8話 彼の思い
「はいっ。よいっしょ、わ!?」
彼に声を掛けられた私は立ち上がろうとしましたが、腰が抜けてしまって尻餅をついて仕舞いました。どうやら「心」は恐怖から立ち直れても、「身体」の方はまだみたいです。私は恥ずかしくて俯きました。顔も真っ赤になっている事でしょう。
「ははっ、恥ずかしがらなくてもいい。怖いものは怖いからな」
ナーゲルベアーの死体を眺めていた彼は、諦めた様に首を振り、笑いながらこちらへ歩いて来ました。
――――あのっ、貴方に見られた事が恥ずかしいんですけど!
「大丈夫。俺が森の外まで連れて行くから…………ん」
真横に来た彼はそう言うと私の首と、尻餅をついたことによって山になっている膝の中に手をいれ、力を入れた様子も見せず、余裕で持ち上げます。
「わひゃ!?」
「ん、ごめん」
つまり私を……お、お姫様抱っこしてくれました!
彼の身体は九歳とは思えぬほどがっしりしていてすごく暖かく、思わず心がぽわ~~っとしました。彼の顔が物凄く近いです。
「しっかり摑まってくれるか?」
「ええぇっ!?」
首に!?首に摑まれと!?そんなことしたら私…………///ぽわ~~~~。
「どうした?…………やっぱり男とくっつくのは嫌?」
「いえ!(貴方なら)そんなこと無いですっ!」
ガシッ!!
近かった顔の距離が縮まりお互いの息がかかるまでになりました。顔から火が出そうです。
「ん、それじゃもう一度言うけどしっかり摑まってくれよっ」
ギュッ!
「ひゃっ!?」
彼は私をしっかりと抱くと軽く木に跳び乗り、あの卓越した速さで枝から枝へ移動し始めました。
「あの……」
「うん?」
「私、藤達真唯って言います九歳です。あの、貴方のお名前は……?」
「ああ、名前か。俺は……貫在恭也。九歳だ、よろしく」
彼が名乗る時に、ほんの少し口ごもったのを私は聞き逃しませんでした。
「貫在恭也さん……ですか。こちらこそお願いします。えと、遅くなりましたが助けてくれて、ありがとうございました!」
精一杯の感謝の念を込めて彼を見つめながら言います。
「気にしないで良い……。思ったんだがその口調、年相応とはいえないな?」
彼はこうして喋りながらも動きをまったく鈍らせません。
「それは貴方もだと思いますが……、周りからもよく聞かれますが、私のこれはただの癖です。小さい頃からずっとこんな感じでした」
「ふ~ん、そうか。珍しいがその可愛い容姿と結構合ってるよ」
「え!?あ……、ありがとうございます!」
か、顔が熱いですっ。何で彼は平然とこんなことが言えるんでしょうか!?
彼が不思議そうに問いかけてきます。
「おう。……ところで、真唯は何しにこんな危険地帯に来たんだ?」
「ま、真唯!?」
な、名前でいきなり呼び捨てなんて……はわ~。
「ん?名前で呼んじゃまずかった?」
「い、いえっ、全く構いません!寧ろそうして下さい!」
彼――――いや……きょ、恭也……さ、ん……は、少し驚いた様子でしたが、もう一度訪ねてきました。
「あ、ああ……。で、真唯はどうして?」
「私はお小遣い稼ぎに薬草採集へ来たんです。外周部だけで済ませる積もりだったんですが、そこにあの熊が来て……」
恭也さんは納得したように首を縦に何度か振りつつ、
「そういうわけか……。それは十中八九、奴らの作戦だぞ」
「それ、さっきも言ってましたね。どういう事なんですか?」
私、罠に嵌ったつもりなんてないんですけど。
恭也さんはあっさりと言ってのけました。
「外周部に来た熊は真唯を動揺させて、中央に誘い込む役だったんだよ」
「ええっ、そんなにも頭が回るんですか、ナーゲルベアーは」
「ああ。だがあくまでも、魔物にしてはというレベルだけどな」
それでも私は、ナーゲルベアーの狡猾さに戦慄しました。もし、恭也さんがあの場に駆けつけてくれなければ、もしその「作戦」とやらに嵌っていたら……。想像するだけで背筋が凍りつきます。
体の微かな震えを感じ取ったのか、恭也さんは安心させるように、私を抱く力をさらに強めてきてくれました。
「大丈夫だ。今回は助かった、それで良いだろ?ま、次からは魔物の動きによく注目してみろ。それから、あの馬鹿熊くらいは一人で倒せるようにならなくちゃな。いつでも誰かが守ってくれるとは限らないんだ。でも……、俺がもしその場に居合わせられたら全力で守ってやるよ」
……さり気無くカッコいいことをこの人は、また言ってきました。頬が赤くなったのが自分でもわかります。
幸いなことに、彼は前を向いていてこちらの顔色を確認されずに済みました。でも……、先ほどまでの鋭く引き締まった表情を一変させて、少し悲しそうな、何かを後悔しているような顔をしながら、恭也さんは独り言のように続けました。
「…………本来なら女は強くある必要はない。自分を守ってくれるような男を見つけてそいつを信じる。それだけで良いんだ……、それだけで。後は男の責任だ、女は関係ない……。それなのに……」
「それは違うんじゃないでしょうか?」
「え?」
やはり恭也さんは今の言葉を聞かせる積もりは無かったようで、彼にしては珍しく何時もの鋭い顔ではなく(今日会ったばかりの私が言うのもなんですが)呆けたような顔をしています。
「男性と女性はお互いを支えあって生きるんじゃ?どちらか一方が責任を負うようなことはないと思いますけど」
これは普通にお父さんとお母さんを見て、思ったことです。
恭也さんは鳩が豆鉄砲を食らったような顔になりましたが、
「真唯の意見も一理あるかもな」
少し照れたような顔でそう言うと、すぐにもとの鋭い表情に戻りました。
「ところで、私も何故、恭也さんがこんな所に居たのか聞きたいです。何してたんですか?」
私は少しおかしくなってしまった空気を変えようと、最初から気になっていたことを尋ねました。
「いや~、まあなんと言うか修行?みたいな」
「疑問形で言われても……」
恭也さんは誤魔化すように言いました。たぶん嘘ですね。本当の理由がすごく気になりましたが、これ以上聞くのはやめてあげました。
それと、また新たな疑問が生まれたのでこれを尋ねてみました。
「修行と聞いて思い出しましたが恭也さん、すごく強いですね?この速さもですけど、あの巨体の足を払うなんて相当な筋力ですよ。そうは見えませんでしたけど実は身体強化の「力」、発動していたんですよね?」
よくよく考えてみればあの身体能力は「素」じゃ有り得ません。私にはまだよく分かりませんが、Sランクの冒険者並みの身体能力だと思います。
ちなみに、冒険者とは独立中立国ベネットの首都エリザベートにある冒険者ギルドに所属する人たちのことです(さらに付け加えるのならこの「恐れの森」は独立中立国ベネットの国境付近に存在します)。
「細かいところまでよく見てるな~。……真唯、お前本当に九歳か?とてもそうは見えないんだが」
「そのセリフ、そっくりそのまま貴方にお返しします。後、幾ら子供でも女性に歳の話なんてしないで下さい。これでもみんなに大人っぽ~い、とか言われて気にしているんですからね!」
「悪い、悪い」
恭也さんは軽く笑った後、ばつが悪そうに、そして何故か不思議なことに、気持ち早口で答えてくれました。
「まったくの素だ。生憎、「力」の方は苦手でね。魔法だって使ったらすぐに魔力が枯渇しちまう。俺にあるのは体術と「これ」だけだ」
恭也さんはこれ、の部分でレッグホルスターに収まった銃を右手でトントン、と叩きました(その間、私を片手で支えていましたがまるで顔色を変えませんでした)。
彼の言葉を聞いた私はそれはもう驚きましたよ、ええ。
「ええええぇぇ――――!?う、嘘ですよね!?もしそうなら気配に鈍い私にだって相当大きな「魂の力【アルマ】」が感じ取れるはずなんですけどっ!」
「おい、真唯。説明してやるから耳元で騒がないでくれ、こんなに近いんだから。「は、はいっ」…………顔が赤いぞ。調子でも悪いのか?」
彼の言葉で改めて距離を意識してしまった私は、収まってきた頬の色を、再び赤く染めてしまいました。
「で、でもこれが驚かずにいられますかっ。どういう事なんですかっ、説明してくださいっ」
「はいはい、わかってるよ。でも実は俺もよくわからないんだよ」
「え?」
「何でかは分からないけど、いくら魔物を倒しても、いくら体を鍛えても、「魂の力【アルマ】」に変化が見られないんだよ、何故か」
恭也さんは平然とそう言いました。……どういう事でしょうか?それに、それってすごく悲しいことなんじゃ?どうしてこんなに軽く言えるんでしょうか?…………彼と出会ったばかりの私にはわかりません……。
――でもいつか。
――彼の心の深いところまで理解できるようになりたいと。
――このとき、そう思いました。
ふと、目の前にある彼の上着から、……何というか女性のような匂いが漂ってきました。
――むかっ
「恭也さん。…………もしかして私を助けに来る前に女の人といませんでした……?」
「な、何で……、いや、一人だったよ……?」
彼はいたずらが見つかった子供のような顔になりながらも、すぐに表情を引き締めなおして答えました。
「…………」
「ま、真唯……?」
「そうですか。じゃあいいです」
「ふう………………」
……恭也さん。絶対に嘘をついています。根拠はありませんが分かります。女の勘です。お母さんが言ってました。……まあ、いいです。それより、
「恭也さん、小学校には行ってないんですか?」
この近辺で彼の噂を聞いたことはありません。学校に行っていれば必ず、女子の注目の的になりそうな容姿をしていますからね、恭也さんは。
そう思って尋ねたことでしたが……、当りのようです。
「ああ、勉強なら家で事足りてるからな」
「そうなんですか…………」
もしそうならまた会えると思ったのに…………。
しかし恭也さんは、でも、と続けました。
「護神騎士学校には行こうと思ってるよ」
「そうなんですか!実は私もそう思っていたんです!」
本当です。彼の言葉を聞いて変えたとかそういうのは全然ありません。
周りがだんだん明るくなってきたことからもう外に近いことが分かります(この森は木が多くて昼でも太陽が出ているとは思えないほど暗いんです)。
「じゃあ次に会えるとしたらあの学校だな」
「え!そうなんですか……?」
どこに住んでいるか聞こうと思いましたが恭也さんの口調には有無を言わさぬ響きがありました。
彼がいっそう強く枝を踏みしめ大きく前に跳び、一気に森から脱出します。周りの景色が気味の悪い森から晴れやかな草原へと変わりました。
恭也さんは私を降ろして言いました。
「それまで精進しろよ?大丈夫、すぐ会えるから」
「…………はい」
思わずぼ~ッと、してしまいました。
なぜって彼が私の頭を撫でてきたからですよ!
九歳にとはとても思えない身長の彼とは二十五センチくらいの差があって撫でやすい高さだったからだと思います。あっ。……手が離れてしまいました…………。
「じゃあ俺行くから。また会おうぜ、真唯」
「はいっ、恭也さん」
最後に微笑んだ後、彼は跳躍して森へ戻っていきました。
これが私――藤達真唯と、彼――貫在恭也さんの出会いにして、私の早すぎる、そして終わっていない大切な初恋です。