表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
偽物聖女  作者: すとろん
5/36

アネモネに思いを寄せて(4)

◆◆◆




 このあたりは、まだそんなに木々が密集していなのだという。

 だからこそ、女たちだけで私という荷物を村まで運ぶことが出来たのだ。恥ずかしながら身長も体重も日本人の標準程度はあるので、大変だったに違いない。


 アズレト、私、レーナの順で森をつき進んでいく。アズレトは片手に小刀を持ち、視線の高さにある小枝を払ってくれている。背中には弓一式を背負い、獲物を見つけたら仕留めるつもりなのだ。


 レーナと私は背中にかごを背負っている。この森には薬草を始め、食べられる野草や果物が豊富なのだ。この時期はベリー類の旬であるそうな。

 足元は、獣の皮をなめして作った長靴を履いている。ユリアのものを貸してもらったのだが、なんとぴったりである。やはり白人は発育が良い。


 静かに突き進んで行く。教会の探索にどれぐらい時間がかかるかわからないために、急がなければならない。まだ明るくならない内に早々と出発したのもそのためだ。


 万が一少しでも誰か人間のいる気配がしたら、引き返す約束をした。そこまで危険を冒したくない。

 二人にもあの教会の中には人間の死体らしいものが何体もあったことを話した。村の近くでそのようなことになっていたとは知らなかったのか、驚いたように息をのんだ。だからこそ、あらかじめ幾つか約束をしておいたのだ。


 教会へは二時間も三時間も歩いている気がする。正確な時間などは分からないが、私の体力の無さばかりが判明した。二人はまだ全然元気であるように見える。


「レーナ、コハル、もうすぐだ。俺が、先に行く」


 アズレトが小声で告げる。気配を消すのが上手いアズレトが先に行くのもまた、約束の一つだ。一気に緊張が走る。異教の教会。あの場では何が行われていたんだろう。


 レーナと私はその場で立ち止まり、茂みに隠れられるようにしゃがむ。自分の息の音ばかりが気になってしまう。口を手のひらでふさいだ。


 レーナがこちらを見て、小さく頷いた。私を落ち着かせようとしているのだ。それに答えるように小さく頷く。思えば、レーナたちはこの教会に隣接した場所で長い間暮らしてきた。

 でも、あの教会で何かがあったなんてことは一度もないという。今回私があそこにいた、というのが唯一の奇妙な出来事だ。


 それでも、動悸どうきは激しくなる。あの光景が忘れられない。幾つもの生気のない腕と足。鉄臭さが充満していた広間。レーナの手の感触がして、私は自分が震えていることに気付いた。

 こんなに怯えるなんて。頭で考えていたよりずっと、あの日の恐怖は体に染みついていたようだ。

 がさりと音がした。


「レーナ、大丈夫?」


 茂みをかき分けて二人の元へとやってきたのはアズレトである。


「うん、どうだった?」


 レーナの言葉にアズレトは首を振る。


「何も。いつも通りだった。死体なんて、なかった」


 そんなはずがないのだ。この間私が見たものはなんだったというのだ。


「私、行く」


 大丈夫、足は震えていない。この前とは違う。前に進むことが出来る。


 木々をかき分けて行くと、朝日の中に教会が現れた。私が教会と聞いて、想像したものより随分と武骨だ。石で組み上げられた建物が一つと尖塔が一つ。この間はそんなことすら気が付かなかった。


「ここに、コハルがいた。私は、どうしてここにいるの、と聞いたんだけど、そうしたら、コハルが驚いた顔をして、そのまま、寝てしまった」


 レーナが指し示すのは、私の立っている場所よりもう少しだけ教会寄りの場所だった。それだったら、その延長線上に地下への入り口があるはずだ。私はそこから出て来たのだから。

 いてもたってもいられない。教会の壁に走り寄る。


 しかし、そこには強固に石が隙間なく積まれた壁があるだけだった。隅から隅まで、手で触って確かめる。でも、どこにも石の緩い場所や何かが動かされた跡などはない。それならば、私は一体どこからここへ来たというのだ。

 何かが分かると思っていた。あの地獄絵図はどこに。


「元々、こちらは入り口じゃない。入り口は、反対側だ。……小さい頃に、探検したことがあったからね」


 後半だけ後ろめたそうに小さな声で言う。レーナは今更言ってもしょうがないというように、ため息をついた。


「中に入ってみるかい? どうせ何もないけれど」


 小さく頷く。

 教会の反対側に行くと、そこには朽ちかけた木の扉があった。既に片方の扉がちゃんと閉めることが出来なくて、半開きになっている。アズレトが大胆にも両方の扉を大きく開けた。

 石作りの建物のためか中は暗いけれど、太陽の光が差し込んで確認する程度に問題はない。


 中は、木が腐って長椅子としての役目を果たせなくなった、廃材ばかりが転がっていた。

 奥へ歩みを進める。あの日とは違い、パンプスではない分音は響かない。周りを見渡しながら進んでいく。

 異教らしい何か如何わしいものなんてない。むしろ外見より中の方が教会のようだと思った。信者はここで神へと祈りを捧げたのだろうか。


 祭壇のような台の前まで来る。石で作られた台の上には何もなかった。偶像やらご神体やらが置かれているべき場所ではないのだろうか。それとも、偶像崇拝禁止とかだったのか。よく分からない。

 台の上にはほこりが分厚く積もっている。誰かが使ったような形跡はない。この祭壇を動かすと地下室への入り口が現れるなんてことがあればいいのに。そうすれば、どんなに予定調和だろう。


 石の台座を調べてみても、到底人間が動かせるような代物には思えない。だいたい、この台座の周りだって、埃がかぶっていて誰かが来た形跡なんてないのだ。


 外で見た壁の反対側まで来てみる。この向こうに確かに入り口があったのだ。外から漏れるオレンジの光が今でもまぶたの裏に焼き付いている。希望の光だった。それと同時に絶望の光でもあったのだけれど。

 壁に耳を当てても、何の音もしない。隙間風でさえこちらには、届かない。


「コハル、おかしい」


 レーナの声がした。レーナも同じように壁に手を当てている。

 そうだ、おかしい。

 違う方の壁へと向かう。こんな過去の遺物、既に壁もぼろぼろで教会にはあるまじき隙間風の気配がする。壁も薄い。それなのに、祭壇の裏の壁だけ何故やけにしっかりしているのだ。


「もしかして、秘密の地下室、とか、あったりして」


 石壁を手で叩いてみる。といっても、さっぱりわからない。勘でものを言っても、建築の知識がなければ意味がないようだ。先ほどのように隅から隅まで探しても何も見つからない。


「魔術、とかかもな」

「何それ、おとぎ話じゃないんだから」


 二人が何事を話し出す。


「魔術って?」

「そういう、物語があるんだ。魔術で、扉を開ける」


 つまりは、「開けごま」の類だろうか。そんなのあり得ないと思うものの、この世界には現実に魔法があるようなのだからあり得るのかもしれない。「開けごま」ではないけれど、何か呪文を唱えて杖を振り回して、扉を開けるのだ。

 秘密の地下室への。


 しかし、結局は何も分からなかったのと同意義だ。分かったのは、へんてこに分厚い壁があるということばかり。魔術が関係していたとしても、私は魔術なんて使えない。これが冒険小説の一ページだったなら読者には飽きられてしまう。何の成果もないなんて、読者にとっても私にとっても最悪だとしか言いようがない。

 完全なる、無駄足だ。


「レーナ、アズレト、今日はありがとう。助かった」


 あとは、道すがらに薬草や野草にベリー類を採取しながら、散策となるのだろう。




◆◆◆




 ついに旅立ちの日がやってきた。結局あの日からずっとユリアの家にお世話になっていたけれど、最後の日はレーナの好意で泊まらせてもらった。三人というのは少し恥ずかしかったけれど、二人の馴れ初めやこれからについて話し、随分と笑って、そして泣いた。


 不安は胸の奥に沈殿している。アズレトが村に帰ってきてからずっと不安はそこにあって、段々膨らんできていた。いつかはこの村の外へ行かなければならないと思っていたはずなのに、ここの暮らしがあまりにも心地よくて、ずっとここにいたいと思い始めていたのだった。


 それでも、朝はやってきた。


 就活鞄はあまりにも目立つので置いて行こうかとも思ったけれど、レーナがそれは丈夫そうだし持っていきなさい、と言うもので持ってきてしまった。


 麻っぽい素材のズボンと長袖の上着をかぶって、その上に紐で結んで止めてある。そろそろ日が長くなって、暑くなってきたので、涼しくてちょうどいい。長靴はそのままユリアから貰い受けてしまった。なんとも一般的な村人の姿だ。


 その上で、一際異彩を放つ就活鞄である。中には、日本で持っていたものが一式中に入っていた。繋がらない携帯電話に、日本語で書かれた履歴書。志望理由なんて下らない。

 竜笛さえ、持っていけばそれでいい。あとは、ユリアから貰ったミリエリャが一袋。

 準備万端だ、残念ながら。



 広場の中心には既に男たちが揃っていた。レーナと二人で向かう。彼女は私の手を痛いほど握っている。

 もう最後なのだ。またここに戻って来る機会があればいいのに、と思う。でも、これから私がどこに行くとしても何をしようとしても、この辺鄙で平凡で幸せな村と関わることはないのだろう。


 広場では、たくさんの馬と荷物があった。男たちの周りを見送りの人々が囲っている。何故か、ユリアの姿は見えなかった。

 最後に挨拶したかったのに。


「レーナ、本当にありがとう。絶対に、忘れない」


 広間について、歩みを止める。


「コハル……」


 そう言って、レーナは抱き着いてきた。


「コハル、ごめんね」


 私もレーナの背中に手を回そうと手を動かそうとした。その手を掴んだのは、アズレトだ。掴まれた場所が痛い。心臓が飛び跳ねる。就活鞄が落ちた。竜笛も入っているのに。

 私の両手を持って、乱暴にアズレトが後ろ手に縄で結ぶ。


「え、レーナ……?」


 何もかもが分からなくて、言葉が出ない。


「コハルが私を助ける番だよ。コハルより、私はこの村が大切だから」


「レーナ、意味が分からない、分からない……」


 膝が震える。アズレトに腕を掴まれていなければ、きっとこの場に崩れ落ちただろう。



「コハルは、いいお金になる」



「やめて! これ以上言わないで! やめて、理解したくない。嫌だ嫌だ、嫌だ!」


 口から日本語があふれ出る。いくら目の前を見ても、いつも通りのレーナがいて薄く微笑んでいて。昨日と何も変わらない。一昨日とも出会った日とも。楽園だと思っていた。


「食糧も、贅沢品も買うことが出来る」


 目から涙があふれ出て、レーナが歪んで見えた。この人はなんと醜いのだろう。


「信じてた! 信じてたのに、何で! 何で! 私は、ここでも生きていけると思った。知らない人たちなのに、すっごく暖かくて、私は頑張れると思った。信じていたんだ……」


 どん底のどん底で、その下にはまだまだ闇が隠されていたなんて、誰が知ってたと思う? 私は知らなかった。信じた。辛いときを助けてくれて、この人たちは私にとって良い人なんだって、信じていい人なんだって、思ってた。

 そう、思いたかったのだ。他に頼れる人なんていなかったから。


 縄を引っ張られる。立っていられなくて、バランスを崩して転んだ。

 手が使えないから、そのまま頭から地面に突っ込む。むき出しの頬が痛い、腕が痛い。心が、痛い。砂が髪について、顔についてなんともみっともないはずだ。起き上がって見上げると、そこには、アズレトがいた。氷のような目だ。


「立て」


 そう言うと、縄を引っ張る。


「痛い、やめて、手首が痛い……」


 泣き叫ぶことしか私には出来ない。首から下げた巾着袋を、レーナに投げつけてやりたかった。でも、私には何も出来ない。打ち捨てられた就活鞄を拾うことも、抵抗して逃げ出すことも。


「死ねばいい! お前らなんて、皆、皆地獄に落ちろ!」


 縄を引っ張られて、立たされて、荷物のように馬に乗せられる。その拍子に髪を結んでいた紐が切れた。

 レーナを睨み付けると、後ろに乗っていたアズレトに頬を叩かれた。何と言っているのか聞き取れない。誰かが言葉を言って、誰かに。頭の中がごちゃごちゃになって、私が私ではなくなってしまいそう。

 最後に、レーナの、ばいばいという声だけが聞こえた。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ