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偽物聖女  作者: すとろん
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不信感

 炎がちらりちらりと揺れる。

 その光に魅かれて、小さな蛾が近くまで寄って来た。その瞬間、火は伸びあがって、その羽へと燃え移る。一つの命は火の中に落ちて、灰となった。


 例えどんなに暑くても火は焚かなくてはいけないのだ。魔物も動物も、街道沿いの野宿はそれ程安全ではない。

 木にもたれかかる。足は適当に投げ出した。

 夜空にはもう少しで真ん丸になる月が二つ。星が輝く隙間はどこにもない。もう一日歩くと次の街に着く。そして、また宿で休んで、徒歩か馬車での旅の続きが始まるのだ。

 クラエスは横になって、寝ているように見える。ただし、何かがあったらすぐに剣を抜けるように、それを懐に抱いた状態で。

 そのことにすら、以前の私は気が付かなかった。

 この男の何を信じればいいのだろう。

 細い薪を幾つか火の中に放り込んだ。悩んでいても火は燃えて薪は亡くなる。考え込んでいても、太陽は昇るし、歩き続ければ王都にだっていつかは着く。

 こないだの襲撃に関しては、なんとなく話題にしづらくなっていた。


 馬鹿な私だって分かる。あれは、私を襲ったのではない。クラエスを狙っていた。

 私を狙うのなら、そのままどこにでも浚えばいいだけの話だ。それなのに、リオという男は私と引き換えに、クラエスの命を狙っていた。クラエス様と敬意を表しながら。


 クラエスの寝顔はまるで、天使のように麗しい。誰もかれもが、その瞳が見えるのを待ち望むだろう。金の瞳と、輝くような金の髪。

 水に塗れたあの色こそが、隠されていた本当の色だった。あのあと、宿に着いた途端に、クラエスは乾燥させた妙な植物を水に浸して、そのどろどろになった液体を髪の毛に上手く塗り込んだのだ。回数を重ねるごとに、金色の髪は茶色へと変わった。とても慣れた仕草だったと思う。


 ここ以外にも、幾つもの火が煌めいている。話し声だけではなく、香ばしい匂いまで漂ってきた。

 石で綺麗に舗装された道をここまで歩いてきたのである。馬車や徒歩での旅人も多く、途中には小さな店を開いている場所もあった。地面にそのまま布を引き、新鮮な果物や携帯用の水、それに綺麗な装身具の類まで。それらを小さな子どもがきらきらした目で見ていたのを考えると、この道は非常にメジャーで安全性の高い場所であるのだと思う。

 このクラエスという男は、警戒心が非常に高い上に、その身を狙われることに慣れている。そうとしか思えないのだ。


 私を聖女として祭り上げて、何をするつもりなのだろう。


 クラエスについて知っていることなんてほとんどなかった。人前でだけ愛想がいいこと、偽名、髪の色だって偽物。連れ歩いている私だって、聖女の偽物のようなもの。


 腕が治るというのは、本当なのだろうか。

 もし私を連れて行くためだけの詭弁だとしたら?


 私が我がままな行動をして、襲撃されて、知らないことを知ってしまった。しかし、私にとって知らなければいけないことでもある。


 急に風が吹いて、草や木々の葉が一斉に同じ方向を向く。私だって、彼らと同じように楽な道に流されているだけ。この人の言うことをそのまま、私の行動の指針とするのが一番楽なのだ。だけれど、楽だとしても私にとって良い道とは限らない。


 クラエスが寝返りを打つ。

 鑑賞物としてならこんなにも綺麗なのに、頭の中で何を考えているのかはさっぱりだ。


 でも、この人以前に自分のことだって、私にはよく分かってはいない。あの商人のお兄さんが敵で、今この近くにも敵がいるかもしれないという恐怖もおぼろげにしか感じていなかった。

 それよりも何よりも、一番危険なのは私の力ではないか。

 首元の包帯にそっと触れる。この傷だっていつかは塞がる。しかし、リオというあの人は。もしかしたら、殺してしまったかもしれない。

 右手の付け根が痛んだ。思わず左手で、触れそうになる。しかし、触ってしまうともっと恐ろしい現実が迫ってくるのが分かっていたから、ぎゅっと手を握りしめた。手が動かせるのは良い。なくなったものは戻らないし、死んだ人は生き返らない。奇跡がない限り。


 荷物をがさごそと探して、一番下に仕舞い込んでいた横笛を引っ張り出す。竜笛の冷たい竹の感触が気持ちいい。

 こんなに長く笛を握っていないのは、生まれて初めてなのではないか。新記録だな、と心の中でむなしい言葉を呟く。

 左手で唇に当たるところまで持ってくることも出来る。幾つかの穴を指で塞ぐことも出来る。でも、それ以上のことは決定的に無理なのだった。


 息を吹き入れてみようか。風と青葉の揺らめきが私に囁く。

 誘惑だった。音を奏でること。この喉ではなく、笛で音を出せばなにごともなく、私は平和の一員としてこのままにいられる。

 でも、単調な音しか出せないし、旋律と共鳴する音も作り出せない。

 

 何よりもクラエスが起きてしまうかもしれない。ここ何日かの彼との不気味な沈黙はこりごりだった。彼はきっと、彼の命の次に私の命を優先してくれる。でも、もし私が何かに気が付いてしまったのだとしたら、それを覆す可能性だってある。

 海に漂う一枚の葉っぱのような身分では、行動を起こすのにも慎重にならなければいけないのだ。




◆◆◆




 太陽が昇り、痛い足を引きずっての行軍がまた始まってしまった。

 クラエスに話しかけようとする度に、喉がひきつったようになって上手く声が出せない。平然としたふりができない私の様子にクラエスは気が付いているはずだ。でも、向こうは至っていつも通りであるように見えた。


「ねえ、ルーベルト、テラルマまではあとどれぐらいかかる?」

「テラルマまではまだ距離がかかるよ。テラルマはリースの何倍も大きな街で、王都への交通の要にもなっているんだ。でも、その前に手前の町で少し休んで、食べ物の補給もしておこう」

「うん……」


 気の利いたことの一つでも言えそうにはない。

 その時、クラエスの大きな手がポンと私の頭の上に乗っかった。そのまま心配そうな表情で、覗き込んでくる。綺麗な顔が近づいてくるのは、全然慣れそうにもない。腹の中では何考えているか分からないような人なのに、勝手に心臓がどきどきして自分のものではないようだ。


「アイナ、大丈夫? 疲れた?」

「いや、大丈夫だけど……」


 大きな音を立てて、四頭仕立ての大きい馬車が隣を通って行く。土煙に思わず目を瞑ってしまう。


「何を考えているか知らないが、そのことは口に出さない方が賢明だと思うぞ」


 一段と低く冷え切った声だ。

 先ほどまで音を立てていた心臓が一気に凍ってしまったかのような気さえする。分かっていたはずだ。自分の身は自分で守らなくてはいけない。


「分かってる」


 自分の声じゃないような声だ。

 目を開けると目の前には、相変わらずいい人の顔を被ったクラエスがいた。


「なら、よかった。早く行こう」

「うん、分かってるよ」


 足も心も無機物になったような気分だ。元気も希望もない。


「ねえ、ルーベルトは私のこと好き?」

「何馬鹿なことを行っているの? じゃなきゃ、一緒に旅なんてするはずないじゃないか。これからもアイナのことを守るさ」

「そう。よかった」


 馬鹿馬鹿しい茶番劇である。これ程真実が一つも入っていない会話も珍しい。よくこんなことが言えるものだ。


「私やっぱり足が痛くなって来ちゃった。少し休もうよ」

「我がままだなあ、アイナは。いいよ。少しだけ休んで、水分補給をしよう」


 ルーベルト相手なら、ある程度の我がままは通じる。

そんなことを試して、クラエスを困らせてもどうせそんなには困らない。王都に着く時間をほんのちょっとだけ先延ばしできるだけであって、それはクラエスの目的を防ぐことは出来ない。結局従うしかない立場だから、表面上だけでも言うことを聞かせたいという暗い気持ちだ。やけっぱち以外の何物でもなく、筋の一つも通ってはいない。


「はい、水筒」


 草原に座ると、キャップの開けられた水筒が手渡された。その視線はとても優しい。しかし、今と同じ目が冷たい色を帯びるときも私は知っている。


「ありがとう、ルーベルト」


 ぬるい水が喉を通っていく。当たり前だけれど、日本のような高性能の水筒はなくて、皮袋に金属の口を取り付けただけの品物だ。それでも、暑い日に飲む水はおいしい。

 隣に立つクラエスに水筒を手渡した。水筒は二つあるのに、この前の襲撃以来一つも私には持たせない。手綱はクラエスが握っていて、私の首には首輪がついている。

 流されるままではなく、行動をしなくてはいけないのだ。

 もうクラエスを信じることは出来ない。

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