂れ流した表情に、総長は頬に満足そうな笑い皺を刻み、「面白い」と、スローモーションかと錯覚するほどじっくりとたったの5文字で俺の曲がった正義を支配した。
総長との深夜の特訓は、光明寺さんとのそれとは比較すら叶わない程スパルタで、毎日血だらけになり、毎日医務室送りになった。
そうして訓練と狂気を加速させていると、みるみるうちに俺の”悪魔の目”は、赤く赤く……猩々緋色に染まっていった。
そのことを総長は特に何も言わなかったが、当時は本気で自分の右腕にしようと思って育てていた、と藤堂エースに言っていたらしい。
――俺はこの特訓の成果として、薙ぎ払いで斬撃を飛ばすまでに成長したのであった。
2000年5月上旬頃 (天気:晴れ)
某ショッピングモール
裾野(後鳥羽 龍)
俺は茂に衝撃の動画を見せられてからも、どうしても大神教官から心が離れていかなかった。
というのも、それは最早大神教官からしたら、一度抱かれたら欲しがるのも想定済みだからだ。
たしかに俺は性欲が比較的旺盛な方で、無意識に1人でしてしまう時すらあったのだ…………もう、手遅れなのだ。
だから俺は茂、光明寺さん、あことしにも相談せずに、2人きりで山の近くのショッピングモールへと出かけていた。
大神教官は、「この前はごめん」と、土下座してまで謝り、好きなものを何でも買っていいと言われた。
”強欲”な8歳の子どもが、こう言われて許さない訳がなく、俺はまた笑顔で頷くのだ。この人の為ならすべてを捧げて信じないと、という純粋な心から思っていても、本当は大神教官の思うがままに心を操られていることも露知らず。
「裾野くん、”初めて”2人きりで外に出かけたね。外で手を繋ぐのも、一緒に買い物をするのだって……! あ、そうだ! この後、寄りたいところがあるんだ……ほら、”初めて”の寄り道記念に」
この時の大神教官はいつも以上にオシャレで、人形のように美しくて、女性は皆振り返り、キャーキャー声をあげては大神教官に纏わりつくように囲んできた。
「うん!」
俺は囲まれながらも、しっかり教官の指に自身の指を絡めていた。
やがて日も暮れ、夕日が大神教官の作られたような美しい身体を照らし、まるで歩くアート作品のように洗練された歩き方で、俺の手を引いていく。
その先にあった建物は、人気もない場所にひっそりと建っており、どこか大人の雰囲気を醸し出しており、高すぎるオーキッドピンクの塀には車を運転しながらでも見えるくらいの大きい光沢感のある金色の字で、「休憩 ~円、Stay ~円」と、書かれていた。
「……大神教官?」
俺が何十階建てかの建物を見上げながら言うと、大神教官は突然俺を抱き上げて、音を立てて唇を奪うと、
「我慢できそうにないんだ。ほら……”初めて”部屋以外でするんだから、また記念だね」
と、目の焦点すらろくに合わない作り物のような瞳で、俺の拒否権を殺した。
「”初めて”……記念……」
その目に魅入った俺は、そのまま一緒にホテルへと連れ込まれ、天蓋付きのベッドの中で体を重ねた。
だがこの時の大神教官は、茂が嗅ぎまわっていることを知ったのかは定かではないが、物凄く優しく、人形の顔のままで抱いてくれた。
そうして幾度も外でデートを重ねるうちに、以前まで抱いていた大神教官への恐怖を忘れ、俺はまた優しい大神教官に惹かれ、あことしにノロけるようになったのだ。
そして大神教官は誕生日に欲しいものとして、何度も何度も言い聞かせるようにこう言っていた。
「裾野くんがいっぱい詰まったホールケーキが食べたいんだ!」
これが所謂”飴と鞭”とは知らないまま、俺は優しい優しい大神教官に戻ったものだと思い込んだのだ。
――彼氏という立場を利用した、天才詐欺師によって。
それからまた数か月すると、大神教官の誕生日である9月11日が近づいてきた。
だから今年は大きなホールケーキを作ろう。
俺の愛情を沢山込めれば、おそらく俺が詰まったものになるだろうと考えて。
そのことを光明寺さんに話し、作り方を指導してほしいと頼むと一瞬表情を歪めたが、すぐに笑顔になり、「やってみよう!」と、俺の背中を押してくれた。
「ありがとうございます!」
俺は光明寺さんから誕生日にいただいた黒い無地のエプロンを着て、何日もかけてゆっくりケーキを作りあげていった。
そうして出来上がったケーキは4号ほどの大きさになり、あまりの完成度の良さに光明寺さんと腕を目一杯広げて写真を撮ってしまったくらいであった。
その写真は勿論、当時の携帯にも今のスマートフォンにも入っている。
……ケーキの部分を編集して消してはあるが。
やがて迎えた9月11日、月曜日。午後3時。
この日は平日だった為、夜中に渡しても翌日に響くと考え、大神教官の仮眠時間を狙って渡すことにした。
大神教官はいつも15時から16時まで休憩しているので、他の教官にも頼んで寝ないように言ってもらっていた。
俺の小さな両手には、光明寺さんと作ったホールケーキ。
もちろん上には「誕生日おめでとうございます! 大神教官」と、ホワイトチョコペンで書かれたプレート型のチョコもある。
サプライズの舞台である筈の仮眠室の扉は、何故か数センチ開いており、照明も点いており人気もあった。
――よろこんでくれるかな?
緩み切った笑顔を浮かべ扉の隙間に肘を挟み、愛しい人の顔を見たい一心で扉をギィと開ける。
――おれの作ったケーキ、おいしいって言って食べてくれるかな?
だがそこに居るのは、黒革の4人掛けの高級感のあるソファを2人分程使ってドカッと座る大神教官と、教官に肩を抱かれているのは俺の身体を貪り食った男たち4人で、5人は備え付けのパソコンの画面を覗きこんでは、何やらブツブツと言いあっていた。
――おれ、すっごくがんばったんだよ!
大神教官は扉を開けた俺に目を向けると、次にケーキの存在に気付き、鼻でフンと笑った。
――何日かかったと思う? 3日だよ? それでね――
「おい、こいつ……俺の為にケーキなんてモン作ってやんの!! こーんなえっろい男の子が!!」
と、にんまりと顔を歪ませて面白可笑しく言う大神教官。
それに釣られ、他の男たちは大声をあげて笑い飛ばした。
――ねぇ…………あなたはだぁれ?
「裾野聖。お前、外歩いていて気が付かなかったのかぁ!? ハッ!! お前……すっかり男の中では有名人だぞ~?」
こんなことを言っていても、大神教官は大神教官だ。
人形のように美しい顔も、佇まいも本人そのものだ。
でもどうしてそんな言葉を発するのか、まだ俺には理解が及ばなかった。
――ケーキ、とけちゃう。でもあなたはあなたではない。
すると理解力が追いついていないことを察した男の中の1人が、ピエロのような笑顔を浮かべながら、パソコンのコードを跨ぎながら俺の方に画面を向けた。
そこにはたしかに俺が映っている。それ以外に大神教官も映ってはいるが、顔だけは映らない。
それにこのベッドは、大神教官の部屋だ。
そして動画の少し下にあるタイトルには、こう書いてあった。
『某殺し屋組織の現役教官が施すシリーズ55!! 賢くて一途な男の子編パート1~10まで一挙公開!!』
俺の純粋な心。
何も知らない真っ白な心。
その心を――
――その心を――
――どうして……?
うそだよね? シリーズ55って……今までに54人いたの?
「ぅ……ぅぅ…………う…………う、う、う、嘘ですよね?」
俺が震える声を押し殺して話しかけると、大神教官は高笑いをし、順番に男たちの唇に吸い付いた。
「本当だよ、裾野聖くん。ヒヒッ……!! 俺のおかげですっかりエロくなっちゃって……はははははははは!!!! もうこんなことに気付いちゃった悪い子、要らなーい!!」
そう言い、大きく手を振り小馬鹿にしたような顔をする彼氏の姿。
大神教官は、どうしてこんなことをするのだろう?
傷つけるのが好きなのだろうか?
それとも、困る顔を見るのが好きなのか?
そうは考えても聞く気力も無くなった俺は、耳に劈く笑い声を掻き消したくて、耳を塞いで現実逃避を試みた。
逃げないって決めたのに。
逃げないことが間違っていたのか?
一途に想ったことが…………間違いだったのか?
好きだから………………好きだったのに……
おれは………………
特別じゃなかったんだ…………
――ガシャン!!
俺がハッと現実に戻ると、両手に乗せていた筈の皿が無く、足元に目を落とせばぐしゃぐしゃになったケーキと粉々に砕け散った皿の破片があった。
ケーキに至っては俺の制服のブーツに飛び散っており、すぐに落とさないと跡がついてしまいそうだった。
だがそれはまるで…………大神教官に最後まで食い散らかされそうになった俺の心と身体のようで、見ていて吐きそうになり、口の中に不快感を与えるような苦いものが広がった。
「あーあ! 大神さんったら、やっさしーい!! ちゃーんとケーキを食べてあげるなんて!」
「なー! 仮眠室は大神さんの浮気部屋。彼が食べたも同然だもんねー!」
2人目がそう言ったところで、大神さんは席を立ち、「便所」と一言だけ言い、俺のことを丸っきり無視して通り抜けた。
「なぁこれ、いくらになるんだ? ざっと見積もって3万くらいはイケそうだぜ? てか、裾野って今までの子たちより従順じゃねぇ? 一途なんだね~?」
「へっへっへ……!! かーいーじゃん! 次はどの子狙うんだよ? あことしって子、狙ってみます~? てか、大神さんに取られる前に取っちまおうかな!」
俺は自然と歩を進めていた。
ゆっくりと悪魔に突き動かされるように足を引きずって近づく俺に、まだ4人は気づいていない。
あことしにこんな思いはさせない。
茂だって、ゆーひょんだって、佐藤にだって――
俺で全てを終わらせる。
そのために鍛えた肉体じゃないか。
俺は俯いたままパソコンを槍で突いて貫通させると、バチッブチッという故障音に、4人は一斉に「わっ!!」と、声をあげた。
それから毛量が戻りつつある俺の頭を凝視し、「何だよ、何だよ……聞いてねぇよ」と、口々に恐れ戦く4人を猩々緋色の目で射貫くと、
「……もう、俺で終わり」
と、自分が思ったよりも低く震えた声で呟いた。
「な、なんだよ? どうした急に?」
1人の男が俺と会話を試みようと腕を広げ、へにゃりと眉を下げる。
「俺で終わり……だから、あことしにも誰にも手出しさせない…………終わり、だから」
俺は4人を順番に目で殺すと、全員が全員何かに苛まれたのか、耳を塞ぎ目をゴシゴシと掻きむしり始めた。
俺は血涙を流させるだけではどうにも納得出来ず、槍をパソコンから引き抜き、振りあげたその刹那――
「裾野くん、ごめん!」
と、言う心地よい声と共に首に衝撃を受けて、意識の糸から手を滑らせた。
一体何時間眠っていたのだろう?
外がほんのりと明るくなってきている。
午後3時から一体…………何十時間経っているのだ?
それにしてもここは……ここには見覚えがある。
そうだ、アシスタントとして出入りしていたので分かるのだが、この独特な弾力感のあるベッドは光明寺さんのものだ。
ということはやはり、首に手刀を食らわせたのは光明寺さんだったのだろう。
でも一体なぜあの場所が……?
するとまだ目をハッキリと開けない俺の顔を誰かが覗き込んでいるのか、若干視界が悪くなった。
「……起きた、かな?」
この声は恐らく光明寺さんだろう。
「ど~だろ。優太の手刀って、強いからね~。死んじゃったんじゃないの~? それで何人か殺してたじゃん」
と、烏の羽ばたく音に混じって聞こえてくる声の主は、絶対に藤堂エースだ。
「そうだけどさ……。そうだ、あの動画は消せたんだよね?」
「問題無いよ~。あ~……やっぱり殺しちゃったんじゃない?」
俺は何となく2人の会話の波長が合いすぎて目を覚ましづらく、ずっと聞いていたいくらいなのだが、いい加減光明寺さんの立場が悪くなりそうなので、目を開けることにした。
そこには、心底ホッとした表情を浮かべる光明寺さんと、安堵の溜息をつく藤堂エースが居た。
やはりこの2人を見ると、こちらまでホッとする。
「良かった。本当に……ね。裾野くんはあと少しで組内で人を殺すところだったんだから、気を付けてね」
光明寺さんは弟を叱るように笑顔を浮かべると、藤堂エースは俺と光明寺さんの方を見向きもせずに烏に餌をやり始めた。
「はい、申し訳ございません」
俺はベッドから降りて、そう言ってから最敬礼をして謝罪をした。
というのも、組内での隊員、もしくは教官との殺し合いは……
――情状酌量も無しに死刑に値するからだ。
俺は数分にわたって光明寺さんの説教を受け、藤堂エースからは、「もしものことがあったらね~、片桐総長は俺を必ず頼るんだ。だけど大神教官は辞めさせられないかもね~」と、おっとりとした口調で言われ、俺は白くなるくらい唇を噛みしめた。
「では、どうすれば……いいんですか?」
「知らない。器物損壊罪については、あっちに請求しておいたけど、すぐにどうにかしたいんだったらね~……殺し屋なんだから、殺しちゃえばいいんだよ」
藤堂エースは適当に答えることでも有名だが、これはかなりのものだ。
本人は烏の頭を撫でたり、頬を摺り寄せたりしながら言っているし、まるで普段からしているかのような口調なのだ。
それに対し、光明寺さんは目を細めてじーっと藤堂エースを冷たい目で見ると、
「そうしちゃったら、大事な仲間が死刑になるんだけどなー。ねぇ、からすくーん。それとも、守ってくれる策でもあるのかなー?」
と、一本調子で言い、からかうように頬を指でぐりぐりと弄っている。
するとその手を払いのけ、
「あ~るよ。アシスタントの罪は、俺らの罪って誰かさんに言われたじゃん。ていうか、もうそろそろ大神教官については殺そうと思ってたし、俺の殺害方法って独特だからバレちゃうし、殺してくれるなら万々歳~!」
と、藤堂エースは諸手を挙げて烏たちを羽ばたかせ、もしゃもしゃの頭にとまらせた。
ちなみにそれを言ったのは、総長なのだが……本当に色々適当だ。
その様子に光明寺さんはツッコミきれないのか、ため息を1つついて俺にこう釘を刺した。
「裾野くんで順番を終わらせるって、よく言っているみたいだけど、裾野くんが殺気……殺したくなる時のオーラも精神もちょっと危ないものだから、これを付けておいて。万が一おかしくなっちゃったら、このボタンを押すんだよ。そしたら俺が止めにすっ飛んで入るからね」
光明寺さんによって首にかけられたペンダントを見てみると、それは透明な勾玉であった。
だが普通の勾玉のペンダントとは違い、中央部分には黒の丸いボタンが付いている。
「はい。ありがとうございます……」
俺は生まれて初めて人を殺そうと思い、アシスタントをしている2人から後押しをされている。
これでいいのだろうか?
いや、”こうするしか方法がない”。
そうだろう?
大神教官はきっと注意をしても、半殺しにしても、絶対にこの行為を止めないだろう。
そうしたら、俺が最後だと宣言した意味が無くなる。
片桐総長に見込まれたのに、期待に応えられなくなってしまう。
――そうだ。ここまで来たら、殺し屋として殺るしかない。
俺はアシスタントをしつつ計画を立て、何度も練り直した。
冷淡に殺して帰る。
顔をあまり見なければ、情が戻ることも無いだろう。
俺は藤堂エースにぶかぶかのキャスケットを借りて、念入りに感情を押し隠す練習をした。
何も言わず、ただ槍で殺してしまえばいい。
そう、計画通りに進めば……未来は変わっていたのかもしれないな。
だが俺はやはり…………ほんの一握りしか居ないと言われるあのタイプを持ち合わせているようだった。
2000年12月24日 日曜日 夜(天気:晴れ)
片桐組 グラウンド
裾野(後鳥羽 龍)
俺はワスレナグサが風に靡くパルチザンを肩に担ぎ、グラウンドの中心で目を閉じて足音に耳を澄ませていた。
すると門の方角から足音が聞こえてきた。
これは間違いなく、大神教官のものだ。
人形のような歩き方、しなやかに砂を舞い上げる歩き方……これは他に居ない歩き方なのだ。
俺はそう確信し目を開けると、目の前に来た大神教官はいつものようにニッコリと柔らかく微笑んだが、
「どうしたの? 俺さぁ、両親の何回忌かで早く行かないといけないんだけどなぁ……」
と、口から出てきた汚らしい言葉は、もうあの優しい大神教官では無かった。だけどそれでもこの顔は、大神教官だった。
俺はキャスケットを深く被り、顔を見ない様に俯くと、
「夜遅くにごめんなさい。俺、物凄く大神教官のことが好きだから……”初めて”のときを一緒に過ごしたいんです」
と、口の端を僅かに上げて、槍を地面に置いた。
すると大神教官も刀を同様に地面に置いた。
――俺で最後にしないと!
片桐総長によって歪んだ正義で、藤堂エースのバックアップの元、今鉄槌を下そうとしている。
俺は教官の剣を足で踏み、キャスケットで隠れた”悪魔の目”で顎まで見上げた。
「……たくさんの”初めて”を、無理矢理経験させましたね。楽しかったですか? 55人の中で1番言うことを聞いた従順な男の子をイジメて、むちゃくちゃにして……。だから俺、大神猛教官に恩返しがしたいんです。だって何回忌かも分からないご両親のことを考えながら、男の子をイジメるなんて……大変そうですし、それなら俺、ご両親に会わせてあげたいんです。いいですよね?」
俺は消え入るような声で言い、大神教官の腰に抱き着いた。
すると大神教官は、「へ、へぇ? まだ俺の事、好きなんだ?」と、恐怖に引きつった唇で言葉を紡いだ。
おそらく20歳も年上の教官なら、もう気づいていて当然であろう。
俺は剣の柄を踏んづけて鞘を浮き上がらせると、そのまま右手で鞘から刀を抜き取り、右手で再び柄を握ると、自分の身体の外で一回転させて大神教官の身体へと剣先を向けた。
その行為に怯んだ大神教官は、尻餅をついてだらしなく倒れ込んだ。
「うん。だから…………ご両親に会わせてあげるのも、”初めて”ですよ。あぁご両親、嬉しいだろうな……そうだ、大神教官? ご両親に会うなら、今まで俺たちを蹴ったり、動きを封じてきた脚は要りませんね」
俺は脚の付け根から徐々に斬りこみ、筋肉繊維をブツブツと斬って切断した。
「あ……ああああああああああああああああああああああああああああああああ!!!!」
申し訳ないが、大神教官が悲鳴をあげていたことは後日聞いたことだから、よく覚えていない。
……どうやら切れ味のいいせいか、骨まで良く斬れる。
「あ……”初めて”俺に返り血を付けましたね。”初めて”脚を斬られましたね。どうですか、気持ちいいですか?」
俺は血涙を流す大神教官を見下し、べったりと血の付いた刀の先で俺に付けてきたような傷を腹と背中に付けた。
「あ……ああ……あああああああ!!」
大神教官は、また叫んだらしい。
俺はそのことは気にせず、右手を持ち上げると、
「この腕は散々俺のことを苦しめましたよね。身体も心も……余すことなく汚しました。こんな腕で会ったら、ご両親は悲しいです。だから斬らないと……笑顔で会えるように、ね?」
俺は腕の付け根に剣先を当て、また繊維をブツブツと斬り刻んで切断した。
両腕を斬り落とすと流石に血が噴き出してしまい、俺の顔にもかかった。
「……汚い血ですね」
俺は光のない目で見下し、乱暴に腕で頬をこすった。
正直表情はよく覚えていないが、もう目の焦点は合っておらず、だらしなく舌を出し、目は明日の方を向いていた。
「”初めて”腕を斬りましたね。”初めて”血を俺にかけましたね。最期はどこがいいですか? 俺を騙したこの口は……俺のアレを舐めた口を見たら、ご両親が悲しまれる。…………大神教官? 御両親に会えてよかったですね……俺も”初めて”を一緒にできて嬉しいです」
俺は目の光を失った教官を見下し、切断した両腕を拾い上げ、その指に自身の指を絡めた。
だが俺はそこで一瞬意識が途切れ、第三者のような、形容しがたい錯覚に襲われた。
これは誰の指? これは誰だったもの? これは大神教官?
初めて俺を愛してくれた人?
どうしてここに居るの? どうして?
――誰に殺されたの?
「…………ん? 違う。これは大神教官じゃない。こんな出目金みたいに目も飛び出していないし、口もこんな涎だらけじゃなくて、もっとお人形さんみたいで……鼻もこんな血だらけじゃない。部屋に帰らないと……戻してあげないと」
俺は両腕と両脚を胸に抱え、引きずりつつも大神教官の部屋へと持ち帰り、次に軽くなった胴体を抱きしめ、労わりつつ部屋へと運んだ。
部屋はやはり物が多く、足の踏み場が無い。
俺は腕と脚を教官のベッドにまず乗せてから、胴体を俺のベッドから移動させた。
そして元の姿に戻してあげたかった俺は、絵具とボンドを探し当て、何日も昼夜を問わず描き、くっつけ続けた。
「ご両親に会えて幸せそうな死に顔をずっと見ていたいから」
という、歪みきった優しさを振りかざして。
数日経ったある日、ドンドンと扉を叩く音が聞こえ、俺は当時の服装のまま扉を開けた。
そこに居たのは、藤堂エースと光明寺さんであった。
2人ともかなりの量の汗を掻いている。
「どうして……!?」
光明寺さんは赤黒く固まった大神教官の血のついた肩口に手を乗せると、声も無く泣き出してしまった。
「ボタンを押したのは無意識かぶつかったってとこか~。これは手がかかりそうだね~」
と、藤堂エースは後ろ頭をボリボリと掻きながら、面倒そうに目線を逸らした。
それから部屋に入り、電気をつけた2人に飛び込んできた光景は、異様という言葉では表しがたい悲惨な愛の作品であった。
溢れかえった物、床や壁に飛び散る様々な色の絵具、ベッドのシーツにこびりつく大神教官の黄ばんだ体液とこれまた固まった絵具。
ボンドのシミが目立つ足の付け根、腹に付けられた無数の刀傷、腕のボンドシミ、そして……無理矢理顔の筋肉をボンドで凝り固め、笑顔にさせられて、その上にカラフルな絵具で天国のような場所と男性と女性を描かれた顔。
その凄惨な現場に、2人はそれぞれ落胆の表情を浮かべてこう言った。
「大神教官……そんな」
「あ~……まさしくこれが、”狼狩り”? 字、違うけどね~」
それを見てから、犯人である”狼狩り”の裾野に目を向けると……彼はこちらに向かって薄笑いを浮かべ、
「いい笑顔ですよね、大神教官」
と、他人事のようにサラッと言ってのけたのだ。そのうえ、彼の開けた衣類から覗く勾玉の色は透明だった筈なのに、瞳の色と同じ猩々緋色に染まっていたのだった。
俺は精神病院に何か月も通わされ、筋トレとリハビリ、そして感情や善意について教え込まれた。
そのときに先生と光明寺さんが話し込んでいる現場に遭遇したことがあるのだが、そこで出た単語こそ俺の忌まわしい”悪魔の目”がもたらした人格――”サイコパス”――だった。
片桐総長が後鳥羽家にこのことを連絡したらしく、片桐組で親交のある人物全員、乞田と橋本はもちろん、颯雅やけーちゃんも迎えや見舞いに来てくれた。
最初は中々近づいてくれなかったりしたこともあったが、だんだん打ち解けていき、その中で俺は徐々に人格を悪魔から取り返し、”記憶操作”に詳しい颯雅と藤堂エースが協力したこともあり、片桐組でも名家の中でも、世の中でも話題になることは無かった。
「俺の担当患者なのだが、通院だけでは時間が掛かりそうだ」と、俺の診察を終えた後のお手洗いで愚痴をこぼす先生の声を個室で聞いてしまってから、俺は先生と向き合うのが怖くなってしまっていた。
そんな俺の不安を一発で看破したのは、藍竜組で何度も手合わせをすることになる如月龍也さんだ。
あの日は豪雨と暴風雨で荒れており、バンバンと精神病院の窓を打ち付けていた。
「大事な話があるから」と、龍也さんから事前に約束をし、見舞いに来て開口一番でこう言った。
「お前は1人じゃねぇよ」
龍也さんには俺が透けて見えているのだろうか?
時折そう思わざるを得ないほど、痛いところを突いてくる。
「ありがとうございます」
俺はまだしっかり龍也さんを理解していなかったこともあり、会釈をするのが限界だった。
「いいんだ、裾野。これからは俺も治療に加わりたいし、俺で話しにくければ、颯雅を呼ぶことも出来るからな」
龍也さんは真っ直ぐ目を見ながら言うと、爽やかな笑顔を見せてくれた。
俺はいつしかその笑顔に、ホッとしつつ、だんだん凍りついた心を溶かされていった。
だから俺は今、飛躍的に腕力が増す”悪魔の目”を封印してまでこの人格を封じている。
医者からの命令というのも勿論あるが、もう二度と友人たちを傷つけない為にも、俺はこの人格の話すら…………これにて止める。
二度と別人格で周りが苦しんで、恐怖に慄いた顔を見せつけられ、俺も精神的に苦しまないように。
――永遠に。
――初恋物語(後編)・後日談に続く。
執事長の乞田です。
今日は特筆すべきことはございません。
もうあのお話をされたくないと龍様が仰るのですから、執事は従うまででございます。
次回では恐らく、後鳥羽家での処分のこと、片桐組からの待遇を話されるのでしょう。
次の投稿日は、11日の土曜日です。
なんとまぁ、御悦びくださいませ!
11日にバレンタイン直前ということで、ほっこりふわふわな短編を出されるそうですよ!
ツイッターのアンケートに答えてくださった皆様、誠にありがとうございました!
乞田も出たいですよ~!
番外編はしばらくシリアスになるので、ごゆるりとなされて下さいね。
執事長 乞田光司




