始動の合図はないままに
ログインし、五人が集まったのは日付が変わる三十分ほど前、その日のうちだ。まだ時間があるからと、街の外で経験値稼ぎをしていると、そろそろ時間も近づき、最もイベントの起こりそうな中央都フィーメルに移動した。
『中央都フィーメル、NPCヴェイス、ブルート、ザル、シリアル、レインがイベントNPCです。次回の午前二時変更後のイベントNPCはベル、フルート、――』
四月一日、0時ぴったりにテロップが流れ出す。イベント開始の合図だ。
「じゃあ、それぞれで別々のクエスト受けたほうが効率いいわよ、ね? ん、どうしたの?」
スザクとアスカが手元のスクリーンを凝視し、操作している。やれやれといった調子で、仕方ないなという表情を浮かべ、どうしようもなく楽しげに、二人はホロキーボードを叩く。
あんまりにも楽しそうで、忙しそうに見えて、話しかけるのがためらわれる。
「ちょっとトラブった。相当時間がかかりそうだから、三人ともイベントしてきたらいいよ。別行動ってことで」
顔を上げて笑うが、アスカの手元は一切ぶれることなく画面を操作している。
「そっか。なら仕方ねぇな。先行っとくからな」
ゲンブとビャッコはさっそく飛び出して行く。セイリュウはそれを見送った後、二人を振り返る。
「そんなに時間が掛かる用事なら、一度落ちたらどうだ?」
ゲーム内部からでも、ゲーム以外のVG機能のメール機能やテキストアプリなどは使用できる。検索エンジンを活用してゲーム攻略ページにアクセスすることだって出来る。
トラブったという言い方から、『外』からのメールでも受信したかと思い、そんな言葉を口にする。だが。
「それができれば苦労はしませんね。二人とも、もう見えなくなってしまいましたよ」
ニコニコと笑うスザクもまた、手元ではスクリーンを操作している。
これは本当に忙しいやつだ。
邪魔するのも悪いとセイリュウは片手を挙げてその場を立ち去る。
笑顔で見送った二人は、手元を見たまま動き出した。
このあたりでイベントに向かっているのか、せわしなく走り回るプレイヤーが多い。中央都であることも大きいだろう。そんな中、スザクとアスカの二人は街の外へ、流れに逆らって走る。
スザクはプライベート、周りには音が聞こえない設定を施し、通話ボタンを押した。
「緊急連絡。スザク、ニックです。零時過ぎよりログアウト不可。状況確認。応答願います」
『はいはい、こちらダイス。ジョーカーもいるね? じゃあ、二人だけ転送するから、話はそこで』
プツリと通話が途切れると、二人の姿が掻き消えた。
1011 0010 1100 1100 1101 1110 1100 0010 1011 1010 1101 1101 1100 0110 1010 1101 1011 0011 1011 0110 1011 0010 1011 1110 1011 0111 1100 0001 1010 1101 1011 0011 1011 0110 1011 0010 1011 1110 1011 0111 1100 0001 1010 1101 1011 0011
ゲンブは極度の方向音痴である。
「つか、ここどこだ? ビャッコもどこ行ったかわかんねえし、ひょっとして俺ってば迷子? なーんてな、地図を見れば一発だぜ。……あり、どうやって開けばいいんだっけ? やっべ、チュートリアル飛ばしすぎたかぁ」
いつの間にか見たこともない路地に出て、ゲンブは途端に現在地を見失った。
頼みの綱の地図にすら見捨てられ、絶望のあまり灰になる。しかも、エモーションでそれがあるために誇張表現でもない。
ふと辺りを見回すと、地図を見ているプレイヤーがゲンブの目に留まった。肩よりも低い位置で一纏めに結った長い黒髪の、天使型のアバターのプレイヤーだ。ゲンブに背を向けているが、手元に見えるそれは地図で間違いない。
女の人かぁ。
できれば遠慮したいんだが、他はどうしようもないよなぁ。
残念ながら他に、視界に映るプレイヤーは皆忙しそうに走り回っている。
二人とチャットで合流してから聞くという考えが頭をよぎったが、そもそもその二人と会えるかが怪しい。今ここで聞いておかなければ、最悪イベント中合流できないまま終わる、なんてことも考えられた。
ゲーム内で地図を失うことは俺にとっては死活問題にまで発展するのだ!
別に威張れる事ではない。むしろ情けなさに肩を落としつつ、ゲンブは自覚があるだけマシだろうと開き直る。
なら、チャットで開き方を聞けばいいのだろうし、ヘルプを見れば一発だ。けれど、イベントでごった返す熱気に当てられてゲンブはその考えにいたらず、ひとまず地図の開き方を聞きにその天使型のプレイヤーに近付いた。
「しゅ……、おうふ。す、すいません、え、えっと、ち、地図の開き方を教えていただきたく思って声をかけませさせていただきました次第でせう、う?」
トチったってレベルじゃねぇだろこれはぁあぁぁあああ!!
内心「やべぇ、コレ終わった。無視されても仕方ねぇよ。誰だよ、この変質者。俺だよ、この変質者!」と叫んでいるのだが、幸か不幸かそのプレイヤーは自分に声をかけられたと気付いたようだった。
振り返り、真っ赤に爆発したゲンブのほのぼのにゃんこフェイスを見て、そしてさらに先ほどの『トチったってレベルじゃない』第一声を思い出したのか、堪らず口を覆い、くすりと噴き出した。
顔は眉はやや太く、きりりとした印象を受ける。前髪を横一文字に切りそろえ、一纏めにされた髪は少し重たく感じられるほどだが、深い青に藍鼠の色をした菖蒲の花が二輪、すっくと伸びた浴衣と相まって一転涼やかに見せている。
「地図なら、そのまま『マップ』って口に出せば現れると思うのだけど。メニューからなら、下から三番目にないかな。ああ、私はかぐやと言うのだけれど、君は?」
かぐやと名乗る声は低めの、落ち着いた声だ。
言われてマップと唱え、そしてメニューを開く。
確かにメニューにはマップという表示があった。いくらなんでもこれを見落としていたというのは決まりがつかないが、気がつかなかったという事実は揺らがない。ゲンブ、涙目である。
「うぇっと、あの、俺は、ゲンブです。はい」
詰まるゲンブは、どうにも意識してしまってぎこちない。
かぐやはくすっと笑うと、地図を畳んでフレンドカードを差し出す。不思議そうにするゲンブを見てまた笑う。
イベント中にこうもゆったりと見知らぬプレイヤーに、それも第一声からして自分で言うのもなんだが怪しい奴に構うとは、親切な人だと思いながら、その申請を受ける。
「ゲンブさんって、どうしてそんなにたどたどしい喋り方をするのかな。別に、タメで構わないよ」
「ああ、えっと、あんまり面と向かって言うような事じゃないんですけど、俺、正直言うと女の人って苦手で。このゲームって、ネカマできないじゃないですか。ですよ、ね?」
この場合のネカマとは、ネナベを含む、ネットで性別を偽る行為全般を指すものとしよう。
だが、何か強烈な違和感を感じ、ゲンブは難しい顔をした。
何か、こう、ネカマができないことを否定したいような……。
「いやっ、できるじゃん! 完全にアレってネカマじゃねぇの!?」
アスカ。あいつはどう考えても性別を詐欺してるとしか言いようがないんじゃないか?
いや、違うか。システム的に性別を偽れはしないが、性別欄を非公開にすることは可能だ。
そんでもってあいつは堂々と、『僕はみんなの同性アスカだからねっ』と公言している。別に性別を偽っているわけじゃない。隠しているだけ。
「てことは、ネカマじゃあ、ない?」
というか、そもそも元の性別の判断のしようがない。ことさら男っぽくするときも、逆に女っぽくするときもあるが、両方している時点でゲンブの理解の外だ。
つか、ネカマってなんだ。
考えすぎると頭が痛くなる系男子ゲンブは思考を放棄する。
「ネカマ、ネカマって、私がネカマじゃないかと疑っているのですか?」
かぐやが気分を害したように、口を尖らせてジロリと睨む。ゲンブは慌ててそれを否定する。
「や、や、違くて。知り合いに、性別がわかんねぇやつがいて、ってことは性別が分からないように出来て、じゃあ、いくら女の人っぽくても実際のところはわからないわけで? で?」
「いや、そこで聞き返されても困りますよ」
「あ、ああ、そうだな。うん。システム的には男か女かは非公開を解いて見せてくれって言えば確実に本当の性別がわかる。でも、アバターはわりと女装男装ができやすいアバターも作れた。つまり、性別を聞きさえしなければ相手は全員男だって思えば俺の女性恐怖症完全克服!?」
「…………そういうことでしたら。私のことは男だと思ってくれて結構ですよ」
自分でもおかしなことを言っていると思い始めた矢先に、かぐやは名案だとばかりに手を合わせ、楽しそうに笑った。その仕草は女性らしいものだ。
「無理だ。俺にかぐやさんを男だと思うのは無理だ……。確かにかぐやさんのアバターは胸がないけど、って、これ、セクハラだよな」
「そういうアバターを生成したわけなので、別に私は構いませんよ。まあ、気にする人がいないとも限りませんから、あまり言うべきではないでしょうけど」
「そうか。わかった。まあ、とにかくまな板だからといって男だとは思えねえよ。俺の知り合いで性別不明って名乗ってるヤツがいてさ」
かぐやは目を丸くすると、顎に手をあて、なにやら考え込んでいるようだ。
「君、かぐやの名に聞き覚えはないんだよね」
「え、ああ。かぐや姫が由来だろうなってくらいか」
「そう。なら、別に構わない」
なにやらまだ言いたげな様子ではあったが、本人が構わないと言うのだからあえて言うほどでもない。
ゲンブは地図の開き方もわかったことだ、イベントに参加しようと人の波を見つめる。
「ゲンブさんも、イベントだよね。一人より二人の方が効率よさそうだし、一緒していいかな」
「いいぜ。じゃあ、ゲンブって呼び捨てにしてくれ。さん付けってなんかこそばゆいし」
「なら、私のこともかぐやと呼び捨てで。さ、行こうか」
二人は雑多な人混みにまぎれていく。
イベントに目を輝かせるプレイヤー達はまだ、このゲームから離脱できなくなっていることに気付かない。