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偽物聖女  作者: すとろん
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湖の畔にて(1)

 がたことと馬車に揺られること、早二日。

 お尻が痛いという感覚なんてとっくに無くなって、ずっと痺れた状態が続いているようで、とにかく辛い。


 馬車なんていいのは見た目だけで、乗り心地は電車とも自動車とも比べられない程に最悪なのだった。


 隣をちらりと見る。剣を抱いて片膝を立てて座っている様子は、なんとも風情が出ていてよいと思う。私と同じくフードをかぶっているはずなのに、その高い鼻梁が見えていて、美形であるということを主張していた。

 私の父と母は、完全なる日本人顔だ。母は巫女の衣装がとても似合っていたし、父は神主の衣装がとても似合っていた。遺伝子の調合が少しばかり恨めしい。


 私たちの他には、十人程が乗り合わせていた。その内の一人は、護衛らしかった。他には商人や旅人、または帰郷をするのだという人もいる。ほとんどが男性で、女性は少ない。

 全てクラエスの愛想の良さを発揮して聞き出した情報だった。私は髪の色を見せないためにフードを深くかぶり、おまけに話すなとまで言われている。私がこの世界の知識がないために、変なことを口走るのを防ぐためだ。


 つまらないと思う。外の景色は見飽きたし、暇つぶしの手段も何もない。この二日、馬車の中で寝るしかすることはなかったのだ。しかも、初めての野宿もこなすことになったのである。石のない柔らかそうな地面を探したって、硬いものは硬い。これ以上なく、マットレスを恋しく思った。そんな思いを朗々とクラエスに語るわけにも行かない。

 暇つぶしの道具はあるのに、それを使うことを許されないなんてなんと残酷なのだろう。


 頭の中には、考えたくもないことが次々と巡ってくる。

 笛を触りたいのに、触りたくはないのだ。


 笛を吹きたい欲求が次々と湧き上がる。こんなに長い間笛を吹かなかったことなどなかったのだ。

 街にいた間は、体力の回復やいろんなことがあって笛のことを考えている暇もなかったけれど、暇になると笛が欲しくてたまらない。でも、この腕でどうやって笛を吹くことが出来るというのだろう。


 穏やかな旋律が流れても、それに耳を傾けることがとても怖い。

 今までなら、その音で体と頭を癒してもらって、そしてそのまま流れと共に笛を吹き始めてしまえばよかった。我慢する必要などどこにもない。


 左手の中の袋をぎゅっと握りしめる。

 これから私は、この音楽は、どうなってしまうのか。


 聞こえなくなってしまえ、と思う。聞こえなくなるのは怖い、とも思う。


「もうすぐリースに着くぞ!」


 御者の野太い声がひづめの音に混じって聞こえてきた。


 静かな車内が久々に湧き上がる。


「やっと……」


 思わず声がこぼれた。


「お、嬢ちゃん、久しぶりにしゃべったな?」


 商人のお兄さんが話しかけて来た。思わず顔をうつむかせる。何よりもクラエスの不興を買ってしまうのが嫌なので、自分のことを棚にあげてお兄さんのことを恨めしく思ってしまう。


「別に怖くはないのになあ」


 商人というだけあって話好きな人である。六人兄弟の長男で、弟と妹たちを食わせて行くために商売をしているのだという。扱っている品は薬草で、何よりも信頼を大切にするのだと聞かなくても教えてくれた。本物かどうかなんて素人には分からないのだから、いまいち怪しい。

 でも、人のさそうなお兄さんに乗せられたら思わず買ってしまいそうだとも思った。クラエスは鬱陶うっとうしそうにしていたけれど。

 

「まあ、いいや。お二人さんはこのあとどうするの?」

「ええ、とりあえず、リースで一泊するつもりです。そのあとは、妹の調子を見て……。無理はさせたくないので」


 どの口がそのような言葉を吐くのが見てみたい。


「リースでゆっくりして行くのもいいよな。湖畔こはんの町で魚料理が上手いし、ほどほどの大きさの穏やかな町だ」


 湖という言葉に耳がぴくりと動いてしまう。セスチェールは港街だったのに、海に寄る機会もなかったし、だいたいそんなことを思いつきもしなかった。毎日を生きることで必死だったのだ。


 季節は夏を迎えようとしていて、毎日がむし暑い。馬車は窓を開ければ風が入るのでそれ程厳しいわけではないけれども、汗を流す場所はない。肌がべたべたして気持ち悪いのを、思いっきり水浴びして洗い流せたらどんなに気持ちいいだろう。

 太陽の光を反射してきらきらと輝く美しい湖が目に見えるようだった。


 やがて、蹄の音がゆっくりとした間隔になり、最後には止まる。

 御者のリースに着いた、という声が聞こえた。


 人目さえなければ、馬車の中から飛び出したい気分だった。ついに揺れない地面とのご対面である。でも、残念ながら人目はあるのだ。クラエスの手を取って、慎重に降りる。


 顔があまり見えない程度に周囲を見渡す。緑の割合が多く、また綺麗に石畳が敷かれているために綺麗な街だということが見て取れる。


「じゃあな、お二人さん」


 そう言うと、商人のお兄さんが手を振って、どこかに消えていく。その後ろに軽くお辞儀をした。


「俺たちは宿に行くか。な、アイナ」


 愛想のいいルーベルトバージョンで、クラエスは声をかけて来る。それに僅かに頷き返すと、クラエスは私の左手を掴んできた。手を繋いだまま、歩いていくことになる。

 さすがにこれはやり過ぎなのではないかと思ってしまった。それとも、病弱な妹を気遣う兄を演じるのならばこれぐらいしなくてはいけないということなのか。


 ともかくにも、慣れない男の人の硬い手が恥ずかしいのだ。剣を使うためか、硬いたこのような感触がある。家事程度しか行ったことのない柔らかい私の手にはない要素だ。


「ここにしよう」


 クラエスが選んだのは、石造りの綺麗な宿だった。壁にはつたが這っていて、長年ここに存在しているからこその風合いがある。宿の前の花壇も色とりどりの花が植えてあって美しい。店主は女性なのだろうか。




「疲れたー。もうダメ……」


 コートを木製のハンガーに四苦八苦しながらかけて、そしてベッドに水泳選手ばりの美しいフォームで飛び込む。


 そんなことをすることが出来たのは、クラエスが部屋の隅から隅まで調査してからだった。窓の様子や寝台の下、物置の中まで何もないかを調べたのだ。


 追手がいるかもしれないにせよ、何の必要があるのだと思ってしまう。私たちがこの部屋に泊まるのを予想して、何かを仕掛けている可能性なんてどれだけ低いというのか。

 それでも、クラエスがそのことを用心深く警戒しているのは間違いがなかった。


 枕に顔をうずめていると、クラエスが二つのコップを持って部屋の中に入って来た。荷物を置くのもそこそこに、水を取りに行ってくれたのだ。こういうときは、外面の良さに感心してしまう。


 クラエスは無言で私に水を手渡す。水を一口飲むと、体中まで染み渡るようだった。クラエスも立ったまま、水をごくごくと飲み始める。

 荒削りの木の杯がまた手に馴染む。今なら何杯でも飲み干せそうだった。


「ねえ、私湖に行きたい!」


 寝台に座ったまま、クラエスの太陽色の瞳を見上げる。金色の瞳は、地球にはない色なのではないだろうか。色素が薄く、光がまるでその瞳の中に宿っているのではないかと勘違いしてしまいそうだ。


「ダメだ」


 でも、大抵は氷のように冷たいのだ。


「水浴びをしたいの。手足を濡らす程度でもいいし……」


 絶対零度の眼差しに、語尾が少しずつ消えてなくなっていく。


「何があるか分からないから危険だ。水浴びなら、宿の裏の井戸から水を貰ってこればいい」


 それでは、前の宿にいた時と同じで、濡れた布で体を拭く程度になってしまう。前は怪我もひどかったので仕方なかったけれども、健全な日本人がずっとその状態では耐えられないのだ。だいたいクラエスはお風呂をどうしているのだろう。ずっと一緒にいるけれど汗臭いわけではないから、外に公衆浴場でもあるのかもしれない。それならば、自分だけがこの状態なんて絶対に嫌だった。


「馬車について聞いてくる」


 クラエスは私のコップも回収して、階下へと降りていこうとする。

 私の中の悪知恵が、さっさと答えを出す。


「分かった。ここで待ってる」


 すねたような口調で、再びベッドに倒れる。彼の目を見てしまわないように気をつけた。


 私の行動に何かを感じたのか、部屋を出る直前でクラエスが振り返る。


「妙な考えは起こすなよ。……何かあったら、次からは手足を縛ってやるからな」

「疲れたから寝てるってば」

 

 上手く言えただろうか。嘘は得意ではない。

 私が寝台に転がったまま動かないのを見て取ったのか、扉は音を立てて閉まる。


 何が危険だというのか。セスチェールもニカリアも既に草原の向こうで、だいたいニカリアの宿にいた時だって追手の気配はないようだった。言葉も通じるし、一人で少しばかり出歩いても問題はないはず。湖があまりにも遠いようだったら、途中で引き返せばいい。

 じっとしていることには、もう疲れてしまった。クラエスと出会ってからはずっと宿や馬車の中にいるばかりで、外を歩くのもクラエスと一緒でなければならない。窮屈なのだ。

 好奇心は猫をも殺す。そんなことわざは今だけ忘れてしまおう。


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