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偽物聖女  作者: すとろん
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アネモネに思いを寄せて(1)

 目を開けると、何人もの知らない顔が目に飛び込んで来た。


 私が目覚めたのを見て、皆が一気に笑顔になる。年齢は違うけれど、女の人たちが口々に何かを言い合っていた。私に話しかけている人もいるようなのに、何と言っているのかさっぱり分からない。


 月が二つ見えたときと同じ絶望を感じた。

 そのとき、女の人たちをかき分けて、若い女性が何かを持ってきた。気を失う前に見た女性であることに気付く。その女性が私の寝ているベッドに腰掛けて、何かしらのお椀を進めてくる。

 荒削りの木の器を指さしている様子は、これ食べられる? とでも聞いているように見えた。ゆっくりと頷くと女性は花が開いたように笑った。


 器を受け取ると、中には温かいスープが入っていて、おいしそうな匂いが鼻をくすぐる。そのときになって、私はお腹が空いていることに気が付いた。スープを一匙救って、口に入れる。


「おいしい……、塩味なんだ」


 馴染みのある味に少しだけ安心する。味覚はきっと同じなのだ。

 食が同じなら、きっと大丈夫だなんて根拠のないことを思う。

 スープの中には緑色のグリーンピースみたいな豆が入っている。温かいベッドと温かい食事があって、なんだか余裕が出てきたみたいだ。スプーンで少しずつなんて耐えられなくて、お椀に直接口をつけて飲む。

 おいしいって、こんなにも体を安心させる行為なのか。


 飲み終わると、女性がお椀をどこかに持って行ってくれた。それからすぐに戻ってきて、またベッドに腰掛ける。私の目を覗きこんでくる様子は、とても真摯しんしに思えた。どこの誰ともしれない私を何でこんなにも心配してくれるのだろう。


「レーナ、レーナ」


 女性が自分を指さして、繰り返す。


「レーナ?」


 同じように繰り返すと、頷いてくれた。手が私の頭を撫でて、目がこちらを覗きこんでくる。


「こ、こはる、こはる」

「ココ、ファル?」


 なんだか変な名前になってしまって、少しばかり可笑しい。くすりと笑うと、レーナも笑ってくれた。不思議になる程の穏やかな時間だった。


「こはる」

「コハル……?」

「こはる!」

「コハル」


 自分の名前を覚えようとしてくれることが嬉しくて、何度も何度も頷く。レーナが口に手を当てて、その手を私の口にまで持ってくる。それから、自分を指さしてから、私の方を指し示した。


「言葉を教えてくれるってこと……?」


 レーナは、ベッドを指さして音を発する。それから、ベッドの隣においてあるカンテラのような何かを指して、言葉を言う。

言葉なのだ。この世界に馴染むための一つの術を私は手に入れることが出来る。もちろん拒否するはずがなかった。


「お願いします」


 精一杯の誠意を込めて、深く頭を下げる。



◆◆◆



 村を一歩出ると、木が少しずつ増えていく。でも、切り株もたくさんあって、ここらへんはまだ生活圏なのかなと思う。ちょうど良さそうな一つの切り株に腰掛ける。


 リクルートスーツは、レーナが残念そうに顔を左右に振った。血の匂いが染みついてどうにも取れそうにない。幸いレーナと体格が似ていたので、服を貸してもらったのだ。


 就活鞄も、レーナの家に置いてきた。


 就活鞄の中身は、簡単な化粧直しの道具に筆入れ、飴に履歴書の入ったファイル、メモ帳にスケジュール帳、お財布、そして、携帯電話。おそるおそる携帯を見る。もしかしたら、どこかに連絡がとれないかな、なんて思ったから。

 その結果は見事に圏外だった。日本では肌身離さず携帯電話を持っていたこの私でも、さずがに携帯を手放した。メールも電話もSNSも何もかもが役に立たない。

 だから今持っているのは、竜笛だけだ。


 木々に囲まれて一人でいると、少しだけ懐かしくなる。

 葉の形は全然変わらないし、色だって新緑のそれだ。名前は違うし、特徴だって違うだろう。それでも、枝が天に向かって伸びていて、遠くから見る分には違いなんて全然分からないのだった。

近年の日本の春より随分と涼しくて、過ごしやすい気候であることだけは有難いのだけれど。


 神社を思い出す。懐かしき我が家は東京都の外れにあって、神社のために木々に囲まれている場所だった。こんなにも違うのに、同じところは同じなのだ。

 空から地面に向かって、木が生えているところじゃなくてよかったな、なんて無駄なことを考える。


 月が二つあって、言葉が違っていて。

 アフリカとか、アジアの奥地だったらいいのにと思う。でも、そこでは、月が二つに見えるなんてこと、あるのだろうか。私が知らないだけで、実は空気の屈折で二つに見えるなんてことあればいいのに。


 そんなことはあり得ないんだって分かっていた。そこまで馬鹿じゃない。


 昨日の夜にも月は二つあった。

 思わず、指で指して、レーナに聞いた。あれは何? と。


 レーナの中で、私がどんな人物像となっているか、私には知る術がない。だって、ここの言葉どころか、常識であるはずの空の輝きについて知らないなんて、不審人物以外の何者だろう。記憶を無くしたとか、適当に考えてくれればいいなとも思っている。

 それでも、レーナはしっかりと教えてくれた。アントニエッタと、カルディナ。夜を見守る双子の女神様。


 何かを抱きしめたくなって、でも抱きしめられるものは何にもないということに気が付いて、小さく体育座りの形になる。


「ここはどこなんだろう」


 日本語は既に私だけの言語だ。ひらがなもカタカナもここにはない。


 竜笛を手に取る。もういつから続けているのかすら思い出せない。初恋が実らなかった日も友達と喧嘩した日も、気が付いたら竜笛を握っていた。木のなめらかな感触。


「大丈夫、きっと大丈夫。おじいちゃんはもういないから、心配させなくて済む。困るのは、大学が卒業出来るかどうかってことと、無事就職できるのかな、ってこと。でも、選考全然進んでなかったから、面接をぶっちぎるってことは、……幸運にも、ないし」


 あんなに辛かった就活が心の拠り所になるのもどうかと思うけれど、それは日本での日常だった。車が走っていて、こんな山奥の村ではなくて、人が多くて、ビル群があった。


 横笛を唇にあてる。

 一音一音、長く伸ばすようにして、息を吹き込む。空気に合わせる。心なしか、日本にいたときよりも音が澄んで響いて行くような気がした。もう何も考えなくていい。どうせ、笛を吹いているときは何も考えられないのだから。

 


◆◆◆



 生活に必要とあれば、いくらでも言葉は覚えられるのだとここの生活で学んだ。ちなみに、私の英語の成績は壊滅的だった。


 日にちを数えて、七日間。

 ここが一体どのような場所なのか、レーナが簡単に教えてくれた。

 エリシエ国の南の辺境に位置するのだという。エリシエが机を指す言葉ではなく、この村を指す言葉でもなく、この国を指すのだろうと分かるまでだいぶ時間がかかった。ボディランゲージの仕草の意味があまり変わらないのは、幸運であったように思う。


 そして、幸運じゃないことと言えば、私がこの国の名前に聞き覚えがないことだろう。


 アフリカとかの奥地にひそかに、こんな名前の場所があればいいな、という希望はもう捨てていた。だいたい、それならば一体どうやって神社からアフリカに飛んだのか説明がつかない。

 しかも、この人たちはどう見ても白人だ。平たい顔の黄色人種が一人紛れ込んでいる状態である。


 でも、パワースポットとかも近年話題になっているし、と自分を慰めたりもした。私にとってありがたくない事実ばかりが判明しているというのは変わりないけれど。


 この村では、夜明け前から皆が働き出す。電気がなくて、家の中の灯りは油やろうそくを使っているから、夜は日が暮れる前に就寝するのだ。

 それは、レーナも同じで私より早く起きて、いつも裏の畑にいる。この生活習慣に慣れない私は、今日もまた出遅れたのだった。


「コハル、パン、貰ってきて、玄関に野菜、ある」


 レーナにそう声をかけられたのは、ちょうど顔を洗っているときだった。村のはずれの井戸から一日分の水を運ぶのは、私の朝の仕事だ。重くて大変な思いをして運んだ水であるため、大切に少しずつ使っている。

 こんなときにも、日本の便利さを痛感するのだ。


 更に、森の奥の村という立地のためにこの村は物々交換で成り立っていて、貨幣というものが必要ないらしい。外の世界では貨幣はあるようだが。日本より何倍も科学や文明が遅れていて、江戸時代の農民の暮らしみたいなのかなと少ない知識を絞り出した。


「分かった、レーナ、行ってくる」


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