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偽物聖女  作者: すとろん
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旅立ち(4)

◆◆◆




「こんなにきっちり着なくてはいけないの? 暑いんだけど」


 体力はすっかり戻ったわけではないけれど、ゆっくり歩くぐらいなら問題はなくなった。ということで、クラエスの提案により、二人で街歩きをすることになったのだ。


 そして問題になったのが服装である。一応追われている可能性もあるのだから、堂々と出歩くことは出来ない。そして、私の黒髪はあまりにも目立ちすぎるらしい。

 というわけで、初夏のこの季節の中で、フード付きの上着をしっかりと着こむ羽目になってしまった。煤けた茶色の上着の下にはこれまたしっかりと長袖長ズボンを着ているというのに。


「文句を言うな」


 上手く結べない私のために、胸元のリボンをしっかりと結んでくれる。そして、フードを目深にかぶると簡単な変装は終わりなのだった。


「でも、クラエスも目立ってしまってはダメなんじゃない?」


 背も高い上にこんな容貌の人間が注目を浴びないわけもない。しかも、街中で長剣を腰に携えているのだ。


「いい。二人ともフードをかぶっている方があからさまに怪しいだろう」


 確かにそうかもしれないけれど、この美貌がとんでもなく厄介なんだってこの人は分かっているのだろうか。


「うーん、まあ、いいけど。それよりも早く行こう! 今日をすごく楽しみにしていたんだから」

「はしゃぎすぎるな。病み上がりなんだから」


 この世界に来てから街歩きなど、初めてなのだ。首にはまだレーナから貰った銅貨を下げている。いっそ使ってしまおうか。何かおいしいものとか、可愛いものとか買ってしまうのもいいかもしれない。これからどうなるのかよく分からないのだし。


「行こうよ!」


 クラエスだけ小さな荷物を持って、部屋の外へと出た。私の私物なんて笛ぐらいしかないし、街中に持っていくわけにも行かない。クラエスから笛を見せて貰ったときは心底ほっとした。もし無くしてしまったら屋敷に取りに行くとでも言いだしていたかもしれない。


 木の階段を降りて一階に行く。気持ちばかりはやるけれど、階段はゆっくり降りないと眩暈めまいでもしたら大変だ。一階は食堂になっていて、恰幅かっぷくのいいおかみさんが一人で開店準備を行っていた。


「おはよう、ルーベルトさん。あれ、お連れさんはもう大丈夫なのかい?」


 ルーベルトとはクラエスの偽名だ。クラエスというのが本名かどうかも分からないけれど、そんなことは私には関係ないのだった。


「お気遣いありがとうございます。随分と体調は良くなったようです。ただ顔に傷が残ってしまいそうで……。ほら挨拶をしろ、アイナ?」


 いつもより高い声と愛想のいい返事に、フードをかぶっていてよかったと思ってしまった。一番驚いたのは、私に違いないからだ。


「はい、おかみさん、大変お世話になりました」


 顔を見られないように、俯いたままでお礼を言う。アイナは二人で適当に決めた偽名だ。ウェンディはもちろん、小春という名前だって目立ちすぎる。


「そうか、女の子なのにね……。でも、アイナちゃんは優しくてかっこいいお兄ちゃんを持って幸せだねえ」

「はい、自慢の兄です」


 こんなに優しげな外面そとづらを持っているなんて今この場で初めて知ったけれども。


「では、俺たちは出かけてきます」

「市場の方に行くのかい? スリが多いらしいから気を付けてね」


 おかみさんに一礼をして宿の外に行く。


「眩しい……」


 久しぶりの外の世界は部屋の中とは違って、太陽の光がこれでもかと降り注いでいる。それに、何よりも空気がおいしい。道には人々が行きかっているけれど、フードのせいで詳しくは見えない。どんな人々がいるのかとか街並みなのか詳しく見てみたいけれど、観光ではないのだからクラエスが許してはくれないだろう。


「それにしても、ルーベルトがあんなに役者だとは思わなかった!」


 こんな時だというのに笑えてしまう。外へと来て、開放的な気分になっているのかも知れない。閉鎖された光も行き届かないような小さな部屋の中では、後ろ向きな気分にしかなれないのだと太陽の下にいるからこそあらためて思うのだ。


「利用できるものは利用した方がいいからな」


 クラエスは自分の顔のことをよく知っているらしい。今までに何度も同じことをしてきたのだろう。それにしても、声が先ほどと違ってまたぶっきらぼうに戻っているのが尚更おかしい。


「市場って何があるのかな。少し買い物をしてもいい?」

「ここは港街だから何でもある。荷物にならない程度にしておけ」

「どうせ、そんなにお金ないもの」


 左手で首元の小袋を握って見せる。


「娼館での小遣いか?」

「いいえ。その前にいた村で貰ったの。その人たちが私を売ったのだけれど。……もう少し早く、ルーベルトが私を見つけてくれたらよかったのに」


 例えば教会やあの村で見つけてくれれば、私はこんな目に合うこともなかったのかも知れない。今更言っても意味のない恨み言だった。


「市場は近く?」

「もう少し行った先の、北の広場だ」


 ルーベルトは私に合わせてゆっくりと歩く。この人は育ちが良さそうだなと私が思う要因でもある。今はその気遣いに甘えさせてもらおうと思った。


 少々歩くと騒がしい空気が伝わってきた。たくさんの声が晴天に響き渡る。


「あそこが市場ね!」


 走って行きたい気持ちを抑える。子供っぽいと友達に言われた私の悪い癖だ。


 近くまで行くと、甘酸っぱい匂いや香ばしい匂いまで伝わってきた。賑やかでとても楽しそうである。見渡せない程の奥行きと人だかりがあって、異国情緒がたっぷりである。


 入り口付近は青果市場のようだった。色鮮やかな果物や野菜が所狭しと置いてある。見知った形から全然知らないものまでたくさんあって、朝ごはんだってしっかりと食べて来たのに気になってしまう。


「どの果物が美味しいのかな? あ、あのピンクと黄色ってすごい色しているねえ。美味しい?」

「あれはリィンという。そのまま食べるというよりは、調理するのが一般的で、苦みがあるんだ」


 見た目は丸くてしましま模様ですいかのようなのに、中身は随分と違うものだ。歩いていると、今度はおいしそうな匂いがして来た。屋台が並んでいる付近へと来たようだ。


「あの餅みたいなのは何?」


 レンガ造りのかまどの上に、大きい鉄板を置いて、ナンのようなものを焼いている。


「ケットだ。干し果物を混ぜた生地の中に、さっきのリィンを中に入れて焼くんだ」

「そこのかっこいいお兄ちゃん! お嬢ちゃんにケットをどうだい? 一個一セルだよ!」


 安いよと呼びかける声が続くのは万国共通だ。一セルは銅貨一枚のことを指すそうだ。銀貨は一エル、金貨は一テール。クラエスの魔術のおかげで、私はようやっと品物の価値を正確に一度で聞き取ることが出来るようになれたのである。


 こんなときに使わないでいつ使うんだと、首に下げている袋をまさぐる。しかし、上手く取れない。片手だと、袋の口をどうしても広げられないのだ。

 クラエスがもたもたしている私を見ていられなくなったのか、武骨な手を差し伸べてくれる。少しばかり恥ずかしくなった。私の手を切ったのはこいつなのだから当然という気持ちと、人目もあるところで私は何をしているんだという気持ちの間で揺れ動く。


「ほら、一セルだ」

「あ、ありがと」


 クラエスに貰った一セルをそのまま店主に差し出す。この人には私たちの関係がどのように見えているのだろう。


「はいよ」


 渡されたのは、熱々のケットだ。クラエスはさっさと歩きだしてしまったので、そのあとを歩きながら食べようと試みる。


 しかし、熱すぎるのだ。慎重にふうふうと息を吹きかけてから、小さくかじる。もちもちとした生地の中に違う食感がいくつも交じっていて、とてもおいしい。もう一口齧ると、マシュマロのような柔らかい何かに行きあたる。ひたすらに甘いわけではなく、さっぱりとした爽やかな甘さだ。これは上手い。飽きない味で、何口でも行けそうだ。


「美味しいなあ」


 何故この国の食べ物はこんなにも美味しいのだろう。異国で食べたことのないものばかりがあるからだろうか。外見と食感と味が、私の想像するものとは違うのだ。それなのに不味いなんてことはなくて、日本育ちの私の口にも合うのだからすごい。


 片手にケットを持って歩きながら、あちこちを冷やかす。

 ケットと似たような外見で、炒めた青菜を中に詰めているのを見つけた。あれもおいしそうだ。

 

 串焼きや飲み物、単に果物の皮を向いたものを串に刺している屋台も多い。ストローが刺さったヤシの実のようなものを街行く人々が持っていて、あれは何だろうと気になった。


 でも、あれのためにはケットをはやく片づけなければなるまい。はむはむと食べ進んで行く。


「ねえ、クラエス、あの木の実って飲み物なの?」


 食べながらクラエスに問いかける。

 しかし、返事はない。そのことを不思議に思って久しぶりに顔を上げると、輝く美貌のお顔はどこにもいなくなっていた。


 背中に一筋冷や汗が流れる。


「あれ……?」


 どうやら迷子になってしまったようだった。


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