「第六-片桐組に入り浸る名家の者たち(後編)&初恋物語(前編)-」
現在のお話では、裾野さんの心の葛藤と菅野くんの意外な一面が見られます。
そして過去のお話での元凶との出会い、人物像は……?
”悪魔の目”と言われた裾野の目は、一体人に何を見せる?
※約8,500字です。
※若干グロ注意です。
※初恋物語の前編ですので、尻尾の現在に戻ったお話はありません。
2015年1月26日 午後(天気:晴れ)
後鳥羽家 庭(本館前)
裾野(後鳥羽 龍)
今日は息子の空も一緒に居る。
早いもので1歳と5か月になるが、何もせずに庭を歩かせたら走り出して怪我をしそうであったから、俺が抱っこしている状態だ。
それにしても大人しい子だ。さては俺に似たのだろうか?
だとしたら目が遺伝していないか不安だが、弓削子譲りの可愛らしい目であるから問題は無いだろう。
…………理不尽に嫌われてからでは、もう遅いのだ。
「ぷぁっ!」
空が指を咥えて俺を見上げている。
くりくりとした無垢な目には、不安そうな俺の顔が映っている。
何か欲しいのか、遊んでほしいのか……菅野のように分かりやすければいいのだが、感情が読み取りづらい。
「……」
俺が黙ってその目の奥に穴が開くほど見つめていると、だんだんその顔が歪んでいき……
「うえ~~~~ん!!!!」
と、予想外にも泣き出してしまったのだ。
こういう時は……たしか、何だったか?
ん~……こんな大事な時に、乞田が俺をあやすのに苦労していたことを思い出してしまった……。
そんなことよりも、何をすればいいんだ?
とりあえず弓削子に幾つか習った、188cmの長身を生かした「たかいたか~い」も、横揺れもなでなでもしたのだが、一向に泣き止まず、見かねた周りの庭師たちが笑顔を振りまいてくれたが、それでも嗚咽混じりに泣き叫ぶばかり。
「どうして欲しいんだ? ん?」
俺はお尻をぽんぽんと叩きながら、その泣き顔を見つめているのだが、「ぅっ、ぅっ」と言うだけで、一向に笑う気配も答える気配もない。
その時に庭を走り回っていた筈の相棒の菅野が、こちらに向かって手を振って走ってきてくれた。
そして「俺に任せてや」と、自信満々の笑顔で言う菅野に空を渡すと、
「そ~らくん!! 泣いたらあかんで! ほら笑うんや、菅野お兄ちゃんの真似して、な?」
と、見ているだけで大人でも顔が綻んでしまう菅野の笑顔を見た空は、だんだん真っ赤な目と頬を綻ばせていき、ついにはキャッキャッと笑い出したのだ。
「あんお、おいいたぁん!」
拙い発音だが、たしかに菅野の名を呼んでいる。
それに対して菅野は、「なんや、空くん?」と、おでこでスリスリしながら笑っている。
……どこで覚えてきたのか? それとも、天性なのか……。菅野は本当に子どもの相手が上手い。
少し前から知っていたことだが、つい俺はこう呟いてしまっていた。
「お前との子どもだったら……」
と。
だが小声だったためか、菅野は俺を眩しいくらいの笑顔で見上げて聞き返してきただけだった。
もちろん俺は、あんなことをもう1度言える訳もなく、
「何でもない」
と、口ごもって言い、頬も耳も熱いのを隠すように、頭をふわふわと撫でた。
「……? まぁええけど、もう泣かせたらあかんで!」
と、撫でられて嬉しそうに目尻を下げる菅野に、俺は何度も何度もドキッとさせられる。
その度に俺はこう思うのだ。
どうして男なんだ? どうしてヘテロなのだ? ……とな。
すると無意識に力が入っていたらしく、「いたい~」と、いう間抜けた声が聞こえてきて、手を反射的に退けると、菅野は右人差し指を斜めに向けてこう言ってきた。
「なぁ、俺が子守りした方がええ?」
と。まぁ随分と得意げに言っていたが、それもわかる。
そうやって空を抱いている姿が、俺よりも様になっているのは周知の事実。
庭師たちも「お似合いですね!」と、異口同音に称え始めた。
俺はそれが止むのを待ってから、「そうしてくれ」と、眩しい笑顔と空の無垢な顔から目を背けて言うと、先に後鳥羽家本館に入った。
今日は事前に息子を連れてくると言ってあるため、ナイフは飛んでこない。
俺が先に階段を上り始めたところで振り返ると、菅野は空にずっと屈託のない笑顔を向け続け、関西人ということもあってか、ギャグを次々に披露しては笑わせていた。
「……」
俺はその様子を見ているのがあまりに辛く、居ても立っても居られなくなり先を急いだ。
十人十色とはよく言ったものだ。
だが天性で子どもをあやせる人間が、笑顔の素敵な人間が、バカだがアホでは無い人間が、日に焼けた健康的な肌に茶髪の人間が、あんなにも素直な人間が…………どうして絶対に結ばれない形で一生側に居るのだ?
もし菅野がどこかの名家出身の女性なら、恋愛もその先も互いに笑顔で出来たのだろう。
男性だとしても、ゲイかバイなら養子を養っていけただろう。
俺は悔しさから唇を噛みしめ、誰にも聞こえないようにまた呟いた。
「これは……神を欺いてきた罪ですか?」
その声は驚くほど震えていて、俺は初めて自分が涙を流していることに気が付いた。
歩みは進めているのに、どんどん視界がぼやけていく。
”強欲”の罪を犯し、殺人という形で都合の悪い人間を葬ってきた罪。
精神異常と診断されたことのある殺害方法、殺害動機。
…………振り返れば、俺の人生は罪に塗れて薄汚れ、最早白い部分はほぼ残っていない。
もしこれで菅野が居なくなったら――
そんな恐ろしい考えからふらつきながら歩いていた俺に、片腕で遠慮がちに抱き着いてきた菅野は、
「裾野、死んだら嫌や……。空くんと弓削子さんは勿論やけど、俺も嫌や……」
と、背中にピッタリくっついてくぐもった涙声で話し、俺のコートに言葉を発する度に歯を立てた。
菅野はオーラが色になって見えるから、俺から見えたのだろう。
”後悔”、”罪”、”やりきれない思い”が入り混じったグチャグチャの色と、破り去られ床に散らばってしまったキャンバスと絵具を。
「……すまない、菅野。考え事をしていたんだ」
だからこそ、俺は強がるのだろう。
4つ年下でまだ20歳にもなっていない菅野に、弱いところを見せきれなくて、大人になりきれない自分が悔しくて、過去を過去と出来ない自分を受け入れられなくて、それで――
あぁ、このままだと一生自分の嫌な部分を書き連ねられそうだな。
……場所を移そう。
俺が俺で無くなってしまう。
それからすぐに俺と菅野は、俺の部屋へと入った。
ベッドもあるし、荷物も置けるからその方が良いという形にはなったが、本音を言うなら他の場所に行って乞田のことを下手に思い出したくないからだ。
今日の俺は、ひどく感傷的で自分でも吐く程気持ちが悪い。
もう菅野と空は連れて行きたくないが、今度落ち着いた時にでも連れてこよう。
俺は颯雅同様に菅野に勉強机の椅子に座るように言い、俺はベッドの端に座って子守唄を歌い、空をものの数秒で寝かしつけた。
「相変わらず、歌上手いな~」
菅野はそんな俺を歯を見せて笑いながら言う。
今日はこのくらい離れたところから話そう。
というのもな、近くに居るとどうしても、嫌でも先程の笑顔やら何やらが頭を過ってしまうからだ。
――今まで乞田と橋本にしか話さなかった、俺の初恋と料理特訓。
俺の初殺人、俺の人生の汚点、俺の精神の異常さ…………
何もかもの元凶になった大神猛教官とのことを、洗いざらい話してしまおうか。
1998年4月12日 日曜日 午前(天気:曇りのち晴れ)
片桐組 狼階 食堂
裾野(後鳥羽 龍)
片桐組は土日であろうとも、休ませないのが特徴だろう。
といっても、午前中だけで午後は自由であるから、おそらく生徒たちも気が楽なのであろう。
それよりも大神教官の態度だ。
今日の授業中も、先輩と一緒に受けない授業に限って俺ばかりを指名し、同期たちを困惑させた。
そして頭の出来が良い方であったのもあり、毎回正解する俺の頭を撫で回しては笑顔を向けてきたのだ。
これで好きにならない異性は居ない。
だが俺は以前言った通り、バイセクシュアルだ。
男性で年上である大神教官であれ、俺のストライクゾーンとなり得る人物なのだ。
そのうえ、当時の俺はどちらかと言うと面食いであったから、益々夢中になってしまったのであった。
だから授業が終わるといつも質問という名目で近づき、
「この後、空いていますか?」
と、忙しいのも承知で話しかけに行った。
だが大神教官は、頬をなでながら決まってこう言うのだ。
「ごめんね、裾野くん。今日も忙しいんだ」
と。
この理由を知るのは、ずっと後の話だが、俺はそれを信じ切っていたのだ。
とりとめもない大人の嘘を。
やがて昼食の時間になり、俺は同じ階所属の佐藤と食堂へと向かった。
俺たち同期組はそれぞれ所属も違うので、毎週どこの階の食堂で昼飯と夕飯を食べるかをじゃんけんで決めていた。
そういう訳で、昨日までは成り行きで鷹階だった。
だがついに昨日、じゃんけんが行われた。
そして狼階代表の俺が……!
この1週間を制することが出来たのだ!
まぁその……今ではどうってことないのだが、当時はなんせ6歳だ。
そこまで動かずに美味しいご飯が食べられる嬉しさ、知り合いの多い中で食べられる喜び……!
そして何よりも、この個性的すぎる4人の同期たちの会話の主導権を握りやすくなることに、この上ない何かを感じていたのだろう。
認識できている今ならこの言葉に置き換えよう。
”優越感”という言葉に。
俺たちは狼階のオープンテラスのような食堂に集まると、決まって窓側を選ぶ。
というのは、情報屋が居る烏階所属の蒼谷茂が寒がりだからだ。
彼はいつもホットコーヒーに、砂糖スティック5本、小容器のミルクを3つ入れる。
俺はそれを尻目に目の前でブラックコーヒーを飲んでいる。
それに対し、いつも怪訝そうな目を向けて来るのだが、嫌ならば俺の向かい側に座らなければ良いのだ。
だから恐らく、俺に一種の憧れを抱いているものだと、当時は思い込んでいた。
「茂って、甘党?」
真っ黒な前髪を二重瞼ギリギリまで伸ばした、若干接しにくさを感じる茂は、誰かが話しかけない限り、黙ってパソコンで作業し続けてしまうような、良く言えば真面目な男だ。
俺はそんな茂と仲良くなりたくて、よく向かい側に座っては話しかけていた。
「……そうですね。あなたは苦党のようですが」
茂は黒縁の細いノンフレームメガネをクイと上げると、椅子に浅く座り直し背筋をピンと伸ばした。
その様子がおかしかったのか、俺の右隣から快活な笑い声が飛んできた。
コーヒーを口に含みながらそちらに横目で見遣ると、そこには茶髪をツンツンに吊り上げたオールバックに、後れ毛をオシャレに弄ばせた髪型に、少し気になるからか、ニホンアナグマの尻尾くらいの長さの髪を後ろにストロベリー色の細いゴムで結ったやや小柄な男の子が居た。
「すそのんのんは、苦党! しげちゃんは、甘党! 俺は鷹党!」
こいつの名前は、あことし。スナイパーが居る鷹階所属で、一応コードネームだが、何となくあの名家では無いか、と察しのつく名前だ。
するとあことしの隣から、上品というか、若干女性の気も入った甘い声が聞こえてきた。
「それなら、私は辛党ね」
こいつは、重量系が居る象階所属のゆーひょん。初めて会った時から、それとなくオネェのような……そのような気はしている人物だ。
見た目は女性らしくもないし、かといって筋肉隆々でも無い。
言うなれば、キャラの割に真面目な風貌ということだ。
例えば、ぶりっ子走りはしないが、先輩たちに甘えられる……等。
俺も何となく苦手で避けてしまっているところがあり、イマイチ人物像に関しては分からない。
「じゃあ俺は、スイート党に一票」
茂の右隣に座っていた佐藤順夜。コードネームもそのまま本名を使う、最前線で戦う狼階では珍しいタイプの殺し屋だ。
ちなみに情報屋は、全員原則本名なのだが……。
こいつの容姿は、菅野の話で出てきた頃とほぼ一緒だ。
あれがあのまま小さくなった、と言えば、分かりやすいだろう。
「スイート党って、甘党だから茂とお揃いだろう」
俺が頬杖をついて言うと、あことしとゆーひょんは、そろって首をかしげた。
「なぁなぁ、すそのんのん。お揃いって、何だ?」
あことしはクリクリとした丸い目を何度も瞬きさせ、何の悪気もないようなあっけらかんとした口調で訊いてきた。
――そうだった。
あことしは、ギャンブルこそ得意だが勉強や運動に関しては致命的であった。
何せ、入学式の後日に行われたテストで、0点を採るという秀才振りなのだから。
「お揃いは、一緒ということ」
俺が人差し指を立てて、若干得意になって言うと、佐藤は「めーんどーくせー」と言うし、茂は無言でパソコンに向かい続けるし、ゆーひょんは欠伸をしてしまった。
だが、あことしは、こいつただ1人は……目を輝かせて、胸の前で手を組んでいたのだ。
「なぁ! てことはだよ? お揃いっつー言葉と、一緒って言葉は、違う言葉なのに、一緒!? す、す、すっげーーーー!! すそのんのんって、すっげー天才なのなぁ!!」
あことしは興奮のあまり、椅子に立てかけてあった子ども用のスナイパーを床にカランと倒してしまっていた。
俺は飽きれつつも頷き、あことしのスナイパーを拾ってやると、あことしは俺の両頬を手で包み、グッと顔を近づけてきた。
「ほえ、んん?」
俺が頬をむぎゅむぎゅされて上手く話せずにいると、あことしは「綺麗な目だなぁ~!! この目とちゅーしたーい!」と、意味の分からないことを言い出したので、ゆーひょんが尻を叩いてあことしを席に座らせた。
それからも、しばらくあことしと佐藤と話していたのだが、ずっと茂の目線を感じていた。
なので2人に待つように言って、茂の方に目を向けると、
「綺麗な目、ですか? 俺には底の見えない真っ黒な目に見えますよ。何でしょうね……あなたの目には引き込まれますよ」
茂は別人のようにうっとりとした表情で淡々と言うと、また元の彼に戻ってパソコンに目線を落とした。
……何だろう? 俺の目はそんなに引き込まれるものなのだろうか?
そう言えば、騅の話でも引き込まれると言っていたか。
まぁあの時は……金髪に赤い眼であったから、尚更引き込まれたのだろう。
するとゆーひょんが突然席を立ち、俺の目をじっと見つめ始めた。
「そう、ね……茂の言う通り、何だか引き込まれちゃう目ね。でも私には、天国にでも連れて行ってくれそうな白い目に見えるわ」
「白い目!? えーでも俺はやっぱり、ちゅーしたくなる!」
「そんな訳ありません。真っ黒な目です」
と、同期が口々に俺の目を見て言うので、俺はどんな顔をしたら良いか分からなくなり、俯いてしまった。
その間も、佐藤は手鏡で自分の目ばかりを見るだけで、助けようともしてくれなかった。
そうしてしばらく言いあいを聞いていると、そこに耳の奥からゾワリとし、背筋が泡立つような尻下がりの中低音の声が俺の脳を貫いた。
「仲が良くて何よりだね」
教官だ。
俺の心臓がドキリと跳ねあがってしまう。それから見上げて彼の方を見れば、やはり美しすぎる顔にうっとりしてしまう。
「あー! 大神きょうかーん! すそのんのんの目を見てよー!」
席から立ちあがって、グイグイ腕を引っ張るあことしに促され、唇が触れあいそうなくらい近くに寄って俺の目を見る大神教官は、なんとものの数秒で顔をしかめたのだ。
その顔は、苦痛にも後悔にも、怨恨の色が滲んだようにも見えた。
「……っ! な、なんてことを……! 君は……!」
大神教官は焦燥感で我を失い、俺を椅子ごと押し倒し、首を鷲のように両手で掴み、あろうことか絞め殺そうと力を込めた。
この騒動に他の殺し屋たちも、こぞって野次馬をし、俺と大神教官の写真を撮る者まで出ていた。
「うっ……!! あ……あぁ…………ぁ……」
俺は抵抗しようにも大人の圧倒的な力の差に、数秒で意識を朦朧とさせ、同期たちの泣き叫ぶ声を最後にゆっくりと意識を旅立たせていった。
――!? ――の! ――そのっ!! ――のんのん!! ――裾野!!!!
…………うぅ。ここは?
どうやらここは夢の中らしく、辺り一面が真っ白で足の感覚を信じるなら、ここは雪の上のようだった。
「……」
俺は……何を……どこで……あ……痛い…………く、首が……
そう思い首に手をやると、ブツブツと赤く腫れあがり、今にも破裂しそうな腫瘍のようなものが5個もくっついていた。
「ひっ……!?」
俺はすぐに手を離したが、指にはべっとりと鮮血がこびりついた。
「…………い、痛い」
俺がその場にしゃがみ込むと、突然目の前に忍さんが現れ、俺の首に鞭を巻き付け、1つの腫瘍のに力を込めてグリグリと締め上げた。
――1つ目。
ぐにゃりと音がし、1つ目が大量の出血と共に破裂する。
それと同時に聞こえたのは、大神教官の断末魔のようなもの。
「……教官!?」
俺が頬に飛んだ血に触れると、「君は一体……何を知っている?」と、言う悲しげな、おぼろげな声が聞こえてきた。
……俺はなにもまだ……あなたのことなんて……
これから、知るんですよ。
あなたの美しい顔を…………愛が欲しい意味、理由を……だから……
「もう、やめろよ! やめてくださいよ!」
俺は忍さんの足にしがみつき、何度も揺すった。
すると、忍さんは俺の瞼に口づけを落とし、何かを言いたげな表情で消えていってしまった――
「……」
それを合図に俺は、夢の世界から戻ってきた。
虚ろな目球を動かすと、スプレイグリーンの天井と等間隔につけられた白熱灯が目に入った。
…………汗、びっしょりだ。
俺はそう思い、小学生用の制服のシャツ襟で首元を拭こうとしたとき、生々しい腫瘍の破裂音が耳の奥から響き渡り、高鳴る心臓を抑え込んで、首におそるおそる手を這わせた。
だがそこには腫瘍は無く、冷え切った手で触るとヒリヒリとするくらいの平らな首があった。
「……本当に、夢?」
と、不安のあまり呟く俺に、誰かが「そうだ」と、呆れかえった声で言われた。
そしてその人の方に目を向けてみれば、それは……
「寝ている他人の足にしがみつくとは、いい度胸だな」
……完全に不機嫌色で塗りたくられた顔をした、忍さんであった。
たしかに、見舞い用の簡素な丸椅子に、右足を上にして脚を組んで座っている。
夢の中では立っていたが、おそらくそれは途中から見舞いに来たからであろう。
「どうして……?」
俺は乞田を傷つけた張本人が、どうしてここに居るのか。
当時はそれが先に気になってしまっていた。
「勘違いするな。俺は狼階の次期エースなのでなぁ……」
「そういうことではなくて……どうしてあの時、俺のところに……」
「俺の話を遮るとは。……まぁいい。お前、よく見たらあの時の金持ち息子か。フッ……お前、その目で大神教官を殺ったんだろ?」
忍さんは俺の腹に、声をあげないギリギリの強さで左腕を置き体重をかけると、不敵な笑みを浮かべた。
「……教えてください。どうして俺の目は……」
俺が忍さんの腕を押しのけるように身を乗り出して、忍さんの目をじっと見つめると、忍さんは脚を組み替え、顔を入口の方に背けた。
「フッ……俺も使命感を刺激されただけで、詳しくは知らない。だがな、金持ち息子。もし大神教官を好いているなら、お前が支配されたい場所を満たす訓練をしろ」
忍さんは、そう言い捨てるように言うと、俺の眉間をチラリと見て歩き去って行った。
忍さんはかなり意地悪……違うな。ドSだ。
だが、当時の俺がギリギリ分からないアドバイスをいつもしてくれていた。
この場合は「料理」なのだが、6歳の俺には遊びや殺しの訓練ばかりが頭に浮かんでしまっていた。
それから数分もすると、大神教官が張り付けたような笑顔を浮かべて入ってきた。
その手には、数十種類の花が束ねられた俺の小さな腕に入りきらないような、大きな花束が握られていた。
「大神教官っ……」
俺は彼の名前を震えた声で呼ぶと、大神教官は無言で胸の中に花束ごとすっぽりと収めてしまった。
「怖かったね。もう大丈夫だよ」
と、背中をトントンと優しく叩く大神教官は、人の懐に入り込むのが異常に上手い為、俺はもうこの時からすっかり虜になっていた。
「……ごめんなさい」
俺が花束ごとぎゅうと抱きしめ返すと、フフッと耳にかかるように熱い息をかけ、大神教官は「いいよいいよ、俺こそごめんね。あ、そうだ、裾野くんは料理作れる?」と、俺と目の合う距離まで遠ざけて訊いてきた。
「あ……」
俺はそこでピンと来たのだ。
小説で読んだことのある、「彼女に胃袋を掴まれて好きなった」というフレーズが、記憶の泉から湧き上がってきて。
「料理、すぐに勉強します!!」
俺は大神教官を押しのけて、花束も受け取らずに走り去ってしまった。
それから俺が向かった先は、毎週日曜日夜に行われている料理教室だ。
今から行けば、もしかしたら間に合うかもしれない。
そうすれば、大神教官の胃袋を掴めるかもしれない。
……そんな、まだ無自覚の6歳の男の子の淡い恋心が、物語っているのだ。
――初恋物語(中編)に続く。
読了お疲れ様でした。
執事長の乞田です。
龍様……本当にお辛い思い出が多すぎますよね。
そんな龍様に私乞田は、少しでも安らぎと楽しい思い出を与えられたでしょうか?
……その答えをお聞きすることになるのは、大分先のお話です。
私は聞きたいようで、聞きたくありませんが、龍様のお気持ちが晴れるのなら……
楽になるのなら、いくらでも受け入れましょう。
大好きな龍様のことですからね。
明後日(1月28日(土))にお話されることも、覚悟をしてお聞きいたします。
執事長 乞田光司




