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偽物聖女  作者: すとろん
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花は咲く(3)

 朝はいつだって、意外と速くやってくるのだ。


「ふぁあ、おはよ」


 果実水を二杯持ったリアが扉から入って来た。いつものこの時間は寝ているのに、なんとも珍しい。


「昨日はお酒飲み過ぎて、寝つきが悪かったの。そろそろ、起きてるのかなって、はい」

「ありがとう」


 備え付きの椅子にリアが座る。眩しそうに朝日を浴びて一杯の果実水をちびちびと飲むリアは、なんというか二日酔いのおっさんのようだ。私もありがたく飲む。


「どうだった? 昨日の笛」


 リアはいきなり、コップを机に置いて黙り込んでしまう。それにつられて、私もコップを机の上に置いた。


「うーん、よくわからない。でも、聖女さまみたいだと思った、宣伝の通り。ここには、似合わない」


 この国の主要な宗教に女神教があるのだという。その宗主様が聖女様だと言われても、どのような存在なのかぴんと来ない。ローマ法王みたいな人物なのだろうか。


「リアの言葉の方が、よく分からない」

「とにかく、すごかったよ。エレオノーラ様も褒めてた」

「それならよかったけど」


 果実水が水分の足りない喉にゆっくりと広がる。今日もまた悪夢のような着せ替え大会が行われるのだ。



 しばらくリアと話したあと、適当に館内をぶらつくことにする。


 ここに長く務めている娼婦は、外に出る許可を貰えるらしい。しかし、入ったばかりの私にとっては遠い話だ。


 宵闇の館に務める人たちが暮らすこの分館はとても大きい。各自の部屋、食堂に中庭、高級娼館なのだとしみじみ感じられる。客がついていて、逃げ出したり恋人を作ったりしなければ大抵のわがままは叶えられるのだ。


 いつものように中庭を覗く。誰か知り合いを見つけて話し相手になって欲しい。

 異世界に来てからは、一人になると孤独感に満たされてしまう。この世界に馴染めるように、友達ではなくとも私の存在を知っている人が欲しかった。


 初夏の暑さになってきた最近でも、庭の華やかさは続いている。バラや百合のような名前も知らない花々が咲き誇っており、蜂が一生懸命に飛び回って蜜の採取をしていた。本館の庭の花を切ってしまうわけにはいかないから、飾りの花はここから調達しているそうだ。


 庭園にある椅子に座る。太陽は一つだけで、もし二つもあったらとんでもない暑さになってしまいそうだと思う。


 グリーンのワンピースは普段着だ。ユリアが知ったらこんなかわいい服が普段着る服なんて驚くに違いない。ここには、私たちみたいな女が昼間に行う労働など皆無に等しいのだから。


「おはよう、ウェンディはいつも早いね」


 通りかかりの食堂のおばちゃんが声をかけてくれた。今はちょっとばかり体格がよろしいが、昔はすらりとかなりの美人だったという。本人談だ。


「おはよう、うん、まだ正式に、働いてないから」

「朝は皆起きないから。昼食は、戦場だけれど」


 朝食が一段落ついた頃だろうか。昼には外からの人も雇うほどの忙しさだ。


「リアは、昨日飲みすぎちゃった、って」

「リアねえ。あの子はいい子だ。正直過ぎるところはあるけど」

「うん」


 おばちゃんは、一人一人の娼婦たちをよく見ている。エレオノーラ様だって、時々設定を忘れてしまう程の人数がいるのに。


「昨日の笛、評判になっているみたいだよ」


 私も聞きたかったな、なんて言ってくれる。自分の腕が評価されるのがこんなにも嬉しいとは思わなかった。

 いつもは自由気ままに竜笛を吹いていただけなのに、ここでは私の食い扶持にすることが出来るかもしれないのだ。ここを離れて、この笛でごはんを食べていけたら、なんて考えてしまう。


「今日も、昨日来れなかった人たちの前で、演奏をするの」


 中世ヨーロッパのサロンという場所が近いのかもしれない。本館の中庭に面した部屋で、ゆっくりと話しながら私の笛を聞くのだと言っていた。


「そりゃあ、すごいね。エレオノーラ様も張り切るだろうな」

「うん、着飾るのは、もう嫌だけど」


 おばちゃんがにっこりと笑う。


「かわいくなったウェンディを、今度私にも見せて」




 食堂のガーラさんの言葉は嬉しい。


 でも、やっぱり面倒なのだと鏡の前に座って思ってしまう。

 やっと鏡の前に座れたのだ。一人では着られないドレスをかわるがわる着せられて大変だった。今回は白の色地に、花模様のレースがふんだんに散りばめられている。胸元には、透明の宝石が多く連なっているネックレスをかけてもらって妙に落ち着かない。


「今夜もよろしく」


 しかし、落ち着かない一番の原因はこの人がいるからだ。エレオノーラ様は、今日もあちこち指示を飛ばしている。


「髪の毛はどうしようかしら、うーん、……セロフィアの花束を」


 女の人が濃いピンク色の桜のような小さい花を束ねたものを持ってくる。可憐でとてもかわいい。私の髪をふわりと舞うような巻き毛にしてアップにまとめ、小さな花束をアクセントとして飾ったのだ。


 この花は萎れてしまわないだろうかと不安になる。でも、摘んだばかりの花ではないようだし何か加工がされているのだろう。それこそ、魔法というものかもしれない。


「今夜は、このセスチェールの街を収めている、領主の子息が来るの。大切なお客様、よ」

「はい、エレオノーラ様」


 鏡の中で、緊張する私の顔と並んで女主人の妖艶な微笑みが見える。


「もう少し、あなたには清らかなままでいてもらうわ」

「はい?」


 計算しつくされた角度で、エレオノーラ様は首を傾げる。


「聖女のような清廉な音楽だと、話題なの。娼館なのにね」


 女主人は後ろから近付いてきて、私の髪を撫でる。


「私ね、お金を生む子は好きなの」


 鏡の中の口角が弓なりに上がっていて、思わずおとぎ話の中の魔女を思い出した。私はこの人が苦手だ。


 夕方にお客様はやってきた。

 部屋の中で何人かの娼婦とともに迎える。お辞儀の姿勢から顔を上げると、リアを伴った領主の息子とその友達らしい人々がいた。


 皆で思い思いの場所に座り、話を交わす。どうやら私の話がされているみたいだった。夕日に照らされた花々がとても綺麗で、そっちの話でもすればいいのにと思ってしまう。知らない人たちに私の聞き取れない言語で話をされるなんて不愉快なのは当たり前だ。でも、この現象がずっと続いている。


 一人だけ離れた席で外を見る。話に加わる必要がないのだから、別にいいだろう。


「へえ、セロフィアね。花言葉は臆病者だっけ?」


 タイミングを見計らって振り返る。髪に刺していた花を取られていた。


「まだ僕に手を出すな、って言ってるのかな?」


 そこには、誰よりも明るい金に近い髪を持った人物がいた。緑の瞳がこちらを見下ろしている。思わず声が出そうになるのを抑えて、立ち上がってしまう。花を取り返そうとしたら、私の届かない高さに持ち上げられてしまった。


 その瞬間、自分が行っていることに気がついて恥ずかしくなってしまう。花なんて取り返す必要はないのに。それよりも大切なお客様に粗相をしてしまって怒られるだろうか。

 恐る恐るお客様の顔を見上げる。にやにやと嫌な笑いをしている男がいた。


「やっとこっちを見た」


 そう言うと、花を再び私の髪に刺してくれた。にやにや顔が近くに来て、びくりとする。すると、手が私の肩へと降りてきて、気が付いたらキスをされていた。舌が唇を割るように入ってきて、思わず両手で男の体を押しのける。それでも、男の力にはどうやっても適わない。


「今日はここまでにしてあげる。笛を」


 娼婦なのだ、自分は。

 こんなことでいちいち驚いてはいられない。でも、嫌悪感がいっぱいだった。


 にやにやが張り付いたような顔が憎たらしい。人に嫌がられることをして、それでも自分の願いが叶えられると思っているのが嫌だ。それも全部お金の力なのだ。何をされてもお金の前では何も言えない。この人よりエレオノーラ様より、私が一番お金に縛られている。


 リアが笛をとって、私の手に握らせた。


 竜笛はしっとりと冷たい。この気分で笛を吹けというのだ。名前の知らない男を睨み付ける。その私の手にリアが手を重ねる。瞳を見ると、私をたしなめるように真剣な光が宿っていた。


 席に腰掛けて笛を唇に当てる。目を閉じた。


 音は流れているのに、上手く掴めない。意識が散漫としていて、自分がこの場の音の中心を見つけられないのだ。音が私の興奮を読み取って、どんどん荒々しいものに変わっていく。リズムが速くなるに連れて、私の考えがついていけないのだ。


 吹けない。


 でも、吹かなければいけない。だいたい私の音は強制されるものではないのだ。いつだって私の吹きたいときに吹き、方向性なんてなくて気ままに音を作っていた。


 それなのに、気乗りしない状態で音を作れという。これは商売であって仕事なのだからと言い聞かせても、どうしても旋律は降りてこないのだ。


 指を穴に沿わせて、息を吹き込めば音は出る。適当に動かしてそれが曲だと主張すれば曲ということになるのかもしれない。

 でも、そんな笛の使い方はしたことがなかった。どうしても指が動かない。


 目を開けて、笛を膝の上に置く。


 目の前にはやはり男の嫌な微笑みがあった。余裕のある態度で、腕を組んでいる。


 首を左右に振った。周りがざわめいてもその男だけは静かだ。男の目を真っ直ぐ見る。ぱしっと音が聞こえて、頬をはたかれたことに気が付いた。


「帰るぞ」


 男が一言言うと、周りの男も娼婦も皆ついていく。広い部屋に私だけがぽつりと取り残された。


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