「第五-”裾野 聖”の誕生-」
ついに裾野は、殺し屋としての第一歩を踏み出すことになる。
そしてそこで出会ってしまう、元凶となる人物とは?
※約8.900字程度です。
※誤字、脱字等がございましたら、一旦心の目で透視してお読みください。
1998年4月9日 午前8:30
グスト出口
裾野(後鳥羽 龍)
それから数歩歩くと、突然俺は座りこんでしまった。
というのも結構な大音量で……
――ぐうぅぅぅぅ?
俺の腹の虫が「ご飯はまだですか?」と、質問でもしているかのように鳴ったからだ。
それに龍也さんはすぐに気づき、「お金は払うから」と、はにかんで言ってくれた。
そのあと近くにあったグストで、それぞれお子様ランチAセットと、ミックスグリル1つにBセットを食べ朝食を済ませた俺たちは、9時から始まるという入学式の為、早歩きで片桐組へと向かった。
片桐組前に到着したのは、8時50分というかなりギリギリの時間。
そのうえ、何十メートルはあろうかという橋の手前に身長190cmを裕に超す総長が腕を組んで待っていたら?
俺はその光景だけで、足がすくんでしまった。
すると龍也さんは目線まで屈んで、俺のまだ幼い手に荷物を握らせて、
「龍虎の仲になれる相棒が見つかるといいね」
と、何かを含んだ笑顔で言い、歩き去る後ろ姿もどこか先見性を感じさせるような、堂々としたものであった。
当時の俺はたしか……名乗りもしなかった龍也さんの態度も含めて、「これぞ、本で読んだ剣士だ!」とか……思っていたのだろう。
きらきらと目を輝かせ、かなり重い筈の荷物も軽々と持ち上げて見送っていたという。
その後ゆっくりと橋の手前に立つ人物を、不安で心臓が張り裂けそうな顔で見上げると、総長はいびつな笑顔を浮かべ、
「話は聞いている」
と、形容しがたい表情と雨が固まるくらい暗く、また地響きを起こすような低い声で言われ、たったの一言であったのに、金縛りに遭ったかのように動けなくなり、全身から冷や汗が流れ出た。
――この人が……一番偉い人?
当時の俺はそう直感し、総長が背中を向けて歩き出していても、何かがつっかえてしまい、指令を無視した俺の足はその場を動かなかった。
そして揺れ動く視界から逃げると、真っ黒なままピタッと動きが止まった。
逃げたい自分を押し殺して目を開ける。
直後に飛び込むのは、先程までは見上げきれなかった総長の一重で瞳は割に小さく切れ長で、鯨のような寄りがちな目であった。そのうえ、その眼で俺のことを食べてしまえるくらいの鋭い眼光と、身体の底から冷えてしまうような黒さに、俺はすぐに目を離した。
「……」
だが総長は、逆に俺の目を食い入るように見つめ、
「お前の目は……人を魅了する悪魔の目だ。人を殺めるこの道に進めば、敵を無意識に引き寄せ、直に赤くなろう。…………後鳥羽め……後鳥羽め……!」
能面のように冷たい表情で俺の首に手を伸ばし、雨の滴る白い首に手をかけようとしたときに、何かに気付いたのか、すぐにその手で拳をつくった。
「……」
当時の俺は意味が分からず、苛立った様子で前を歩く巨漢の男に黙って付いて行くしかなかった。
騅の話を聞いたのなら分かると思うが、騅が初めて出会った後鳥羽龍という人物は…………金髪に赤い眼の殺し屋として調子に乗っていた時期の彼だ。
今はだな……敵を寄せ付けてしまうこの眼が嫌いで、鳩村が作った特殊のコンタクトかメガネで過ごしている。まぁそうだな……菅野が知ったら、今まで隠していたことに怒りそうだが。
数十分後……
片桐組 総長室
裾野(後鳥羽 龍)
騅は片桐組に入る前のこの大橋をありのままに表現していたが、俺にとってこの大橋は脱出不可能な収容所への入り口、即ち”三途の川”の上を渡る、死にぞこないが通るか否かを決める橋にしか見えなかった。したがって、どことなくどんよりと見え、また明るく後鳥羽を追い出されたのか、とも考えてしまっていた。
総長室までは歩いていったのだが、その間もすぐ隣には、総長室のある城まで続く1人1人マンツーマンの形で間仕切りされた列が並んでいた。
それを総長に勇気を振り絞り、生唾を飲み込んでから訊くと、
「あれは、一般入学志望者の面接だ。10割が落ちる」
と、呆れかえった声が返ってきた。
――10割……? それって全員……?
俺は衝撃から思うように息が吸えず、その場では訊くことが出来なかったが、片桐組に数年在籍し、役員陣に気に入られて知ったことなら話そう。
一般入学志望者は、年に100人は居るらしい。
だが10割を落とす。その理由はただ1つ……
”片桐組は、名家以外は余程の天才でない限り立ち入り禁止”
という、あまりに身勝手な裏規則があるからだ。
そのうえ、落ちた志願者たちを真っすぐ家には帰さず、麻酔をかけて眠らせ一部の臓器を抜き取るという。用途は守秘義務により、伏せておく。
例えば、態度や言動が目に余る志願者からは心臓や脳を、礼儀のなっていない志願者からは耳や目を、その他は肺、腎臓をといったように。
……それに気づいた頃には、背後に気を付けるがいい。
俺たち殺し屋が目を爛々とさせて立っているかもしれないから。
その列を横目で見ながら歩き進めると、注射を刺されそうになり抵抗する志願者や、暴力を振るわれている志願者も目に留まってしまった。
「…………」
だが俺は何も出来なかった。
片桐組の隊員と思われる面接官たちが、この巨漢の総長が視界に入る度に敬礼や会釈をしているのを見ていたから。
今俺がここで「止めろ」と、叫んだらどうなるか、小説や映画に耽っていた俺になら予想がついたから。
――殺される
という、何よりもこの無限大の恐怖感に縛られたからであった。
この人に逆らったら俺は――
――バンッッ!!!!
耳を劈くような音に、俺はハッと意識を取り戻した。
俺は今、総長室の総長の机の前に立っている……そして総長が机の上に拳を作り立ち上がっている。これは…………つまり、
「……っ!?」
俺はそんな回想に耽っていたせいで、総長の話を聞き落としてしまっていたのだ。
25年の生涯において、一生の不覚とも言える事故だ。
「この俺の前で…………後鳥羽の悪魔め!!!!」
そう声を荒げる総長の顔は、生え際に蛇が這ったように青筋が出来上がっており、オールバックにした銀髪混じりの黒い短髪も毛穴一本一本から炎が出ているかのように、空気がビリッとなった。
「…………」
俺はそれなのに不思議と、眉も頬も動かさずじっと総長の目を見ることが出来た。
もうこの人からも逃げないようにしないと、そう言い聞かせて。
「後鳥羽も後醍醐も後白河も……こうやって送り付けてくる奴らは皆……!! ……悪いが、湊司」
総長が鼻を龍のように大きく開き、呼吸を乱しながら地響きのような低く暗い声で、すぐ後ろに控える実の兄の名を呼ぶと、副総長は一礼し、お面ような笑顔で俺の隣までズカズカと歩み寄った。
「あなたのお名前は後鳥羽龍ですが、そのまま活動されますと他の御子息や御両親に迷惑がかかりますので、殺し屋としての”別のあなた”を御創り願いたい。そこで、コードネームというものをお付け下さい。まだ幼いですから? 副総長の私がお付けしてもよろしいのですが?」
隠しようもない得意顔と鼻にかかる割に勝ち誇ったような声に、身を強張らせたが、総長と同じ巨漢のこの男から脆さを何となく感じ取った俺は、ジャケットの裾をぎゅっとしつつも薄ら笑いを浮かべていた。
その顔を見た副総長は、その強かな表情に感銘を受けたらしく、上品に数回拍手をした。
「いいでしょう! あなたのコードネームは、”裾野 聖”です。おめでとうございます!」
副総長は尚勝ち誇った表情と声で俺を見下ろすと、頼んでもいないのに由来を話し始めた。
その時の総長は、何かの悪魔に憑りつかれたかのように、俺の目を穴が開くほど見つめていた。
俺はこの原因を後程知ることになるのだが、とりあえず無意識に総長の動きを止めていたらしい。
話が逸れたな、そう……副総長の自慢話の入った御下劣な由来の話の全貌を話す訳にはいかない。
要するに由来はこうだ。
裾は、ジャケットの裾を握っていたから。
野は、他の名家と違って、野蛮な態度を取らなかったから。
聖は、後鳥羽家の七つの大罪と悪魔に打ち勝てるように。
…………俺が裾野と名乗っているだけで、聖を名乗らない理由が気になるやもしれない。
それは菅野も恐らく驚くだろうが、俺は名前に助けてもらうほど悪魔と罪の追随に困っていないからだ。
だから裾野としか名乗らないし、フルネームでの署名を求められない限りは、これからもそうする。
名づけを終え、無事に入隊した俺は入学式に臨んだ。
もちろん、女性は職員を含めこの当時は1人も居ない。むしろ、名家としても男性を出して強くしたいという狙いもあったからだろうが。
毎年10人ぐらいだと言われているが、俺の代は自分を含めてたったの5人。
原因はこれといってないので、タイミングの問題だったのだろう。
よって1年生の教室で、教官らと役員陣のみの参列でひっそりと行われた。
入学の挨拶、片桐組の規則の読み上げ、理念の説明、今後の予定等…………
その席でもやはり感じ取ってしまったのは、片桐組の冷酷さ、人当たりの冷たさ、そして愛や血に飢えたような渇いた顔、そして…………教官の1人から熱烈に注がれる視線。
というのも、片桐組は徹底された実力主義で、依頼数と成功率で1位になった者にしか”エース”という地位を寄越さない。交代の条件は、途中で殉職したとしてもその者の実力を超えるか、殺すかの二択となる。
その理由は、エースの称号をいただくと、本来なら20歳の誕生日で強制退職となるところを延長してもらえるからだ。人によっては、これを苦と感じ自害する者も居るそうだ。
その自然に任せない考え方に、俺は入学早々言葉に出来ない程の恐怖を味わったのだ。
やがて入学式も終わりに近づき、ついに寮の組み分けが行われることになった。
騅の話にもあったが、片桐組には4つの寮がある。
近距離武器系統の狼階、重量級の象階、遠距離部隊の鷹階、そして情報屋集団の烏階。
では、どうやって分けられるのか?
それは体型、性格、視力、テストの成績等の素質のものと、エースと馬が合うかどうか、それから希望の階の入隊テストを受けて決めるのだ。
俺は狼か鷹を希望していたが、乞田の槍を使いたいがために狼に絞り、エースと個別に別教室で話し合った。
当時のエースは殉職なさったから名前は出さないが、柔和な雰囲気を持つ珍しいタイプの殺し屋であった。
その方は俺と向かいあう形で机を並べ、一緒に他の机を端に追いやると、
「どうも、狼階のエースです。君は、裾野くんかな?」
と、普段から大豆ほどの大きさの目を更に細めて、気さくな口調で話しかけてくれた上に、資料にも目を通していたのか、机の上にはマーカーだらけの資料がまとめて置いてあった。
「はい。よろしくお願い――」
「そういうのはいいよ。とにかく狼階を希望してくれて、ありがとうね。よかったら答えてほしいんだけど、裾野くんは、どうしてここが良かったのかな?」
その方はふわりとした笑顔を浮かべ、砕けた口調で訊いてくれたので、俺はつい、
「執事長が――」
と、話し始めてしまい、エースはそれをすぐに落ち着いた表情の中に厳しさを含めつつも手で制し、
「君は裾野くん。新米殺し屋さんだから、そんなお金持ちが飼う執事なんてペットは居ないよね?」
と、先程とは打って変わったギョロリと蠢く目の見開き様と、まくしたてて脅すような口調に、俺は何度も瞬きをするだけで、何も言えなくなってしまった。
だが反省したことを悟ったのか、すぐに目を細めたあの柔和な表情に戻り、
「あ~あ、今の顔は無しね。仕事の顔だから」
と、親友に話すような身近さを感じる話振りにも戻った。
「…………理由は、この槍を使いたいからです」
俺は殺し屋として生きる自分と、後鳥羽家の七男としての自分と葛藤しながら、色々そぎ取った理由を話した。
するとその方は目を細めたまま、何度も何度も頷き、装飾のワスレナグサを褒めてくれた。
「ありがとうございます」
「いいよ。それとね、話が合いそうだから合格にする。そこで、このままここで狼階の入隊テストをしたいんだけど……トイレ休憩を挟まなくても平気かな?」
その方は話しながら立ち上がり、椅子に立てかけてあった大ぶりの槍を、追いやった机群に当たらないように2,3回振り回すした。
その姿は今でも目に焼き付いている程、美しく壮大で……頼もしかった。
俺は断ってトイレに立ち、まだ高鳴る心音に手を当てた。
ドクン、ドクン、と響く自身の心臓に、深呼吸を加えて落ち着かせていく……
これは乞田がこっそり教えてくれた緊張解消法だった。
今でも使っているかどうかは、想像に任せるとするが。
そうして自信をつけてから教室に入ると、突然眉間目掛けて俺の槍が飛んできた。
「……!?」
俺はほぼ反射的に槍を避けてから柄を掴むと、しっかり腰を落として構えた。
「うん、よくできました。次は防御を見るよ」
その方は凛とした声でそう言うと、槍をブンと大きく振り回し、防御の姿勢が取り辛い方向から薙ぎ払った。
もちろん力の部分では手加減をしているが、攻撃の仕方は容赦ないものであった。
「くっ……!」
俺は乞田との特訓を思い出し、真正面からぶつからず、滑らすように攻撃を受け流した。
力の無いうちは、受け流した方が良いと教わったから……!
「いいね! そうこなくっちゃ!」
それからも、エースからの無理難題な防御試験は3分ほど続き、次は俺が攻撃を仕掛ける番となった。
だがやはり相手は、狼階を率いるエース。
防御だけではなくカウンターまで仕掛けられ、危うく首が飛びそうになった場面もあった。
それでも諦めないのは、病院に運ばれた乞田のため、家で待つ橋本のため。
「…………これで!!」
俺は乞田から教わった、物を使った技を仕掛けてみることにした。
まずは椅子を槍で持ち上げ、てこの原理を使い相手に投げつける。
それから机の下に逃げ込み、振り下ろされる槍の雨をかわして、都合の良い間合いに詰めていく。
そこで相手はこう思う筈だ。
「槍の間合いでくるんだね!」
自信満々で槍を構えるエース…………だがこれが落とし穴だ。
俺はしゃがんだまま近くの机まで転がるように逃げ込み、振り下ろされた机の合間から、思い切り飛び上がり首に腕を巻き付かせる。
だが経験から読めたエースは、槍を素早く手から離すと、眩しいくらいの笑顔で俺の両手首を片手で束ねるように掴んで宙づり状態にし、
「賢い戦い方をするね。狼階は最悪7分死ななかったら入れてあげるんだけど、ここまで面白い戦い方をしてくれるなら、文句なしの合格!」
と、ぷらぷら揺れる俺の身体をゆっくり降ろしながら、まるみのある声で言ってくれた。
「あ……ありがとう、ございます……」
俺は当時満身創痍で、汗もだくだくであったから、汗ばむ髪を直してからそう言ったと思う。
あとは……ついにこれを話す時が来た、と思ってしまうのだが、狼階の場合の最終試験は、膝をついて忠義を誓う宣言文を読まなければならないのだ。
これを拒否すれば、その場でエースが首を落とす。
そうも説明され、俺は原稿用紙3枚分にも及ぶ宣言文を、難関漢字でつっかえながらも読み上げた。
――こうして片桐組狼階所属の俺と、後鳥羽家という名家出身の俺という、2人の後鳥羽龍が生まれたのであった。
このとき、俺の過去を語る上で忘れてはならない出来事が起こったことも話しておこうか。
その出来事は、エースと訓練を終えて外の空気を吸おうと、傘片手に外に出た時に起こった。
その場には偶然にも同じ心境の同期の4人も居合わせていた。
俺がその4人に駆け寄ろうとしていていたとき、真後ろに居た誰かに肩を叩かれ振り返ると、あの熱烈な視線を送っていた教官と目が合ってしまった。
教官は俺と目が合うなり、にんまりと口の端を不自然に上げ、
「狼階の教官で国語と英語を担当している、大神猛だよ。裾野くんは本当に6歳なのかなってくらい、愛に飢えている子だね……それ、僕が原因を教えてあげようか?」
と、尻下りの甘えた中低音ほどの声で、いかにも胡散臭い雰囲気を持つこの男。
たしか、俺との年の差は20だったから、橋本とそこまで年齢は変わらないことになる。
そのうえ、愛を欲しがる意味を知りたかった俺は…………頷いてしまった。
大神は舌で自身の唇をねっとりと舐めると、俺の頭をポンポンと撫でた。
――この男との出会いが、大神との出会いが、オフホワイトであった筈の人生の最初のシミとなるとは知らずに。
現在に戻る……
後鳥羽家
執事寮(橋本と乞田の共同部屋) 夕方
裾野(後鳥羽 龍)
俺が話し終え、足元に視線を落とすと、疲れた様子の橋本が首を回しながら部屋に入ってきた。
それから俺に一礼をし、颯雅に目を向けると、カッと目を見開き、殺気に満ちたオーラで胸倉をガッと掴んで何度も揺すりながらこう言った。
「すぐにそこを退きなさい!! 退け!! 退け……!!」
泣きじゃくりながら叫ぶように怒る橋本の気持ちも分かる。
乞田はもう後鳥羽家には、かえってこない。
とりあえず、その椅子を使わせてしまった俺にも責任があることを伝え、何とかその場は宥められたものの、橋本は俺の前に跪き、
「橋本はっ……橋本は……龍様とは違います…………。ですから、ご友人様をお招きする際は、二度と執事寮には足を踏み入れさせませぬよう、お願い申し上げます」
と、後半は落ち着いた口調でかしこまられ、俺は自身の過ちに気付き、颯雅にも橋本にも謝罪をした。
俺は何と浅はかな人間なのだろう?
それとも、別れになれてしまったのだろうか?
俺は…………実家で、裾野聖になってしまっていたのだろうか?
そうはしない約束を…………どうして破る?
俺は颯雅に先に部屋に出るように言い、橋本と真正面から向き合った。
というのも、なぜか今謝れば、後鳥羽龍に戻れる気がしたからだ。
だが橋本はまだ興奮状態なのか、肩を激しく上下させ、セットしてある髪をぐしゃぐしゃにしてしまっている。
「……」
俺は俯き加減で、橋本のそんな様子を見ている。
一番辛いのは付き合いも長い橋本だということくらい、とうに分かっていた。
なのに俺は――
「橋本。本当に悪かった。全部俺が悪いんだ」
俺が頭を下げて謝ろうとすると、橋本は徐に近づいてきて、ビシッと手で制したのだ。
「おい、龍様」
そういつもの口調で呼ぶ橋本の顔を見下すと、多少髭が見受けられる渋い面から、頭を下げるなという願望も見えてきた。
俺が驚愕を顔に浮かべると、橋本は「なんですか、その顔!」と、ケラケラ笑ったのだ。
「元からこんな顔だ」
と、口ごもって言ってみると、橋本は笑いのツボにハマッてしまったらしく、涙を流すほど笑い転げていた。
その時引き笑いに交じって聞こえてきたのは、「出目金みたいな目!」と、いう目に余る言葉であった。
だが俺は以前にも誰かに驚いた顔が出目金のようだ、とは言われていたため、御咎め無しにしておいた。
そうして後鳥羽龍に戻った俺は、橋本に別れを告げて颯雅の元へ行き、待たせたことを詫びると、
「今日は悪かったな」
と、何も悪くない筈の颯雅が謝ってきたのだ。
俺はその言葉に突っかかり、思わず歩みを止めてしまった。
すると颯雅が、「なんだよ?」と、俺の方を振り返り見上げて言った。
「いやあのな、あれは俺のミスなんだ」
俺はまた歩みを進めながら、先程の出目金発言を思い出しながら言っているせいか、やけに言葉が軽くなってしまった。
だがそれを逆にとらえたらしい颯雅は、
「お前はそうやって1人で全て背負いすぎだ。俺にも半分背負わせてくれ」
と、悟ったような微笑みを浮かべて、肩に手を置きポンと叩いてくれた。
「ありがとう」
俺はその手の方に視線だけ向け、片眉を上げて颯雅に向かって頷いた。
そのとき丁度裏庭と本館の出入り口に差し掛かったあたりで、またしても妹の利佳子を追い回す執事長と鉢合わせてしまった。
「はぁ……はぁ……あっ! これはこれは龍様! 見てくださいよ!」
執事長は俺の姿を見るなり、どう見ても菅野にしか見えない男性モデルが表紙のファッション雑誌を、何度も俺の目の前に突きつけてきた。
「……?」
「首をかしげないでくださいませ! これが利佳子様の部屋で見つかったんですよ!? はぁ……たしかにこの方のほうがイケメンですけど! はぁ……何とか言ってくださいませ……龍様」
執事長は未だに主人離れが出来ていない唯一の執事で、俺に鉢合わせる度に何かしらアドバイスを欲しがるのだ。
いや、俺以外にももしかしたら……それなら、俺以外には迷惑をかけてほしくないのだが。
「……そのモデル、表紙を飾れる程の”殺し屋”だからな。もうお前の主人の命くらい、奪っているのではないか?」
俺自身もそうであるように。
とは流石に言えないので、誰でもわかるくらいの遠回しな言い方をすると、執事長はカッと目を見開き、
「な、な、なんと!? 利佳子様ぁぁ~~!! 何処にぃ~~!?」
と、半狂乱で走り去っていった執事長であるが、すぐに弟の竜馬にぶつかり損ねた上に、竜馬の過干渉が過ぎる執事長に叱られていた。
俺はそれを尻目に肩をすくめ、乞田のことを頭の片隅で想っていた。
「龍の執事たちって、本当に個性的だな」
そんな様子を第三者である颯雅が、呆れに近い表情で言うものだから、俺は言葉が咄嗟に出てこず、苦笑いを浮かべるだけにしておいた。
それからお互いに別れを告げて、俺はスーパーに寄ることにした。
今日の夕飯は、ナスと納豆攻めのものにしよう。
自慢ではないが、菅野に一度も気づかれたことのない料理もあることだしな。
執事長の乞田でございます。
未だに退院できていない時期ですね。早くお顔が見たいです。
ついにこのお話が語られる時が来ました、か。
私としては、何週間でも延長して龍様のご負担を和らげたい所存でございますが、二週間後にはその時が来てしまいます。
というのも、来週は作者様に外せない用事があるようです。
ですので、次回更新日は1/28(土)となります。
お待たせしてしまうことにはなりますが、お間違えの無いようお願い致します。




