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少女は歌う ――四つの童謡・唱歌に捧ぐ――


 エーデルワイス


 彼女は私の知る限り、いつも同じ場所で眠っていて、起きることはなかった。まるで氷点下に閉じ込められた白薔薇のように、生を留める死に触れながら、彼女は眠っていた。幼かった私は、彼女の眠りを妨げようといつも声を掛けた。

「なんでこんなところにいるの? 起きて、遊ぼうよ」

 けれど、彼女が目を覚ますことはなかった。

 あの頃から十年以上経って考えてみると、当たり前のことだと思う。それでも当時の私には信じられなかったのだ。

 私が彼女を見つけたのは、古いお屋敷の一番奥の、忘れられた物置部屋の中だった。白磁の肌に絹の髪、薄雪を纏う、あまりに美しく精緻なお人形だったから。



 【エーデルワイス】

 作曲:リチャード・ロジャース、作詞:オスカー・ハマースタイン二世。日本語歌詞は坂田寛夫による。知っての通りミュージカル『サウンド・オブ・ミュージック』で歌われた歌である。エーデルワイスとは薄雪草のこと。



***



 青葉茂れる桜井の


 僕は彼女の告白を聞いて、持っていた提灯を落とした。それは月の夜だった。人々は寝静まっており、明かりは天高く輝く月と、そばの川に棲む蛍だけとなった。

「やめてくれ」

 人気のない道の真ん中で、僕は彼女と対峙した。

「そんなことをしたって、君の大切な人たちは帰ってこない……君が捕まって、死んでしまうだけだろう。どうか思い止まってくれ」

「それでいい」

 彼女は、澄んだ視線を真っ直ぐに向けた。

「私はこの為だけに生きてきた」

「だからって……!」

 言葉が続かない。初夏の静かな夜は、微笑みながら何もかも飲み込んで奪い去っていこうとする。

 彼女の生い立ちは聞いた。仇を憎む気持ちも分かる。けれど、僕は、彼女にそれをして欲しくなかった。

 行くな――音にならない声を絞り出そうとした僕に、少女は人差し指を唇の前に立てて見せた。彼女は微笑んでいた。あまりに穏やかな表情に絶句した。彼女は、僕に背を向けた。

 袴姿に、白いたすきをきりりと絞る。

「今度は、三条の河原で会うのかな」

 ぽつりと呟いた言葉に、腰の刀が微かに震えた気がした。



 【青葉茂れる桜井の】

 作曲:奥山朝忝、作詞:落合直文。「桜井の訣別」、「大楠公の歌」とも。楠木正成とその息子正行が、涙ながらに別れる場面を歌う。この後、正成は足利尊氏に敗れ、自害している。



***



 埴生の宿


 遠くからピアノの音が聞こえていた。庭の片隅でティータイムを楽しんでいた私たちは、ふと耳を傾けた。

「懐かしいメロディね」

 目の前の青年は、微笑んで紅茶をすすった。

「そういえば昔、よく歌っていたよな」

「そうね。でも私じゃないわ、この子がね」

 私は隣の席に座る、幼子を象った少女人形の頭をそっと撫でた。

「それはお前が歌ってたのと同じだろ」

「あら違うわ。この子が歌いたいって言うから、私が声を貸していただけよ」

 少女人形を抱き上げる。この人形の作者は、日本人やその文化に憧れていたという。だから、この子は西洋人形ながらも、日本の着物と、流れる黒髪を持っていた。英国で作られ、目の前の彼が日本に留学する少し前に日本にやってきた。そして、日本で生まれた私と一緒に、英国へ戻った。

 ふと、ピアノの音が途切れた。

「……残念だわ。まだ途中だったのに」

「なら、お前が続きを歌ったらどうだ」

「あの歌はこの子の歌だもの、私は歌えないわ」

「また声を貸したらいいだろ」

 金髪の青年は、恥ずかしいのかそっぽを向いてしまう。

「そんなに聞きたいの?」

 くすりと笑って立ち上がる。この国へ来たときはよく裾を踏みつけていたドレスも、よろめいていたヒールも、今やしっかりと私の一部となってしっかり支えてくれている。

 私は「もう一人の私」を抱きしめ、すうっと息を吸い込んだ。



 【埴生の宿】

 作曲:ヘンリー・ローリー・ビショップ、作詞:ジョン・ハワード・ペイン。日本語歌詞は里見義による。原題はHome! Sweet Home!、オペラ『ミラノの乙女』の中で歌われた。訳詞は明治時代『中等唱歌集』に掲載され、広く歌われるようになった。



***



 荒城の月


 彼女は貧しい家に生まれたらしい。田舎に住む父母と別れ、一人で東京に出て、私の喫茶店で働き始めたのだという。近所の古い四畳半の一間を借り、一人で暮らしているのだと言っていた。五歳の妹をなんとか学校に通わせてやりたいと、自分は中学を中退してまで出稼ぎに来ている。まだ十四の小さな娘が、大したものだと思う。

 私の喫茶店は特別大きな店ではないが、往来に建っているため客の出入りは目まぐるしい。その上、軍の本部に近い場所であったから、会議に疲れたお偉いさんが、よく一服しにやってくるのだった。

 彼女はタバコで煙たい店内を、注文を取っては運び、テーブルを拭き、という具合に忙しく走り回っていた。

 やがて午後二時を回った頃、軍人さんが二人連れ立って扉を開いた。何度も見る顔ぶれだ。彼女がそれに気づいて駆け寄っていく。

「いらっしゃいませ」

 前に立っている上司と思しき人物が、低い声で「いつものを」と告げた。

 彼が奥の席へ進むと、後ろで控えていた青年も続いて行った。彼女は青年が席に着くまで、後ろ姿をぼーっと追っていたが、やがてハッとしてカウンターに駆け戻ってきた。ほんのりと頬を染めて、私に注文内容を告げる。会話の最後に、

「好きなの?」

と小声で尋ねると、顔を真っ赤にして首を思い切り横に振られた。可愛らしい反応に、思わず笑みがこぼれる。質問を重ねてやろうと思っていたところへ他の客から呼び声がかかった。彼女はこれ幸いと、逃げるように行ってしまう。

 そんな背中を見ていると、つい思い知られれてしまう。

「……若いっていいなぁ」

 呟いた言葉に心の中で、ま、おばちゃんには無縁の話だけどね、と付け加えた。



 【荒城の月】

 作曲:滝廉太郎、作詞:土井晩翠。日本を代表する名曲である。明治時代に中学校唱歌の懸賞の応募作品として作曲された。歌詞は、東京音楽学校が土井晩翠に依頼。向田邦子の『眠る盃』は、筆者が子どもの頃、歌詞の「巡る盃」の思い違いをしていたというエピソードから。

 童謡・唱歌が大好きです。歌のイメージを登場人物に託し、他者の視点から描きました。この小説から、長く愛されてきた素晴らしい歌たちに親しみを持ってもらえたら幸いです。

 歌の解説はWikipediaを参考にしました。向田邦子さんのエピソードは『眠る盃』から。

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