「第三-第45,221回家族会議-」
家族会議の回数は、適当ではありませんよ……。
何かの願い? 家族会議で起こったこと?
さぁ、何でしょう?
そして家族会議、以後に謎の出る執事たちと”あの人”の存在。
現在のパートでは、瀧汰さんと潤くんのいる別館に行きます。
※長いです。約11,629字程度です。
※誤字・脱字がございましたら、一度心の目で透かして読んでください。
2015年1月4日 午後(天気:曇りのち晴れ)
後鳥羽家 別館1F
裾野(後鳥羽 龍)
別館前で一服終えた俺は、立て付けの悪い築100年以上の別館の扉を開いた。
ここだけは昔のままで、ろくに食事も衣服も与えられなず除け者にされた、兄や姉たちが暮らしていたそうだ。
だが当時の除け者の対象は、父上様に気に入られなかった、25歳までに結婚出来なかった、音楽が出来なかった等の理由だったそうだ。
今の除け者の対象は、前も話した通り、24日生まれで友人も居らず、結婚もせず子どもも出来なかった人だ。それと他の兄弟への悪影響を考え、”悪食”と”色欲”だけは基本こちらで暮らしている。
だから……装飾も家具も無い別館の古ぼけた壁や床には…………すっかり変色した血溜まり、噛みついた跡、引っ掻き跡、体当たりして出来たであろうヒビ等、思わず目を背けたくなるような光景が広がっている。
そしていつも血生臭く、最近は精液の匂いまで充満しており、中はシャンデリアも無いので薄暗い。
「……」
後鳥羽家本館からは僅か数十メートルしか離れていない上に、どこかミステリアスなゴシック建築の教会のような外観をしているのに、中はこの惨事であるから、久々に来るとやはり……吐き気を催しそうになる。
俺がミシミシ軋む床を歩き、彷徨うように瀧汰兄さんの部屋の前を通り過ぎると、突然ドアを全開にし、
「龍、か?」
と、声帯手術で色っぽい声にした”色欲”の瀧汰兄さんが、官能的な香水の匂いがふわっと漂わせてきた。
腰ほどまで伸ばしている紫がかった金髪を一つにまとめた怪しい雰囲気の人で、眉も同じ色、目の色は黒、顔は兄弟イチ大きいが、背は兄弟イチ小さい。見た目は売れないホストのようだが、”色欲”とだけあって色気と性欲は凄まじい。
比較的冷静な人だが、どことなく焦っているような声で、扉の先を見れば……兄さんの幼馴染が慌ててシーツを手繰り寄せていた。
「……」
あまり仲良くない兄に対し俺が黙っているのは、この上なく不味い状況だからだ。
というのも、別館で暮らしている理由にも繋がるが、この香水の匂いは誰でもソウイウ気持ちにさせてしまうもので、開いたドアの仕切りを挟んでぐらいの距離では、意図せずとも顔が赤くなってしまい、意識が朦朧としてくる。
「あぁ……」
瀧汰兄さんはそんな俺を引きずるように部屋に連れ込むと、扉をバタンと閉めた。
「俺の龍が、タバコ……?」
ドアの音と耳元で囁かれたことで意識を取り返した俺は、ぐらぐらする視界の中で何とか部屋の外へ脱出することが出来た。
俺は廊下を転びそうになりながら走り、小さいながらも窓のあるトイレに駆け込んだ。
「……」
15cm程しか開かない窓を開け、穏やかな正月の風に当たってみる。
一度は染めてしまった不健康な黒髪が、風に流れサラサラと揺れている。
それから白のパンツを履いてきてしまったことを後悔したが、黒のロングコートの前を開け、下半身を見遣ると特に問題は無かった。
正月のお年玉と言って菅野が俺に買ってくれたものだから、汚さないようにしないとな。
たしかに瀧汰兄さんは見境なく襲うところはあるが、今まで男兄弟には手を掛けなかった筈。
急にどうしたのか? 幼馴染では満足出来なくなったのか……いや、もう何年も捕らえているのにそれは無いか。
だが兄さんがあの時何も言わなかったら、俺は今頃……異端審問にでも掛けられて、処刑されていたかもしれない。
身内話で申し訳なかった。
これから話すことは、俺が藍竜組に入る前に入っていた片桐組に入るまでの話だ。
1998年4月6日 午前(天気:雨)
後鳥羽家 1F会議室
裾野(後鳥羽 龍)
【本日午前10時より、家族会議を執り行う】
その文書を乞田から受け取ったのは、ほんの数十分前だ。
恐らく、本当に僅かな可能性に賭けるなら……これまで語ってこなかった、俺への嫌がらせについてかもしれない。
それなら、どう出る? 6歳の頭脳ではそのようなことは考えられず、乞田には「いつも通りで構いません」と、微笑んで言われた。
会議室は左廊下の1番奥にある。
家族会議は原則スーツ着用なので、俺はまた乞田に着せてもらっていた。
やはり、胸が苦しくなる。だが今から真面目な家族会議なので、俺は耳が熱くなるのを黙って見過ごした。
とりあえず俺の頭の中には、”逃げない”という言葉だけをセットしておくことにして。
これで平気、だろう。
そう思いながら自分の左胸をぎゅっと掴んだ。
そもそも嫌がらせというのは、本当に子どもがやるそれで、24日生まれの癖に両親と本妻様に気に入られている俺への当てつけだ。
すれ違うときに、「ばーか」、「ふざけんな」、「調子乗るな」等の低級な悪口を言われたり、他には階段から突き落とされそうになったこともあったか。
トイレでは個室の扉に寄り掛かって開かないようにし、数十分ほど閉じ込められたか。
その他にも部屋を荒らされたこともあったり、あとは記憶が曖昧だ。
…………俺がどうしても25日組に抵抗を抱くのは、低級であれ幼い頃に嫌がらせをしてくるからでもあった。
そしてその犯人は、これから会議で猛反論することになる人たちだ。
それと25日組の仲もこの一件で少し崩れることにもなるから、楽しみに聞いていてほしい。
俺が乞田ら世話執事たちと会議室入りしたのは、午前9時55分。
兄弟たちは、弟の潤を除いて全員揃っていた。
父上様、2人の愛人も本妻様もいらっしゃっていた。
愛人方と本妻様は、父上様の僅か後方に3人並んで座っていらっしゃる。
会議室内部は青を基調とした爽やかな部屋で、床のカーペットはライトスカイブルー、壁は白だがうっすらと水色の入ったゴーストホワイトだ。
テーブルはチョコレート色で、椅子はインディゴブルー。
他には、観葉植物が4隅に飾られているのと、窓が俺の席から言うと向かい側にある。
席次は円形の会議室なので、入り口から1番遠く議長である父上様の右側から、長男、次男と反時計回りに座ったら、次男の反対側に三男だが空席、次男の隣には四男、その向かい側に五男、四男の隣に六男、反対側に七男である俺が座る。
三男のことはよく知らないが、”BLACK”で殺された教師、夏霞凍雨がその人だったようだな。
となると、この時から空席だった理由は然り。教鞭に立っていたか、始業式か何かの準備に追われていたのだろう。
俺は誰とも目を合わさないように、始まるまでの5分間はずっと下を向いていた。
そのうちに、1対5の構図が出来上がっていると思い込んでいた俺ではあったが、乞田はフンと鼻を鳴らし、10時になった瞬間に俺の耳元でこう言ってくれた。
「意外と味方が多そうです」
と、また微笑みながら。
そんな訳がない。全員嫌がらせをしていたではないか。
俺の頭はそれで凝り固まっていたのだが……。
「さて、始めますか」
父上様はガッと席を立つと、俺の目をじっと見つめた。
「……」
俺はその視線を黙って受け止めた。
「龍に対する嫌がらせ。これだけで分かるかな、諸君?」
父上様はぐるりとそれぞれの反応を見せる兄弟たちを見渡した。
「父様、ボクは知りませんよ」
五男で”嫉妬”の透理兄さんが顔にかけているミルクティー色の毛先を弄り、俺に黙るように目線を送り、白を切った。
「俺たちも知りません。だいたいこの俺らがそんなことをするとでも?」
”傲慢”の智輝兄さんも同様の目線を送り、龍之介兄さんも頷きつつ睨みつけた。
あぁ、終わったか。
俺にも証拠が無い以上、何も言えない。
それは後ろに控える乞田の表情からも明らかであった。
「父上様、こんな調子の乗っているだけの弟に無駄な時間をお使いにならないでくださいよ。俺ら長男と次男は、忙しいんですよ。……こいつなんかと違ってね」
同じく”傲慢”の龍之介兄さんは、腕を組んで俺を上から見下している。
もうどうしようもない。
俺はため息をつき、頭を垂れた。
いっそのこと、このまま会議が終わってしまえばいい、とも思っていただろう。
”逃げない”と決めていたのに。
しかし、この人たちは違った。
「ふあ~……あー……その様子を俺が見ていたって言ったら……どうなります?」
あくび混じりに手を挙げるのは、今でも親交のある四男で”怠惰”の紅夜兄さんだ。
1人だけ羽毛まみれの車椅子に座り、気だるそうにしている。
「紅夜、具体的な時間等はわかるかね?」
父上様が興味を持たれたことに、他の3人は大困惑。
まさか紅夜兄さんが、俺の味方をするなんて思ってもみなかったのだろう。
だが話を振られた当人は、首をかしげ自身の執事長である新田を見上げている。
その上、新田も日時までは把握していないのか、眉を潜めて何かを紅夜兄さんに耳打ちし、相談している。
それを見かねたであろう、六男で”色欲”の瀧汰兄さんが、起立し手を挙げたのだ。
普段は別館に居る筈なのに、いつ見たと言うのだろうか?
「よし、言ってみなさい」
父上様に促されるがままに起立した瀧汰兄さんは、
「昨日家族会議の噂を聞きまして、本館に行きました。そしたらですね。寵愛を受けていない渇いた3人が、俺の龍に暴言や乱暴を働いているところが見えまして、ね。場所は1Fの中央階段の踊り場。腕時計では午後6時34分のことでした」
と、色っぽい話し方で紡がれる唇の上を見ることは推奨しないが、雰囲気は悪魔図鑑で見た”色欲”そのものであった。
佇まいもどこか色気を感じるものがあり、1つ1つの仕草も美しかった。
たしかにこの証言通り、昨日はいつもよりも派手に嫌がらせをしてきていた。
ここはノるべきなのか……乞田を見上げると、鼻を膨らませて「言っちゃいましょう」とでも言いたげな表情だ。
俺は深呼吸をし、手をビシッと挙げ起立した。
「ほう、被害者は龍だ。この証言が嘘か、本当か……お前が決めてくれたまえ」
父上様は俺を真っすぐに見てくれているが、チラッと兄さんたちの顔を見渡せば、透理兄さん、智輝兄さんと龍之介兄さんが、ギロと俺の身体に穴が開くくらい睨みつけていた。だが紅夜兄さんは口の端を上げていて、瀧汰兄さんは起立したまま熱っぽい目線を送っていた。
「はい。今の瀧汰兄さんの証言は…………」
俺は煩く鼓動をドクドクと音を立てる心臓を静めようと、またそこで深呼吸をした。
それから、透理兄さん、智輝兄さんと龍之介兄さんと目を合わせてから、
「全て本当です」
と、父上様のお顔を目で捉え、緊張を押し隠したまま席についた。
「よくわかった。ではこの一件は、これで良いのだ。本題は別にあるからな……」
父上様はそう言うと、後ろ手に手を組みながら俺の元へとゆったり歩み寄ってきた。
俺が乞田に促され席を立つと、父上様は隣に立って、俺の右肩に手を置き、
「音楽、勉学、その他全てにおいて優秀な龍を、実力主義として名高い殺し屋組織である片桐組に入れようと思うのだ。というのも、龍は家に籠っているべきではない、非常に優秀な人財だからだ。だが……そこまで嫌がらせが頻発しているのであれば、自分で自分の身を守ってもらうまで。異論は無いな?」
笑顔と優しく諭すような口調で仰った。
だが父上様がそこまで自分をかっているとは露知らず、聞かされてもいなかったので、俺が逆に驚かされてしまった。
――今のでも十分であるが、面白いのはここからだ。さて、醜い3人の兄の姿をご覧いただこう。
「お待ちください、父上様! 龍1人では心配ですから、兄弟代表としてこの俺が、一緒に入隊してやりますから!」
智輝兄さんが椅子を倒しながら起立し、机をドンと叩き注意を引こうとした。
だが父上様は兄さんには目を向けず、俺のことを優しい目で見下し、すぐに兄さんをギリと睨むと、
「智輝。お前はまずヴァイオリンを弾けるようになりなさい」
と、有無を言わせぬ威圧を空気に流し込んだ。
「くっ……! 音楽さえ無ければ……!」
智輝兄さんが悔しそうに机を2,3回たたくと、父上様は更に追い込んだ。
「この前の筆記試験、成績が酷かったそうだな。それを私に見せる前に、お前の執事長の山田が別館の”悪食”に食べさせたとも聞いたが……どうなのかね?」
父上様に1番似ているのは、今回顧して気づいたが……俺と紅夜兄さんではないか……?
裏取りが恐ろしく、手段を選ばないあたり……。
この証言も、智輝兄さんから口止めされていた”悪食”本人から無理に聞き出したと聞く。
「……! なぜ……それを…………?」
智輝兄さんはそれきり言葉を失い、執事長が立て直した椅子に力なく座った。
「兄さんは馬鹿で音楽音痴ですが、この私ならそいつを引き立ててやれますよ」
次に起立したのは智輝兄さんとは双子の弟である、龍之介兄さんだ。
頭が良く、ヴァイオリンの腕も良い兄さんは、ソロの大会で何度も優勝する程の実力だ。
「龍之介は、自分で殺し屋になれると思うのかね?」
父上様は兄さんをじっと見つめて言った。
もちろん生みの親だから分かるのだろうが、龍之介兄さんは……スキップが出来ず、武道の成績も悪い。
走る姿勢は可愛い子振る女子そのもので、智輝兄さんの格好の笑いモノであった。
悪いことは言わない。いくら賢くても、運動音痴では最前線で殺せない。
その人の為の情報屋かと言うと、もしそう思っている方がいらっしゃるなら全くの勘違いだ。
情報屋ですら、自分の身を守る為に必死であるのだ。
特に片桐組は建物が別れているから、実力の無い者にはまず仕事を与えられない。
そういう人の末路は――これは後でいいだろう。
「……」
龍之介兄さんは、一度こそ黙ったがすぐに勢いを取り戻し、
「それでは救護関係の資格を取り、サポートに――」
と、火を大きくしかけていたとことで、父上様は手で制した。
「そのような献身的なことを、”傲慢”のお前に出来るのか?」
この一撃は流石に効いたそうで、くすぶったままの龍之介兄さんは、ストンと大人しく座った。
だがもう1人居る。
嫌がらせの主犯格と言ってもいい、”嫉妬”のウサギ顔の男が。
「嫌だなぁ~。なら、最初からボクを連れて行けばいいじゃないですか」
透理兄さんは立ち上がると、特徴的な大きく赤いウサギ目を細めた。
頭はそこまで良くないが、運動神経は抜群。音楽の成績も良く、狂想曲の演奏で右に出る者は居ない。
すると瀧汰兄さんが手を挙げ、父上様の許可を得るとすぐに口を挟んだ。
「透理兄さん。貴方が1番嫌いな漢字は何です?」
瀧汰兄さんは恐らく賭けに出たのだろう。透理兄さんのボロの出る確率に賭けて。
「そりゃ~、白に決まってるじゃん。血で染めなきゃ……つまんない」
透理兄さんは耳の下を掻きながら、横目で瀧汰を見下した。
この程度ではボロは出ない。透理兄さんは、意外と勘の鋭い人だ。
「では、嫌いな動物は?」
瀧汰兄さんは結った髪が肩にかかったのを上品にねっとりと退けると、透理兄さんは頬を掻いた。
「え~何だろう? 好きな動物は蝙蝠なんだけどね……。あ、変に賢い動物はぜ~んぶ嫌い。ねぇ瀧汰、そういうキミは何が嫌いなの?」
透理兄さんは、まだ粘る気なのだろう。そろそろ気がついてもおかしくはないが、逆に瀧汰兄さんの腹を探る手に出ていた。
これがこの探り合いの終わりの言葉だ。
そう……これで瀧汰兄さんの土俵に入ってしまったのだから。
「俺は……そうですね。蝙蝠が大嫌いですよ。ちょろちょろと視界を遮って、人の迷惑ばかり掛けますからね」
瀧汰兄さんはフンと鼻に手の甲をやりながら鳴らすと、透理兄さんの短所である負けず嫌いな部分が顔を出した。
「瀧汰が邪魔なだけじゃないの? ふざけないでよ。蝙蝠よりもっと最低な動物も居るし、そうだ、龍が大嫌い。大きく動いてやたら賢くて、どんなに嫉妬しても嫉妬しても消えな……は!?」
裏返った声を出し、慌てて口を押える兄さん。
勘の良い透理兄さんのことだ、途中で気づいたのだろう。
瀧汰兄さんが仕組んだ罠であることと、負けず嫌いな性格を利用されたことに。
冷や汗を流し呼吸も荒くなりながら、恐る恐る父上様を気まずそうに見る兄さんの顔は、今でも思い出す度に笑える程、絵に描いたような終焉の顔をしていた。
「透理……誠に残念でならないよ」
父上様はその様子を下衆顔で見下し、わざとらしく言い放った。
そして父上様は異論が無いことを確認すると、瀧汰兄さんに座るように言い、俺は父上様の部屋に行くように言われ、会議はお開きとなった。
その後、瀧汰兄さんに耳打ちされたのだが、イマイチ何を言っているのか分からないままであった。
そのまたすぐ車椅子の羽毛に包まる紅夜兄さんに、「ほくろの位置、似ってるね~」と、あくび混じりに言われ、前髪がパックリ真ん中で割れていたことに気付かされ、顔を赤くした記憶があるな。
たしかに、前も話したがほぼ同じ位置にあるのだ。
「いやその……」
俺が弁解をしようとすると、紅夜兄さんはまた涙が出る程のあくびをし、
「会議の態度が気に入ったから、仲良くしよ~」
と、ゆっくりと手を伸ばしてきた。それに応えようと俺が手を伸ばし、握手をしようとすると、それを兄さんの執事長である新田に遮られた。
「えっ……」
俺が呆気にとられている内に、新田は「あの方は殺し屋になられる方、汚い方ですので」と、言いながら車椅子を回転させ、会議室を後にするのかと思っていたのだが……突然鈍器で殴られたような鈍い音がしてそちらに目を遣ると、新田が鼻血を出して倒れていた。
「あ……」
乞田が笑いを堪えているが、俺は新田の怪我の具合が気になった。
近寄ってみると、結構派手に血が飛んでおり、まだだらだらと流れ続けている。
――最早言うまでもないが、初めて紅夜兄さんの豹変を見たのは6歳のこの時であった。
「龍は大事な弟だから! 執事長のお前が決めるんじゃないよ……」
紅夜兄さんは威勢よく車椅子から立って言ったのだが、すぐに座り込みそうになり、俺が身体を支えると逆に重さで倒れこんでしまった。
「ん……ごめん!」
紅夜兄さんは、俺が下敷きになっていると分かるとすぐに飛びのいたが、後鳥羽の庭の香りがふわっと漂ってきて、俺は思わず顔を近づけてしまい、乞田に引き剥がされた。
「良い匂いがしたから!」
と、ぶすっとした顔で乞田を見上げると、乞田は「乞田は無臭ですみませんね」と、頬を膨らませてきた。そのうえ、
「無臭の執事長は、新田もそうですよーだ」
と、子どもっぽくチクるように言うので、紅夜兄さんは「ふふっ、乞田は面白い」と、車いすに座りながら微笑んだ。
そのとき乞田は照れていたのか、後頭部を擦っていた。
兄さんに褒められれば、誰だって……嬉しい筈なのに。何故だろう、また胸が苦しくなった。
だから俺は嫉妬されたくて、入れられていたティッシュで新田の血を拭き取っていた。
だがあまりに夢中で擦りすぎて、新田に痛いと言われてしまったが。
それから兄さんたちが出て行った後に、一応あの3人の兄さんのことも見遣ると、全員頭を垂れていて、「父上様の評価が……」等と呟いていた。
――なんと滑稽な3人であろうか。
だがそれでも、この3人の兄さん方も大事な兄弟だ。
こちらから苦手意識を持っているのは透理兄さんだけとは言え、終わらせる時はこの手で終わらせたい。
数分後……
?階 父上様の部屋
裾野(後鳥羽 龍)
父上様の部屋が何階にあるかは、後鳥羽家の家訓にもあるが秘密事項だ。
よって今回も今後も伏せさせていただく。
俺が乞田と共に3回ノックをして部屋に入ると、七つの大罪の悪魔たちの石像が1つ1つケースに入った状態で壁沿いにズラリと並んでいるものと、向かい側にある大天使ガブリエルのケースに入った金像が1体がすぐに目に飛び込んでくる。
そしてガブリエル側の壁には『最後の晩餐』、七つの大罪側の壁には『七つの大罪と四終』が壁一面にそれぞれ飾られている為、壁の色は判別できない。
照明器具は真上にある銀色の地味で小さいシャンデリアと、机の上に飾られた裸の木のオブジェ型のものだけであった。
バーントアンバー色に着色した大理石の床には、虫食い箇所もあるが、だいたいの名家の名前一覧が金字で刻まれている。
その上を歩くのだ……兄弟が傲慢になったり、優越感に浸ってしまうのも無理はない。
お察しいただけているとは思うが、虫食いの場所は…………自然に滅亡したか、この後鳥羽家が潰した家だ。
俺たち2人は震える足で名家の名前を踏んでいき、父上様が腕を組んで座る社員用ともとれるぐらいの小さい机の目の前に立った。
やはりいつでも初心を忘れない為とは言え、やりすぎなような……。
父上様は俺と、数歩後ろに控える乞田の顔を交互に見ると、
「3日後の4月9日に、片桐組の入隊式がある。必要なものリストはここにあるから、これと生きて帰りたいという希望を持って、乞田と歩いて行ってきなさい。いいね?」
と、諭すように仰った。
殺し屋についての予備知識も何もない俺は、不安な気持ちのまま頷いた。
乞田も浮かない顔で、返事をしていた。
すると父上様は大きくため息をつき、
「殺し屋は優秀な人間しかなれん。そして皆、愛を欲しがっている……”強欲”の龍のように、な」
と、満面の笑みで俺を見下し、わさわさと頭を撫でた。
「……」
俺と乞田はそれぞれに思いを抱えたまま、部屋へと戻る途中トイレに行きたくなった俺は、立ち寄って軽く済ませていた。
その帰りのことだ。
珍しく3つ下の妹の”無欲”という八つ目の大罪と呼ばれる罪を持つ、利佳子とすれ違った。
”無欲”とは、衣食住以外に一切の欲を示さない罰のことだ。
勉強の意欲も無ければ、武道における応用力を付けたいという欲等も無いため、父上様にとっては大罪だそうだ。
「利佳子」
俺が呼びかけると、無言のまま妹は振り返った。
「……?」
長く艶のある黒髪を1つに結い、前髪を一直線に揃え、その真下から覗く無欲的な目で俺を見上げている。
目は黒く、愛欲的な姉とは正反対で少し垂れた憂う目をしている。
肌は雪のように白く、首もかなり細いが、白い道着を纏った細い身体からは覇気を感じた。
「……」
利佳子は黙って俺を見上げてはいるが、少し困ったような顔をしている。
というのも……おそらくこのバタバタとこちらに走ってくる変態ロリコン執事長が関係しているのだろう。
「利佳子様! トイレですか? トイレですか? 一緒に女子トイ――」
こいつは、普段こそ落ち着いていて仕事の出来る男なのだが。
利佳子がトイレに行こうとする瞬間を見てしまうと、気が狂って追いかけ回してしまうのだ。
「お前は利佳子の執事長だな」
俺が利佳子の前に立って言うと、執事長は急にハッとした表情になり髪を整えながら、
「た、大変申し訳ございませんでした! どうぞ、行ってらっしゃいませ~……」
と、女子トイレを丁寧に掌で示していたが、その実はどうなんだか。
噂によれば、こっそり利佳子の使用後のトイレの臭いを嗅いだとか……あぁ、これはあくまでも噂だから、俺は今でも信用はしていないが、どうしても妹のこととなると、万が一のことを考えてしまう。
そういうわけで、俺は利佳子が出てくるまで執事長のことを見張り、執事長はバツが悪そうにぎこちない笑いを浮かべていた。
この一件のせいで、少し遅れて部屋に入った。
そこには、許可も無く俺の勉強椅子に座り、うなだれている乞田の表情は思い詰めているようで、橋本ですら話しかけられないのか、乞田の周りをうろつくだけという奇異な図があった。
しかし突然、蝿を捕まえるように強く腕を鷲掴み、
「……橋本、覚えていますよね?」
と、鋭い眼光とかすれた低い声で橋本を射貫き、橋本はブルッと震えあがっていた。
「まさか……ピエロの二の舞にする気かよ」
と、震える声で言う橋本の腕を離すと、乞田はドアのすぐ近くに立っていた俺の存在に気付き、目を丸くして飛び上がった。
他の3人の執事は耳を塞いでおり、関わるなオーラを出している。
「なに……話してるの?」
俺が無表情で乞田に歩みを進める度に、乞田は何度も転びながら俺から遠ざかろうとする。
見かねた橋本が俺の身体を後ろからひょいと持ち上げ、誤魔化すように頭を撫でまわす。
だが橋本は頭を撫でたことがあまり無いせいか、手つきがぎこちなくて結局は宙を泳いでいる。
すると乞田は、片膝をついて俺を見上げ、
「……この、この話はまだ、早うございます…………。お願いですから…………この話は――」
と、言葉を詰まらせながら懇願してきたのだ。
俺は乞田の誠意に負け、その言葉の先を聞く前に何度か無言で頷いた。
この話は結局、中学にあがるまで聞かせてくれなかった話だが、たしかに6歳の男の子には重すぎる話であった。
それから数分は重い空気が流れたが、橋本がトイレに行くと言い部屋を出ると、乞田は執事寮に取りに行く物があると言い、部屋を出て行った。
執事たちの武器は、懐に入るもの以外なら10歳未満の主人の手の届かないところに置くのが原則であった。
それは丁度、包丁の場所やお金のありかを、子どもたちに隠すのと同じである。
「……」
俺が本を探していると、3人の執事たちは俺に誘惑を仕掛けてきた。
「逃げてしまえ」
「後鳥羽の王となる者よ」
「天使となる者よ」
と、3人が順々に言い、
「執事長を堕とせ」
「堕天使にしてしまえ」
「殺してしまえ」
と、また順々に言って本棚の周りを囲み、恐怖に慄き何も叫べない俺の頬に触れそうになった時――
「龍様お待たせ~……って、ふっざけんな!」
橋本が部屋に入るなり、短刀を構え3人に振りかざし蹴散らすと、俺の目線まで屈んで頭を不器用に撫でた。
「嫌だ」
俺はぎこちなく動く橋本の手が嫌いで、つい本音を口にしてしまったのだが、橋本は「ですよね~」と、言い肩をすくめただけであった。
だが3人の執事を睨みあげる鳥の如く鋭い目は、歌舞伎の見得のようで見とれてしまっていた。
すると3人は順々に、
「何もしていない」
「手出しはしていない」
「触れていない」
と、また綺麗に整列し、耳を塞いで元の場所に立っていた。
俺の宝箱前という定位置は、どうにかならないものか……。
それに対し橋本はカッとなり、1人に掴みかかったところで、愛用の槍を持ってきた乞田が帰ってきた。
おわかりいただけるだろうか?
これはどう考えても、橋本を乞田が槍で叩く未来しか見えない筈だ。
しかし乞田は3人を順々に優しく叩き、
「乞田の目も龍様の心も誤魔化せませんよ、マクなんちゃらの魔導士! 心を入れ替えなさい!」
と、ビシッと言ってやったのであった。
おそらく仏国の作家のあの作品ではあるが、橋本も俺も訂正しようとは思わなかった。
すると3人は突然ハッとし、
「ごめんなさい!」
「 ごめ、んなさいっ!」
「ご、ご、ごめんなさい!」
と、今度はバラバラに謝ってきた。
この出来事以来、多少は人間味を持った執事たちではあるが、面倒事を避ける性格はどうにもならなかったな。
俺はこのことよりも、乞田のパルチザンの方が気になっていた。
刃の真下にあるワスレナグサの装飾も美しくて、とにかく強そうという印象をもった記憶が強い。
そう思いながら、じーっとそれを見ていると、乞田は刃先を俺の鼻先に向けた。
だが……何故だろう?
俺の目の前には、切れ味のよさそうなパルチザンのキラリと光る刃先と儚げなワスレナグサが見えるのに……怖くない。
むしろ、そんな感情よりも、
「格好いい……!」
こちらの方が勝っていて、俺は目を輝かせて刃に触ろうとしたが、すぐに肩に担いでしまい、俺の背よりも乞田の背よりも高いところに行ってしまった。
危ないのはわかっているが、もっと近くで見たい、使ってみたいという感情が沸いて溢れ出て止まらなかった。
「こちらは、パルチザンという槍でございます。西洋の武器とだけ覚えておいてください。」
と、乞田は説明しながらも、口の端は歪んでおり、橋本は笑いを堪えながら俺の輝く目を流し目で見ていた。
「余程気に入ったんですね~、執事長の……えーっと? パンチラ?」
と、橋本がからかってパルチザンを指差すので、乞田は顔を真っ赤にして刃を橋本の眉間に向け、
「橋本の耳は病気なんですか!? もう減給どころか、この場で成敗しますよ!!」
と、部屋が防音でなかったら、何人か執事が止めに入りそうなぐらいの大声で叫ぶと、橋本は目を閉じて降参のポーズを取り、
「俺の耳は病気じゃないですよ。ただ、執事長に龍様をしっかり守ってもらいたいだけです」
と、飄々と言ったが、乞田はバツが悪そうに槍を下し、「橋本が素直だとやりにくいですね」と、口を濁した。
やはり槍が欲しかった俺は、
「パルチザン! 俺も欲しい!」
と、何度もジャンプをして欲しがっていた。これも”強欲”と言われたら、いよいよ家のせいにするぞ。
だが乞田は、鼻を啜って首の後ろを掻くと、
「3日後の出発まで御貸ししますから、それまでに一通り扱えるようになってください。そうしましたら、片桐組の前でお渡しします。ほ、ほら……稽古も付けますから、ね」
と、不満そうだがどこか嬉しそうに言ってくれた。
「ありがとう!」
俺は満面の笑みで、乞田に抱き着いた。
だが今思い出してみると、やはり目の奥は笑っていなかった気がする。
理由は先程のピエロが云々の話と繋がる。
本当はこんな穢れた槍を渡したくなかったのだろう。
あぁ、俺が欲しがったばっかりに。乞田を無意識のうちに苦しめてしまっていたのか。
それから3日後の出発まで、槍の手入れ、構え方や振り方、斬り方、薙ぎ払い方等、一通り覚えた俺は、片桐組前で渡してくれるという約束と共に、後鳥羽家を乞田と後にしたのであった。
現在に戻る……
別館 トイレ 夕方
裾野(後鳥羽 龍)
風に当たるのは、いささか良いものだな。
夕日の沈み始めた後鳥羽家の庭は、幻想的で有限的で空しい。
だがまだ続くであろう……後鳥羽家が事実上の最名家という時代は。
俺はそう思案を巡らせると、踵を返しトイレを後にした。
それから色っぽい情事の声が響く瀧汰兄さんの部屋を素通りして、玄関に向かって階段を下りていると、家族会議と本館への出入りの原則禁止を命じられている、”悪食”の弟、潤が玄関扉の真横で体育座りをし、長く真っ白な前髪から覗く虚ろな目をこちらに向けてきた。
家の中に居る分には、殺し屋としての顔である”油”の一面は決して出さない。
だからこちらも、何も手出しはせずに、
「また来るかもしれない」
と、消え入りそうな声で、兄としての顔を見せておく。
すると、すっかり血生臭くなった白シャツのボタンを2つ開けた状態に、毛玉だらけの黒のロングカーディガンの前を開けているという、あまりにもみすぼらしい格好のまま立ち上がり、
「……タバコ、臭い」
と、うつむきながら寂しそうに言うので、傷みきった襟下ほどの髪を撫でてから笑顔を向け、
「これは食べられないからな」
と、ワインレッドに黄色いラインの入った箱をちらつかせながら別館を後にした。
もし潤と同じ立場だったら、俺はどうしただろう?
……どうしたのだろう?
唐突に浮かんだ疑問ではあるが、以前から問い続けていたのではないか?
少なくとも、俺のせいで人肉を喰らう弟になってしまってからは。
俺は今晩のメニューを考えながら、魚か御飯系にしようと溜息をつき、別館を首だけで振り返って見た。
俺は潤がまだ扉越しに見ているような気がして、小さく手を振ってからマフラーを巻きなおした。
あまりお話ししたくありません。
ですが、私乞田、執事長といたしましては、龍様が心身健康であられることが第一。
私たち執事のことで、その思考回路を惑わせてしまってはなりません。
……ですから、多少の無理は覚悟の上。
はぁ……それでもパルチザンと橋本に助けてもらえましたからね、本当に安心いたしました。
次回は片桐組入隊式くらいまでは、お話くださると思います!
投稿日はですね、定期投稿曜日の土曜日に戻しますので、1月7日ですね。
今回は緊急投稿に付き合っていただき、誠にありがとうございました。
執事長 乞田




