「第一-後鳥羽家の徹底教育-」
裾野の過去……0~5歳前編。
後鳥羽家に生まれ、生まれながら執事を召し抱え、大きな部屋まで与えられ…………
その上、狂育まで仕込まれる。
そして”強欲”に憑りつかれる日は……。
※現在と過去が入り混じる箇所がございます。
※約9,600字程度です。
2014年12月24日 午後(天気:晴れ)
後鳥羽家 1階中庭
裾野(後鳥羽 龍)
先週紹介したゲストルームから中庭に通じる秘密通路がある。
これは後鳥羽の人間の中でも、俺と紅夜兄さんしか知らない通路である。なので通るときは最大限警戒し、僅かな壁の境目にあるノブを捻るのだ。
捻った先に広がる中庭は雨の日でも何故か明るい場所で、晴れた日は特に幻想的で、自然と足が中央へと向いてしまう。
そこに行くためには、交互に建てられた細い支柱と、芝生や花畑の前にあるやや背の高い低木を越えなければならないのに。
中庭のイメージはこれといって聞いてはいないが、個人的なイメージは仏国にあるモン・サンミッシェルのそれだろうか。それに中央に野ざらしの背の高い木製の椅子が一脚ある様は、どこか独房の囚人のようで、どこか修行僧のようで、どこか……救いを求めている信者のようにも見える。
俺も昔……ここによじ登って執事長に叱られたような…………あぁ、それももう遠い昔になるのか。
前に話した通り、後鳥羽の人間なら誰しもが執事を召し抱えられる。
それは俺も例外ではなく、俺にも……執事長が居た。
おおらかで、アホで、どんくさくて、いつも笑っていて、怒ると猛牛みたいな顔になるくせに足は遅くて、権力に屈しないところもあり、他の世話役執事のこともよくわかっていて、人を巻きこめるタイプの執事長で、それで――
「最高の執事長だった」
俺が記憶のタンスを閉めながらそう呟くと、中庭の”正式な”入口から足音がした。
「物好きなクソ兄貴」
”憤怒”の竜馬だ。こいつは大分年下の弟だが、母が一緒のせいか、どことなく声が似ている。
黒髪を襟足まで攻撃的に伸ばした髪型で、幼い頃から人を睨みつけ過ぎたせいか目がつり上がっている。
……面白くもない冗談だ、元からつり上がっている。
目の色も真っ黒で、常に怒りの念が込められている。鼻はそこまで高くない筈だが、小麦色の肌のせいか気にならない。
学校が休みだからか、護身用に武器である傘は持ち歩いているものの、恰好は寝間着に近い普段着。
年ごろの割に、意外と見た目に関しては気にしていない。……このように思うのは、兄故だろうか?
「……竜馬」
真一文字に結ばれた唇は若干俺と似てしまっているが、まぁ友好度の高い兄弟だ。
少しは話そうと思ったのだが。
「話しかけんな」
竜馬は頬を膨らませ、プイと顔を背けた。
これは話しかけても問題は無い、という印だ。
……覚えておくと、何かと便利かと。
「世話係の執事たちはどうした?」
竜馬の近くにも、中庭と正面階段右を繋ぐガラス戸にも人がいない。
俺の予想では、執事寮に閉じ込めている、だがどうだろうか?
「執事寮に鍵をかけた」
俺はふっと息を漏らし、肩をすくめた。ククッ……ビンゴ。昔から白い巨塔の総回診の如く、周りでうろうろ歩かれるのが嫌いな性分だ。
意地でもそうさせないように、よくこいつは執事たちを閉じ込めてしまう。
……俺の執事たちはそんなことはしないが、竜馬のところのは風呂も御手洗も、大人の階段を上る行為でさえも見張るという。
良く言えば真面目な執事たちだが、このままならプライバシーの侵害で訴訟を起こされかねない行為だ。
「相変わらず?」
片眉をあげ、小首をかしげて訊いてみると、
「……」
竜馬は黙って頷いて、そのまま中庭を後にした。やはり母親が一緒だと、話しやすいものがある。
俺はその呆れかえった後ろ姿を見送ると、中央に置かれた椅子にひょいと飛び乗り座り直した。
――さて今日は中庭で俺の幼少期の教育についてでも、語るとしようか。
七つの大罪についてはもう話したが、どうやって全員が全員ああいう性格になるかは、執事長を始とした世話係の裁量にかかっている。
というのも、菅野の話を聞いたのなら理解出来ると思うが、俺はどうしようもなく欲しがり……とまではいっていないだろう? 言うなれば、欲しがりではあると思うが……。
その他にも性的欲求が若干高いくらいで、無理矢理襲うことも無い、社会適応者と言っても過言ではない。それが普通と言われると、後鳥羽家出身としては弱るところだ。
さて、七つの大罪をどうやって振り分け、どうやってそういう風に教育したのか? ……だな。
簡単に且つ平たく言えば、振り分けは見た目と性格。
方法は幼少期から「~しなさい!」「~すればいいんだ!」と、教わった……となるが、それでは理解に苦しむだろう。
そうだな、一番分かりやすい例としては、故・後鳥羽智輝、龍之介兄さんたちだろう。
この2人は”傲慢”双子と呼ばれ続け、彼ら自身は「後鳥羽こそが最名家! 後鳥羽には皆ひれ伏す!」と、中小名家を片っ端から消していたような人たちだ。
2人の執事長は現在行方を眩ませてはいるが、いつも2人に向かって「威張っていなさい」、「この家は最も強い」、「勉強よりも自信を」と、洗脳するような勢いで教え込んでいた。
――それであの性格になってしまった?
そうではない。あちら側の母親の性格も大分問題があるから、素質はあったのだ。
……愛人のどちらから、誰が生まれたのか、という話をもうしておこうか。
”傲慢”双子の智輝兄さんと龍之介兄さん、”物欲”教師の”夏霞凍雨”こと紅介兄さん、”愛欲”痴女の愛子姉さん、”色欲”整形の瀧汰兄さん、”嫉妬”吸血鬼の透理兄さん、”悪食”人喰らいの潤は、1人目の愛人だ。
愛人の性格も歪んでおり、愛が全てといつも呟いていて、手段を選ばないところもある危険な女性でもあり、コロコロお気に入りの兄弟を変えてしまう。元キャバ嬢、現高級クラブ勤めで水商売が肌に合う人なので、話し上手な兄弟が多いようにも見える。そしてどこか人を引き付けてしまう魅力を持っている。
”怠惰”緑眼の紅夜兄さん、”強欲”怪力の俺、”無欲”無言の利佳子、”憤怒”傘師の竜馬、は、2人目の愛人。
堅実なカトリック教徒の女性から産まれた俺を含めた4人は、全員沈黙や空気を会話手段とすることも出来る。一途な性格で、尽くすタイプでもあり、逆手に取られることも無いことは…………もういいだろう。
それと落ち着いた雰囲気を持っているせいか、頼られることも多く、年上に可愛がられやすい。
端的に言えば、極端にタイプが違う。
そしてここから、誕生日で運命が別れるのだから…………継承権のある男だけに課せられた使命とは言え、残酷すぎるとは思わないだろうか?
前置きが長くなってしまった。
ここからは、のちに聞いた伝聞と俺の記憶を合わせた話である。
1992年12月24日~1997年12月24日
後鳥羽家
裾野(後鳥羽 龍)
1992年12月24日16:00のチャイムと共に産まれたのは、3,500gの元気な男の子だった。
夕日が沈みそうな頃、病院の窓から差し込む初めての光に男の子は目を細めていたという。
その刹那、母親に促され一際大きな産声をあげたその子に与えられた名前は、「龍」であった。
由来は母上様のように徹頭徹尾で、父上様のように強く生きて欲しいから。
だが母上様は時計を見るなり、がっくり肩を落としてしまった。
「……12月24日ですよ。この子は何も悪くないのに……」
無邪気に笑うまだ目鼻立ちもはっきりしていない俺に、母上様は悲しげな笑みを浮かべた。
その嘆きを父上様は、長い溜息で掻き消した。
退院後、俺は母上様に抱きかかえられ、父上様には冷ややかな目で見られつつも、身体には到底見合わない自室を与えられた。
広さは20帖強。ベッドは天蓋付きのキングサイズ、その傍には収納機能付きのサイドテーブルが3脚、1番ベッドよりのものの上にはアンティーク調のランプ、カーテンは遮光性のある龍柄の白いレースカーテンと同じデザインの遮光カーテン、鏡のように少し迫り出した窓は、大人になった身長よりも大きい外開きの6つに仕切られた焦げ茶縁の透明なもの、勉強机はその形に沿って置いてあり、幅だけでも成人男性5,6人分、奥行は4人が転がっても余裕がありそうで、高さは190cmになっても猫背にならないくらい高いものを使っている。椅子は黒革張りのキャスター、肘置き付きの椅子だ。
タンスは用途別に3棹と、6帖のウォークインクローゼット、そして1m×52cm×53.5cmの英国の海賊風の宝箱が1つあった。
色を指定していないところは全て、焦げ茶か深緋色のものであった。
これをまだ0歳の子どもに与える両親は、この世に何世帯あるだろうか?
俺は数える気にすらならない。
そして他にも0歳で貰えるものは、世話係の執事たちだ。
執事長、他4人の執事たちは、まだ10代~20代の若者であったらしい。
そこで苦労したことを訊いてみたのだが、全員から取れた証言の中でも一致していたのは、母上様が部屋を後にされた瞬間の俺の泣きわめきっぷり。
特に執事長は慌てふためいて、一緒に泣いてしまうこともあったという。
……お前が泣く必要性はどこにあるのだろうか?
「それでは、あとは頼みましたよ」
玩具を宝箱にしまわれただけで泣いていたような、まだ幼かった俺にとって、いきなり母上様が見えなくなるというのは更に過酷な仕打ちだ。
一向に泣き止まない俺に対し、執事長はあらゆる玩具を宝箱から出しては俺に振り、「お願いですから、泣き止んでくださいよ~……龍さまぁぁぁぁ~~~」と、一緒に顔をくしゃくしゃにして泣いていた。
……俺は全く覚えていないが、このとき俺はパッと泣き止んで、覚えたての名前を連呼していたという。
「りょ、でゅ……でゅう!」
それも満面の笑みで。
「あぁ~~~龍様が泣き止まれましたぁぁぁぁぁ~~~」
当時の俺はどうやら執事長の泣き顔がおかしかったようで、その後もずっと執事長の顔を見ては笑っていたという。
その執事長の名前は、乞田光司。
菅野と同じくO型のこの男は、とにかく大雑把でおおらかで……一緒に居て笑顔が絶えないし、面白かった。
身長は172cmくらいで、決して身体は大きい方ではなかった。
髪型は規定の襟足につかない長さのオールバックに、アレンジで何本かいつも違う色の付け毛を混ぜていた。だから反逆者とみられることもあったらしいが、乞田は気にせず付け毛を鼻歌を歌いながらセットしていたという。
見た目がネコ目で大きいせいか鋭い印象を与えつつも、犬のように従順でいつも見えない尻尾を振っているような男だった。
……という乞田の面は、俺しか知らない。
他の執事はいつも見て見ぬフリをしていたから。
俺が言葉を発するようになると、乞田は「ななつのたいざいカリキュラム」と書かれた本を引き裂き、バッと勉強机に置いた。
「好きなだけ破って遊んでください!」
と、腰に手をあてて言う乞田に、他の執事たちはこそこそ話し始めるが、
「さぁ乞田と遊びましょー!!」
と、自ら引き裂き遊び始めていたので、俺もつられて遊んでいた。
その時の乞田の顔は、心から楽しんでいた。
当時、”強欲”さを鍛えるために20歳までのカリキュラムが組まれていたらしい。
だが乞田はそれを完全に無視し、自分の海外経験を語ったり仏国の素晴らしさと英国への憧憬を語ってくれた。
そして乞田は俺と一通り20歳までのカリキュラムを破くと、ニコッと目を細めてこう言った。
「こんなのぜ~んぶ、間違いなのです」
と。反逆すること、殺されるかもしれないこと、睨まれること、疎まれること…………全部を覚悟した顔で。
たしかに、その発言の後の他の世話役執事たちの顔は……敵を見るような眼であったし、慌てて手を振り、「執事長のご冗談です」と、繕うとする執事も居たくらいだ。
俺は幼いながらにも、乞田の大胆さを感じ取った。
それだけではなかった。
ある日は勝手に庭園で遊んだり、追いかけっこも一緒にした。
「よ~し、乞田と追いかけっこです! 私 乞田、負ける気がいたしません!」
と、よく意気込んでいた乞田ではあったが、ぽてぽて走る俺にも負ける程足が遅かった。
そのうえ、兄さんたちに見つかれば――特に智輝兄さんは――すぐに腕を組んで俺を見下してきた。
「お前は走ることしか出来ないのかぁ? 俺は今日もたっくさん言葉を覚えたんだぞ? 言ってやろうか? ――」
智輝兄さんが言おうとしていることは結局わからなかったが、当時の俺は乞田から習った英語でこう言ったそうだ。
「No thank you.」
と。それにきょとんとする智輝兄さんの表情は引きつっていて、耐えられなかったらしい乞田は大爆笑。向こうの執事長は、牛乳瓶の底のようなメガネを何度もかけ直していたという。
――その行動に繋がったのは、他でもない……乞田の”この言葉”があったからだ。
――「こんなのぜ~んぶ、間違いなのです」
智輝兄さんは間違っている。その執事長も、一緒に偉そうにする龍之介兄さんも。
俺は口には出さなかったが、この人たちは間違いすぎて、大人になったら悪魔になって俺に断罪を望むと信じ込んでいた。
また違う日には、2Fの廊下で走ってコケてしまい、慌てて駆け寄ってきた世話役執事たちに「お怪我は?」や「万が一骨折でもしていたら……」であるとか、「気を付けてくださいよ」と、要らない心配をされていた。
だが乞田は……あいつは……のんきに歩きながら拍手をし、
「龍様、カーペットの上で良かったですね~」
と、転んだ俺の頭をグイと持ち上げて、ぺちぺちと頬を軽くたたくと、
「いいんですよ、失敗は成功の母でございますから。……ですから、いくらでも失敗すると良いですよ~。そうすれば、乞田みたいに怖いものなしの人間になれます」
乞田はそうやって、いつもニッと歯を見せて笑っていた。
俺では絶対に真似の出来ない余裕の表情と、主人である俺にまで伝わる陰口に全く屈しないその強さ。
だから俺は……乞田のあの表情から、その言葉を真に受けてしまったのだろう。
その日にやる勉強が終わるとすぐに、壁一面に縦長に広がる本棚の絵本や英国の本をバタバタと崩し、自分の足に当たるようにして、失敗を生み出そうとした。
他には急にコケたり、10分だけ早めに起きて乞田たちが部屋に入って来る瞬間を狙って待機し、ドアが開いた瞬間飛びついて驚かせてやろうとしたのに、距離感が掴めなくて床に抱き着いて踏まれそうになったり、観葉植物まで用意してドアの裏に待機し、ドアを白羽どりしようとして挟まれたりもしたか……。
極め付けは、三面鏡のような形をした窓のさんに偶然ついた鳩のフンを摘まんで……
「は~しもと! 今日が誕生日だろ?」
と、無邪気な笑顔で手を差し出させると、その上にすっかり硬くなった鳩のフンを乗せた。
「ふ~ん……」
橋本は不愛想で短気でもあり、世話役執事の中でも1番乞田に対して敵対心を燃やしていた男でもあった。それを何となく感じ取っていた俺は、乞田を守りたいのと失敗してみたいという欲求から、気が付けば行動に移していた。
ちなみにこの時は、橋本と俺しか居なかった気がする。もしかしたら、他の3人もいたかもしれないが、何らかの理由で乞田だけ居なかった。
「どうかな?」
差し出した手ですら見上げる程背が高い橋本の真顔を見上げていると、だんだん手が震えだして、顔まで引きつり始めた。
そして俺の頭を鷲掴みすると、そのままぐんぐん自分の目の前まで上げて持ち上げた。
それから鳥目で睨みつけながら、
「ふ……ふざけっ……お、お遊びは……やめろ、このクソガキ!!」
と、思い切り俺を扉に向けて投げ飛ばしたのだ。
これが父上様や詮索好きの双子兄貴にバレれば、即解雇。または、拷問の可能性すらあったのに。
だがタイミング良く部屋に入ってきた乞田が全身で受け止めてくれ、俺には外傷は無かった。
それを確かめて安堵の溜息をつきつつも、乞田は尻を痛そうに擦っていたが。
「いたたた……いくら龍様でも乞田のような貧弱者では、受け止めきれませんね……」
乞田はそう独り言を言うように呟くと、俺を抱き上げて着衣に乱れが無いかまで見てくれた。
――その時だっただろうか。
物心がついた頃だったからよく記憶に残っているが、心臓がぎゅっと締め付けられるような感覚を覚えたのだ。
「……乞田」
そっと立たせて、埃を払うために軽く全身をはたかれたときに……更にぎゅっと締まった。
この感覚は、何なのか? 気になって呼びかけた記憶がある。
「何でしょう?」
乞田は膝をついて俺と目線を合わせて言う。
「……ぎゅって……どうして……」
今なら説明も簡単に出来るが、同じ年ごろの子どもが説明するには難しい感覚だった。
「……?」
乞田は首をかしげつつも、笑顔を崩さない。
「こう……なるんだ……ぎゅって」
俺は左胸を手でぎゅっとして見せたが、乞田は鈍感だから気が付かなかった。
或は……11歳も年が上の乞田のことだ。気が付かないフリをしていたのか、笑顔のまま俺のことをきつく抱きしめた。
「……そうじゃなく――」
「いけませんね、龍様。橋本が怒っていますよ」
乞田は俺のことを離すと、橋本の前まで背中を押して一緒に頭を下げて謝ってくれた。
その時橋本は、俺の目線までしゃがんで耳元でこう言った。
「ありがとうな、龍様。誕生日プレゼントを貰ったのは、生まれて初めてなんだ」
執事長にも皆にも内緒な、とニッと歯を見せてイタズラ笑顔を見せる橋本に、俺は大きく頷いていた。
敬語を使われていないことには、全く意を介さなかった。むしろそれが普通であることは、映画やドラマ、本で知っていたこと。
だからこそ、仲直りの印に気まずさも何も無い、満面の笑みでお返しをした。
「橋本! 何をしているんですか!?」
勘違いした乞田が手をあげかけるが、俺は乞田の脚にぎゅっとしがみついた。
するとすぐに手をさげ、橋本のことを警戒する犬のようにじっと睨んだ。
それに対して橋本は肩をすくめ、「あー怖い顔してますよ、執事長」と、俺にだけ見えるように口元だけ緩め、ウィンクをした。
「誰がっ……! はぁ……」
そう溜息をついた乞田が、脚にしがみついて肩を震わせて笑う俺を泣いていると勘違いし、怖い顔をしていたことを必死に謝ってきた。
失敗は成功の母と言うなれば、いつ成功の母になれるのだろうか?
そう……幼少期の俺が、今の俺の頭脳を使って訊いてきた気がした。
それからも沢山失敗をし、今でもしているが…………そのおかげで、兄弟に対しても乞田のように大胆に、失敗を怖がらないで発言が出来るようになったのかもしれない。
まぁ少なくとも”傲慢”や”色欲”、”嫉妬”なら、こうでもしなくたって出来たやもしれないが。
5歳になると、七つの大罪についてようやく理解できるようになってきた。
その上、それが大いに間違っていることも。
だがそれでも俺は……”強欲”について執拗に知りたがった。このことは、知識欲旺盛と言えば聞こえは良いが、そのようなことではない。
だから、他の執事が見ていない隙を狙っては本をめくって調べていた。
そうしてしばらく様々な悪魔の図鑑を、絵本代わりにして眺めていたのだが…………
「……あった。”強欲”の悪魔」
これを見つけた時の後悔は、言葉では言い表せないものがあった。
”見つけてしまった”ことと、”ドキドキ感の終わり”と、図鑑内の漫画にあった”金銀への執着振り”を、普通だと思ってしまったこと。地獄に堕ちても尚、人の上に立てることへの羨ましさ。何が何でも金銀を求めることへの尊敬心――
そしてその日から…………強欲神”マモン”が、俺にとって憧憬の存在となってしまったこと。
だが俺は同時に乞田の言葉も忘れてはいなかった。
この狂育を否定してほしいこと。
だからこそ、今の俺があるのかもしれない。
そういうことも知らないで俺を完璧だ、気が配れる、優しくて良い人なのは元からだ、と言ってくれる人は沢山いる。
甘い御世辞も入っているのは承知で申す。今の話を聞いても理解できたとは思うが、それは間違っている。
普通にカリキュラム通りに育っていたら、と今考えるとゾッとするのが後鳥羽家の”狂育”。
それに今度話す”24日組”と”25日組”の件まで加味したら、一般家庭の子どもは気が狂って自殺でもしてしまうだろう。
現在に戻る……
後鳥羽家 中庭
裾野
≪龍様!! 龍様ってば~!!≫
近くで声がして、俺は慌てて周囲を見回したが、誰もどこにも居ない。
……また、幻聴か。
それとも俺自身が呼び出しているのだろうか……あいつのことを。
椅子から降りて空を見上げてみれば、もう陽が傾いているが、腕時計の針は16:10を指している。
日が短くなったな……。
「もうそろそろ戻らないと」
菅野が心配する。
その言葉を心にしまい、中庭で独り回想に入り込んでいた俺を途中から見ていた人物に、声をかけてみた。
「久しぶりだな、橋本」
すっかり目線も抜かしてしまった橋本ではあるが、それでも執事の中では背が高い方だ。
「俺でも絵が描けそうなくらい、何と言いましょうね……寂しそうな顔をしていましたよ」
橋本は鼻をすすって左手の人差し指で軽くこすって、俺を一瞥しすぐに目を伏せると、白髪の見え始めたおくれ毛をガシガシと引っ掻いた。
もう橋本も44歳か……それなら、ずっとあの髪型は――
――「規則は程ほどに破るモノです。その方が、うーんと生きやすい!」
アレンジした髪を自慢げに見せてくる乞田。
毎日違うアレンジをして、俺に見せにくる犬執事長……これは言いすぎか?
それにしても、どうして笑顔の乞田ばかり。
「おい、龍様」
「……っ!」
骨ばった手で頬をぎゅっと摘ままれ、いかに自分に隙があったかを悟った俺は居た堪れなくなったが、そんなことをすれば橋本が煮え切らないだろうから、呟くように謝った。
「橋本の前ならいいんですけど……そんなボケーッとしていますと、誰かに殺されちゃいますよ」
あの鳥の糞事件以来俺の前だけではゲラゲラ笑ったり、言葉遣いも多少崩れる橋本は、今も変わっていない。
だいぶ皺は増えたけどな……でもあの笑い方、何も変わっていない。呼びかけるときも、規則通りの呼び方をしやしない。
それにあれだけ乞田に敵対していた割に、進んで執事長をかって出た辺りからして、こいつの懐いているアピールは、厄介者そのものだな。
「橋本」
「なんでしょ?」
橋本が笑顔で見上げてくる。何かを期待しているようにも見えるが……。
「ありがとう。……だが、なぁ……いや…………また今度」
俺は頬を掻きながら、やはり言うのを躊躇い、踵を返し家路へとつくことにした。
後ろから何度も俺の名を呼ぶ声が聞こえるが、何日かしたら忘れるだろう。
その上、乞田のように振舞おうとして、時折無茶をする時があるから、それはもう止めろよ。
……そのようなこと、餌を求める大型犬のように目を輝かせている橋本には言えない。
B型はまだ正直苦手だが、そういう一直線なところは…………嫌いではない。
≪橋本のことも大事にしてくださいよー!≫
「……菅野の方が大事だ。あいつの胃袋は、お前のおかげでギュッと握れたんだからな」
俺は自身のお腹をぎゅっと左手で握って呟いた。
誰も居なくなり、すっかり閑散とした庭にポツリとこの言葉は置いていく。
なぜならこの言葉は後鳥羽家を出れば、必要のない言葉だから。
いかがでしょうか?
序章では執事長Kでした、乞田光司と申します。
龍様は本当にお優しく、賢明な方です。
ですが彼がこのように育ってしまったことは、この先ある意味で私の責任となるでしょう。
その詳細に関しましては、また龍様が語ることとなりましょうか。
さて次話では、”24日組”と"25日組"についてお話してくださるでしょう。
そのお話が大変長く、読者様の負担も考慮しまして、明日(12/29 木)に中編としてお出しする形となります。
それと大変投稿が遅れてしまったこと、作者に代わりまして私乞田が謝罪いたします。
以後、体調管理と自身の立場を考えて投稿いたすように指導しておきます。
執事長 乞田




