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偽物聖女  作者: すとろん
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聖女と下働き(2)

「はい、決定。明日からよろしく」

 

 その言葉はいとも簡単に下されたのだった。グスタフさんに紹介してもらったのは、風呂場長のカミラさんである。とても痩せていて、気難しそうな女性だ。そう思ったのは、グスタフさんが風呂係と呼ぶたびに風呂場長よ、と訂正をしていたせいでもあるかもしれない。

 余計なことを言い出しそうになるのを抑えて、よろしくお願いしますとだけ言った。


「それじゃあ、リコ、あなたの部屋は一人分開いていたわね。新入りを案内してあげて」


 今まさに風呂場の掃除をしていた女の子を一人呼び出す。その子は持っていた掃除道具を他の子に押し付けると、私たちの元に走って来た。高く結い上げた茶髪のポニーテールが合わさって揺れる。


「はーい、カミラさん」

「私は上に報告をしてくるから。案内が終わったらすぐに仕事に戻るのよ」

「もちろんです」


 カミラさんは早歩きでどこかへと去って行く。グスタフさんもそうだったけれど、王宮に務める人は皆忙しそうだ。


「やりい。これで堂々とサボれるってわけだ。私はリコ。あなたは?」


 異世界でも「サボる」なんて言葉を聞くとは思わなかった。クラエスの魔法は、なんとも便利に言葉を翻訳してくれている。


「えっと、リコ。私はアイナです。よろしく」

「アイナ、ね。これからよろしく。まずはその埃まみれの服を着替えた方がいいんじゃない? よくそんなんで王宮にまで来る気になったね」


 リコに言われて、自分の姿を見下ろす。確かに、ズボンの裾には泥がはねているし、あちこちには土色の汚れがこびりついている。言われるまで全然気が付かなかった。せめて服を着替えてくればよかったと思う。考えなければいけないことや、目の前に迫った目標で頭の中が占められていたのだ。


「旅が続いていたから、そんなに気にしてなくて」

「女の子がそんなじゃダメだって。とりあえず、お仕着せを貰って部屋に行きましょ。休みの時に、かわいい服屋や布屋を教えてあげる」


 リコは話しながら歩き出した。私も隣に並んで歩く。先ほどの二人よりはずっとゆっくり歩くのでほっとしてしまった。ずっと早歩きなんて、ダイエットには良さそうだけれど、随分と疲れそうだ。


「廊下で身なりの良い人にあったら、脇に避けてその人が通り過ぎるまで頭を上げてはダメだよ。と言っても、ここは召使いの中でも下働き用の風呂だから、そんな人はめったに来ないけど」


 廊下の片側では庭に倉庫のようなものが並んでいた。でも、庭というよりは畑といった方が正しいかもしれない。倉庫の周りの空いている地面に、みょうちくりんな形の野菜が規則正しく生えている。しかし、そちらにばかり目を向けているわけにもいかない。リコの説明にはなかなか驚かされることばかりだ。


「下働き用って、ここにはそんなにたくさんのお風呂があるの?」

「そりゃあ、人数がいれば風呂も多くなるさ。下働き用だけで六個の風呂がある。それでも、入れるのは三日に一度だけどね。侍従や侍女、小姓たちの召使い用の風呂も六個あって、その十二個があたしたちの仕事場ってこと。いつだって人手が足りた試しなんてないよ。ここはきつい職場だし、人気がないもの」


 底辺の底辺とはこういうことだろう。侍従や召使いの更に上の上、聖女様にお目通り願うなんていつのことになるのか見当もつかない。ずっと王宮が目的地であったけれど、中に入るととんでもなく広い場所なのだということがよく分かった。近づいてはいるはずなのだけれど、亀の歩みである。


「そんなにここの仕事厳しいの? カミラさんも怖そうな人だったし」

「まーね」


 リコは肩を竦める。


「風呂場の掃除も風呂焚きも力仕事だよ。でも、カミラさんは厳しい人だけど、その分公平でもあるから、皆が仲良くて、あたしはいい職場だと思っているよ」


 それならばいいと思う。右手や髪の色を思うと、変な人が上司になってしまったら大変な目に遭いそうだ。カミラさんもリコも私の髪を見て何も言わなかった。それだけのことなのに、なんだか嬉しい。

 リコは廊下から庭へと降りて、その真ん中を突っ切っていく。庭にある倉庫の一つの扉を開くと、その中には様々な色の服がどこの棚にも多く入っていた。数えきれない程の数があって、同時に下働きの数もまた多いのだということを実感させられた。


「えっと、アイナはあたしより背が高いから、ここらへんか」


 リコは手慣れたように服を三着取り出すと、私に手渡してくれた。見事にリコや先ほど掃除をしていた彼女たちと同じ紺色だ。リコや私の真っ黒の瞳よりは明るい、夜空色である。


「ありがとう」

「お仕着せは自分で手洗い。ただでさえ水仕事なのに、手が荒れて仕方ないんだよね」


 倉庫を出ると、また外側の壁へと向かって歩き出す。しかし、グスタフさんからカミラさんへそして、リコの後について行く内に、どこがどこだかよく分からなくなってしまった。裏門でさえ街中の随分と寂れた地域にあったのだけれど、更に建物の少ない箇所に当たるのではないかと思う。

 そして、大きな白い壁に当たる前に、低い腰程の壁に突き当たった。乱雑に石が積み上げられているだけだ。それの途切れている場所から、向こう側へと行く。

 石壁の向こうは地面がこちらより低くて、そこには多くの長屋が並んでいた。石壁を越えないと、こんな風になっているなんて王宮側からは全く見えない。まるで隠されているようだと思って、まさにその通りに違いないと思い直した。華やかな王宮に下働きの存在はふさわしくない。しかし、仕事をする人は必要だから、密かにここに隠されている。格差や身分という言葉が身に突き刺さるようだ。

 リコは立ち止まることもなく、石製の急な階段を降りて行く。もちろん手すりなんて親切なものはない。ただ誰かがつけたのか、一本の縄が石壁から垂れ下がっていた。


「下働きの中で上に住んでいるのは料理長とか風呂場長とか一握りだけ。ほとんどは下に住んでいるの」

「上と下?」


 リコは立ち止まって、下を指し示す。そこには両側の壁のせいで日の光すらろくに当たらない家々が広がっている。


「下はここのことよ。誰が言い始めたのか知らないけど、皆そう呼んでいる。分かりやすいでしょ」


 曖昧な返事を返す時間も与えてくれることなく、リコはさっさと下に行く。分かりやすいけれど、なんとも皮肉な呼び方だと思った。最初にそう呼び始めた人は、何を考えていたのだろう。もう少し飾り立てた名前でもいいと思うのに。それでも中身は同じだけれど。

 リコが連れてきてくれたのは、数ある長屋の一つだった。そこの端っこの部屋の扉を開ける。


「今日からアイナの家はここ。あたしともう一人、ソフィっていう子と三人部屋よ」


 中にはぎゅうぎゅうに詰められた三つのベッドと、小さな机に椅子が三脚あった。申し訳程度についている小さな窓は開け放たれている。まだ夜でもないのに部屋の中は薄暗かった。


「私のベッドはどれになるの?」

「それはもちろん真ん中。部屋が狭くなっちゃうなあ。でも、その分賑やかになるか。食事当番も楽になるし」

「食事? だって、上に食堂があったじゃない。あそこは使ってはいけないの?」

「あの食堂は、上に住む召使い用だもの。あたしたちみたいな下っ端中の下っ端は数が多いから入りきらないよ。だから、自分たちで作るしかないの。途中にある畑は見たでしょう?」

「確かに見事なほどの野菜がなっていたけど……」

「そういうこと。何事も節約よ」


 真ん中のベッドに腰掛けて荷物を広げる。とは言っても、一着の服とレーナの小袋しか入ってはいないのだ。小袋だけ取り上げて首にかける。鍵もろくにないようだし、大切なものは身に着けた方がいいに違いない。


「えっと、もう一人のソフィはどこで働いているの?」

「ああ、ソフィは洗濯場で働いているよ。でも、今は田舎に帰っているからしばらくはいない」

「そっか……、あの、ところで、私の髪の色とか、この右手、気にしない?」


 袖は手まで隠れる長さではあったけれども、左手しか使わない動きは明らかに不自然であったはずだ。隠しても仕方ないことなので、手がない腕を見せる。ここで怯えられてしまったらどうしよう。


「髪の色ね。王都の人はこだわるらしいけれど、あたしはここの出身ではないし、気にしないよ。だいたい髪の色がなんだっていうの。同じ人間じゃない」

「そう言ってくれると、嬉しい。気にする人が多いようで、大変だなって思っていたところなの」

「その腕はどうしたの? 仕事は出来るの? って、出来なかったら、放り出されるだけだけど」


 それはそうだと思う。カミラさんが、右手がないことに同情して雇い続けてくれそうな人には見えない。


「出来なくてもやる。それしかないもの」

「迷惑なら、少しはかけてもいいけどね。同室だし」


 その言い方が、娼館で出会ったリアに似ている気がしておかしかった。でも、あの頃のお姫様と呼ばれた私ではいたくない。


「頑張るよ。ありがとう」

「さて、そのお仕着せに着替えて。教えなきゃいけないことはたくさんあるんだから! ゆっくりじっくり案内してあげる」


 すぐに仕事に戻ると言っていたのはどこの誰だろう。にやりと笑っているその顔には二つの愛らしいえくぼが浮き出ていた。


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