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「第四-片桐組に入り浸る名家の者たち(前編)-」

ついに片桐組へと出発した2人。

だが目的地目前のところで、とてつもない刺客と出会ってしまう――


※約8,200字です。

※前編、後編に分かれていますので、尻尾の現在に戻るのお話はありません。

2015年1月7日 午後(天気:晴れ)

後鳥羽家 執事寮4F右角部屋(乞田と橋本の部屋)

裾野(後鳥羽 龍)



 執事寮は後鳥羽家本館の裏手の1,2km先にある。

建物自体4階建てで、唐草模様の繊細な銀装飾が散りばめられており、執事に対して手厚かった初代当主から改装は重ねられてきているものの、建物と遺志は現在も尚受け継がれている。

その驚くべき遺言の一部、”執事への待遇について”を現代語訳に直して紹介すると、

≪執事は己と一心同体の存在である。彼らに対し冷淡な態度を取るのであれば、己に対しても冷淡且つ束縛された生活を強いるべきである。又、執事には世話をされてやるのではない。彼らは自ら進んで世話をしてくれているのだから、主人はその忠誠心に応えるのが常識である。遵って傲慢な態度や、感謝の心と挨拶の欠如は、己自身の破滅を導くことになる。だが執事自身に忠誠心が見えない場合は、何度でも話し合いの席を取り持ち、主従関係を確固たるものとしなさい(以下省略)≫

 俺は執事寮と主人全員の部屋に飾られている、この部分に非常に感銘を受けた。

初代の遺言は図書室に行かずとも、廊下や会議室にも飾られているので、いつでも読むことが出来る。

 そして俺の隣に立つ幼馴染みの颯雅は、だいたい同じ速度で読み終えると、「ふーん」と、何度か頷きながら言い、俺を見上げると、

「執事の仕事は、案外ブラックじゃねーのな」

と、はにかんで言うので、「まぁ……そうかもしれないな」と、目を閉じ溜息を共に言葉を流した。

たしかに颯雅の言う通り、他の名家に比べれば後鳥羽家の執事の待遇は良い。

何度も言うようで申し訳ないが、初代当主がこの遺志を持っていらっしゃらなかったら、今頃ブラック名家どころか、地獄名家になっていただろう。

というのも智輝兄さんと龍之介兄さんは、父上様の見ていない所では、この遺言をあまり守っていない上に、改正案を何度も家族会議で出しているからだ。

……もちろん、見るに値しない改正案なぞ即却下ではあるが。


 今日は橋本と乞田の共同部屋に足を運んだのだが、どうやら実用的な卓上カレンダーを見る限り、橋本は他の3人の執事を叩きあげているらしい。

書道の師範クラスの癖の無い美しい字で書かれているその字を指でなぞると、僅かにインクが人差し指に付いてしまい、字がぐにゃりとよれてしまった。

「……」

俺は眉を潜めたが、自由奔放で気分屋の橋本のことだ。何となく予定を書いておいたのだろう。

カレンダーも例年様々な短刀が描かれている、如何にも見づらそうなものをこよなく愛していたのに、今年は無地のシンプルなものだ。

やはり執事長代理と執事長では……忙しさが違うのだろうか?

 俺は溢れそうになる罪への懺悔と積年の後悔から、拳を強く握ってしまっていた。

すると颯雅は俺の左肩に手を置き、

「大丈夫か?」

と、まるで兄のように優しく話しかけてきてくれた。

「あぁ……大丈夫だ。さて今日はお前が再三知りたがっていた、片桐組に入って……あいつに出会うまでの話をする」

俺は声を震わせながらも橋本のデスクの椅子を引き、颯雅には乞田の席を勧めて、何度も何度も深呼吸をした。

 大丈夫だ。もう逃げない。

俺は静かに目を閉じ、心に誓ってから口を開いた。



1998年4月9日 午前5時(天気:雨)

後鳥羽家 自室

裾野(後鳥羽 龍)



「龍様!! 起きてください! 起きてください~!」

誰かが俺の身体を執拗に揺すっている。

ハンモックにしては加減が無いし、ブランコにしては……弱い。

変な夢でも見ているのだろうか? 妖怪でも襲ってくるのか?

「ん~……」

俺はそう思って唸りはしたものの、生まれつき低血圧ということもあり、全く目を覚まさなかったらしい。

そうやってしばらく寝返りを打っていると、突然温かい息がふっと耳に吹きかけられ、あまりのくすぐったさに変な声が出てしまい、聞きなれない自分の変な声で飛び起きてしまった。

目もろくに開かず、視界がぐらつく中とりあえず辺りを見渡すと、カーテンの開けられた窓から見える空はまだ真っ暗で星が瞬いており、月明かりで1人の男の影は確認できた。おそらく、背の高さや体型からして乞田である。

だが乞田が息を吹きかけるには、あまりに遠すぎる……。

すると真後ろからまた右耳に温かい息がふっと吹きかけられ、思わず変な声を出してしまうと、犯人はゲラゲラと笑いながら、

「龍様、耳弱いんですね~」

と、聞き慣れ過ぎている橋本の声が真後ろで聞こえ、バッと振り返ると、「寝癖すごっ」と、言いながらクシで髪を整えてくれた。

それから乞田がベッドの側に来て、小学生が着るような簡易的な制服を月明かりで見せながら、

「おはようございます、龍様。朝からごめんなさい……でもあの、片桐組まで歩くとなりますと、もう出発して朝ごはんをどこかで召し上がられた方が良いかと思いまして。準備なら手伝いますし、好きなだけ食べていいですから、ね?」

と、珍しく譲歩の姿勢で目尻を下げて言う乞田は、おそらく低血圧の人間の朝が如何に不機嫌かと知り尽くしているのだろう。

「うん、わかった。もう息を吹きかけたりしない?」

俺が早口で口ごもって言うと、橋本は笑いを噛み殺しつつ「ハイハイ、ソウデスネー」と、面倒そうに言い、乞田は笑顔で頷いてくれた。


 それから身支度を一通り済ませると、必要なものリストにあるものの用意に掛かった。

乞田が前日に用意してくれたらしいが、不安だったらしく橋本と一緒に読み上げながら確認している。

「筆記用具、B5ノート10冊、世界地図、議会用の名札、国語・英語辞典、計算用紙20枚、A4ファイル10枚、書道の道具一式、持ち運びの出来る方は自前の楽器、美術道具一式、彫刻刀、ジャージ上下、運動靴、通学なされる方は弁当、学校内のみで着る制服購入代金5万円、殺し屋軍服購入予約用紙(印鑑、収入印紙、総長の確認印付き)、通学カバン(自由)、連絡帳(本日からご子息がお世話になる、所属階のエースと総長に書いていただく為)、自前の武器(自由)。以上」

「よし、全部ありますね!」

乞田が思い切り伸びをしながら言うと、橋本は腕時計で時間を確認し、「もう行った方がいいですよ!」と、乞田の背中をグイグイと押し、乞田は俺の背中をグイグイと押し、部屋を後にした。

 しかし部屋を出ると、橋本は扉から顔を覗かせているだけで、こちらに来ようともしない。

「橋本は?」

俺が首をかしげると、橋本は胸の前で手を振り、

「同伴、じゃないです、えっと、一緒に行っていいのが乞田だけなんですよ。父上様がそう仰るもんですから、ここらへんで言う事聞いておかないとマズイかなって思いまして」

と、バツが悪そうに言うので、本当は付いて行きたかったのだろうな、と思いつつ、俺は笑顔で手を振って橋本に暫しの別れを告げた。



午前6時30分

後鳥羽家近辺

裾野(後鳥羽 龍)



 俺と乞田はお揃いで大きさ違いの濡羽色の傘を差して、ピチャピチャと跳ねる水たまりを避けながら歩いた。

小雨になるとは言え、ピカピカで滑らかな新品の赤銅色のシンプルなデザインの革靴だ。それに昨日、必死に自分の革靴と一緒に磨いている乞田と橋本の姿も目撃してしまっている。

なので俺は、17歳という年の割に落ち着いた私服に、サラサラで触り心地のよさそうな短いストレート髪の乞田を見上げながら、何を話そうか考え込んでしまっていた。

 そう言えば、お弁当を持たされたが……誰が作ったのだろう?

小説や映画、歴史本には女性が作っている描写が多いが、メイドは来賓時の非常要員であるから、コックか? あぁそう言えば、コックが表立って主人に顔を見せないな。

 それと何故か俺よりも緊張した面持ちで、時折手と足が同じタイミングで出ているのは、運動音痴故か? だが槍を教えている時は、そんなことを感じもしなかった。

……あ! パルチザンはどうしたのだろうか?

「乞田」

俺が雨に負けじと声を張ると、乞田はビクッと肩を震わせてから俺のことを横目で見下し、

「な、何ですか?」

と、首を痙攣させながら言った。これはかなり、緊張している……というか、度が行き過ぎている。

どこかで一旦休ませようか?

……なんてことは、今だから思えることだ。この時は、「変なの」程度にしか思っていない。

「パルチザンはどこ? もしかして、そこにあるの?」

俺は乞田の身体をつま先から旋毛まで見上げてから、肩にかかっている模造紙入れのような物を指差した。

「はい! 道中も龍様をお守りする為に、私乞田は全力を尽くしますよ!」

乞田は笑顔でそう言うと、「右に曲がりますよ~」と、言いながら、俺の手を引き人通りの少ない道へと入った。

そこは所謂路地裏で、先程までパラパラと人とすれ違っていた表通りとは違い、人通りがむしろ無い。

人生初のそこは非常に怖くて、俺は自分の傘を畳み、乞田の差す傘に入り手をぎゅっと握り返した。

「……乞田、怖い」

と、消え入りそうな声と白くなった息を吐きだすと、一旦立ち止まって俺の目線まで屈み、

「大丈夫です。私は龍様の執事長。命を懸けてでも、あなたをお守り致しますから――」

と、優しく諭すように言っている背後で乞田と変わらないくらいの背丈の男が、鞭を振りかざしこちらに襲い掛かって来るのが見え、俺はわなわなと震えだしたが、

「だから言ったでしょう……?」

と、そのままの姿勢で模造紙入れの蓋を外すと、男の方向へと投げたのだ。

すると蓋は見事に男の棘まみれの鞭によって木端微塵になり、パルチザンが姿を現した。

それから乞田は次の一打を傘全体で払うように受け流し、

「私があなたの執事長です、と!」

という叫びと共に、傘の天紙を突き破って繰り出された突きにより、男は空中でのバランスを失い、不機嫌そうな顔で地面に着地した。

乞田は傘と模造紙入れを俺に持たせ、男の実力を視認し、ごくりと生唾をのんだ。

「執事長? そのチビは金持ちの息子か……鞭で痛めつけたら、実に面白そうだ……」

だが俺を綺麗に整えられた前髪の隙間から見下し、舌なめずりをする襟足よりも短い灰色髪をした男は、鞭を翻して自分の足元まで返すと、白のパンツに沿うようにスラリと伸びた長く肉付きの良い脚をクロスさせた。

「ここをお通し願いたいのですが?」

乞田が腰を落とし槍を構え直すと、灰色髪の男は流し目をし考え込む素振りを見せたが、その口の端はどこか嘲笑っている。

「ならそのチビを置いていけ。お遊びの相手に今、この俺が決めたんだ。そうすれば、お前には武器を置いて地を舐め、《貴方様の御手を汚して大変申し訳ございませんでした》と、一言謝りさえすれば、通してやらんこともない」

男は見下し嘲笑しながら、獲物を前にギラつく深紅の目を一層輝かせた。

すると乞田は、俺を隠すように目の前に立ち槍をガンと地面に一回打ち立てると、

「その時間、無駄ではありませんか?」

と、ワスレナグサがふわりと揺れると同時に言う乞田の後ろ姿は、今まで俺に一切見せてこなかった、命がけで主人を守る中型犬の姿だった。

「……可愛くない犬め。お前なんぞ飼い殺してやるまでだ!」

男はよく撓る竹製の鞭を持つ左手を上げると、乞田の槍目掛けて薙ぎ払うように振り落とした。

その姿は乞田の背中で見えなかったが、覇気だけはこちらにもひしひしと伝わってきた。

「そうですか。私は貴方でも飼い殺せないと思いますよ。反逆が大好きな犬ですからね!」

だが乞田はその威圧も諸共せず、薙ぎ払って追い返した。

そして切るように落とされる攻撃を飛び越え、一気に距離を詰めていった。

その様は、飼い主の為に一心不乱に敵に向かう犬そのもので、俺は何故か感心してしまっていた。

 それから、一撃、二撃、と鍔迫り合いならぬ、鞭と槍のぶつかり合いがあり、乞田と男は互いに軽傷程度の傷を負い始めていた。

その間、俺は何も出来ずその場に蹲り、乞田を心の中で応援するだけであった。

まぁ一応……子どもでも扱える護身用のナイフは持っているが、こんなもので鞭に対抗できるとは思えないと真っ先に考えている割には役に立ちたかったからか、懐からは出して両手でしっかりと柄を握りしめていた。

「イエス様、お願い……!」

そして柄でもなく、小声で神に祈りを捧げるのであった。

 やがて一度間を取りにらみ合いの状態になると、乞田も男も肩を激しく上下させていて、乞田の項には汗と受けた雨が光っている。

 一方小雨はまだ降りやまず、路地裏にも小さいながらも水たまりができ始めている。

俺は穴の空いた傘を濡れないように差し、何度も何度もお祈りを捧げた。

 そうしている内に、2人が一斉に踏み込んだ。

だが俺は、今までの乞田の行動から嫌な予感がしていた。

あちらの男は俊敏そうだが……乞田は…………


――ズルッ……


「あ……っ!!」

という、乞田の間の抜けた声が路地裏に響く。

この先の展開は、もうおわかりだろう。

ゆっくりとスローモーションで倒れていく乞田に、勝ち誇った下衆顔で見下す男。

しかもよりによって、どうして顔から転ぶのだ……乞田よ。


――ビターンッ!!


「いっ……! やらかしましたか……」

顔から思い切り打った乞田が顔をあげると、男は先程とは違う棘のない革製の鞭を取り出し、乞田の首に巻き付けると、乞田は槍で斬りかかろうとするが、その腕は棘のある鞭でギリと締め上げ、あらゆる肌に食い込み血が噴き出て、その辺りに血の海が出来上がっていた。

流石に乞田も抵抗が出来なくなったところで容赦なく引っ張り、乞田は男の足元で両膝をつくという姿勢にさせられていた。

こちらにまで聞こえる、首を絞めるギチギチという音に、俺は寒気を感じ耳を塞ぎたくなった。

だが俺は……逃げない。例え助けられなくても、神様に祈ることは出来るからな!

「う……うぅ……」

だが、おそらく両手で首を引っ掻き、歯を食いしばって呻く乞田の顔は苦痛に歪んでいることだろう。

それを見下す男は舌なめずりをすると、棘のある鞭で乞田の脇腹を1回打ちつけた。

「良い眺めだぞ、どこぞの金持ちの犬。ほら、返事はどうした?」

男は余程その顔が気に入ったのか、すっかり乱れた髪を雑に撫で上げると、挑発するような声色で顎をしゃくった。

「…………あ……あぁ……」

乞田は息も出来ず、嗚咽も出来ず、言葉に出来ない音を出すだけであった。

これではもう……乞田が死んでしまう。

 俺はナイフを胸に抱きながら、立ち上がり歩みを進めようとしたのだが、そこで偶々裏路地に入ってきた背の高い学生くらいの男の人が、俺の頭にポンと大きな手を置いて、茶褐色の学生カバンをドスンとその場に置き、

「ボクはここで待ってて」

そう中低音の信頼できそうな声で言われ、俺は不思議とナイフを懐にしまっていた。

そしてその人は、いつの間にか刀を構えていて、

「片桐組狼階次期エース、夜月忍(やげつ しのぶ)。すぐにその人から離れろ」

静かだが辺りを憚るような威圧のある声で言い、忍に剣先を向けた。

――この時だろうか。剣も使えたらいいな、と思い始めたのは。

その記憶は定かではないが、この方が後に藍竜組で一緒に手合わせすることになる如月龍也(きさらぎ たつや)さんだということは、間違いない。

 ん? 夜月家はたしか、かなりの実力派名家。それでいて、家族全員がAB型でドS。

彼は一人っ子で、鞭は父親の言いつけで始めたらしい。

6歳で片桐組入隊後は、非凡な才能で次期エースまで登りつめたという。

 だが忍と呼ばれた男の方は、龍也さんのことを知らないらしく、首を捻って何度か瞬きをした。

「ん? まぁいいが、俺のお楽しみを邪魔するとは、趣味の悪い男だな」

忍は乞田を解放し、龍也さん側に蹴り飛ばした。

彼の様子を龍也さんの脇の隙間から見ると、灰色髪が僅かに赤く染まっている。

おそらく、噴き出した血が付いたのだろう。

 俺は吐き気から、思わず口を手で覆ってしまったが、そのまま乞田のところまで走って行った。

乞田は……誰が見ても分かるぐらいに出血が酷く、今もまだドクドクと脈打つ度に血が流れ出ていた。

首は引っ掻き傷と鞭の痕で赤く腫れあがり、血がかなり滲んでいた。

鞭を打たれた腰に目を遣ると、点々と棘の部分だけ赤くなっており、服も若干破けていた。

でも、それでも……必死に息をしていた。

 すると、忍は大きくため息を吐き捨て、

「それと……刃物をしまえ。お涙頂戴の場面程、疼きすぎて気持ち悪くなるものは無いんでな」

と、低くねっとりとした口調で言うと、突然勢いよく飛び上がってどこかに行ってしまった。


「乞田! 乞田!」

俺は乞田の身体を揺すり、懸命に呼びかけた。

しかしその手も龍也さんによって制された。

「揺すると傷口が開くから、このまま安静に。今、救急車を呼ぶから」

龍也さんはそう言うと、学生カバンから携帯を取り出して電話を掛け始めた。

だが俺は……意識を失っている乞田に、呼びかけ続けた。

そして応急処置をしている龍也さんの側で、嗚咽混じりにある言葉を言ったことが、今後の乞田の運命を大きく変えたという。


――「乞田は…………何のためにいるの……? 乞田は、誰……の……執事長、なの?」


 俺の涙声の呼びかけに目をカッと見開いた乞田は、ほぼ条件反射でこう言った。

「あなたをお守りする為……! わ、わたくし……乞田は、龍様の、龍様の…………執事長です!!」

乞田はそう叫んだ後かなり激しく咳き込んではいたが、ほっとしたような笑顔を浮かべていた。

それではまるで、俺の言葉を待っていたようではないか……乞田。

「…………ふふっ」

俺は乞田の笑顔を見て、何故か笑いがこみあげてきてしまっていた。

龍也さんも一瞥し、怪訝そうな顔を浮かべてはいたが、乞田は笑いを噛み殺し、

「私は龍様の、そういうところが…………大好きでござい、ます……」

と、荒い呼吸の中紡がれる言葉と、真剣な表情と見透かすような目の光に、俺はすぐに目線を外して1人で顔を真っ赤にしていた。

もちろん、主人として大好きということは今では分かる。

だがな、俺は…………本当に乞田を人としても、その先の意味としても大好きだったから、1人で浮かれてしまっていたのだ。


 やがて救急車が来ると、乞田はストレッチャーに乗せられて運ばれてしまい、俺は乞田の血で染まった両手を見つめ、呆然と立ちつくしていた。

「……ボク?」

龍也さんの呼びかけにも答えなられなかった俺は、そのままのそのそと片桐組へと歩を進めていた。

場所は乞田の不思議なリズムのおかげで暗記している。

今は右に曲がったから、次は左、そしたら真っすぐ、真っすぐ、右、左、真っすぐで着く。

俺の視界はボヤけていて、モヤが酷かった。それに何だか肌寒く、息をするのを忘れたら倒れそうなくらいに脆かった。

 龍也さん曰く、この時の俺の目に光は無く、血に染まったパルチザンを肩に担ぎ、雨に濡れるのも構わず、ただ前を向いて歩いていたという。

だからこそ、目の前に穴の空いた傘を差す龍也さんが立ちはだかった時は、腰を低くして槍を構えたのだろう。

「やめなさい」

龍也さんは、槍の柄をぎゅっと握るとそのまま俺をグイと引き、武器を取り上げた。

「乞田の……乞田の……返して……」

俺が抑揚のない声で言うと、龍也さんは俺の頭をガツンと打った。

だが痛みよりも先にきたのは、乞田の笑顔と後鳥羽家の自室の風景。

あれ……?


――龍様のそういうところが、大好きでございます


 乞田のいつもの口調で再生されたその言葉に、俺の心臓がドキッと跳ねた。

俺の……そういうところが。

なら、乞田はこんな俺のことは好きではない。


――殺し屋は優秀な人間しかなれん。そして皆、愛を欲しがっている……


 俺は……乞田から十分に愛を貰っている。

なのに何故、夜月忍は愛を欲しがった?

どこに愛を感じているのか?

6歳の子どもには解ける筈のない疑問を前に、やがて夜月忍の映像がだんだんモノクロになり、音の無い世界は車のクラクションで消え失せた。


 それからパッと俺の目の前に映った映像、というよりも現実は、小雨の音とすぐ脇を走り抜ける車の音、ほの暗い空、そして心配そうに見つめる龍也さんの姿。

「ごめんなさい」

俺が頭を下げて謝ると、龍也さんは何も言わずに笑顔を向けてくれた。

「俺、片桐組に行かないと……」

と、俺が横をすり抜けようとした瞬間、手をそっと取られ、

「危ないから一緒に。……乞田さんという執事長の代わりには、なれないと思うけども」

と、苦笑いを浮かべる龍也さんに、俺は「うん!」と、ハキハキと光の宿った目で返事をした。



――後編へ続く。

 重傷の乞田です。

今回は初めての試みで、後編に続くとだけ書かせていただきました。

菅野様に比べて進みが遅いのは、それだけ濃い幼少期を過ごされた証拠……。

印象深い出来事が多すぎたのでしょう……

ですが、私のせいだなんて思っていません。むしろ、私のおかげで……龍様はある気持ちに気付けたのです。

それはもう、聡い皆様ならお気づきでしょう?


次回は片桐組入隊~愛を欲しがる由縁……までです。

投稿日は、来週の土曜日(1月14日)でございます。


執事長 乞田


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