雷皇
[イヤァァァ!!!!!!!]
まだ幼さを若干感じさせる悲鳴は、とても大きな爪が振り下ろされる瞬間だった。
「グハッ…」
上から引っ掻くように振り下ろされた爪は俺の全身を地面に強く叩きつけ、またバウンドして近くの木に再び叩きつけられる。痛みと言うよりは衝撃で肺の空気が全部押し出され声さえまともに出ることはなかった。
頭がもうろうとする。苦しい…
呼吸が不規則になりちゃんと酸素を取り込んでいるのかさえ分からない。
肋骨の一本や三本位折れたかもしれない…確実に折れてる気がする。
そして目の前には奴が放電を見せつけるように此方にゆっくりと歩み寄ってくる。まるでとどめをさすかのように。
(吉晴君に近寄るなぁぁぁ!!!!!!!)
意識が飛びそうになっているなか、結奈の声と大量の銃声が聴こえる。
《に…げ…ろ…。》
ダメだ…言葉がでない…。
今の俺は指ひとつ動かすことができない。
目線だけ動かすと、リュミはXM8をすでにドラムマガジンがついている軽機関銃モードで100発を打ち込んでいた。電撃をスリ抜けられたほんの数発の命中弾が奴の視線を変える切っ掛けになり、俺への興味は無くなったみたいだ。
(吉晴様!吉晴様!!確りしてください!吉晴様…呼吸が…!?)
ミーシャ、か…?
ミーシャは呼吸の浅い俺をどうすればよいかと戸惑いの表情を通り越して、恐怖の顔になっている。
(ど、どうすれば…このままじゃ吉晴様が…)
たぶん俺は横隔膜がさっきの衝撃で異常をきたしているか、気管もしくは肺がダメージを受けたのだと、もうろうとする意識の中で結論付けた。後者の場合今できることは無いに等しい。かといって前者の場合も医療知識のない俺には対処法は思い付かない。最初に思い浮かんだのはAEDだが、あれは心臓が不規則になった時に余計な動きを取り除く装置だから、心臓が正常なときに使うと逆に止まってしまう。
(仕方ありません…お気を確かに。)
そう言ってミーシャは、木にもたれかかる俺の体をゆっくりと地面に寝そべる体勢にした。
(失礼しますね… ん…。)
ミーシャと俺の唇が二回目のキスを果たした。
厳密に言うとキスではない。れっきとした医療行為で現代と細かな部分こそ違うがこれは確かに人工呼吸だ。ハッキリしない意識でも生暖かい空気が入ってきたことは分かった。
「ゲホ、ゲホ、…すぅ―ッ、」
それまで少量の空気しか入ってこなかった肺に、無視やり大量の空気が入ってきたことで、何かの拍子に本来の肺の動きに戻ったようだ。最初は酷く咳き込み、やがて空気を欲するがまま大きく吸い込む。そしてまた咳き込む。それが数回続きやっと尋常じゃない苦しさからは解放されるが、次はとてつもない痛みが体を襲ってきた。
「やっぱり…折れてるな…こりゃ…アグゥ」
少し喋るだけで激痛が走る。奴に引っ掛かれた部分を確認すると、先の攻撃がどれ程尋常じゃなかったのかが痛いほど分かった。
厚さ4mmスチールプレートが斜めに半分裂けていて、その奥にある鋼鉄の細いワイヤーで編まれた層も場所によって貫通していて、俺の肌に浅い傷ができている。
もしも俺特性の防刃ベストを着ていなかったとしたら、確実に俺は斜めに両断され即死していたことだろう。しかも今も軽い脳震盪状態だが、ヘルメットを被っていなければ、地面に叩きつけられた時点で頭蓋骨は陥没して脳はぐちゃぐちゃになっていたかもしれないし助かったとしても重度の後遺症が残っていたことだろう。無惨にも割れたヘルメットがその衝撃を物語っている。
でも今はそんなことを考えている時ではない。こうしている間にも自然回復の能力で急速に痛みは引いてきているし、何より目の前で俺のために戦ってくれている彼女らがいる。いつまでもくたばっている俺ではない。
「よ…吉晴様…。あまり無理をなさらない方が…」
「大丈夫だ。」グッ!?
立ち上がろうと足を踏ん張るが、やはり動くとまだ骨折が痛み思わず声が漏れてしまった。
「吉晴様!?まさか、どこかお怪我でも…ここは私達にお任せください!」
「だ、大丈夫なんだ…。時間がたてばもとに戻るから…。それよりもあいつを何とかしなくちゃ」
「そ、そうですけど…。」
鳴りやむ気配は微塵もない銃声が響く中、ただ合流しなければと言う想いがあった。
今のあいつには俺とミーシャは認識できていないはずだ。だとすれば背後からの奇襲しかない。それも特大のやつを…
「なんやこの音は…。ってあいつらかい!?」
彼は鳴りやまない爆音が、勇者の使う武器だと判断した。彼の知る限りこんな爆音を放つ物は無いからだ。導かれるように音のする方向に歩みを進めた。
「ここら辺かいな…。」
かなり音圧が上がってきたところで彼は一旦身を隠した。そこからはゆっくりと前進していきやっと彼らの‘戦場’にたどり着いた。
「な、なんや…これ…。雷皇やと!?」
雷皇。まさに危険度レベルが最高位の‘魔獣’だ。過去数百年の中で三回ほどしか討伐が確認されておらず、また雷皇自体の目撃例も少ない。ただ見かけた者が生きて帰ってこられなかっただけなのかもしれないが…。
「ん?…な!?」
不意に彼の足に何かがぶつかったが、彼は一目でその正体をさとった。
まだ昨日の豪雨の面影か、水滴の滴る革製のブーツに湿ったジャケット。中でも背中にこれでもかと言うほどに大きく描かれたギルドの紋章。これだけで彼を理解させるのは十分すぎた。
「ここにいたんか…。調査団の皆さんよ。」
その声はけして響くことなく‘彼等’だけに届いた。ただ散っていった彼らを彼だけが知っている。辺りを少し探せば行方不明と言われた彼らが次々に‘動かぬ体’となって見つかる。目立った外傷が無い者もいれば、上半身が無い者もいる。
その中に見覚えのある顔がいた。
「お前さん…。嫁さんと子供ほって何しとんねん。」
彼はもうすぐ産まれる子供のために最近は本当に頑張っていた。そんな彼を見かねて1人だけではレベルの足りない報酬の高い危険な任務を一緒に引き受けてあげたのが二人が知り合った始まりだ。
吉晴達もギルドで見かけたことのあるハンターだった。
そんな家族思いな彼も今は体が冷たくなり、肌にも血の気がなく青白い。そんな冷酷で残酷な事実が一方的に彼の死を痛いほど心に突き刺してくる。つい最近一緒に酒を飲んで、軽い冗談を言い合い、そして互いに命を預けあい戦っていた人を失うのは想像よりもずっとつらい。
「お前さんの嫁さんには何て言えば良いんや…。」
彼の結婚相手はギルドの職員だった。だから長年ハンターを続けているため何度も話したし、世話になったことも少なくない。今でも町中で見かければ昔話をしたり世間話をしたりと仲は良い。
そんな人だからこそ、まだ新婚の彼女に夫の死を伝えなければならない。
そんなことを思いながら、ゆっくりと開いたままの目を閉じてあげた。
そこには彼の深い溜め息が残った。
「これで良しだ。」
2つの三脚の足を地面に少し埋め、完全に動かなくする。
その三脚には六本もの銃身と、もう1つの三脚には銃と呼ぶにはいささか大口径過ぎる一本の銃身が、それぞれ違う威圧感を発していた。
「この数と威力を防げるもんなら防いでみろ!」




