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偽物聖女  作者: すとろん
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旅立ち(5)

 人の流れが私を前へと前へと押し流していく。クラエスがいないからと言って立ち止まることなどできなかった。


「どうしよう……」


 不安が胸を占めて、周りの風景が一気に色あせたものになる。


 再び一人でいたときの寂しさを思い出した。私の右手を切り落とした人が相手だというのに年甲斐もなくはしゃいだのは、同じ目的地を持つという安心感があったからだ。王都に辿り着くまで、何事もない限り確実に一緒なのだから。


 何事は、あってしまったのだけれど。


 私がどんなに落ち込んでいても、人混みは止まらないし、私の足も止まらない。このまま当てどもなく歩いていても意味はない。宿に戻るのが最善の策だ。クラエスも私がいないことに気が付いて、宿に戻るところかもしれない。


 人の流れを突っ切って、反対側の流れに出ようとする。もがいていたその時、子供が私にぶつかってきた。


「どこ見てんだよ! 気をつけろよな!」


 乱暴な言葉を聞いてどきりとする。こんな場面に免疫はあまりないのだ。


「あ、ご、ごめんなさい」


 私の言葉を聞かずに子供は走り去って行く。むかつく、と事が終わってから思う。それから、はたとあることに気が付いてしまった。首に下げている袋を手で確かめようとする。そこには既に何もなかった。


「ど、泥棒!」


 叫んだはずの声はとてもか細く聞こえた。歩いている人々には、何も聞こえてないようにすら思える。足はいつの間にか既に走り出していた。

 人と人の間を縫って、かすかに見える影を追っていく。


 私は何をしているのだろう。

 お金なんてそんなに大切ではないはずだ。クラエスはどう見てもお金がないようには見えないし、目的地に着くまでの衣食住くらいはまかなってもらえるように思える。


 しかし、そういう問題ではないのだ、と頭の中のもう一人の私が声を大にして叫ぶのだ。

 あれは、レーナから貰ったお金である。なけなしの銅貨だ。だからと言ってなんだ。私は彼女らに売られたのだし、恩を感じる必要性などない。

あれを、彼女たちの思い出として持っている必要もない。嫌な思い出なのだから。


 それでも、必死に子供を追いかけてしまう。もうここらへんで止まってしまいたい。今ならまだ宿に戻れるのだし、本格的に迷ってしまったら、それこそ危ないのだ。


「返して!」


 子供が狭い路地を曲がる。それを見て、私も同じように曲がった。

 しかし、路地の奥に入った途端、子供の姿は掻き消えて、どこにも見えなくなる。


「あれ……? どこに行ったの……」


 思わず足を止めてしまう。息が切れていることに気が付いた。あまりにも必死で、そんなことすら気を配っている余裕はなかったのだ。

 首を左右に巡らす。食べ物の残骸やごみがあちこちに転がっていて、衛生的に良い状態だとは言えない。


 足を踏み出そうとした時、誰かに背後から押された。


「きゃあ!?」


 どさりと埃の舞う中に倒れ込む。その際に、右手の傷口をどこかにぶつけてしまう。抉るような痛みに、声も出ない。

しかも、押した相手はそのまま背中の上に乗って来たようだった。


「へへん、捕まえてやったぞぉ!」


 子供の甲高い声が路地に響いて反響する。しかも、一人だけではない、何人かの身なりの汚い子供が右足を抑え、左手を抑えにかかった。


「これっぽちしかねーのかよ」


 唯一動く首を動かして、前を見上げる。そこにいた少年は、レーナの袋から手の上に銅貨をじゃらじゃらとこぼした。


「もっと持ってそうだと思ったのに。意味深に顔隠しやがって」

「返して! 大切なものなの!」


 地面に這いつくばりながら、叫ぶ言葉は迫力の一欠けらもない。気が付いたらフードは既に落ちていて、黒髪の一筋が顔にかかる。


「おい、こいつの身ぐるみをはがせ」


 男の子が周りの子供たちに顎で指示を出す。


「お金はそれしか持ってないってば!」


 まるで世界がここだけになってしまったかのようだった。薄暗い路地と言えども、すぐ向こうには明るい市場があるのに、これだけ騒いでも助けはやって来そうにもない。追いかけなければよかった。

 目尻に涙がにじむ。これは痛みのせいなのだ。


「それは、こっちで判断してやるよ」


 子供たちの一人が私の両手を掴んで、動けなくさせようとする。その手が、傷口に触れた。


「う……ああ……」


 噛み殺せない悲鳴が漏れる。誰かが右手首を掴む気配がした。そのまま手首をひねって関節を動かせないように持っていく。


「こいつ、右手がねーよ! もしかして、こいつも盗みを働いてたのか?」


 生理的な涙が流れた。ぼんやりとした頭で、どこかで聞いたことがあると思う。泥棒を働いた者は、その利き手が切り落とされるのだと。

 誰かの手が手首の傷跡を思いっきり握る。


「うぁ…あぁ……」


 歯を思いっ切り噛みしめても、声は隙間から零れ落ちていく。


「まぬけやったんだな、こいつ」


 また手が伸びてきて、コートを剥がそうとする。


 泥棒と決めつけられることよりも何よりも、この現状から速く抜け出したい。クラエス助けて、と心の中で念じる。呼ぶことの出来る名前はそれしか無かった。


 コートは両手に引っかかっているだけで、ほとんど脱げかかっていた。小さな手が体中をぺたぺたと触る。ポケットの中や、服の合わせ目のところから手まで入れてくる。それが少年ではなくて、少女であることだけが幸運だった。痩せこけた少女はいかにも汚らしい恰好で、えた匂いが鼻につく。


「にいちゃん、こいつ、ほんとーうになんももってなさそう……」

「あーあ、しけてんな。行こうぜ」


 少年はこれ以上になく、大げさにため息の仕草をする。背後の子供が私の手をぱっと離した。こんな女一人、何も出来ないと思ったのだろう。病み上がりでなくとも、私には何もできはしないだろう。それでも。


「それは、大切なものなの! 返して!」


 路地の奥に消えようとしていた少年が振り返る。


「こんな小銭どうでもいいだろ? 俺たちは親も家もないかわいそうな子供なの。恵んでくれよな」


 とても下婢げひた笑みだと思う。子供の笑顔は希望溢れたものであると決めつけるつもりはないけれど、出来ればそうあって欲しい。


「かわいそうだと思う。まだ子供なのに、お金を盗むなんてことをしなければならないのは本当にかわいそう」

「なんだよ、喧嘩売ってんのか?」


 少年は周囲の子供たちに視線を送る。一気に空気が変わるのを感じた。私は何を言っているのだろう。


「喧嘩なんて、怖いし、痛いのも嫌い」


 首を左右に振る。


「へえ、情けないでやんの」


 少年がふところから、折れたナイフを取り出す。それに対して、反射的に悲鳴を上げそうになるのをなんとか堪える。あれはそんなに殺傷力はないと思う。刺されても貫通はしないし、怪我をしても命にはかかわらないはずだ。クラエスの剣とは違う。


「大人からスリをしてもいいと思う。……それ程貧しくない人からなら。あなたたちが、そんな風になってしまったのは、この国を変えることの出来ない大人のせいだもの」


 地面には割れたガラス瓶が転がっていた。市場にまで漂うことのない、腐った匂い。


「でも、それならあなたたちは、スリをされない大人にならなければいけない。この国を変える大人に」

「この女、頭おかしいのか? 字も読めねえ俺たちに何が出来るんだよ」


 子供の言葉に図星をつかれてしまうけれど、ここは動揺してはいけない時なのだ。少年の目を見る。青の瞳には、太陽の光が映り込んでいる。


「あなたたちが自分で考えなければいけないことだよ。私は……、そのお金を恵んであげる。私の意志よ。盗まれたのではなく」

「いや、取り返せないだけじゃねえか!」


 どこからかヤジが飛んできた。声変わりを迎える前の、よく響く甲高い声だ。


「例えこの場に誰かが来たとしても、そのお金は私があげたと言うよ。……でも、その袋だけは返して」


 思わず地面を見る。あちこちでこぼこだらけの、汚い地面だ。少年の瞳をまっすぐ見返すことなんて出来そうにないと思った。なんて浅はかな考えなのだろう。私はこの子供たちに説教でもしたいのだろうか。私はぬくぬくと何もかもに恵まれている環境で生きて来たのに。

 そのとき、視界の中にレーナがくれた袋が落ちて来たのを見つける。視線を上げて、思わず男の子と目を合わせてしまう。その目が何を語っているのか、私には分からない。


「……行くぞ」


 少年はそれだけ言うと、背中を見せて歩き出そうとする。他の子供たちもこちらをちらちら見ながら、路地の奥へと歩いていく。


「ありがとう!」


 その背中に、相応しいのか相応しくないのか分からない言葉を投げつけた。


 レーナの袋をゆっくりと拾い上げる。右手を見ると、血がにじんでいた。


「痛いはずだよ、全く」


 自分が何をしたかったのかいまいち分からなかった。レーナの袋もそうだし、子供たちにしてもそうだ。あんなその場で思いついただけの言葉を投げかけるなんて、失礼だと思う。でも、それ以上に自分の今いるこの場所に私なりの答えを出したかったのかもしれない。


「いい子ぶっちゃって、他人にばかり難しいと分かっていることを押し付けちゃって、馬鹿みたい……」


「そうだな」


 思わず振り返る。そこに立っていたのは、クラエスだった。驚き過ぎて、涙も出ない。


「み、見ていたなら、何で助けてくれなかったの!」

「助けは必要無さそうに見えたからな」


 いつからいたのか、いまいち分からない。私が死なない程度なら痛めつけられても問題ないということだろうか。それとも、ただ単に見つけたときには、既に子供たちの手が離れていたのだろうか。

 分からない。何に怒ればいいのかも分からないし、何よりも先ほどの言葉を聞かれていたとしたら恥ずかし過ぎる。


 左手の中の袋を握りしめる。

 


「帰るぞ」


 クラエスの言葉にフードをかぶりなおした。彼はそのまま、私に背後を見せて歩いていこうとする。


 信じてもいいの、と言葉が喉元まで出かかる。


 その時、私は分かったのだった。


 私はレーナを信じたかったのだ。あのお金がレーナの誠意の証拠であって、私を少しは気にかけてくれているのだと、そしてそのために確固となる証を無くしたくはなかったのだ。私がこの国に来て辛いことばかりではなく、楽しい思い出もあったのだと思い込みたいために。

 どうしても取り戻したかった。


 クラエスの後について、歩いていく。今度は見失わないように、しっかりと前を見る。


「何であんなこと言っちゃったのかな……」


 ふと呟きが漏れてしまう。クラエスは前を向いたままで何の反応も示さない。その様子にほっとした。


「これから宿に戻って、その上着の洗濯と、包帯を変えるぞ。明日の朝には出発だ」


 確かに、このコートは埃とかその他のものもいろいろとかぶってしまった。明日までに乾くといいなと思う。

 そして、この街ともついにおさらばだ。次から次へと異なる街に漂っていく私は、本当に根なし草だ。まるで波にさらわれたまぬけなわかめみたい。

 それでも、達成しなければならない目的はある。


 人は先ほどと何も変わらない。相変わらず店主と客のやり取りは騒がしい。あんなに長く感じていた時間なのに、それ程経っていなかったようだ。

 他の人々より頭半分高いクラエスを目印に歩いていく。


 市場を抜けて静かになって来たとき、クラエスが口を開いた。


「お前は、あの子たちの存在する意味を認めてあげたかったのではないか」

「え……?」


 いきなりすぎて、立ち止まってしまった。


「何でもない」


 クラエスは歩みを止めないし、どんどん距離が開くばかりである。思わず小走りで走り寄って、隣に並ぶ。


「どういう意味なの?」

「いや、病み上がりなのに意外と元気なんだな、と」

「いや、誤魔化したでしょ!」


 その瞬間、クラエスの口角が僅かに上がるのを見てしまった。


「笑った……?」

「明日は出発だ。急がないと、置いて行くぞ」


 ともかくにも、旅立つのだ。


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