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和解のような

 ドキリとして、何も言うことができずに、ゲンブはただ、スザクの顔を見つめた。トラウマとなった事件を知っていて、歌が好きなことを知っている人間だなんて、そんなの、トラウマを作った張本人たちぐらいじゃないか。


「痛みが残っていますか? HPは満タンのはずですが……。今感じてる痛みは気のせいですよ。ほら、痛いの痛いの、飛んでいけー」


 確かに痺れたような感覚が腹部には残っていて、それが一気に解けていく。


 違うんだけどなー。


 そう思いつつも、頭一つ分背の低い彼女はにこりと見上げていて、釣られて頬が緩む。

 俺は何と重ね合わせているんだと、大きく頭を振る。彼女はあの時の女子たちとは違う。ビャッコと同じで、強い人だ。

 追求すれば、答えてくれるだろうか。でも、リアルの事はリアルで。そう言っていた。

 また会えた時に、声を掛けてね。

 そう言ったのは、桜の妖精さんもそうだった。


 思い出す。いつだか、ゲンブ、北亀玄が小学生低学年だった頃のこと。

 春休みに、桜祭りをしている桜の名所へ、玄は家族でやってきた。桜並木の入り口で、風船を配るおじさんに、空に浮く風船をもらってはしゃいでいた。親には散策してくると言って、走り回って、そこで綺麗な歌声を聴いたのだ。

 透き通るような美しい歌声。

 どこから聞こえてくるのかを探って、やはり走り回って、歌声が一番強く聞こえるあたりで派手に転んだ。

 風船が手から離れて飛んでいき、桃色の絨毯の中に見えなくなって、それが無性に悲しかったことを憶えている。けれど、それでは終わらなかった。

 女の子の声が聞こえて、空から、女の子が降ってきた。薄い桃色の、可愛らしい服を着た、女の子だった。落ちてくるものだから見えてしまったパンツには、桜の模様がついていた。

 女の子は二つの風船を持っていて、玄に向かって言った。

「あなたが飛ばしたのは、この、桜のヘリウム風船ですか? それとも、この普通のヘリウム風船ですか?」と。

 当時ヘリウムなんて知らなかった玄でも、金の斧の童話は知っていた。だから、正直に答えて、お話のように二つとも貰った。その時桜の妖精さんと呼んで、女の子は桜の風船を見ながら嬉しそうに笑ったが、印象にあったのはパンツだったから、少し居心地の悪い思いだった。

 桜の妖精さんに頼み込んで桜の木の上に登って、上手く歌おうと考えながら一緒に歌を歌って、怒られて。楽しく歌わないと、と諭されて。怒るときの桜の妖精さんは、とても、とても厳しい顔だった。

 それからだ。玄が歌が上手くなったのは。

 ついに名乗り合うことのなかった二人は、別れ際にまた会おうと言って、桜の妖精さんは例の言葉を言った。きっと気付いてね、と念押しまでして。

 そして。

 瞬きをしたその次の瞬間には、桜の妖精さんの姿はどこにも見当たらなかった。

 人間じゃなかったんじゃないか。本当に妖精さんだったんだ。今でも玄はそう思っている。

 親には夢でも見てたんじゃないかなんて言われて、木登りだって自力ではできない。ただ、手元に残った桜の風船と、耳は確かに覚えている桜の歌だけが、夢ではないと思わせていた。


 その、桜の妖精さん。



「ごめんなさい」


 スザクが呟く。

 ゲンブは一瞬、何が? と答えかけて黙り込む。心当たりはある。


「ゲンブに当たってしまって、すみません。かなり、気が立っていました。それと」


 言いづらそうに体を捩るのを感じながら、スザクの言葉を待った。


「私は嘘を言いました。さっきの幻影魔法の説明は、嘘です。トラウマなんて、関係ありません。あの魔法は、最初に見せた幻影の通り、ニコニコと笑う術者が見えるのが通常です。声はそのまま、外の声が聞こえるのですが。二回目は、わざと、ゲンブのトラウマを知った上で、そちらがフラッシュバックするように誘導しました。魔法も発動してませんし。嫌なことを思い出させてしまって、ごめんなさい」


 彼女の言葉が本当ならば。

 彼女はゲンブの素性を知っているわけで。

 そんなはずがないと思いつつ、最初の一言は、確かにスザクの声で、言葉だった。


 歌。


 何で、それを、スザクが。

 彼女は一体誰で、どうして俺がそれだと気付いたんだ。


 本当に、桜の妖精さんなのか?

 だとすれば、なぜ事件を知っている?


 混乱するゲンブを他所に、スザクは再びごめんなさいと言うと、ゲンブの背中を、心臓の辺りを擦った。それがとても、心を落ち着かせた。


 と、突然スザクが離れ、なんだと見やれば宙を指差している。その先を見ればタイムボードが浮かんでいる。そこには残り5秒という表示。


「アスカが待ってます」


 その一言で瞬時に理解する。背筋が冷え、動悸が激しくなる。きっとスザクからは引きつった顔が見えるのだろう。


「あ、えっと、私が怒ったことは、アスカには内緒ですよ」


 返事をするよりも先に、ふわりと浮遊感が襲い、周囲の景色が、まるでメッキだったかのようにボロボロと崩れ去っていく。

 見慣れた草原が視界に広がり、満面の笑顔を浮かべたアスカが迫ってくる。大きく両手を広げ、歓迎ムード全開の様子に、ゲンブは態度を軟化した。


「おっかえり~。戦闘お疲れ様~ん、なんて言うわけないだろゴルァ!」


 ぴんと張られた腕は、鎌のように首へと向かう。首を捕らえられ、苦しげな息を吐くのにもかまわずそのままチョークスリーパーを決める。

 顔を青くするゲンブを見て、友人二人はけらけらと笑い転げている。


「ちょ、お前ら、なぁっ!」


 ひどく苦しげなそれも、笑いを助長させる効果しかない。

 すがるような視線はスザクに向けられたが、そのスザクですら苦笑している。だが、だんだんと遠い目をするゲンブに見かねて一言だけ呟いた。


「痛覚遮断」


 訝しげに顔をしかめたゲンブだったが、即座に復唱する。途端に苦悶の色は薄れ、逆に悪人のようなひどい顔で盛大に舌打ちしたのがアスカだ。

 首に回した腕は、間に見えない板でもあるかのように阻まれ、それ以上はびくとも動かなかった。


「ちぇー。もうちょっとでカックンできたのにぃ。触覚切られたらなんにもできないじゃ~ん」


 ぷくっと頬を膨らませて可愛く見せるが、やっていることはえげつない。何せ触覚切断を忘れていると踏んで強行したのだから。

 ふうむと顎に手を当てて、ゲンブに向けて流し目をしたかと思うと、妖艶に微笑んで片手でおいでおいでと誘う。

 ばっと防具の裾をはためかせ、大げさな所作ですたすたと去っていく。付いて来いというのだ。ゲンブは戸惑いながらもそれを追い、さらに続こうとしたビャッコとセイリュウをスザクは止めた。


「アスカ」


 たった一言で呼び止める。アスカは一片の曇りもない笑顔が向けるが頭だけで、話を聞けばすぐにでもゲンブを連れ出そうとしていることは明白だ。

 だが、スザクにはそうさせるわけにはいかない理由がある。猟奇的な思考でアスカがゲンブに対して拷問をかける事は明白。スザクは自分が激怒した事を知られたくはなかった。

 スザクは以前にもこれほどに、いや、今回以上に激怒し、それはもうアスカを心配させてしまった。そして、怒らせた相手を決して許さない。今も尚だ。


「安心して。ゲンブには、セクハラされただけ」


「その話詳しくっ!」


 ずいと前へ進み出てスザクの肩をゆする。あまりにも速いその動きにゲンブは一瞬アスカを見失った。後ろだと気づいて振り返るや否や、とびっきりの侮蔑の表情が待っていた。


「たぶん、ゲンブにはセクハラをした自覚がないと思うけど、下着を見たって」


「ぬぁ」


 妙な声を出したゲンブに向けられるのはいつもの軽いノリの貶しではない。居た堪れなくなるほどの鋭い軽蔑だ。


「他は」


「挑発に、悪口を。馬鹿とかアホとか、お前の母ちゃんでべそとか、そういうの。あくまで挑発で、だろうけど」


「そんな最低野郎を庇うことなんかないんだよ。わかった。ゲンブは僕ともっとバトルしたいんだね。よーくわかったよ。さあ、早く」


 この笑顔は怖い。全て事実なわけだからどうしようもない。せめて態度を緩和させて欲しいと願うのだったが、頼みの二人は親指を下に向けていて、唾でも吐きかねない。

 スザクは申し訳なさそうに、しかしそれでスカートを押さえ、伏せ目がちにちらちらと視線を送るのだから、見た人はどうあがいても彼女の味方をすることだろう。


 そんな状態で、十分に注目を集めたスザクが声を出さずに動かした口は、「ごめんね」でも「ありがと」でもない。「さいてい」の一言。

 スザクは、ゲンブにだけ見えるような位置で人差し指を自分に向けていた。

 どうせ妙にスザクに対して過保護なアスカのことだ。本当のことを言ってしまった方が、自分にとっても不都合だろう。利害の一致ってやつ?

 ゲンブは何かもう、ずるいなあと言う感想だけ持って、小さく頷く。


 それを見たアスカはさらに条件を追加した。試合時間は1時間。


「お前鬼かよっ。いや、その……、うん……。さ、さっきだってボコられたばっかなのに……。いやもうそんなのなしだなし。スザク、悪かった。俺はアスカに勝つぞー」


「あんたは黙ってにゃぐられてればいいのよ。スザクに申し訳にゃいとか思わにゃいの?」


「だから、ごめん。悪いのは俺だから。へいへい、黙って殴られてきますよ。ほんと、無神経なことしたり言ったりして、悪かった。スザクは何も悪くないからなっ」


「ちょい! 無神経なことをしたってどういうこと!?」


「いや、その、ほら、ああもうっ、妙なとこ触った! 胸部を触ってしまいました申し訳ございませんっ! ひれ伏してお詫びいたしますぅっ!」


 叫ぶや否やガラス片となって消えていく。戦闘状況は非公開設定。エグイ戦い方であることは、言う間でもないことだった。




 きっかり一時間後に帰ってきたアスカが清々しい顔をしているのと対照的に、ゲンブは外傷はないものの苦悶の表情を浮かべ、気を失っていた。

 そんな状態ではあるものの、アスカは冷たく地面に放って立ち去る。ビャッコとセイリュウは二人で狩りに出かけていてこの場にはいない。スザクも、その場にはいなかった。

 朦朧とした意識の中で妙に頭痛のする頭には、ピロリンと鳴る軽快なメロディは響く。

 設定を変えるかなぁと考えながら、何事かとメールボックスを確認する。着信は一件プレゼント付き。送り主はスザク。


『今日はごめんなさい。バトルのときも、ずいぶんとひどいことをしたり、言ったりしてしまいました。挙句に自分の都合でゲンブを売りました。申し訳ありません。回復薬は必要ないかと思いますので、これを飲んで、痛みを癒してください。残りは、口止め料としてでも受け取ってください』


 プレゼントにはホットスープと大量の弾丸、それから所持金と比べて文字通り桁違いのお金。

 ただでさえ動かない体が、更に強張る。その背中に手が当てられた。


「痛いの痛いの飛んでいけー。その痛みは気のせいです」


 そう言われるとそれだけで痛みが引いていく。背後から正面へと移ったのはやはりスザクだ。


「ありがと。つか、直接来るんだったらメールなんかしなくても」


「そんな気分なのです」


 文句は言わせないとばかりに間髪いれずに言葉をはさまれては、返す言葉もない。


「と、それよりも。こんな大金受け取れねぇよ。いや、言わねぇよ? ここで言ったらそもそもなんで俺はさっきまで散々やられたんだって話だし。それに、こんな大金、使い道ねぇよ。スザクが持ってて、武器作成とかに役立ててくれたほうが嬉しいしな」


 宙を舞う金袋を危うげもなく受け止め、そうですかとだけ呟いて元通りにしまう。


「では、私はもう行きますね。フレンド登録をしていますよね。ゲンブはゲンブでマップで位置情報を取得して、ビャッコ達と合流するなりしてくださいね。急いでますので」


 有無を言わせぬ勢いで言いたいことを言うと、魔法でも使っているのか風のように立ち去った。

 呆然とその後姿を眺め、視界の端に赤いものが入り込んだことに気づく。方角はスザクが去った方向ともまた違う。


 赤色といえば?


「きゃっほーいっ! いやねいやねいやさいやさ。僕のスザクが突然行方をくらましちゃったんだけどキミキミゲンブ、来てないかい?」


 にこやかな顔と対照的に、再び首もとを狙う腕を捕まえ、もがくアスカを押さえつけてようやく一息をつく。


「二度も同じ手にかかるか」


「ちょ、何するのよ。あ、あんたね、あたしの上に馬乗りになるなんて、どういうつもりよ」


「ひょわっ。ご、ご、ごめんなさいっ」


 情けない悲鳴を上げてゲンブは飛び退る。それを見てアスカは逆に馬乗りになって不敵に笑う。


「いやぁ、ほんと、ゲンブの反応って面白いね。やっぱり、女嫌いとかそういうキャラ? ひゅぅ、かっわいいー。あは、僕は基本的に性別不詳、みんなの同性アスカだよっ。ゲンブが男だって言うなら僕は男の子! ま、一人称があたしのときは女の子してるけどね。ふふふー」


 弱点を一番知られたくない相手に知られた。苦虫を噛み潰したような顔になるのは自然のことだった。けれども、わざとらしく媚びるでもないとき、アスカは自然と怖くない。

 普段なら、女の子らしい行動をとる人物全般に、ゲームの中でもバトル以外で接触されれば即座に硬直してしまうというのに。それはやはり。


「スザクもそうだけど、アスカも強いんだな」


「ん? 何当たり前のことをしみじみと言ってくれちゃってるのさ。あはっ、僕以上に強いプレイヤーなんて、いや、五万といるか。それにしたって僕ら以上にVR慣れしてるプレイヤーは滅多にいないね。ん、どうしたのさ。ま、女の子アスカに馬乗りされて、顔を赤くするどころか青くする子なんて初めてだ」


 笑いながら立ち上がるアスカは、ちゃっかり腹を蹴るのも忘れない。事実がどうであれゲンブが気に入らないようだ。


「まあ、スザクはいないみたいだね。んじゃ、あ、マップに表示されてるー。普通にコロッセオに入っただけだったか。ごめんごめん、勘ぐりすぎた。それもこれもゲンブと位置データの取得できない建物があるせいだよ。僕悪くなーい。んじゃっ」


 アスカもスザクと同様魔法でも使っているような速度だが、アスカは魔法をあまり使わないはずだ。とすると、二人とも魔法を使わずにこうして走っているのかもしれない。

 何らかの小技なら今度聞こうと思いながら、大きく安堵のため息をつく。


「あいつらって、何者だよ。マジで」


 衣服についた埃を払い、クスリと笑ってホットスープを飲み干した。


 喉を通るスープの熱は本物で、それと一緒に昔のことも、腹の中に収めるゲンブだった。

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